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 料理の話が続いているので、ついでに。

 以前、ここにナンのレシピを載せたことがあったのですが、その記事に残される検索語句の足跡に、やたら「カロリー」が出てくるんですね。私の書いた文章のなかには、カロリー、という単語は出てきませんし、そもそも私、カロリー気にして料理したりはしませんから、ググってこられた方々の興味にまったく応えていない内容になっているわけで。

 しかしそれは、ナンのカロリーについて検索をかけているのに、そのものズバリな記事を用意できず、あっさりすっきり人生を目指すダイエッターな皆さんが目にしたくないに決まっている性欲と食欲のごった煮たる私のブログなんかに誘導せざるをえなくなってしまう。
 これは、我々のネットワークの底の浅さがもたらしている悲劇といえましょう。

 これだけ世界中のヒトがこのネットワーク上に情報を発信し続けているのに、こうもたびたび、欲しい情報だけが抜け落ちているというのはなんなのか。たとえば今日、私はカバの足の爪について調べていたのですが、日本語に限らずワールドワイドにググってみても「足の指は四本、だから爪も四つ。偶数だからカバは偶蹄類」とか、そんな図書館に行って百科事典で調べればいいようなことしかわからない。ちがうんだもんっ。知りたいのはカバの足の爪が交尾のときに有用に働いているかとか、削って漢方薬として使われたりはしないのかとか、わしの左頬のひきつれた傷は東の沼に棲むボスヒポポタマスの足の爪によって……なんてジイサンがどこかにいないかとか、そういうことなのに。

 わかります。
 カレーが好きなんですね。
 でも、お酒も好きで。
 白米で酒が飲めるかバカヤロウ、ということでインディアンティッキーに小麦粉を練って焼いたので食そうかと思うのだけれど、ダイエット中なのですね。
 そこで、ナンのカロリーが知りたい、と。
 市販のナンのパッケージに書いてある成分表示によればおよそのところが計算できるものの、あんなもんで腹がいっぱいになるか自分で焼くの、いっぱい食べるの、でもカロリーは知りたいの、と、そういうことですね。
 かしこまりました。

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Nan

『カレーのためのナンのレシピ』のこと。

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 ↑このレシピに登場する材料を、ひとつひとつ潰していきましょう。

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○材料

ぬるま湯(約30℃) 250cc
プレーンヨーグルト 60cc
オリーブオイル 40cc
はちみつ 大さじ1
強力粉 500g
ドライイースト 大さじ1
塩 小さじ1/2

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○熱量

ぬるま湯(約30℃) 250cc
0Kcal

プレーンヨーグルト 60cc
38kcal

オリーブオイル 40cc
369kcal

はちみつ 大さじ1
62kcal

強力粉 500g
1830kcal

ドライイースト 大さじ1
28kcal

塩 小さじ1/2
0Kcal

合計 2327 kcal

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 ひとりで強力粉500gのナンを完食するというのは、ほぼ不可能です。私、出されたものは残さず食べる派ですが、もちろん、ビール飲みながらというところがあるにしても、強力粉300gぶんのナンを食べきるのがせいぜいです。
 その量で、1000kcalを少し越えるくらい。

 焼きあがった数字で言えば、焼きたてのナン100gで、およそ260kcal。

Curry

 ちなみに、スパイス多めをうたうハウス食品さんのレトルトカレー『カリー屋カレー大辛』(すいませんね。辛さの段階がある商品は、つねに最上位を手にとる辛いもの好きなのです)の成分表示で、一人前(200g)が174kcal。

