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「私は、『恋のためのトーンを使わない』と決めてます」
「恋のためのトーン?」
「恋をしたときに、なんか六角形のものが飛びますよね?」
「ああ、飛ぶ飛ぶ! 飛びますね! 記号として読み流してしまうけど、考えてみたらおかしな物体ですね、あの六角形は」


 三浦しをん
 『愛が生まれてくるところ / 第十回 ARUKU』
 (小説ウィングス No.73

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 休みだったので、布団のなかからぼおっとBBCニュースを見ていた。
 どこかの国の書記のひとが死んで、東京の街からブロンドのレポーターがスタジオに報告をあげていて。スーツ姿の小柄なアジアの人々が、レポーターの背後でピンボケながらもなんの取材かとカメラを指さしている。

「アメリカは強大すぎ、韓国は近すぎます」

 だから混乱の果てにおちいったとき国内の視線を外に向けるべく敵を作ろうと彼らが考えるならば、この島国が最適だということになるでしょう。レポーターはそういうことを話していたが、それを指さすピンボケの人たちは、あきらかに談笑している。

 敵。

 多くのハードボイルド作家がテーマに据えるところによれば、それは視点の問題である。仮面ライダー部は学園の平和を人知れず護っているが、この世の混乱を願う側からすれば、正義のヒーローたちは邪魔な「敵」以外のなにものでもない。

 おなじ街で育って、おなじように世界を見ている隣近所のひととさえ思想も宗教も相容れないことが多いというのに、あいだに海があったりしては、そんなものはもうエイリアンと変わらない。電脳情報網が地上を覆ったことで、地球は狭くなったと言われるが、逆説的には、今夜も私は行ったこともなく逢ったこともない地球の裏側のだれかとネットゲームで対戦してチャイニーズと間違われ、犯してやるという意味の単語を連発する彼を地球の裏側地域代表として認識する。

 そのせいで、エイリアンを鮮明に記号化することが可能になってしまう。

 彼にとっても、私を中華圏の在住者だと記号化する理由がある。私がおもにプレイするのは賞金のかかった国際大会も開かれているネットゲームで、中国にはプロのゲーマーも多く、どうやら南米あたりにおいてネット上のありえないほど強いアジア人はチャイニーズで確定しているということらしいのである。ほんの一時間ほどではあるが、中国のほうが日本よりも時差的にアメリカに近いということも、遭遇率の点で、アメリカでの私をよりエイリアン化させている。

 そんなこんなで、地球の裏側に「漢字表示を身にまとうゲーマーは中国人」そしてやつらはでたらめに上手く、こっちはゲームをたのしめない。そんなふうにこっちを記号化してプレイ開始一分のところから罵倒をはじめる人物ができあがってしまっていることに、こっちはなにかを説明しようとする気力も失い、彼の音声を切る。
 
 限定された情報は、限定された記号化を促進する。

 その日の朝、私は布団の中から、泣き叫ぶひとたちの映像を見た。
 演技っぽいなあ、と感じた。
 外国に流れることがわかっていながら、あえてそういう映像を選ぶというのは、あっちはあっちで、自分たちを自分たちで記号化したいと望んでいるのだろう。もちろん、そう考えているのは一部のひとたちで、大多数は無理やり演技させられているのかもしれないが、なんにせよ、どこの国に行ってどんな肌の色をした人間に遭ったって、場所が地球上であるかぎり、それが例外なく自分と同種の人類であることを、疑うひとはいない。海を渡った隣の国に、生物学的に人類と別種のヒト型エイリアンがいたりはしないと幼稚園児でさえ知っている。あの国は発展途上だとか識字率がとかいったって、地球全体がもはや石器時代ではないのだし。

 国民性というものはあるし、理解しあえない相手というのはいるものだが、それにしたって、その国のひとも外国の映画を観るなどと聞くと、だったらまったく話が通じないなんてことがあるはずがないと信じられる。どこかの国の監督が観客の琴線に触れろと作った作品が、触れることができたのなら、それは生物学的に同じ人類だという以上に、たぶん、恋も愛もはぐくめる相手だ。

