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Oratoria

今年も兵庫県相生市のペーロン祭に行った。
夏の前の花火、汗だくの漕ぎ手たち。
祖父母が逝って数年経ち、
さびれた商店街はシャッターが閉じ、
帰って来たよと声をかける相手はいないけれど、
そこは私の生まれた町だ。
海が近い。
けれど、漁師も減った。
幼い頃には、それを主食にできるくらい、
バケツ一杯いくらで安く売っていた、
シャコが、祭だというのにスーパーには売っていない。
シャコは死ぬと身がちぢむので、
パックで売るわけにいかないのである。
だから、道の駅に寄る。
そこにシャコはいる。
しかし、祭の客には売れないようだ。
エビに似ているが、シャコはシャコ。
トゲがあり、びっちびち跳ねる。
じっと見てみると、昆虫っぽい。
バッタ……あ、いや。
繁殖力からして、ゴキ……もごもご。
シャコはシャコである。
生まれた地を離れて暮らし、
私も不謹慎な想像をしてしまったが、
味を知っているので平気だ。
指を出してはびちっとシッポで叩かれ、
近づくんじゃないの気持ち悪い、
そう言って子供が母親に叱られている。
生け簀に、カゴで浮かべてあった、数十匹。
ビニール袋に移してくれながら、
おばちゃんは、うれしそうに言った。
「帰ってきたのに、これないと淋しい
いうヒトのために、置いとってよかったわ」
まあ、子供のおやつよりも寿司ネタとして
流通するようになってしまったシャコであり、
年々、値も張るようになっているので、
せっかく獲ってきたのに売れなかったら困る、
という意味での笑顔だったのかもしれないが。
地元では、高価になったシャコを、あえて食べたりしない。
観光客は、その場で食べられない奇怪な生物に手は出さない。
けっきょく、こいつらは、私のために獲られた。
トゲが刺さるし、手が汚れる。
それでも、シャコあっての夏。
タッパーに茹でたの山盛り入れて、
わあいきれいに剥けたと、悦ぶものだ、。
そういえばふだんの私は、カニも、ミカンさえ、
ガワを剥くのが面倒なものは好んで食べないのだが、
こいつだけは、特別。
一匹二匹では意味がない。
積まれていなくちゃダメ。
きっと、もう何度も、こうやって食べる機会はない。
高級食材は科学技術で養殖されて食卓の常連になり、
そばにいっぱいいたから獲って喰っていたものは、
地域性が高すぎて民主主義に負け稀少食材になる。
世界中で寿司もステーキも毎日だって食べられる。
そりゃあ素晴らしいことだけどな。
昆虫みたいな生き物唇切りながら喰う、
こういうのをたぶん、いまわの際に想い出したりしそう。

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 日本映画なのに日本公開がやっと決まった『デッド寿司(Dead Sushi)』に、牙を剥くエビの寿司が出てくる。



 トマトがヒトを喰うとか、缶詰がヒトに齧りつくとか、そういうホラー映画は二十世紀にたくさんあったが、その国の特産品などをディスるのは外交問題にもなりかねないから、なかなか扱う監督がいなかったところを、自分の国ならいいだろうと日本人監督が日本人を使って寿司に襲われるという図式自体が外国の方にとっては「日本人って」という苦笑に結びつくようで、笑われる側としては誇らしい。
 誇りがないのが誇りです。

(誇りで思い出したが、最近、アメリカのプロレス団体WWEにおいて、日本で活躍していたジャイアント・バーナードが「テンサイ」という名でプレイしているのですが、その件に関し先日、ヨシタツがコメントを出した。

 WWEスーパースターYoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~『罪と罰』

 どこまでが真にガチなのか不明だけれど。日本人が寿司に襲われる映画撮っているのを笑う感性があるなら、笑えるか笑えないかが重要だと気づいて欲しい。バーナードは好きな選手だけれど、日本から戻ってきたことを売りにして漢字で「天災」のペイント……日本人としてだけでなく、プロレスファンとしてげんなりする。プロレスハッピーでなくちゃ) 

 寿司はいまや世界食だが、それでも生の魚は無いわ、というひとは多いらしく、エビも火が通っていればいけるけれど、生の甘エビとか臭すぎる、なんて話をよく聞く。そういう外国のかたにとっては、シャコの生にぎりなんて、まさにホラー以外のなにものでもないはずだ。
 生け簀で泳ぎもせず、底に這いつくばっているトゲシャコは、エビに似ているがゆえに、しかしエビではない部分が強調され、見るからに妙な進化を遂げている。