(辛いの好きって書いていて思い出しましたが、先週だったか職場の後輩が「ヨシノギさんて辛いの好きでしたよね!」と泣きながら言ってきて、聞けばその日の昼食にロッテリアの新商品ホットタンドリーチキンサンドスパイシーソース(辛さが三段階あって、それのいちばん辛いのらしい)を食し「ぼくは心が折れました。ヨシノギさんがリベンジしてください」と言われていたのだけれど。すっかり忘れていた。つーか、ビールなしでハンバーガーが食えるか(というわけで職場のすぐそばにロッテリアがあるのだが、私は買いに寄ったことがない)。ましてスパイシー味つけと聞いては。それにしても、彼が真剣にぼろぼろ頬を濡らして泣いていたからびっくりはした。彼が弱いのか、ロッテリアが強いのか。どうぞ皆さん私のかわりに彼のリベンジを果たしてやって下さい……泣かなければ勝ちなんだと思います、たぶん)

 レトルトのカレーというのは、基本、白ごはんを盛って、そこにとろりとかける程度の量で作られているので、ナンを浸して食すなら、二倍、三倍くらいはいけるだろうか。にしたって、五人前食べたって870kcal。

 500g強力粉のナンを、三人で等分に分けて食べて、やっと釣りあうかというくらい。まさに小麦粉は主食の本道を行く、このブログの表題通りの真実です。

「カレーはナンのそえもの」

Rice

 炊きたてごはんでおなじみ『サトウのごはんコシヒカリ』が 200gで294kcal。私、お弁当用の米をグラム単位で計量して冷凍しているから知っておりますが、米一合は炊くと340gです(私の水加減)。一合飯というと、大きめのどんぶりにこんもりと盛ってしまえるくらいになるので、サトウのごはん二パック400gもあれば、夏の午後の汗だく肉体労働者であっても満腹にできるはず。にしたっておよそ600 kcal。

 圧倒的に、ダイエッターはカレーをごはんで食べるべきです。
 ていうかカレーというメニューがカロリー気にして食べるものじゃないでしょう。
 食べたぶん、動いてください。
 そっちを検索するべきでは。
 かわりに検索してさしあげます。

 ばっちりカロリー摂取食品な手作りナンにカレーを添えて翌日胃がもたれて動けなくなるくらい食べたとして、1300kcal~1500kcal。これって偶然なのかなんなのか、成人女性の一日の基礎代謝~成人男性の一日の基礎代謝による熱量消費とほぼ等しくどっこいどっこいの数字。えらいものですねえ。ナンとカレーがあれば無人島でも生きていける。ビールはないし、ものすごく喉が渇いて死にそうにはなるでしょうが。

 運動なら、一時間階段をノンストップで登り続けて500kcalの消費。なので、ナンとカレーがあれば、三時間ぶっ続けで登れます。

 ところで、アメリカ国立標準技術研究所が、時間は高度が上がれば速く進む、という一般相対性理論に基づいて実験したところによると、階段を二段のぼると、七十九歳の寿命の場合、一秒の900億分の1ほど加齢速度が速まるそうで。
 逆説的には、1800億段ほど「降り」れば。
 一秒、若返ることになる。
 階段を一段降りるのに一秒かけるなら、六千年ほど降り続ければいい。

 けれど哀しいかな、階段は登るほうが降りる行為の倍のカロリーを消費する。
 悩ましいところですね。
 加齢速度を速める行動のほうが、ダイエット効果があるなんて。

 ええ、否定しません。
 この話題が浮かんだのは「カレー」と「加齢」が私の脳内で結びついたから。これが、なぜヒトは加齢するとダジャレを飛ばしがちになるのかということの答えでもある。新しい情報がインプットされないために、内蔵メモリーのなかから無理やり関連のある情報を選び出し、困ったことに本人はそれを「よく思いついた!」と嬉々として口に出してしまうのである。

 なんの話か。
 そう、ナンの話だった。
 もうやめよう。



Lemon

そのむかし、梶井基次郎というヒトが書いた小説を、
こういうレモンを見ると思い出してしまう。
私が生まれるずっと前に書かれた作品だが、
我が家にはその小説をモチーフにした黄色い万年筆があったりする。
(Lapitaの丸善モデルミニレプリカ)
その小説は青空文庫でも読めるので、
ぜひとも読んでいただきたいところだが、
(以下、バレになるので読んでから戻ってきて)