 愛しあえるということは、ケンカもできるということではある。

 だいたい、泣く演技ができるということは、かなりエンターテインメントに慣れた者たちだ。この日本でさえ、プロレスや相撲で、事前の打ち合わせがあったかどうかと真面目に新聞で騒いでいたのは、ついこのあいだのことである。本気のかわりに演技を提示するというのは、心底純真無垢なやつにはできない所行であり、それができるということは、相手の反応を予想する能力があるということで、演じる側もそれを見る側も、おおよそ嘘であることをさとりながらその演技が本気に見えれば本気と見なす、という暗黙の了解がなければ成り立たない。

 泣くふりをすれば泣いたとみなす。

 これはかなり高度な判定である。
 聞けば、泣いていないから兵士に電車を降ろされた外国人が、本気の泣き真似をしたらふたたび電車に乗せてもらえたのだとか。それはつまり、プロレスの会場で「ボクシングならグーパンチ一発でみんな気絶するのにプロレスラーはなぜ平気なの」と発言するような者は入場料を払っても入れてもらえないというようなことであり、それは嘘を嘘とわかって酔いしれたい者たちにとっては、できるならば法律で定めたいくらいの厳格なエンターテインメント享受の作法である。では、くだんの兵士たちも、自分たちの哀しみに酔いたいがために泣かない外国人に泣くことを強要したのか。いや、むしろ、彼らはその図式のなかでは、全員が演じている側にいる。

 ということは、つまり。
 この舞台を見ているのは、布団のなかの私だ。
 彼らは、私に本気を伝えたいのだ。
 なんの本気か。
 号泣とか、慟哭とかいう演技で表されるのは、シェークスピアの名を出すまでもなく、それに決まっている。

 愛だ。

 本気の愛。
 本気で愛しているという演技。
 本気で演じられたなら、それはみなして良い。
 きみたちは、本気の愛をぼくに見せたいんだね。
 うん。見た。
 なんというか、魅入ってしまった。
 ぼんやり見ていたはずが、すっかり目も醒めてしまった。

 で、つとめてぼんやりと考えた。

 きみたちの本気の愛はわかったが。
 だからなんだ。
 この劇の、目的はなに。
 私はBBCにはともかく、泣きじゃくる彼らには、なにも対価を払っていない。
 対価……演技に対してそれが発生しないのならば、たとえばストリートパフォーマーとか。道行く人、演技を見る人をたのしませる、それそのものが目的ということはありうるのではないか。
 うーん。でもなあ。
 それにしては、彼らがぜんぜん、こっちを見ていない。
 観客の反応を感じられなければ、演じる悦びも感じようがないはずだ。
 だとしたら。
 ものすごく高度なことになってしまうが、そういうことか。

 本気の愛の演技を、みずからの愛のために演じる。

 狂人のふりをする者は狂人と同じだという。
 だったらなにか死んでしまいたいくらいに忘れたいことがあって、狂いたければ、狂った演技をすればいい。事実、精神が脇道にそれていくひとのなかには、そういう道をたどっていく場合があると聞く。
 演じているうちに、演技が心に作用する。
 そこまでいくと、哲学の領域である。
 しかしまあ、自覚なく恋愛関係のなかでは発動されたりもする技ではある。
 愛する演技によって、愛を補強する。
 別れの直前には、みょうに直球で情熱的な関係が生まれたりするものだ。
 なんか嘘くせえ、と自分でもわかりながら、溺れているフリをする。
 おうおうにしてそういう場面で精神が行き詰まり、燃えあがっているはずなのに勃たないとか濡れないとかいうことが起こり、シーツを躯に巻きつけて背中を向けあって、そこでようやく、彼女はすすり泣く。で、すぐ泣きやんで、ずずっと鼻をすすって、つぶやく。