 最近の研究では、シャコってほんとにそうらしい、ということがわかってきた。



 要約すれば、シャコは見た目のエイリアンっぽさを裏切らないくらい、宇宙から飛んできた種だといえるほど独自進化した生物であるという話。

 特に目。

 映像で見るとよくわかるが、シャコの目は、トンボの複眼に似ているようでいて、その奥に透けた黒目が動いているのも確認できる。またその透け具合が均一でないのも、いかにもほかの生き物とはちがう働きを持って世界を眺めていることの証明のようである。

 実際のところ、シャコの目は、よく見える。

 それは、よく見える、ということの意味の捉え方にもよるだろうが(人類のなかでも、草原の国で生まれたひとが驚くくらい遠くが見えるということがままあるが、もしもそのひとが大人になってビルと地下鉄の国にやってきて、パソコンを使ったデスクワークに従事したとすれば、眼精疲労が頭痛を呼び起こし、仕事どころではなくなる可能性は高い)、単純に視覚器官としての能力でいうと、シャコの目は地球上のあらゆる動物が見ていない光を見ることができている。ヒトが見る世界よりも、シャコが見る世界はずっとカラフルなのだ。

 カラフル、という表現も適切ではないかもしれない。見える光の種類が増えるということは、ヒトが見ている「赤色」という光の三原色のひとつを、シャコはさらに細分化して見ているということである。そこではもう、赤色は赤色と呼ぶべきものではなく、ヒトにはその世界が見えないから、それを表現する適切な単語もないのだけれど、ともあれ、もっとずっとはっきりくっきり世界認識しているのである。考えてみると、それは困ったことのような気がする。だいたい、三色の発光ダイオードの組みあわせで、ヒトの目にはテレビで歌うももいろクローバーZは五色の女の子たちに見えているのだし、ナショナルジオグラフィックチャンネルではディープブルーな海の蒼さに嘆息さえする。必要充分に世界が見えている気がするのだ。それを、三つどころか十を越える「原色」に変換して見る? それはいったい、なんの役に立つのか。

 簡単なことである。
 同じ衣装を着ている少女たちの色味を細かく分析して見ることで、五色どころか数十色にでもわけられるなら「ギネスにLargest Pop Groupとして認定された」某少女アイドルグループだって、シャコは色を見わけるようにがっちり個人特定できる。ドレスよりも、髪や、肌で見わけたほうがわかりやすいかも。あの頬のきらめき、目の下のくもり、明るすぎるリップ。

 つまりシャコは、我々ヒトがよく陥りがちな、自分とはちがう人種のヒトを見たらだれがだれだか見わけがつかない、という状況にハマりこむことがない。白だろうが黒だろうが黄色だろうが、さらにそれを細かく見てしまえるので、結果的にヒトの目が見ているような大雑把な区分は問題ではなくなるのだ。

 シャコの目を研究して、次世代光学ディスクに生かそうとしているひとたちもいる。読み込める色が増えるということは、書き込める情報量が増えるということにほかならないからである。

 圧倒的な情報量で世界を認識する唯一無二の生き物。
 けっしてだれかをだれかと間違うことはない。
 ならば、シャコの目で次世代ディスクなどという前に、シャコにジャケットを着用させて、立派なホテルマンにしたらよさそうなものだが。

「お帰りなさい、ミスターヨシノギ」

 やつは私を見間違えない。
 だがそれは、進化を理解していない提案だ。
 シャコは、ホテルマンになりたくないから目を育てたのだから。

 唯一無二の超絶分析装置。
 そんなものを瞳の位置に埋め込んだシャコは、多人数アイドルグループを愛せない。いや、たった五人のももクロも愛さない。人数は問題ではない。見た瞬間に詳細分析し、間違うことなく、シャコは決定できる目を持った、それゆえに。

 見る=自分好みか即時判定。

 好みだったら、襲って、食う。
 ヤバければ、逃げる。

 もしも、愛すべき相手と、危険な相手を、見るだけで即時判定できる瞳をあなたが入手したとしよう。するとあなたは、やがてなんの恐怖も感じなくなり、だれかを愛するということもやめる。