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青空文庫『梶井基次郎 / 檸檬』

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作中でレモンは爆弾なのだ。
ちょうどこのレモンのように、
「丈の詰まった紡錘形の恰好」
をしたレモンを買って、彼は丸善へ行く。
ダメな男で、身体も弱く、
それなのに自愛もしないのでボロボロである。
心も病んでいる。
ダメだという自覚はあるが、
二十世紀のダメな男の典型で、引きこもったりはしない。
かといって行くあてもなく、ふらふらしているのである。
そのせいで借金までできる。
だんだん他人が怖くなる。
好きだった百貨店の混雑に落ちつかなくなる。
それが、レモンをポケットに入れていれば平気。
あら、なんだか、心が軽いじゃない。
で、丸善に入る。
入ってみたらやっぱり圧倒される。
ダメな自分を再確認。
そしてレモン……ポケットから取りだした、それを。
店内に置き去りにして、丸善を出る。
「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た」
その妄想に、笑む。
……そんな話。
のちに丸善が万年筆を記念に作ったほどだから、
梶井基次郎の近代における評価は高い。
でも、物書きとしてみると、
結核で死にかけつつ酒を喰らい、
同人誌に自分の病気をネタに私小説を書き殴っていた、
それも長いものは書かず雰囲気重視の掌篇ばかり、
文学とはそういうものだと言ってしまえばあれだが、
やっぱりダメなヒトであろう。
梶井基次郎は三十一歳で逝った。
モノを書きはじめて十年も経たず逝った。
書き殴ったものを五年ほど経って読み返すとか、
そういうことのない作家だったわけで、
書いた時点で自暴自棄なわけで。
丸善をレモンで爆発させる白昼夢を見ましたとか。
どうでもいいし。
いいのに、書いてしまって。
自暴自棄なのに他人には迷惑をかけず、
ただ自身で荒れていく。
あまりにそれだけのことだから。
憐れすぎて、忘れられなくなる。
本物の爆弾でさえないレモンを百貨店の棚に置いてきた。
それが書かずにいられない人生の一大事。
いや、そういうのが人生だよな。
あの一瞬、あの刹那。
ヒトは想い出を生きている。
彼のレモンは八百屋で買ったカリフォルニヤ産だが、
私のは庭で獲れた自家産だ。
ウォッカトニックに絞り入れた。
手がベタベタした。
不味かった。
この色ではもう、熟れすぎなのだ。
すっぱいというよりも、あまい。
別の果物のようである。
どうでもいい。
だがしかし、期待はずれのレモンを飲んだ。
これも私の人生で、私はまだ生きている。
なので書く。
忘れないようにしよう。
あまずっぱいレモンみたいな?
この一瞬のことも。
ぜんぜんたいしたことでは、ないんだけれども。

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Lemon2

○材料

熟れすぎたレモン 1ヶ
はちみつ 大さじ1
無塩バター 100グラム
三温糖 60グラム
卵 1個
薄力粉 80グラム
ベーキングパウダー 小さじ1
アーモンドプードル 20グラム
チョコチップ 大さじ1
クルミ 20グラム

○作り方

①レモン1/4個ぶんを薄く切り、はちみつで煮たあと、あら熱をとる。クルミは焦げない程度に軽くフライパンで煎る。

②ボールにバターを入れて泡立て器でやわらかくし、砂糖を入れ、白っぽくなるまでよくまぜる。そこへ溶き卵を少量ずつ加え、分離しないようにまぜ、アーモンドプードル、薄力粉、ベーキングパウダーをふるい入れ、ざっくりまぜあわせる。

