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※注意
 以下、今回の『徒然』は、
 1986年の映画
 『男たちの挽歌』(原題・英雄本色)
 と
 2010年の映画(日本公開は2011年)
 『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』
 を比較しつつ、くっちゃべります。
 そんなわけで双方の設定や、ラストシーンの違いについても記述していますので、まだ観ていないが観る予定がある、というようなかたはごめんなさい。

 と、前置きしたうえで。

 もうずいぶん公開から時間が経ったし。
 近所のツタヤでも100円で借りられるし。
 これ語ると、バレなしではできっこないので、もういいかなあ、まだかなあ、と思い続けていた、その映画について推す。

 推し、である。
 言っておくが新しいほうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『狼/男たちの挽歌・最終章』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ↑このときに、私は、リメイク版『男たちの挽歌』についてこう書いている。

「韓流リメイク(リウェイク?)された『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』がオリジナルのファンの支持を得られなかったのは、ひとえにそこに尽きる。かっこいいのである。かっこよすぎるのだ。そうではなくて、かっこ悪いところが美しい、それが『挽歌』なのである。泣きそうな顔で、相手の瞳の奥を覗き込んで、でも俺はそれを選ぶんだよ、と。嗚咽を漏らし、ときによだれまでだらだらたらしながらすがりつく。それでも世界に修正できないすれちがいがあったとき、すべてを終わらせるための命がけとも呼べない自殺行為そのものな銃撃戦がはじまる。その図式。」

 そう書いておきながら、それを推すってどういうことだと思われるかもしれないが、実際のところ、劇場公開当時、オリジナルの『男たちの挽歌』が好きな人たちが、こんなのはダメだと言っているのを私は聞いたし、私自身、私の愛する『男たちの挽歌』とは違うと感じた。

 でも、一本の映画作品として観るならば。
 かなり良い、のである。
 あなたがまさかとは思うがオリジナルの『男たちの挽歌』シリーズを観たことがなければ、女は屋台のおばちゃん(しかも怖い)しか出てこない男まみれの映画で、その男たちがかっこよすぎて悪いことなどあるはずがない。

 実際、韓流版は、義兄弟愛ではなく血のつながった兄弟の愛を全面に押し出していて、完全に俳優名ありきで観に来ているらしい女性たちが映画館でぐすぐすと鼻をすすっていたのはすばらしいことだったし、私も家で韓流にまったく興味を持っていない、しかしBL読者ではある妻とあらためていっしょに観たのだが、彼女にとっても、その改変は正解だったようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「兄貴をよく見るんだ!
 目をそらすな!
 過去はもう十分 償ったぞ!
 勇気ある男だ
 なぜ許さない!
 なぜだ?」


 映画『男たちの挽歌』(1986)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このセリフのあと、

「兄貴こそ……」

 とキットに鼻と鼻がこすれ合うほど顔を近づけて語り続けようとしたマークは、後頭部を撃たれ、キットの顔に血しぶきが飛ぶ。

 オリジナル『男たちの挽歌』最大の見せ場シーンであり、監督のジョン・ウーが、そして男優チョウ・ユンファがカリスマとなった瞬間である。死ぬことで美学を貫いたからこそ美しいとわかっていながら、ユンファ演じるマークを『男たちの挽歌2』で双子の弟としてよみがえらせることを観客が許したのは、そのどうしようもなく不器用な男の生き様と死に様を、ユンファの確立した芸として認知したからにほかならない。

 ときどき、そういう役者はいる。
 ジョン・ウー監督も心酔する高倉健であり、チャールズ・ブロンソンや、スティーヴン・セガール、若き日のジャッキー・チェンやシルベスター・スタローンも、そう。客が求めるものが固まっていて、役者の側もそれを提供維持できて、だから、どの作品でも、名前の違う同じキャラクターのようになる。それを観て「このあいだ死んだキャラといっしょじゃん」とツッコミを入れる客が現れる日がいつか来るかどうかは、役者が芸を確立しているかどうかにかかっている。

 オリジナル『男たちの挽歌』でのマークは、あまりにも不器用だ。そのあまりにもが、あまりにもあまりにもだったので、観客は参ってしまった。そんなにもかっこ悪く、なにも手に入れずに逝ってしまったヒーローを、ほかに知らなかったから。
 マークでも、演じているユンファでもいい。
 ともかく、その演技、その表情、そのすべてが、神格化された。

 神に性欲はない。
 ユンファのマークに、恋とか愛とか、そういう匂いはまるでない。
 観客に妄想さえ許さない。
 彼のために死ぬなら本望だとか、そういう感情さえなく、義兄弟の実の弟に「兄を許せ」と死ぬことも忘れて叫ぶマークは、ほとんど悪夢のようである。