 近づいてくる前に、見れば危険だとわかる。
 自分を無条件で受け入れる相手も、見るだけで次々と手に入る。

 あらゆる執着が消える。
 シャコは、なにもおぼえない。
 経験が必要ない。
 だれかとだれかを間違うことはないから、だれかの特徴などおぼえる必要が皆無になる。

 記憶にない相手に執着できる生物はいない。

 なんでも見える瞳を手に入れた。
 シャコは、脳を退化させても問題なくなった。  
 すべてを破壊できる兵器があるならば、狙いなんて定めなくていい。

 そうして、シャコは砂にもぐり、目だけを出して生きることにした。
 もはや、その目は、シャコのすべてだ。
 見る。
 反射。
 隠れる or 手に入れる。
 思考は必要ない。

 シャコになりたいかといえば、微妙ではある。
 考えていないのだから、退屈もないのだろうけれど。

 ネットの発達によって、ヒトは考えなくなったというひとがいる。
 いわば外部脳であるコンピュータが、ヒトの脳ではおぼえきれるはずもない百科事典以上の知識を即座に提示してくれるし、カーナビは道を教えてくれる。近ごろのアプリは、曲を聴かせるだけで詳細情報をくれるので、歌手の名前も歌詞も、おぼえる必要はない。

 うん。確かにね。
 そうしてみると、ぼくらもシャコ化していくのかもしれないね。
 などと、私は思わない。

 機械化がすすむと、人間力が落ちる?

 そういうことを言うひとこそ、だれよりわかっているということである。機械化とは、脳の拡張にほかならないのであって、もともと持っているヒトの脳の容量に空きができるということ。

 空きができたから、考えない。
 それは個人の問題だ。
 多くのヒトは、機械が家事をしてくれるようになって、ぼおっとするどころか、考えなくていいことを考えはじめた。カーナビが道を教えてくれるから、運転席と助手席で、目の前に広がる宇宙の成り立ちについて会話をすることだってできる。

 ひとりに一台のモバイル端末が行きわたった時代に、算数の計算力が衰えるのは当然だと識者が言う。計算機を持っていて、計算する脳が育つわけがないでしょう? そりゃそうだ。でも、この先、人類が荒野にもどる予定なんてないんだし。

 計算力なんて、いらない。

 計算は機械がしてくれるから、またヒトの脳に空きができる。
 しかし我々はシャコにはならない。
 シャコにあこがれていないからである。 
 シャコは、考えずに見ればわかるカラダになりたくて、そうなった。
 進化とはそういうものである。
 高い枝の葉を食べたいから首がのびる。

 ヒトは。
 なにを望んでいるのか。

 からっぽになりたい?
 愛や憎しみから解放されたい?
 いや。
 だったら世界から映画も小説も消えているはずだ。

 機械化は進化である。
 望んでこうなった。その結果「衰えた」とされる人間力とは、ヒトが不毛の大地でサバイバルするための能力である。そんなものはもういらないから、選んで捨てたのだ。

 で、この先は。
 ヒトはシャコにはならない。
 シャコが見ている光を、機械で見るようにはなる。
 しかしその機械を肉体に埋め込んだりはしない。
 そこが確信できるならば、未来予想図はほぼ確定。

 ヒトは自由になる。

 機械化がすすみ、空いた脳の容量と、好きに使える肉体を持つ。
 なんでそれを悲観的にとらえる?

 好きにやっていい。
 だったら、多くの人類は愛しあうことを選ぶだろう。
 趣味で哲学するようになるだろう。
 争うことはゲーム化され、競技になる。
 少数の開拓者たちは、望んでナビのない土地へ行きたがる。銀河系の外の惑星に機械で到達して、そこで自動人工授精すれば、ヒトという種を限りない果てまで飛ばすことができる。いや、別にヒトが行かなくても、無線LANを数珠つなぎしていけば、太陽系の外にまでネットを拡張するのは時間の問題だ。オールトの雲でもネットが使えるなら、ブラックホールの発生する瞬間をストリーム中継することだってできるだろう。

 もちろん、怠惰をむさぼりたいという欲求もでてくる。しかし、外部脳が増えてメインマシンに空きができたなら、これまでやったことのないことに、その処理容量を割り振ってみようと考えるのが、ヒトという種の自然な進化だと思う。怠惰のむさぼりかたも、シャコみたいな退屈に陥らない方向で発展するに違いない。