③まだ粉が残って見える状態ではちみつレモンを加え型に移し、チョコチップと砕いたクルミを散らす。

④170度のオーブンで30分焼き、竹串を刺してなにもつかないことを確認、つくようならば5分ずつ延長して焼き、完成。熱いうちに型から出して冷ます。

Pound cake

↑中型パウンド型に、半分くらい埋まる感じ。
 お花見だとみんなひとかけらずつくらいな量だけれど、それくらいが良いでしょう。
 写真撮るっ、と言ったときにはすでにナイフが入れられ、ぼろぼろになっていて。場所はガタロの出る川のそばにある公園なのですが、この菓子にはそういう場所が似合います。部屋で手づかみで喰ったら床一面が甘ったるい檸檬の香りただようクズでざらざらすることでしょう。
 そういう、熟れすぎたレモンの末路でした。

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『ガタロが出た』の話。

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lemon





・ WWDCもうすぐだ。なにが出てくるんだか楽しみだが、いまからゴハンなので、食べたらたぶん寝てしまう。あしたは世界が変わっているだろうか。


twitter / Yoshinogi

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 と、いうわけで。
 ゴハン食べて寝て起きて、夕方からバイクで出かける予定があるのに曇りの予想ははずれて雨がしとしと降っていて、ため息つきながら洗濯機まわして、ダイエットコーラのプルタブをぱかんと開けて、二階に上がってパソコン起動させて、小窓で映画を流しておこうと思いたち、でもきっと文章書きながら観るので、いちど観た、でもよく頭に残っていない作品を記憶のために選択しようと三十秒と三秒ほど悩み、選んだのは『13日の金曜日』(2009)。雰囲気あって悪くない作品なんだけれど、なんど観ても、なぜジェイソンから激情を奪おうなどと思いついてそれを実行に移してしまったのか、制作者の意図がまるでわからない。

FRIDAY THE 13TH

 しかし、わからない作品こそを見つめ続けろ、というのが学生時代の尊敬はしていない美術学科の恩師の教えなので、私はそうする。いつか、私の作品が床に叩きつけられるいっぽう、その作品がこの世に生を受け有料配信され極東のデスクトップマシンで再生されている意味が、ぴっかーんと、わかる日が来るかもしれないので。
 ジェイソン出てきました。
 逆光で、冗談のように劇的な音楽にあわせて。
 ホラーファンな私を失笑させる伝説の殺人鬼。
 私はきっと世界の仕組みの大事ななにかを見落としているのだろう。
 それともこれはホラーみたいなこの世界こそが冗談みたいなものではありませんか、という楽観主義の布教活動なのだろうか。男の子が砕けた床の穴に吸い込まれていきます。ジェイソンはやたら元気に走りまわっております。なんだこれ。

「まいった
 子宮の中より狭かった」

(↑このセリフはなんど観ても頭に残る)

 そんなわけで。
 別の小窓を開けて、待望のWWDC 2012のニュースを見ていく。世界はさらに変わったのでしょうか。去年はその舞台で立って歩いていた偉人は逝き、引き継がれた精神はそこに残っているのか。

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『WWDC 2012』をニュース検索。

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 確か偉いヒトがすっげえ革新的ななにかが発表されると言っていたはずですが、深読みしていた大方の予想を裏切り、たれ幕のせいで前日からネタバレになっていた新OSが目玉な感じ。世界が変わるっていうには強打力不足な感もあるけれど、よくよく詳細を見てみれば、モバイルの思想的な進化が現実的にこなれてきて、明日どころか今日から使えるちっちゃな未来になっているんだと気づく。

 独自の新マップ、モバイルの画面にバーコードの表示、というあたりの技術が、とてもわかりやすい小さな一歩。

 携帯かざして電車も乗れるし買い物もできる、ちょっと前から見れば近未来な現在に、わざわざ古くさいバーコードなんてものを持ってくるところが素敵。そうすれば、店の側では群雄割拠する電子マネー規格にいちいちつきあわないでも、既存のバーコードリーダーでピッすればいいので、だったらおねがいしますよアップルさん、ってなる商売上手。