 かっこいい……
 そう思って観る者はいない。
 もうなんだか、両手をあわせて、頭を下げて、敬意を示したい。

 そうして『男たちの挽歌』という映画そのものも、神格化された。
 軽く禿げたおっさん満載のドンパチ映画のくせに、聖書になった。

 逆説的には、リメイク版のインタヴューで、チュ・ジンモが答えていた、

「『男たちの挽歌』は傑作なので、自分たちは少なくとも原作にとってマイナスにならないように」

 という姿勢がリメイク版のスタッフ全員にあり、同じシーンを同じように撮っても、軽く禿げたおっさんがイケメンに変わるだけでは、それはむしろオリジナルのファンにとってはマイナスである、だから積極的に内容を改変していこう、という方針になっていったのだと思う。
 同じインタヴューで、チュ・ジンモが製作総指揮のオリジナル監督ジョン・ウー御大と初めて逢ったのがリメイク版の完成披露試写会だったと明かしていたのも、事実かどうかは知らないが、オリジナルのファンがもしもブチ切れたときに、うちらが勝手に新しい解釈で撮ったのさ許せ、と言いきるための伏線だったように感じる(ていうか、その発言が演出でなく事実なら、完成まで主演俳優に会ったこともない製作総指揮って「リメイク版作ってヨシ」と号令を出しただけになるので、それを同じ作品として論じること自体がファンにとって不毛なことになるという計算もあっただろう)。

 その方向が固まった結果、まんまと、オリジナルのファンである私が、良い気分にさせられてしまった。

 見るからに、同じシーンなのである。
 その名シーンを同じようなカット割りで、
 しかしセリフを変えてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何してる 立つんだ
 見ろ 見るんだ
 兄さんの顔を見ろ
 見て 何を感じる?
 お前のことばかり考えてる
 それが兄さんだ
 立て
 お前は幸せな奴だ」


 映画『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』(2010)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このセリフのあと、

「俺は 俺は……」

 とチョルに鼻と鼻がこすれ合うほど顔を近づけて語り続けようとしたヨンチュンは、後頭部を撃たれ、チョルの顔に血しぶきが飛ぶ。
 
 言っていることは同じである。
 尊敬する義兄弟の兄貴分。
 おれは彼のようになりたくて生きてきた。
 彼のためにこの脚もくれてやった。
 おれにとって彼はおれ以上の存在なんだ!
 それなのに、実の弟のお前は、
 わかろうとしない。なぜだ。

 ユンファが泣き叫んで世界のユンファになったこのシーン。
 オリジナルのバージョンでも、ユンファは、弟をかばおうとする兄の姿に、なんどか視線を送る演技をしている。
 だが、口に出しては言わない。
 言っては、いけないことだった。
 という以前のこととして、ユンファのマークに、自覚はまったくないのである。

 それが、リメイクでは、あからさまな自覚の上に、口にまで出す。

 彼はお前のことばかり考えている、見ている。
 お前は幸せなやつだ。

 そのあとに、
 ユンファはおそらく義兄弟を讃えるなにかを口にしようと「兄貴は……」と口走って撃たれたのだが、二十一世紀では。

「俺は 俺は……」

 実の弟のお前のようには、彼に見てもらえず、想ってももらえない。
 俺はお前がうらやましくてしかたがない。
 俺は、彼にお前のように抱きしめてもらいたかったんだ!

 同じシーンだが、義兄弟の偉大さを説いて逝くのと、嫉妬を口にして逝くのとでは、大きな違いがある。

 本人が口にまで出してはじめて、腐女子が動く。
 想像力を刺激どころか、直球で、アニキの実弟に嫉妬心むき出しで逝く。
 神ではなく、ヒトである。
 生々しくて、ねっとりしている。
 手をあわせて拝みたい感じではない。
 いっそ淫靡。
 だが、ソン・スンホンの演じるマークならぬヨンチュンを観に来ている彼女たちにとっては、ここで泣き叫べとGOが出たも同然の演出で……

 だが、これが。
 『男たちの挽歌』の、ユンファが神になったあのシーンで。
 (ちょっとセリフは違うけど)
 みんな、彼が撃たれて驚いて、泣きはじめ。
 なんかもらい泣き。
 オリジナルのファンなのだから、なんだこの改変は、と言うべきところだが。
 良い気分だったのである。 
 なんかすごく嬉しい。
 みんなが『男たちの挽歌』を愛してくれている。
 観に来てよかったすごくしあわせ。

 作戦大成功であった。
 はからずも、リメイク版の日本公開当時、製作総指揮ジョン・ウーが、言った。

「私が、あのころ描くことのできなかった兄弟愛がここでは描かれている」

 しかし、私の印象では、違う。
 おそらくジョン・ウーは、いまでも、こういった兄弟愛を描くことはできない。リメイク版の死にゆくヨンチュンが、いくら嫉妬心をあらわにしても、血のつながった兄弟の絆を越えることはできない。逝ってなお、あこがれた彼は、弟の腕のなかに落ちる。

 ひるがえって、ユンファのマークは。
 もはや、義兄弟になにも求めてはいない。
 義兄弟の弟に向けているのは、嫉妬ではなく説教である。
 ジョン・ウー監督のもとでは、血のつながりなど、なんぼほどのものでもなく、ヒトとヒトとのつながりは、ただそこにあるものである。

 こいつのよさがなんでわかんねえんだよ!
 おまえ実の弟だろ!