 ヘンなものを食べだすかもしれない。
 いまは想像もできない新たなセックスのカタチを見つけているかも。

 断言できるのは。
 考えないシャコには、なりたくないから、ならない。
 そのために機械化進化を遂げたわけではないと自覚しているのだから、これからだって、ヒトの脳が休むことはない。
 ただ、ひとむかし前とは、別の用途に使われることになるだけ。

 とか。
 そういうこと考えていたって。
 シャコだって、もはや天敵もなく愛することも超越して、砂のなかで生体機械な生涯を送れるはずだったのに、がっそり網で砂ごともっていかれ、茹でられて殻を剥かれて私にむしゃぶりつくされている無常。

 終末は、勝手にくる。
 いまさらこの夏にエアコンをOFFる?
 スマホを踏んづけて計算ドリルする?
 カーナビ使わないと戦争はなくなるの?
 バカ言ってんなよ。
 もう進化しちゃってんだよ。
 望んだことでしょう。
 悩むなんて、いくじなし。
 
 シャコどころか地球も食い散らかして。
 行けるとこまで行って滅ぶんだ。
 ヒトという種がどこかへ逃げ出せたら、それはめっけものだけれど、基本的には、ヒトは狩りをやめて考えて暮らしたいと望んだんであって。
 残された問題は。
 ヒトは孤独を愛したい。
 けれどヒトに触れて愛したい。
 仕事も勉強も機械にまかせて道に迷わず、宇宙の秘密に哲学しながら、好奇心に負けてブラックホールに飛び込みつつも。
 引きこもってだれかに愛され、愛したい。
 そこんとこ、解決する「機械」を早急に作るべきなんだよ。
 シャコじゃないからできるはず。

 かっさらわれてむしゃぶり喰われるまで。
 欲望にくじけない。
 くよくよ考えることさえたのしむために生まれてきた。
 もっと、もっと!
 それこそが人間力。
 ヒトのえらんだ進化。



Rosmarinus

迷迭香……めいてつこう、と読む。
同じ字で、まんねんろう、と読めば花の名。
この緑色の枝のあちこちに咲く可憐な花の名である。
しかし、めいてつこう、と読むとき、
それが指すのは、トゲトゲした葉のことだ。
漢方薬である。
煎じて飲めば、
頭が冴え、胃腸を整え、鬱が改善する、という。
実際、アルツハイマーの進行を遅らせる効果がある
との論文まで存在するのである。
ところですべての薬には副作用がある。
迷迭香をポットに入れてお湯を注ぎ、
飲んでおいしいというだけならばよいが、
効能をうたうことのできる身だ。
量を摂れば、毒になる。
以前書いたことだが、
パエリアに使うサフランのめしべの致死量は
20グラムだそうで、
そのむかしは、堕胎を望んで台所のサフランを
飲んだ彼女もいたという。
サフランの花は、植木鉢に数輪がせいぜい。
そんな量からとれるめしべなどでは、
ごはんは色づかないし、毒にもならない。
でも、この迷迭香ときたら。
わっさわさ増える。
そういうわけで、
庭から摘んできたそれを、
洗って乾かしているところ。
花は、いらないのでむしりとる。
きれいな緑だけを残し、
このまま風通しの良い場所で乾燥。
触れるとぱらぱら葉が落ちるくらいまで乾いたら、
その葉を集めて、瓶に詰めて冷蔵庫へ。
もちろん、毒として飲むためじゃない。
記憶障害や、鬱の持病もない。
漢方薬としてではなく、
私はこのシソ科の植物で、
燻したチキンのソテーが大好きなのだ。
わざわざそうやって迷迭香の匂いをつけた鶏肉を、
マリネだとか、ピザだとかの具にすることも多い。
とてもきつい匂いがする。
味わい慣れてしまうと、だから禁断症状が出る。
クセのある香りに惚れてしまうと、ほかでは物足りない。
愛とは多分にそういうもの。
深く堕ちすぎれば毒になるけれど、
浅く舐めるならば媚薬として作用する。
そんな気分も込め、私はこの草を、
めいてつこう、と呼んでいるが。
お近くの植物販売店では、
ローズマリーという名で売っています。
その名で呼ぶと、ホラー小説を想い出すんだよな。
実際、その小説が映画化される以前は、
地域によってはメジャーな名前だったようである。
しかし、こんな臭い草の名を、
女の子につけるなんてなあ……
匂いを嫌悪しない文化なんでしょうね、きっと。
むしろそこに愛される要素をみる。
わかります。