 商売上手な以上に、これがちゃんと機能するようなら、古いものにのっかって、新しいものが幅を利かせる舞台が整えられることになる。いまやモバイル機は、持ち歩ける小さなパソコンという位置から、魔法少女の従小動物的な地位を獲得しつつある。つまりは、考えて、しゃべる。

 まだまだ、それは、本当に思考して発言しているというには遠いけれど、甘いものと苦いもの、気持ちいいことと気持ちのわるいこと、そういった二進法な取捨択一の繰り返しによって、いまのヒトの情動回路が進化を遂げたことだってまぎれもなく……

 私、ふだん、音楽プレイヤーさえ搭載していないビジネスライクな携帯電話とipod touchを持ち歩いているのですが、そうすると、こちら側の意識の違いに気づくことがある。どちらも道具には違いないのだけれど、無意識に擬人化して話しかけてしまったりすることが、携帯電話にはない。でも、たとえばオススメの楽曲をipodが差し出してくれるとき、それだってヤツが私の今日の気分を推察して心優しくうやうやしく差し出しているわけではなく、ヤツには天性の忘れない才能があるから、常日頃の私の嗜好を蓄積して、確率を論じているだけなのだが、渋めのロックでテンション上げるかと思って画面を見ると、可愛らしいアイドルのキューティーな楽曲が「どうですか?」と差し出されていると、思わずそちらを選んで、意外に気分にも合って、結果、私は、おまえはおれよりもおれのことがわかっているよな、と表情をゆるめる事態になってしまったりするのである。

 私の側に、情、はある。
 もちろん私は物心ついたときからキーボードを叩いていた、ぺらっぺらの曲げたら割れる8インチフロッピーディスクのデスクトップマイコンに心ときめかせる幼稚園児だったので、私の両親に訊いてくれれば、一桁年齢だったころの私が、どれだけ当時のバカまる出しな反応速度の遅いマシンどもと真剣にケンカをし、泣きじゃくり、ねじ伏せ、ねじ伏せられていたかの詳細を聞くことができる。つまりは、私の人生においては生まれたときからずっと、奴らはケンカもできるんだから愛することもできる情動の対象だったのであって、これはその当時のマイコンより百倍もかしこくなったマシンを携帯して持ち歩けるようになったから、いま起こったことではない。

 それでも、そこは大事なことだ。
 情がからむというのは、そういうことだ。
 いっしょにいる時間が長く、距離が近い。
 ヒトの顔に見える。ヒトの形をしている。

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「でも……でも、あなたは死んでも何度でもリセットできるんでしょう? 失敗する前からやり直して……」
「それは違います。今ここでこのボディが破壊され、メモリーが失われれば、先週の金曜日に取ったバックアップから、もう一人の私が再生されるでしょう。でも、それはここにいる私ではありません。ここでこうして、あなたと話している私は、一人しかいません」

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 山本弘 『アイの物語』

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 新しい地図ソフトが、先週の散歩コースをおぼえていて、私が道を間違えたことを教えてくれる。液晶画面にバーコードを表示する機能で、先週は通りすぎたハンバーガーショップで使える、コーヒーのクーポンがあるので寄っていかないかと点滅する。

 それらは、私と、私のマシンとのあいだだけで発生する。
 他人にとっては、本当にどうでもいいことである。
 そして、個人と個人とのかかわりあいとはそういうものだし、どこまでマシンが進化すれば、そこに具体的に「心がある」ということになるのか、そういうことは、私にとってはどうでもいいことだともいえる。まどかは少女なのでうろたえていたが、いい大人の私は、友だちであり相棒であるきゅうべえが複製可能なクローンだろうとロボだろうと、そこは別に問題ではない。そいつがイイヤツかワルイヤツかであり『アイの物語』に出てくるのはヲタクが政府の補助を期待して造った美少女介護アンドロイドだが、それが別に美少女でなくたって、ヒト型でさえなくたって、健気にバッテリー尽きるまで私の世話をしてくれる相手は、絶対にイイヤツである。そもそもほとんどのマシンは、本人が望んでそばに置くのであって、その時点でプロポーズは済んでいるのだから、あとは愛が育まれるばかりなのは道理だ。