 それを泣き叫べる。
 兄弟愛、というのとは違う。
 同性愛、の匂いもしない。
 強いて表現するなら、信者、のように。
 説明不要な絆を提示する。
 そう。
 それこそが『男たちの挽歌』だ。

 もっとうまい生き方があるはずなのに。
 それでも愚かしい道を選ぶ。
 本人たちは考えているつもりなのだが、はたから見ていれば、盲目的な愛に振り回されている。

 その生き方に、観客は酔う。

 そういう意味で、オリジナルのスタッフでも、俳優でも、描けなかったものがリメイク版にはあり、オリジナルの信者たちは同じ作品として観るならば言いたいことは山とあるが、なにせ大好きな『男たちの挽歌』について、だれかとケンカなんてしたくない。
 改変されて、新たなファンがよろこんでいるんだ。
 そこでオリジナルを知るものが担うべき役割はなにか。

 オリジナルも観てみてよ。

 そう言って、そっと奨めることであろう。
 ヨンチュンのかっこよさの何割かは、チョウ・ユンファのマークを模したものなんだぜ。

 その視点で観るならば、大幅な脚本改稿がなされたリメイク版で、かつてチョウ・ユンファの名を有名にしたいくつかのシーンが忠実に模倣されていた(終盤のボートのシーンなど、見比べながら演技をつけたのではないかと思えるくらいにそっくりだ)にもかかわらず、あのシーンだけは端折られていたことに、旧作のファンなら気づかざるをえない。

 いまさら復讐したところでなんの意味もない段階になってから、ただアニキの尊厳を傷つけた野郎どもを許せなくて、討ち入りする。そして片脚を撃たれ、数年後。男は、ヤクザ稼業からさえつまはじきにされ、路上で車を磨いて日銭を稼いでいる。

 ユンファは、近年ではよくプロレスラーが凶器としても使うニーブレイス(膝固定補助器)を着け、それをカチャカチャ鳴らしながら脚を引きずり、ゴミ箱を運んでいたりする。

 ソン・スンホンのヨンチュンに、それらのシーンはない。
 落ちぶれてはいるが、ニーブレイスも着けず、客に文句は言っているけれど、卑屈さと悲惨さを強調する演出は、ごっそりはぶかれている。

 『男たちの挽歌2』で、キーアイテムとなる、ぼろぼろのトレンチコート。
 画像検索すると、そのコートを着たソン・スンホンの写真がいくつも並ぶので、彼のファンのあいだでも、ユンファを模した、そのやさぐれたスタイルは素敵に映るのだろう。『男たちの挽歌』の前半では、金をうならせリッチなスタイルのマークが、その路上生活からラストまで、死に装束として身にまとう茶色いコート。
 それをまといながら、リメイク版のヨンチュンは、悲壮感がない。

 そこは、書いておきたい。
 兄弟愛、義兄弟の絆を描くのに、マーク=ヨンチュンが、自身の不遇から死地に赴いたのではないということを強調したかったのだと推察される。言わずともよいことを言って泣かせる、わかりやすい演出の方向性が、観客の誤解をおそれてヨンチュンのどん底を、浅く描いた。
 少し、それは、気に入らなかった。
 私は、観客を信じてゆだねる脚本が好き。

 邪推するなら、売れっ子ソン・スンホンのサイドから、演出に注文があったのかもしれないというようなことは感じた。
 せっかくマークを演じるのに、あのシーンが変えられている。

 冒頭部の酒場で、

「アニキはおれのかわりに銃を突きつけられ小便を飲まされた」

 ユンファのアップ、初めての取引、俺は生まれて初めて泣いたんだ、と語るその表情に、観客は、えーだれこれチョウ・ユンファって? と惚れ込んだ、名シーンが。

 スンホンは、純白のスーツで、アニキは同席しておらず、舎弟に向かって時計を与えて、表情を変えずに、お前はいつか裏切ると予言する。

 かっこいいんだが。
 リスキーな演技を、避けているとも取れる。
 けっきょく、リメイク版において、オリジナルでユンファが名を売った顔面ドアップで瞳を潤ませて語る、すべてのシーンが改変されている。
 マイナスにならないように。
 傑作の名シーンを真似ても、パロディにしかならないから?
 結果、映画は上出来なのだから正解なのかもしれないが。
 チョウ・ユンファという存在に真っ向勝負を挑まなかった、というところに、物足りなさを感じる部分は、ある。

 オリジナルと大きく違う点として、リメイクは兄弟が脱北者であり、脱北者は北でも南でも居場所はないのだという演出が追加されている。
 『男たちの挽歌』というのは邦題であって、原題は『英雄本色』。韓国でも、その表現で意味は通じるそうだが、リメイク版は『무적자』(←ブラウザによっては文字化けします。ハングル文字)。意味としては『無敵者』あるいは『無籍者』というタイトルがつけられた(ハングルは表音文字なので、同じ発音で意味は二重の造語だそう)。

 北から逃げてきた兄弟、でも行き場はなし。
 この根本的な設定の変更によって、実の兄弟の血の濃さは強調されたが、前述の酒場のシーン含め、義兄弟の絆を語る部分が減っている。それゆえに、ラストにいたって観客に伝わっているか不安になり、嫉妬を口に出す弟分、というようなことにならざるをえなかった気もひしひしとする。

 と、やっぱりオリジナル好きとしてここがなあ、というところはあるのだけれど、ということは、私ほど克明にオリジナルのシーンを思い返せるほど繰り返し観た人でなければ、引っかかる部分ではないということでもある。