「あたしたち、もうダメみたいだね」

 わかっていたけどさ、三ヶ月くらい前から。
 その先を詰めていくと、とっくみあいのケンカになるので、互いに演じることで自覚した瞬間に、笑って終わらせるべき。そこから先は、不毛なことだから。

 ……なんてことを思った。
 だって。
 どう見たって、彼ら、自覚あるじゃない。
 いまがチャンスだと殴りつけること考えている人たちがいるみたいだけれど、そうかなあ……いまこそ、彼らの泣いている演技にのっかって、そっと手をさしのべるべきなのではないかなあ。そんなに愛にいそがしいなら、ごはんは私の家で食べなさいよ、かわりにその危ない過去は捨てちゃわない?

 こっちの提案もまた、本気の演技であれば本気だとみなされる。
 内輪の舞台が盛り上がっているときこそ、無茶な乱入劇も成り立つのがリングの掟。
 おまえたちの熱さに惚れた。
 おれたちと組もうぜ。
 おまえら悪役続けるのもしんどいんじゃないの?
 やめてベビーフェイスになるなら、客もいまなら乗ってくるって。

 見るからに窮地で。
 自覚もって自分の愛を補強する演技を自分に強要している。
 そういうやつに、だれか嘘でもいいからやさしく話しかけてやれば、意外とすんなり受け入れられるんじゃないかと……寝ぼけていたのかな……本気で思った。単純に、おなか空いている子に、良い子になるならおなかいっぱいのごはんを用意してあげる、じゃダメなんだろうか。受け入れない? そうは思えないんだけど。演技が本気だからこそ、迷いきっているのが伝わってきたんだけど。

 哀悼の意を表現するのは適切でないと某国は判断したとかいうニュースも見た。
 せっかくの号泣演技に、そういう冷めた反応返したら、もとに戻るというのがエンターテインメントプロレス大国なのにどうしてわかんないんだろうか。みなさん哀しいのですね愛していたのですね、私たちも心打たれました、泣き疲れておなかも空いたでしょう、さあこれをどうぞ!!
 とか言って餅でもバラまいたら、お返しにミサイル撃ってくるだろうか。
 そうかなあ……エンタメを理解しているように見えるんだけどなあ。

 過剰な演技で握手を求めれば、のってくる性質に思えるんだ。
 ほら、プリンセステンコーとか、アントニオ猪木とか。
 そういうのに萌えられる気質なら、過剰なのがいっそ受け入れやすいんだって。
 本気の過剰すぎる演技が、自分自身までどこまで演技なのかわからなくなったキャラでいけば、通るような気がする。それこそマクロス的に、プリティーな歌姫とかが最終兵器として機能するはず。ももいろクローバーZに「泣かないで、これ食べてくださいっ」とか踊りながら持って行かせれば、きっと食べるよ、餅。「あの怖い武器、捨ててくださいっ」……おなかいっぱいになったところでジャパニーズ萌え文化の演技過剰さの真髄をもってスカートひらりんてさせたら、黙れとかいって撃ち殺されはしない気がするんだけれど。妄想かなあ。方向性はそっちだと思うんだけどなあ……

 でも、いまいろんな国がやっているみたいに、わけがわからんことになって激しく泣き真似してる子に、良い子にならないと殴るぞとか手紙送ったってさ……ああごめんなさい良い子になります、なんて、それこそ言うわけないし、言えるわけもない。

 ノリで言っちゃえる舞台、ととのえてあげればいいのに。
 相手はエイリアンじゃないのにさ。   
 恋を描くのに恋の六角形模様を飛ばすと古くさい少女漫画の踏襲になって陳腐化するみたいに、固まった記号をなぞり続けるから、記号化されたほうも同じ演技続けざるをえなくなっている……そういうもんじゃないの人間関係って。
 いっかい、無礼講で忘年会とかやるべきなんだよ、たぶん。
 こっこっこっこっこーって一緒に踊っていきおいで「もうやめよ?」って訊いてあげたら「うん、わかった」って、ならない?
 そうかなあ……そんな簡単なことじゃ……
 ないのかなあ。



momokuroz


 