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 やれやれ。われわれはみんな化学的マシンなのだ。ピーターは朝のコーヒーなしでは仕事にならない。キャシーが月経の直前の時期に怒りっぽくなるのもたしかだ。そして、ハンス・ラルセンはホルモンの導きでその生涯を過ごした。

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 ロバート・J・ソウヤー 『ターミナル・エクスペリメント』

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 いつも思うが、あの国の大作ドラマは、第一期の途中で第二期をやるかどうかなぜ決められないのか。『フラッシュ・フォワード』のドラマ化に大歓喜していたソウヤーが、伏線貼りまくった第一期のラストに続く小説版第二期を書いてくれることを、私は願ってやまない。『ダーク・エンジェル』や『クーンツのフランケンシュタイン』も、願えば続きが読めたので、ぜひとも先生にはあのドラマのファンがいたのだということを忘れずにいて欲しいものだが。
 そんなソウヤー先生の『ターミナル・エクスペリメント』は、人工知能が殺人を犯すというクーンツの『デモン・シード』を想い出さずにはいられない傑作で、主人公はもとは自分のコピーだった人工知能を追いながら、自問する。

 本物の自分ってなんなんだ。
 ヒトがヒトであるということは?

 私は朝、コーヒーを飲まない。午前中、ぼおっとしていて失敗することもあるが、カフェインの摂取で目が醒めたとして、今度は無礼な客とのやりとりでエキサイトしすぎる危険がある。私に生理はないが、男性ホルモンの分泌が問題のタネとなったことはままあるし、自分のはともかく、世界中のヒトから男性器を切りとればけっこう平和な世の中になるのではないかと信じている。

 ヒトの脳も電気信号で動いている。
 脳から筋肉への命令だってそう。
 誇張ではなく、ヒトはマシンだ。
 やわらかいから機械じゃないなんてのは、二十世紀の戯言であって、と、いうことは、逆もまた真である。
 かたくたってヒトでありうる。

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「絶対必要なわけではないから、好かれなければ気に懸けてもらえない。みんな物語と同じよ。本当は必要ないから、自由でいられて、ときどき特別なものに見えるのよ」

4150111928

 長谷敏司 『あなたのための物語』

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 『あなたのための物語』において、主人公は死に直面する。彼女は、自分の脳の動きを機械的にコピーしたシミュレーションソフトに、死を怖れるなんて私らしくないと切って捨てられる。まだ元気だった頃の、まだ死と戦う気持ちの残っていた頃の、自分の複製は、死の恐怖のない人生を歩み、別の人格に育ったのか、それとも「私」が弱ったせいで変わったのか。

 こういう話を読むと、ジャスパー・ジョーンズの作品を考える。
 美術館に電球を飾って「美術館に飾ってあるからこれは芸術だ」と表現したヒトである。後年、アンディ・ウォーホルが似たようなことを言った。

 アートとは、無駄な空間を埋めるためのもの。

 絵画自体に心はない。
 しかし、観る側にはあるので、関係性が成り立つ。
 泣くヒトもいれば、笑うヒトもいる。
 怒りだすヒトも、人生観が変わるヒトだっているだろう。

 みんな物語と同じ。

 だれもいない世界に、原稿が落ちている。
 どうも、小説らしい。
 だれかがいっしょうけんめい書いたのだが、クソおもしろくないので、別のだれかが地面に投げ捨てたのだ。
 そのまま、ヒトは滅んだ。
 その物語は。