 というわけで、推しなのです。

 ところで、ジョン・ウー御大は、自作をハリウッドでリメイクされたりの予定がありながら、自身は鈴木清順の『野獣の青春』リメイクに取りかかったとか。

Day of the Beast

 アクション映画好きとしては、よくできた物語を、いまの時代に沿わせて撮るというその流れは、望むところです。娯楽映画はコンパクトでシンプルに、そこでなにを突出させて魅せるかが、すべてだと信じます。好きなことできるようになった実力ある監督が、自身の好きな作品を焼きなおすというのだから、そこに愛のないわけがない。 
 
 で、ひどいバレをいまから書くことになるのですが。

 リメイク版『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』のラストで、主要キャストは全員逝く。
 それは、韓流メロドラマの旗手として名を上げた監督の美学であり愛なのかもしれないが、オリジナル版のフリークたちにはつらいことだった。

 『男たちの挽歌2』はマークの死後、生き残ったホーとキットの兄弟がマークの双子の弟のケンと出逢い、巨大な組織と対立するなかでキットを殺され、復讐を誓う物語である。それゆえに『男たちの挽歌』好きであればあるほど、2010年度版『男たちの挽歌』のラスト改編は衝撃であり、ほとんど許しがたい冒涜とさえ映った。

 そこでは、兄は死に、弟も死ぬ。
 それも、自分で選んで。

 『2』はない。
 いさぎよい。
 完成度は高い。
 推します。

 でも。
 それはそれでいいけれど。
 『男たちの挽歌』──『英雄本色』。
 ヒーローが死なずに生き残るオリジナルのかっこ悪さも、リメイク版観たなら、ぜひ観てほしいなあ、と強く、強く思うのです。
 軽く禿げたおっさんをかっこいいと感じる感性が芽生えるかもしれません。
 映画は人生を変えます。
 『男たちの挽歌』がなければ、私は別の人間になっていた。
 
 余談ですが、リメイク版の監督が、これも私の大好きな『力道山』の監督さんなので思い出した。ジョン・ウー監督にはぜひ、日本映画リメイクなんてやるなら、次の来日で、日本の各プロレス団体で今日も使われている必殺技「ジョン・ウー」を、観てほしい。たとえばドラゴンゲートでは、ジョン・ウーが何者かもわかっていない観客たちまでもが、選手の雄叫びにあわせて全員で「ジョン・ウー!」って叫ぶんです。
 監督、あれ見たら、ぜったい泣くと思うんだよなあ。

riki

 日本のヤクザ映画を愛した監督が撮った中国裏社会の絆の物語が力道山の映画を撮った監督によって韓国で描きなおされ日本の映画館でヤクザ映画を観たことのない女子が黄色い声をあげ。
 プロレス会場では、ジョン・ウーって、みんなが叫んでる。

 すごいことだ。
 アジアはひとつで、みんな泣きどころも萌えどころも似たようなもの。
 だったら、わーきゃー熱狂して、酒飲んで抱きあって、それがいい。
 脱北者の迫害と葛藤と、そこに描けるかっこよさもある。
 リメイク版、北の偉い人にも観て泣いて欲しい。

 いや、たぶん観ているでしょう、偉い人。
 『男たちの挽歌』観て、隣の友と抱きあえないなんて、ツンなだけでしょ。
 ほら、デレてごらんと促せば、通じない相手ではないと思う、最近。
 父親はフィクションの力を盲信していたけれど、その息子って、外の世界も知っているし、物語は現実を潤すためにあるんだって理解できている感じがする。

 そんな。
 思ったより感情的に南と北は近いところにあるんだなあ、ということを考えた映画でもありました。本気で脱北者は自分の土地に帰れ! みたいな風潮だけなら、そのフィクションの設定自体選ばれなかっただろうから。南には、北を友として抱きしめたい気持ちが育っているんだと思う。物語として描ける感情は、もう、現実に手の届くところにある。それをさがして人は物語を描くのだし、リメイク版『男たちの挽歌』は、そこだけ取っても、観る価値がある。

 いま観ないと、十年後には昔話になってるよ、と締めかけたんだが……オリジナル『男たちの挽歌』で描かれた香港返還直前の混沌とした中国裏社会って、いま昔話になって心に訴えかけないかといえばそうでもなく……だとすれば、名監督ジョン・ウーが、暗い鈴木清順ヤクザ映画をいまリメイクって、この国だって、うーん。とかねえ。

 ほんの二時間弱の物語に、うだうだ思える。
 良作って、そういうとこが良し。
 
 どっちが先でもいいです。
 どっちも観ておくべきです。
 世界が女だけだったら武力による戦争はなかっただろうと言ったひとがいましたが、まったくもってそれに同意しながら、でも、と、つぶやきたくなる。世界が男だけだったら、本人たちは世界が滅ぶまで吠え続け、破滅の果てにイイ顔をするのです。モテない男が夢見る、世界のおれ以外はみんな女だったらいいのに、というのも『男たちの挽歌』を観たあとでは、同意できません。

 二十世紀の軽く禿げて泣くおっさんも、二十一世紀の純白スーツな冷血漢も、ぜひとも世界にいて欲しい。現実にはいなくても、映画の中からは消えないで欲しい。

 ショースポーツや、映画の中にしか、破滅をいとわず友のために吠えて逝く男がいないなんて世界は、それはそれでやってられないので、現実の男も、そこそこ臭くあって欲しいと願いながら……願うってなんだお前だって男だろうと、自身に問いかけます。