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 ただひとこと、『ローズマリーの赤ちゃん』は、どんなものであれ一般大衆小説を書こうとする者には、絶対の必読書だと言っておこう。

koontz

 ディーン・R・クーンツ 『ベストセラー小説の書き方』

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 映画が有名な『ローズマリーの赤ちゃん』ですが。
 師クーンツも絶賛しているように、原作小説こそ、ほとんどユーモアと呼んでいい域にまで練り込まれた「韻を踏みながら少しずつ狂っていく」リズムある文体によって、物語もさることながら、作品に漂う雰囲気そのものが忘れがたい印象をかもしだしている名作。

 で、私は、ローズマリーと口にすると、まずは、ちょっとおバカな妊婦を想像してしまう。変わった首飾りを下げ、夫を信じきり、隣人にコントロールされ、あげく黄色い猫の目をした息子にほほえみかけてしまう、可愛らしさがすぎて悪魔の母親になった少女のような女性。

 その物語自体が、彼女の妄想であるという読み方もできなくはなく、映画ではけっきょく最後まで赤ん坊を映さないことでそのあたりの恐怖を盛りあげていたが、それにしたってローズマリーが首に下げていたペンダントから、放たれる匂いまでもが彼女の嗅いだ幻臭であるとは思えない。ローズマリー嬢は確かに未発達な精神を持つかわいそうな妊婦ではあるものの、もしもそこに狂気が顕れたのであれば、原因は、ほとんど唯一の「妄想ではありえない」物質である、幸運のペンダントの内部に納められた、それであることは疑う余地がない。

 タニス、と作中では表記されている。

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「タニス?」と、ハッチがくり返した。「初耳だな。〝アニス〟か〝オーリスの根〟のことじゃないのかね?」
 ローマンが引き取って、「タニス」と言った。
「これよ」と、ローズマリーは薬玉を引き出した。「幸運のおまじないにもなる、という話よ。気を確かにしてよ、この臭い、ちょっと慣れが必要だから」そして薬玉を差し出し、身を乗り出してハッチに近づけた。


 アイラ・レヴィン 『ローズマリーの赤ちゃん

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 幸運のおまじないにもなる、という程度の根拠で、気を確かにしていないと脳天を撃ち抜かれるような異臭のする薬玉のペンダントを妊婦が肌身離さず身につけている。この作品の中ほどに出てくる描写によって、読者は、こりゃあなにか中毒性のある薬物なのかな、と疑いを持つ。

 で、タニスってなに。

 その名で調べても、該当する植物はない。だが、作中に「タニスの根」という表現と、別名「悪魔の胡椒」とも呼ばれる、という具体的な説明があることから、作者の適当な思いつきによる創作植物ではないようだ。

 悪魔の胡椒、という特徴的な別名から、タニスはおそらく、

「Snake-root devil-pepper」

 のことであろうと思われる。
 和名では、

「印度蛇木」

 インドジャボク。
 インドに群生する、根が蛇のように奇怪な形をした木だという。

 いわゆる漢方薬としては使わない。
 ただし、インドでは薬効のある野草として使用されている事実があるようだ。
 なんに効くのかといえば。

 精神病の治療。

 化学的には解熱や血圧降下の成分を有するらしいが、心の病に効くなんていう文献はなく、そんな分野でめざましい効果があるのなら、インドに生える蛇の根を持つ木、などといういかにも高く売れそうな素材を、かの国が漢方として珍重しないわけがない。それが為されていないということは、おそらくだが、実際的な効能はないのである。

 だが、現地では使われている。
 そして『ローズマリーの赤ちゃん』の記述。

 まったくの推測ではあるが。
 アイラ・レヴィンが、タニス=印度蛇木の根として書いたのであり、事前にいくらかの資料を集めたのだとしたら。

 印度蛇木は、実際に、ひどい臭いなのではないだろうか。
 それはもう、心を病んだ者に、飲み続けさせれば、その臭いに脳天を貫かれるのがイヤで、心のありようまで正されてしまうような。
 気付け薬としての、臭いの効能があるのではないか。

 心の病も治すほどに臭い。

 それを首からぶら下げていれば、悪魔も産める。

 嗅いだことはない。
 なのにローズマリーと聞くと、まずは天然少女妊婦、そして薬玉のペンダント、行きついて幻想のタニス臭を想像してしまい、遠くから、なにか嗅げた気がしてしまうのです。
 だからこれは。