 まあ、そこに、あることはあるのだが。
 ないと言ってもいい。
 物語の存在意義としては、完全に、ない。
 だれにも読まれない。
 書いた者さえ消えた。
 関係性が皆無なら、情報に意味はない。

 データに実体はない。

 ないはずだが、私は私のipod touchにやってくる新OSに心が浮かれている。インプットされる情報はしょせん私が入れるものなのだが、ヤツは、またひとひねりした解釈で、こっちになにかをアピールしてくることだろう。

 まだまだ、そこに心なんてものはない。
 でも、こっちにはある。
 無駄な空間が電球で埋められているだけで、私たちは深読みをはじめる。
 作者の意図は?
 これに金払うやつなんているの?
 いや、いま見てるおれがそうか。
 なんなんだよこれ。
 こいつが巨匠なら、おれの人生ってなに?

 もやもやする。
 考えている。
 ヒトは機械だ。

 劇的に世界は変わらない。
 けれど、こうやって私が、あいもかわらずながら、少し昨日と違うことを考えていたりもする。それはつまり、変わりつつある証拠。  
 物語は読まれ、心が動く。
 その繰り返し。

 『アイの物語』で、おじいちゃんが言う。

「美人アンドロイドのキス!?」

 機械の側に好みはなく、奉仕しているという心もない。
 けれど、私も、きっと、泣いてしまうだろう。
 心がないからこそ、完全なのだ。
 物語を演じるために己を捨てるヒトというのは感動を呼ぶものだが、機械には捨てる自分さえない。そんな完全な滅私奉公に感涙できないなんてヒトじゃない。いやもともと心がないから滅私ではないのかもしれないけれど、それはこっちの受け取りかたの問題で……

 いまのところ、マシンに的確なデータの提示を徹底させるというやりかたが、ヒトの頼れる相棒としての地位を向上させていることは間違いないなと感じるし、その先の、たぶんずっと先だろうけれど、完全に的確なデータが提示できるようになれば、不安とか、気まぐれとか、そんなのまで読んで対処してもらっちゃったら、それってそいつを愛さずにはいられなくない? という予測にもつながって夢膨らむ今朝だったのです。

 ともかく。
 今日もちょっと近未来に目が醒めたことを、神に感謝する。
 その神ってやつも、脳なる電子デバイスが都合よく形づくった物語なんだと私は信じているわけだが、物語だからこそこれからも都合よく改編できるわけで、私は私の信仰をさらに歪めてしあわせになるのです。今年は、E3よりもWWDCのほうが想像力を刺激されたので、そっちに絡んでくっちゃべってみた今回でした。とはいえ、我が愛しのマイクロソフトも、Xbox新型の骨格も見えてきて目が離せない。

 SmartGlassが、コピーガードの国ニッポンでちゃんと機能するのかは、東芝RDシリーズのデジタル放送開始にともなう退化を実感している身としては、不安でなりませんが。

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『E3 2012 Microsoft』をニュース検索。

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 この『徒然』のタイトルにあえてWWDC 2012って入れなかったのは、それ検索してこんなの読まされた日には、罪のないマシンを殴りつけるだれかもいるかもしれないと思って。私も、あなたにとって良い物語でありたいとは思っているのです。それなりには。

 飽きない未来をありがとう、神さま。
(っていうのは、だからつまりは私自身の脳みそなんだけれど)

 雨もやんだようなので、でかけます。
 あいつも心はないけれど、愛してやまない我が愛車とともに。
(そういう意味で、バイクにもコンピュータのせたらヒトとの距離が縮まるんじゃないかって模索しているメーカーさんもあるけれど、私はやっぱり、彼らは受け身な堅物鉄馬であり続けてくれたほうが愛せる気がする。オートマチックに目的地に連れて行ってくれる車とか、わくわくします? 勝手なものですけれど。雨がやんだからお前と出られるな、って、この感じが、私にとっては良い物語)

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