○9月11日

いよいよ涼しくなってきて、帰ってから小一時間の庭を掘る作業(バイク用ガレージ制作中につき)が習慣づいてきたのだが。暗闇で穴掘っている男の姿に気づいて通行人がひっ、と息を飲むのにこっちが驚いてしまう…

目の前通学路だし、さっさと仕上げないといつか通報されるだろう。それにしても木の根が難敵。よく映画で森で屍体埋めるのにさっさと穴掘っているが、あんなのぜったい嘘。

○10月14日

掘った庭の傾斜に土砂崩れ防止に芝生の種まいて芽が出はじめたところだったのに凄い雨。まだ根が張ってないんだよ、流れちゃわないかなあ。早くやんでほしい…

降りつづいたなあ…もうすぐ朝だ。

○11月1日

引越し後、初の水道検針でメーターが見つからず。思いっきり上に土を盛って芝まで茂らしてしまっていた…検針員のおねえさんと一緒にスコップで掘り返しました。気づかなかったのです。ごめんなさい。

お庭が土だと、よくあるんですよ。このフタ茶色じゃなくて別の派手な色にしたらいいんですけど。と言ってくださったが、いやたぶん目立たせないように気を使ってそういう色なのです。私が愚かなのです。

○11月30日

いよいよブロック塀を壊しはじめるので向かいのおばちゃんにご挨拶。ハンマーでがつがつやる音を御容赦くださいと頭を下げたら「あんたいろいろ器用やなあ、まあがんばり」って言われた。いろいろってなんだろう…

○12月9日

ブロック塀破壊中。駅前で人通りが多いので音も粉塵もひどい電動工具は断念。結果、ハンマーとチスで庭の側から根気作業。ブロックに隠れて私の姿は見えないから、激しい打撃音にみんなキョロキョロしている。

○12月11日

ブロック塀との戦いで右足をぐねる。インドメタシンとロキソニンでなんとか一日のりきったが…紫色。あのブロック野郎、粉になるまでくだいてやる。 


twitter / Yoshinogi

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 というわけで最終戦。
 たかだか10kgの軽量ブロックが、縦に六段横に三列。
 総重量は鉄筋抜きでおよそ180kg。

 去年だったか、GAORAFIGHTING TV サムライで観たグリコのパワープロダクション提供大会で、新日本プロレスの中西学選手がベンチプレス180kgがマックスだった。ちなみにその大会で優勝したのは、全日本の近藤修司で225kg。近藤修司は、ジュニアヘビーの選手である。つまりは、100kgも体重がなくたって、200kgは持ち上がるのだ。

 となれば、私がしようとしているのは、ベンチプレスではなく、たんなる横方向への移動である。180kgごとき、動かせないでどうする。

 とか思って、ふんっ、と力を込めてみたら、持傷の右足甲がまたピキっていった。忘れてた。筋力の問題ではないのだった。私の中足骨はなんどかの骨折によって、強くなるどころか脆弱きわまりないことになっている……紫色のアザになるわ、足全体が腫れるわ。もう何度もやっているので病院にも行かず、ツイッターの通りに痛み止め飲んで、鎮痛剤塗りたくって、それでもあきらかに脚を引きずっていたので職場で迷惑をかけたよごめんなさい。あ、店員さんだ、あの棚のうえの商品、ラダーにのぼってとってくれない? と笑いかけてくださった彼女の顔が「あ」となるのを見るのはつらいものです。

 というわけで。
 これからブロック塀を破壊するあなたに伝えるひとこと。

 おうちゃくしないで割りましょう。

 大阪の商店街を歩いていると、ぜったいに近所に住んでいるのに、ありえない量の荷物を自転車に積んでそのうえ片腕にまでビニール袋を下げ、のろのろと走るとは呼べない速度で進んでいるおばちゃんを見かける。どう考えても、半分の荷物で、すいすいと運転していったん家に帰り、もういちど買い物に行ったほうが早いのに、おばちゃんの頭には一日に買い物は、出かけたら帰ってオシマイのこと、という呪文がかかっているらしい。