「鶏もも肉の迷迭香焼き」

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○材料

鶏もも肉 一枚
迷迭香 適宜
塩 少々
ブラックペッパー 少々

○作り方

まぶして焼きます。
迷迭香は焼けて炭になり、黒魔術の儀式のごとく、もうもうと煙が立ちのぼりますので、フライパン(鉄製推奨)にしっかりフタをして下さい。
つまりは簡易な燻製です。
とことん強火で。
焦げるまで。

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Rosmarinus2

 ちょっとずつナイフで切りとって、
 タバスコなどふりかけ、
 クラッカーにのせたりして。

 ローズマリーの匂いがクセになるのは、それ本来の匂いのせいか、それともタニスへの連想のせいなのか、私自身もわからなくなっている。迷迭香焼きとごまかしたところで、ごまかしたからこそ、ローズマリーを意識する。でも、だけれども、好きになる匂い、などというものは、すべからくそういうものじゃないかな、とも思う。無垢な赤ん坊は、だれか愛しく近しいひとがそれを飲んでいるのを目にしなくても、いつかコーヒーの匂いを自然と好きになるだろうか。
 
 というわけで、鶏もも肉の迷迭香焼きを食すあなたには、ぜひとも『ローズマリーの赤ちゃん』を、読んでおいていただきたい。それなくして、たぶん、あなたが食べるそれと私が食べるそれは、別ものになってしまうから。

 匂いは味の主要な一部。
 そして匂いとは想い。
 臭ささえも、例外ではなく。

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 バケツに湯を張ったところへ、エバ・ポシダスが一握りのローズマリーを持って戸口に現れた。「これ、いい匂い」彼女は手をわたしの鼻へ近づけた。「こうやって」両手で葉をすり潰した。「ベンタナに置くんだよ」葉を窓敷居の上にばらまいた。「そうすればきれいに取り除ける」
「ありがとう、エバおばさん」ローズマリーで何を取り除けるんだろうと考えながら、わたしは礼を言った。

Laurie Lynn Drummound

 ローリー・リン・ドラモンド
 『わたしがいた場所』
 (『あなたに不利な証拠として』収載)

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 頭が冴え、鬱が改善、アルツハイマー予防。
 現代になって解明されつつある効能は、メキシコの片田舎で古くから「とりのぞける」とされてきた効果に合致する。その香りだけで、もしかするといくらか幻は晴れ、現実が見えるようになるのかもしれない。



 2009年にここで言っていた、2003年にクラーク賞を獲ったニール・スティーヴンスンの『Quicksilver』が邦訳されないって話ですけれど。

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『善良な男を狙え!!』の話。

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 2012年現在、いまだ事態の進展はなく。本気でこのひともクーンツみたいに、映画化とかそういう日本でも注目されることがあって、最新作が突然に刊行され、でもそれもライトユーザー獲得にまで届くような熱は生まず、けっきょく初期の作品と最新作が書店に並ぶが途中がすっぽり抜けているという、そんなことになりやしませんかねとあきらめ顔な近ごろだったのですが。

 それでもやっぱり『ダイヤモンド・エイジ』が傑作であることに間違いはなく。

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『ライフゲーム』のこと。

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 ブラウザのブックマークにニール様のサイトを記しておいたり、ときどき検索もかけてみたり。

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『Neal Stephenson』公式サイト

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 ああ、むこうではまた新作が出るんだね、みたいなテンションだったのですけれども。ある日、その名で検索をかけたら、アップルストアがヒットした。

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『The Mongoliad Mini』

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 私はipodユーザーなのでこっちですが、アンドロイド版もキンドル版もある。モバイル機にこのアプリを入れると不定期に物語が配信されるという形態で、めでたくこの春には紙の本としてもまとめられた。
 ていうか、紙にできるものなら、最初から紙でいいじゃないかというような気もしますが、ほかにもアップルストアにあるニール様アプリとしては、モンゴルつながりでホーミーを仮想生成するのとかあって、なんだか謎です。余談ですが、私、小学生のころからホーミーが得意です。最近はやっていませんが、いま試してみたら、いまもできた。幼い頃身につけた自転車の乗り方は、乗らずにいても忘れないものなのですね。ちなみに知らないかたのために説明しますと、ホーミーというのは、喉をふるわせてひとりで多重音声を発する奇怪技です。できても得になることはあんまりありません(小学生の時代にできると、あのコ扇風機の前で声ふるわせるみたいなのが扇風機なしでできるんだってさと別の学年から見物人がやってきたりはします)。