 『男たちの挽歌』という邦題を、ジョン・ウー監督はお気に入りだと聞く。
 よく考えてみれば、それは日本語だが、映画の内容と照らせば、首をひねるところがある。オリジナル版においても、肝心の「男たち」は数名を残し壮絶に逝き、リメイク版に至っては、全滅なのである。だとすれば、挽歌=死を悼む歌、それを歌っているのが「男たち」なわけがない。
 『男たちの挽歌』。
 だからそれは「男たち」への挽歌なのだ。
 もう死んでしまった世界の男たち。
 そのための挽歌。

 侮辱だ。屈辱ではないか。
 だったら男がここに生きていると吠えてみよ。
 そう問われているのか。
 ああ吠えられますとも。
 挽歌なんていらないですとも。

 そう胸を張って男で生きたい。
 と、なんだか抱負で終わってしまいます。
 聖書について語るなんて、結論が出ないことはわかっている。
 読解は、それぞれです。

A BETTER TOMORROWA BETTER TOMORROW

(日本含めアジアの評価に辛口が多いのに対し、英語圏のAmazonのレビューなどを見るに、絶賛の嵐ですから、やっぱり苦言を呈したりしてしまう私は、リメイク版を冷静に観られていない部分があるのだと感じます。アクション映画の国の人たちが絶賛しているのだから、単純に良い映画なのです。文句なく)


 今日は休日だったので、途中で放置していた
 『Halo: Combat Evolved Anniversary』
 の全実績を解除してすごしました。

 で、気づいたのですが。
 日本語の実績wikiなんかでも、
 ところどころわかりにくかったり、
 まったく間違った記述もあったり。
 というわけで。



 今秋発売の『Halo4』も見えてきたいま、
 『Halo: CEA』を手にした、
 どこかで同じ道を歩む、
 あなたのために。

 以下、
 『Halo: CE Anniversary』
 全実績解除の作法。
 私が参考にした動画なんかを貼りつけていきます。
 (カッコ内数字は解除ポイント)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●オータムからの脱出 (25)
任意の難易度でミッション「オータムからの脱出」をクリアする。

●知られざる大地 (25)
任意の難易度でミッション「知られざる大地」をクリアする。

●捕らわれた艦長 (25)
任意の難易度でミッション「捕らわれた艦長」をクリアする。

●カートグラファー (25)
任意の難易度でミッション「カートグラファー」をクリアする。

●コントロール センター (25)
任意の難易度でミッション「コントロール センター」をクリアする。

●第二の敵 (25)
任意の難易度でミッション「第二の敵」をクリアする。

●インデックスの秘密 (25)
任意の難易度でミッション「インデックスの秘密」をクリアする。

●HALO の防御システム (25)
任意の難易度でミッション「HALO の防御システム」をクリアする。

●艦長の奪還 (25)
任意の難易度でミッション「艦長の奪還」をクリアする。

●HALO の最後 (25)
任意の難易度でミッション「HALO の最後」をクリアする。

●スカラー (50)
難易度アドバンス以上で、スカルを 3 つ以上オンにして任意のミッションをクリアする。

●情報通 (10)
ターミナルにアクセスする。

●ヘビー ユーザー (25)
キャンペーンで、全ターミナルの半分を見つけてアクセスする。

●歴史学者 (50)
キャンペーンで、すべてのターミナルを見つけてアクセスする。





●オッドボール? (10)
キャンペーンで最初のスカルを見つける。

●スカルは我が手に (25)
キャンペーンで全スカルのうち半分を見つける。

●ヘッドハンター (50)
キャンペーンですべてのスカルを見つける。





●スパルタンの誕生 (10)
難易度ノーマルですべてのミッションをクリアする。

●英雄の条件 (20)
難易度アドバンスですべてのミッションをクリアする。

●生ける伝説 (50)
難易度レジェンドですべてのミッションをクリアする。


 以上は、書かれていることをやるだけ。
 詰まるところもないでしょう。


●ブラザーシップ (10)
難易度ノーマルで、任意のミッションを協力プレイでクリアする。

●シールド ブラザー (20)
難易度アドバンスで、任意のミッションを協力プレイでクリアする。

●ハンマー ブラザー (50)
難易度レジェンドで、任意のミッションを協力プレイでクリアする。


 この三つは、コントローラー二つ使って分割画面でOK。
 コントローラーないならば、友達を見つけましょう。
 任意のミッションひとつをクリアすればいいという実績は、
 すべて最初のミッション「オータムからの脱出」が最適。


●無敵 (20)
難易度アドバンス以上で、任意のミッションをダメージを受けずにクリアする。


 Bandannaスカル(弾薬無限)ONで、「オータムからの脱出」をプレイ。
 最初から装備しているフラググレネードを遠くへ投げ続け、
 レーダーの赤点を見落とさない限り、大丈夫。
 途中の爆発や、数発の被弾などで、回復するシールドが欠けたり、
 レッドオーブを入手して増量したシールドが減っていても解除される。


●勇気ある者 (10)
難易度レジェンドで、レッドオーブを入手せずにミッション「オータムからの脱出」をクリアする。

●完全無視 (25)
難易度レジェンドで、ライフパックを入手せずにミッション「オータムからの脱出」をクリアする。


 取ってしまわないように気をつけましょう。


●飛行禁止区域 (10)
任意の難易度で、ミッション「知られざる大地」を最後までプレイする間にバンシーを 4 機中 3 機破壊する。





●ウォーキング ダイエット (25)
任意の難易度で、乗り物を使用しないでミッション「知られざる大地」をクリアする。


 スカルをすべて集められた、あなたならば、
 グレネードジャンプ、できますよね?