 おなじこと。
 ブロック塀は、つなぎ目で簡単に割れます。
 ハンマーとタガネ&チスがあれば、180kgの壁なら三十分もかからない。
 あとは10kgのブロックを十八回、どこかへ運ぶだけです。
 180kgをどうこうしようとか、半分に割って90kgならアルゼンチンバックブリーカーできるかなとか、プロレスファンはなにか自分の限界を試さなくちゃいけない呪文を鼻の奥にかけられているのですが、それは醜くて愚かしいおばちゃんの買い物自転車なのです。
 で、あげく転んでケガをする、と。
 もうほんと、あなたがブロック塀を壊したくてその方法をググってここを訪れたのなら、悪いことはいわないから業者に頼みなさいなんて、そんなことは言いません。ぜひとも近所のホームセンターで、ハンマーやらブルーシートやら買って自力で挑んでみてください。純粋に楽しい作業でもあります。でも、ともかく、180kgとかってアンドレ・ザ・ジャイアントとかビッグ・ショーですから。ああいうのにフライングボディアタックとか受けて、死なないのは受けている選手もファンタジー世界の住人だから。私たちは生きているのです。だから自分の体重の二倍とか受けとめたら、骨がバキるのです。そのことは肝に銘じて。

 映画『告白』で、推定3kgほどの角張ったトロフィーで頭をかち割られる少女という幻想的シーンがありましたが、あれを見たとき私は「女の子はすべすべしていて気持ちのいいものだから殺しちゃダメだよなあ」と思ってしまいました。だったらすべすべしていなくて気持ちが悪ければ殺してもいいのか。私は私自身の基準について深く考えました。観る者にそういうことを考えさせるのは、いい映画です。あのとき、確か、それにしてもそんなトロフィーごときでそこまで流血するかねと大日本プロレスファンのひとりとしての感想も持ったのだけれど、いま思えば、重量よりも角度なんですよね。鋭角なもので殴ればがっつり血を噴くものである。10kgのブロック一個なら、ヒトは殺せます。首の据わっていない赤ちゃんは抱きにくいと言いますが、10kgの米袋が足に落ちても大丈夫だけれど、首の据わりきったブロック野郎が鋭角に攻めてきたら、首だってもげます。

告白

BJW

 ……ふーむ。
 まったくなにを書いているのかわからないことになってしまっているけれど、ともかく、私は後悔しているのです。
 あなたは、やめておきなさい。
 地面に横たわっている180kgでさえ、あなどってはならない。
 ぜったい安全な、小指で勝負できるサイズまでやっつけるべきです。
 空手家とか、よく素手でブロック割っていますけれど。
 軽量ブロックって、そういうものです。
 人間の骨ごときでも割れる。
 まして鉄のタガネやチスなら、瞬時。
 うん。わかっていますよ。
 問題は、目の前に180kgのもの言わぬ自由に戦える敵があるとき、それを持ちあげたい、生身で粉砕してみたいという欲求に、勝てるかどうかなのですけれど。
 自制することをオススメします。
 少なくとも私は、職場では安全靴を履くプロとして、足どうしたのと訊かれても、ブロック塀と戦って負けたなどとは言えませんでした。ちょっと足首グネっちゃって。いやもう平気なんだよ、気づかってくれてありがとう。
 なぜ勝ったところでなにも得られない戦いに挑んで勝手に負け、それ以上訊いてくれるなと唇噛んで涙をのまねばならぬのか。
 アホなことは、やめておくべきです。

 これくらい書けばもういいか。

 私があなたに伝えたい注意点。
 まず、電動工具を使うと、町内一帯が粉塵の白煙に包まれます。洗濯物とか、道行くひとの高そうな上着とか。そんなものを汚した大罪で裁判がしたくないなら、手作業にこだわるべき。ブロック塀のなかには(正しい施工が為されているなら)縦横に鉄筋が走っているはずですが、それらもタガネで叩ききれます。スライドさせる空間の余裕があれば、100均でも売っている金鋸でギコギコやれば五分ほどの仕事です。