 ところで『The Mongoliad』。
 ニール・スティーヴンスン単独名義ではなく、なんと巨星グレッグ・ベア先生の名前も併記されていて、いやそれどころか「そして友人たち」とか、よくわからんクレジットも。

 グレッグ・ベアといえば、近ごろでは一部(私を含める)のゲーマーが「あのグレッグ・ベアがHaloの小説を書くんだそうだぜい!」と身悶えた存在です。

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『ProjectNatalとMilo』の話。

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Greg Bear

 なにがはじまってんの、これ。

 つまるところ、サイバーな現代にSFを書く者はなにを為すべきかとか言っていたニール様が、グレッグ・ベアであれだれであれ、好きにこの世界観をつかって物語ってくれ、そしてこの世界をひろげていこうぜ、というコンセプトではじめたのが『FOREWORLD』なる統一空想世界観であるという。なので『The Mongoliad』も電子の海に解き放たれていたわけです。連作形式で、小説に限らず絵でも歌でも、他人の作品に影響されて次々この世界観を回して行っちゃって、というのをネットを介して形づくる試み。それゆえにいろんな作家の名が連なり、友だちがすべて世界の一部を形づくる。ホーミーアプリも、思いついたから世界をひろげてみた精神の顕示で仲間を増やしたいニール様の心の声の具現化なのでしょう。

 『FOREWORLD』は、みんなの世界。
 最近アニメ化ニャル子さんでもおなじみクトゥルー神話みたいなものですね。

aisora

 ラブクラって知ってる?
 クトゥルーの生みの親のことです。
 そんなふうに、現代に神話だって生みだせるのが小説屋の醍醐味、どころかニール様は以前も『プロジェクト・ヒエログラフ』なる、現実の科学とリンクしたSF設定をひろく作家の共通認識とすることで現実の科学レベルを引っぱりあげるぜ、的な活動もしていて。

 物語の力を舐めていない。

 舐めてはいないニール様が、本腰入れてはじめた統一世界観ってなによう、どんだけ現実にサイバーなのよう、と覗いてみたら、これがさあ。

 思いっきり、鎧と剣の世界。
 ほんとなにはじめてんの。

 なんか、よくわからん展開だったわけですよ、邦訳もされないし、断片的な情報を覗いているだけで、しかしあきらかにニール様がなにかおかしなことになっておられる。もやもやするなあ、と過ごしていたら、ついこのあいだのこと。

 Kickstarterに、ニール様が。

 Kickstarterというのは、とある計画を実現させたいひとが、ウェヴ上でプレゼンすることによって資金提供をつのるというサイトです。

 ニール様が金集め?
 『スノウ・クラッシュ』どんだけ売れたと思ってんの。使い切れないほど金はあるでしょう、なんなんですかいったいもう。
 ニール様、語りはじめます。



(なんか上の埋め込み動画だけ表示されないという報告を受けましたのでミラーへのリンクも貼っておきます。

 とかげの月 / 徒然<鏡>
 『ニール・スティーヴンスンとFOREWORLD』の話。

 んー。うちではモバイル含め、どの端末で試しても見えていて、話によると例によってIEみたいだが、うちのあんまり使っていないIEでは表示されるんですよねえ。再現しないので試行錯誤のしようがない。不可思議な相性があるのかFC2)

 わお。
 ゲーム?
 ProjectNatal(現キネクト)向けじゃないですか。
 かと思ったら、そういう、ただ剣を振り回すだけのゲームしかないじゃないか、というところが、ニール様の逆鱗に触れているらしい。
 ゲームの差別についてニール様、語る。



 要は、こういうことです。
 銃はいろんなゲームで完璧にシミュレートされ、現実の武器を反映し、自分好みにカスタマイズできたりもするのに。それなのに。ゲームの世界に出てくる剣ときたらどうだ。弓矢と剣を選べるくらいのもの、振り回すモーションは棍棒と変わらない。別に剣からビームを出してくれと言っているわけじゃない。剣には剣の歴史があり、刃も鍔も柄も、デザインだっていっぱいある。