●CQC (25)
スナイパーライフルの弾を 4 発以上残して、ミッション「捕らわれた艦長」をクリアする。

●アイ ハブ コントロール (25)
ミッション「コントロール センター」でバンシーを操縦する。

●ジェンキンスのかたき (10)
難易度アドバンス以上で、ミッション「第二の敵」で寄生体のフラッドを 50 体倒す。


 そのまんま。


●奇跡 (10)
難易度アドバンス以上で、一度も倒されずにミッション「インデックスの秘密」をクリアする。


 これがいちばん鬱陶しかった。
 Bandannaスカル(弾薬無限)ONで、ショットガン装備、
 敵が湧く箇所では出なくなるまで殲滅。
 途中で拾えるロケットランチャーや、プラズマグレネードは、
 飛び出てきた敵に着弾させて自爆の可能性があるのでおすすめしない。
 二度目のエレベーターを降りた後、ミッション最後のトンネルは、
 トンネル内部にとどまっていると背後に湧くはずのない敵が現れ、
 挟み撃ちにあうので、さっさとトンネルを出て
 行き止まりの陰に身をひそめ、グレネードを投げ続けましょう。


●スピード リーダー (25)
難易度レジェンドで、30 分以内にミッション「インデックスの秘密」をクリアする。


 「奇跡」とは逆に、グレネードで殲滅は時間を食うので、
 とにかく走り抜ける。当然ですが、死にまくります。
 しかし、ある程度距離を進むと敵は倒さなくても
 チェックポイント通過の判定が出るので、
 その繰り返しで解除に至ります。
 (死ぬたびに、手動で最新のチェックポイントに戻る必要あり。
 死んで自動で戻ってそのまま続けると、
 プレイ時間は加算され続けます)


●小さな命を大切に (10)
難易度アドバンス以上で、グラントを倒さずにミッション「HALO の防御システム」をクリアする。


 コントローラー二つ使って分割画面でOK。
 (実績解除しない側で敵を殲滅して進む)
 コントローラーないならば、友達を見つけましょう。


●現状維持 (25)
難易度レジェンドで、新しい武器を拾わずにミッション「HALO の防御システム」をクリアする。

●ポップコーン祭り (25)
難易度アドバンス以上で、ミッション「艦長の奪還」で素体のフラッドを 100 体倒す。


 そのまんま。


●計算どおり (10)
ミッション「捕らわれた艦長」で、敵に見つからずに最初の敵の集団をすべて倒す。


 どこまでが「見つかっていない」のか微妙なのですが、
 私は、崖の上から丁寧に一匹ずつ
 スナイパーでヘッドショットを重ねて解除できました。
 目視が重要。寝ている相手はレーダーに映りません。


●上陸作戦 (10)
難易度アドバンスまたはレジェンドで、ミッション「カートグラファー」で海兵隊員の犠牲者を出さずに浜辺の敵を撃退する。


 とにかく前へ。海兵隊員より先に。
 失敗したらやり直す。
 繰り返して解除するしかないです。


●グレネード マニア (25)
難易度アドバンスまたはレジェンドで、ミッション「カートグラファー」で一度も武器を発射せずにマップ ルームから脱出する。


 Bandannaスカル(弾薬無限)ON。


●レイス ハンター (10)
ミッション「コントロール センター」を最後までプレイする間に、スコーピオンでレイスを 4 台破壊する。


 ミッションの前半のみで解除。
 一台目のレイスを無視して進み、段差を降りて、
 スコーピオンに乗車すると、目の前に二台目のレイス。
 後方からは無視された一台目のレイスも追ってくる。
 その後、ハンター二匹が待機するトンネルの入口上に三台目。
 トンネルを越えた先の雪原で四台目。

 


●隔壁突破 (10)
ミッション「第二の敵」で、フォアランナーの施設を 21 分以内に脱出する。


 難易度ビギナーで立ち止まらず進み続ければ
 余裕もって間に合う。


●完全主義者 (10)
難易度アドバンス以上で、ミッション「艦長の奪還」ですべてのエリートを倒す。


 シップから飛び降りるささくれた穴の、
 向こう側で戦闘をしているエリートが二体。
 シップに戻ってから、
 途中でストーリー上は上へ向かう矢印が出るが、
 下へ降りる通路にもいるので、
 逆方向の行き止まりまで降りる必要あり。
 ガンナーの設置された出っぱった通路に、
 最初に現れる数体を殲滅しても、
 上にのぼってみれば、また、
 どこからともなく現れることがある。
 上の階から落ちて下の階を徘徊していたり、
 いちど通った通路にふたたび湧いていたり。
 ラスト脱出のバンシーに近づくことでも、
 新たに湧くのでとことん散策。
 レーダーに頼らず、つねに遠景まで目視。
 (なお、エリートを倒すのは自分でなくてもよい。
 フラッドが倒そうが誘爆に巻きこまれようが、
 マップ上に生きたエリートがいなくなれば、
 バンシーで飛び立ったあとに解除)




●天地無用 (10)
一度もワートホグから投げ出されることなく、ミッション「HALO の最後」をクリアする。

●一か八か (25)
 難易度レジェンドで、ミッション「HALO の最後」で 1 分以上を残して脱出に成功する。


 途中の橋までに二分三十秒残すとチェックポイントが入る。
 左スティックは常に前に倒しておけば、
 高低差あるジャンプもひっくり返らない。
 最後に走るシーンは、下の動画のように、
 障害物の外側を走ると戦闘に巻き込まれずにすむ。



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 以上。
 ところでもしも、まだ『Halo』に触れたことのない
 だれかがここを通りがかったならば。
 あなたは幸運です。
 だっていま『Halo』を知った。

 さあ。

halo



xbox360






 というわけで〆切も越え、GWも終わり、今日は一日(というか昨夜からずっと)立て続けに映画を観続けている。さっきやっと観た『ゴールデンスランバー』で元祖ドリームキャスト版シーマンが出てきて笑顔になりました。予約特典のマウスパッドもマグカップもいまだに我が家の棚にある。最近、アニメとか小説とかでも、あのころのセガへの愛をちりばめたシーンをよく見ます。気持ちはわかる。ファミコンの現役時代を知っている私だけれど、あれがスーパーファミコンになったときよりも、MSXがMSX2+になったときよりも、ゲームセンターでセガの『バーチャファイター』を見たとき、近未来に来たと感じた。最初は段ボール人形みたいだったポリゴン君たちも、ドリキャスの時代には、とぼけた人面魚を描けるまでになり、いまやエロゲどころかエロなしの純愛アドベンチャーゲームさえポリゴンで描けるように。あの段ボールに疑似であれ恋することも可能になるときが来ようなんて、近未来はとっくに越えています。



 で、いまは『ボックス!』観はじめたところなんですが(どうしても邦画が滞留しがちなんですよねえ)、ボクサーのお話でってわけでもないんですけれど、ふと気づけば、二十四時間以上、食事を摂っていない。

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・花屋の娘な妻が実家に帰りカーネーション売りをしているこの時期、残された私は、そういった商店街の個人経営店を喰う大型店で、おなじくカーネーションを売っている。盆も正月も母の日も、売上げとか価格とかの話には触れない。もう慣れたけど。

twitter / Yoshinogi

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 そんな理由で家にひとりなので、ごはんですよー、という時間がなく、いつのまにやら二日目の晩ご飯を食べる時間。でも『ボックス!』観終わった私は、原稿書いていたあいだ、それを気絶するまでプレイし続けたいと願っていた(触れたら本当にそうするので触れずにいた)『Halo:Reach』へ凱旋中。みんなひさしぶり、忘れてないッスか殺しあおうぜ! というような状態で。もういいや、晩ご飯いらない。

halo

 と、なんだかんだで。
 肉体労働なお仕事はお休みだったのですが、日課なので、腕立てだ腹筋だはやっています。あったかい紅茶や烏龍茶はずっとそばにあって絶えず口にしていた、そのせいなんでしょうか。それとも、過剰な贅肉(ってすごい字だなといま変換して思う。贅なるお肉。おいしそう)が絶えず備蓄されているから、それをエネルギー源にしてってことなんでしょうか。
 まったくもって、二十四時間とか過ぎたくらいじゃ、ぜんぜん空腹を感じない。

 んー?
 出勤日で、走りまわっていれば、もちろん数時間で空腹極まってもう動けない! って状態に陥るのですけれど。このなにげにはじめてしまった二十四時間断食の場合、そもそも、おなかがグーと鳴らない。

 肉体を酷使しなくても、原稿書いていたりすると、はっきり栄養が足りなくて頭が働かなくなる瞬間がある。私はいつもそのたびに悪態をつくクセがある。集中が、空腹とか、尿意とか、そういうもので中断されるのが我慢ならなくて。ぼくは機械になりたい、というウォーホルの名言に共感するけれど、よく考えてみれば、機械になったってエネルギーはいるわけで。だれかがそっと背中のネジを巻いてくれるならともかく、ひとりきりではロボになったって定期的な補給もメンテナンスも必要。

 それがなんだか。
 いまならずっと食べなくても平気な気がする
 ていうか、この文章書けているんですけれど。
 映画もゲームも内容が頭に入ってきているし、あまつさえついさっき『Halo』で連続三回ヘッドショットの実績を解除したところ。
 集中できていないわけじゃない。

 なんなんでしょうね。
 少し考えて、たぶんそういうことなんだろうという結論になる。

 ストレスの存在。

 家にひとり、溜まった映画観て、飽きたらゲームして、ほかにもこそこそいろいろして(笑・もちろんこのブログを書いている行為含む)。好きなことだけやっているぶんには、空腹を感じないどころか、胃袋が鳴ることもない。鳴らないということは肉体ちゃん的に、

「こっちは一日二日くらい、たっぷりある贅なる肉で大丈夫だから、せっかくの時間、たのしみなさいよご主人様」

 と、殊勝な気づかいをしてくれているものと思われる。
 肉体労働はともかく、同じ文章書くのでも、あきらかに本人が苦痛を感じている執筆作業だとグーと鳴る、という点をかんがみるに、それはカロリーが脳のために必要だとかそんなことの前に、精神状態を安定させるために必要なのではないのか。