 さあどうですかみなさん。
 ソードワールドを生きてみたくはないですか。
 いや、その世界観は『FOREWORLD』という、私の提案する統一世界観において描かれます。すでにアプリや紙の本でもおなじみ、グレッグ・ベアまでからんでる。

 ていうか、このビデオ。
 完全にゲーム、作りはじめているじゃないですか。
 金あつまらなくったってやる気でしょう。
 これ、資金集めもさることながら、あのニール・スティーヴンスンが本気でゲームを作るらしいということを、世に知らしめるのが目的のように思えてならない。

 それにしても、次世代サイバーパンクの担い手と騒がれていた男が、SFではなく(ヴァイキングとサムライの戦いとか言っているから、それはそれで一種のSFではあるものの)剣を描きたいんだ、メジャーにしたいんだ、魔法なんてなしだ、刃と刃でがっつんがっつんやりたいんだ、というのは……

 本人曰く、単純な理由。
 小説を書くために資料を集めていて、剣にハマった。

 で、きっとニール様は、ゲーマーとしてやってもみたのだろう。
 『ソウル○ャリバー』とかは、逆に剣マニアの身になるとショーアップされすぎていて腹立つんだろうなっていうのはわかるし、オープンワールド系のRPGでは、レベルが上がれば剣の先から炎を飛ばすのは当たり前。それもまたムカついて。『ベルセルク』とか、剣自体の動きは良いけれど、それでばったばったと敵をなぎ倒すっていうコンセプトが、ソード対ソードを求めるニール様には興ざめだったのかもしれぬ。剣神ドラクエ? いや斬りたいのはスライムじゃないんだよね。

 で、ここがニール様のKickstarterなのですが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『CLANG by Subutai Corporation / Kickstarter』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2012年7月10日現在。
 9000人から5000000ドル。
 集まっちゃってます。

 てことは、作られるわけです。
 プロジェクト・CLANG。
 SFは現実の科学さえ変えられると夢見ていたひとが、ハマってしまったから、リアルな剣劇テレビゲームを本気で作る。

 仮想空間で剣の美学をよみがえらせるというのは、そうね、見ようによってはものすごくサイバーな話です。体感できる『FOREWORLD』。その設定自体が、リアルな異世界SF(?)みたいな響き。五十万ドルは、昨今のゲーム制作費としては十倍あっても足りないくらいの額だけれど、ニール様が夢を語り、それに呼応したユーザーがいると証明できたことは、今後の出資者集めにすごく有利なはず。

 ものすごく個人的な想い出ですが、私の書斎には、額に入った一枚の地図が飾られています。『ルーンワース・ソードワールド』というゲーム世界の地図。その第一作にものすごくハマり、ソフトに特典としてついてきた紙の地図を、にやけながら見つめていた。第一作では、その地図のごく一部しか舞台にしていなくて、物語も途中で終わって、それから何作にもわたって『ルーンワース』世界は描かれるはずだった。

 でもね。

 『ルーンワース』は、いちおう第三作まで出たのですが、世界観をひろげるというよりは、売上げがあんまりなので方向性を変えていこうというのが見てとれて、私のような一部のファンをこそ醒めさせていったのです。

 いまも壁の地図を見つめ、生きることのできなかったソードワールドを夢見ることがある。
 ニール様は、私にそれを届けてくれるのか。
 キネクトじゃないほうがいいな。
 操作は指先がいい。
 夢は、頭で見るから。

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変態趣味ができてしまった脳は、どんな治療でももとにはもどせない。
 そういったことをつらつら考えるに、黒いストッキングというカードがわたしに配られてきたのは、とりたてて悪い運命でもないのだ。

Neal Stephenson
 
ニール・スティーヴンスン
『クリプトノミコン4 データヘブン』

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 ニール・スティーヴンスンが剣への変態趣味に侵されたことは、間違いなく幸いである。ほかの熱心な彼のファンにとっては違うかもしれないが、十年待っても新作が訳されない小説屋としてしか知られない、この国では。だれもやらないからオレがやると吠える彼の映像が見られる、こっちのバージョンのほうが、ニヤニヤ笑いがとまらない。

 現実が気に入らないならば、変えろ。
 欲しいものがないならば、生め。

 ここは未来で、言葉なんて使わなくたって、メッセージは伝えられる。
 ニール・スティーヴンスン、生き様で物語る。
 それこそ物語作家の真髄だと思う。
 敬愛いたします。