 いわゆる、ストレス太り、とかいうのは、そういうメカニズムなのでは。
 というのを、ちょっと今度はアニメ観ながらノートパソコンで検索していたら。
 近年、そういう研究は花盛りなのであった。
 花盛り過ぎて、どこにリンクをはっても胡散臭いことこのうえないので、勝手に要約するならば、こういうこと。

 空腹になると鬱から解放される。
 それは。
 becoming dinnerのかわりに
 find dinnerするための進化だった。

 そうなんですって。
 おおもとになっている論文(これもいくつか見つけてしまったのでリンクはしないが、引用数が多かったのはこれだった)のタイトルは、

「The orexigenic hormone ghrelin defends against depressive symptoms of chronic stress」

 食欲を司るホルモンのグレリンは慢性的ストレスによる鬱に対抗しうる。

 ええっと。私の訳がよくない感がありますが、上手に訳してもきっとわかりにくい。もっと平たく平たく意訳するならこういうコトであるらしい。

「おなかがすくとグレリンってのが脳でどばっと出る」

 OK?

「そのグレリンは、ヒトに空腹を感じさせる」

 当たり前の話ですね。
 おなかが空くと、なんか食べろと命令する物質が放出される。
 それがグレリンっていうホルモン(の意味は深く考えなくていい)。

 なんだけど。
 ここからが最近流行の研究成果。

「そのグレリンは、集中力を高める」

 言われてみれば、これも当たり前ではある。
 野生動物、それもストレスにさらされやすい捕食されることの多いちびっこ動物にしてみれば、おなかがすいて動けなくなること=becoming dinner(自分が夕食になる)なわけで。それだと困るから、進化は、進化ってやつは、まるで神が実在するかのような真似をやってのけた。

 find dinner(夕食を見つける)ための集中力が、空腹きわまると飛び抜ける。

 まさにボクサー。
 過酷な減量で、逆に闘争心が上がるという話はよく聞くところ。
 もちろんこの研究がそこかしこで引用されているのは、つまりは空腹気味でいたほうがヒトだって集中力は高まるのでお勉強もはかどるはず、というわけで学力と体重の相関を考察していたりするのが胡散臭いんですが、まあ、説得力はある。

 で、さらに先に進んだ話。

「ところでストレスを感じたときにも
 グレリンがどばっと出る」

 お。ここから少しややこしい。
 ストレスを感じたらグレリンが分泌される?
 でもグレリンって空腹を感じさせる物質のはず。
 なんでそんなことになるのさ進化のバカ。

 でも、まとめればそういうこと。
 ストレスも生き延びるための敵だから。
 空腹で走れなくなるのと同じくらい危険だから。

 イライラして死にそう!
 (グレリ~ン)
 じゃあ、食べなさい。

 &

 食べていないから死にそう!
 (グレリ~ン)
 じゃあ、食べなさい。

 とはいえ、食べろといわれても食べなくたって死にはしない。平和な世の王たるヒトにとって、私の場合のように、それが鬱陶しいとさえ思えるケースが増える。
 ストレスまみれでも働くんだ!
 集中しているんだから邪魔すんな!
 自分のカラダとケンカするうちに。

 なんにせよ、
 (グレリ~ン)
 のあとの、
 (じゃあ、食べなさい)
 は省略。 
 結果だけおぼえて処理。
 かしこい進化を遂げた。
 つまり。

 イライラして死にそう!
 (グレリ~ン)
 イライラ解消。

 食べていないから死にそう!
 (グレリ~ン)
 集中力倍増。

 別に食べなくても。
 そういう反応が出るんですって。
 グレリンを抗鬱剤として物理的に注射する実験もすでにやっているらしい。

 つーことで。
 今回の私の状態は。
 おなかがすいても幸せを満喫しているかぎり、グレリンに酔っていられる。でもたとえば、ここで上司から電話かかってくるとかすれば、その途端に、お腹がグーグー鳴りはじめること確定。
 そういうことである。

 禅の修行を想い出さずにはいられない。 
 断食とは、精神を鍛えるすべだった。

 グレリンどばっ。 
 
 それを、喰え、と取るか。
 研ぎ澄ませ、と取るか。
 幸せのサインと取って恍惚の表情を浮かべるか。

 そこは修行なわけですよ、けっきょく。
 グレリ~ンの呼びかけに、食べて答えているうちは、食べないで益を取る進化を使い切れていない未熟者ってこと。 
 
 なんて、休日の開放感に食べるの忘れていただけの私が蘊蓄るのもあれなんですが。
 最近の研究も示す、その可能性に魅力を感じます。

 禅をきわめて、グレリン=集中と解放。
 その境地に達した御方がですよ。
 即神仏になる行為を思う。
 死ぬまで食べない。
 遠くから鐘の音。
 まわりはあたたかな土。
 ほどよく薄い空気。
 人生最初で最後の、極限量のグレリ~ン。

 身悶えてイけるんでしょうねえ、きっと。 
   
 いや、まあ私はあしたの朝からがっつり喰いますけどね。
 抗鬱剤として実用化もされつつあるグレリンの分泌を、空腹の命令に対し食べることで止めてしまうというのは、ひどくもったいないことでもあるのかもしれないと、おぼえるだけはおぼえてフライドチキンにかぶりつくことにします。

 さて、もう一本、映画観つつ寝ますか。
 なんにするかなあ。
 せっかくの集中力フィーバー状態。
 難解なの、いっとくか。