 そして、倒したあとも、時間をかけるのをいとわないこと。これくらいの大きさで持ちあげて運べるだろう、という大きさのさらに半分にまで加工しましょう。特に日常的に汗をかきなれているひとこそ、みずから発するアドレナリンに気をつけるべきです。思いのほか、作業は楽しい。で、いつのまにか汗みずくになって、休憩も忘れ(私などの場合は目の前が大通りなので、通行人の目もあるため、なるべく集中的に片付けたいという思いもありました)、気がつけば、うりゃあっ、などと奇声を上げて、自分の頭上にブロックを持ちあげていたりするのです。そして、自分がやれると思っても、腕が重くてパンチが出せない瞬間は突然に予告なくやってくるというのは、ボクシングの試合を観たことのある方ならご存じのことでしょう。
 足の甲の骨が、突如、ぴきっ、ということもあります。
 その骨は、疲労骨折で折れることでもよく知られている。
 ヒトは、踏ん張ったり、行軍したりで、自分の筋力を使って自分の骨にヒビを入れられるのです。
 お気をつけあれ。

 逆に言えば、二十個程度の軽量ブロックで構成されるブロック塀が、手作業で壊して楽しい限界でもある。それ以上になると、倒れた重量で地中のガス管を破裂させる(たいていの住宅の庭にはライフラインが走っているものです)なんてこともありうるし、粉塵は出ないかわりに、ハンマーとチスは、かなりの打撃音を放つ。一週間も続ければ、私の住む街ではだれかがまちがいいなく通報します。ていうか、私は作業二日目で、恐ろしく太った婦人警官さんに、家の前に陣取られメモを取られまくりました。話しかけてはこないのがまた怖い。単純に、だれも通報しなくたって、界隈の派出所に打撃音は聞こえるわけで、この国の優秀なお巡りさんは音の出所をわざわざ見に来るのです。ちなみに私は以前、そのビッグボリュームな婦人警官さんが、信号機に取りつけられている鉄のボックスに耳を当てているのを見たことがあります。いつもと違う音がしたのでしょうか。絶対音感婦警さんなのかもしれません。だれがなんのために駅前の信号機に爆弾を仕掛けるのかはわかりませんが、ブロック塀を殴る音でもちゃんと見に来てくれるということは、ここに駐める私のバイクも彼女に守ってもらえるということだなと安心した次第であります。

 そしてその後のお話ですが。

 その後といっても壁を撤去したその日。
 ぎりぎり午後五時過ぎで市役所に電話したら「じゃ、いまから見に行きます」と言われて、本当に三分で作業服の担当者二人が見に来てくださったのですが。
 家の前に溝がある。
 側溝というやつです。
 これを、バイクが渡れるようにフタしていただけませんか?

「ここが境界線なんですよ」

 と、そのかたの指し示したのは、いま私の倒して片付けたブロック塀の端から、本当に十センチもないところ。そこまでなら市の仕事として溝にフタをするのだけれど、ミンセイ? とそのかたは言っていたんだが「民製」と書くのだろうか。ともかくこのラインからは溝もミンセイのもので、つまりはそういうこと。

「ご自身でがんばってください」

 あーそうですか。
 面倒くせえ。
 げんなりしていたら、そのかたがおっしゃった。

「でも、この工事ひとりでやったんでしょう? キミなら、そっちがよかったかもしれないですよ」

 キミってあなた。
 どうも、作業服を着たひとは、コンクリートと戯れる相手を仲間だと認識するらしい。なんだよ、ここだって市内なのに、市民税払っているのに。引っ越してきたばっかりだけどさ。

「もしもこれが市の溝なら、フタはしますが、この段差だとなにか置かなくちゃならないでしょ。それって、使用料が必要になるんです」

 なに?
 なんというか、税金もらっているのにとかいう視点ではなく、道路も溝も、造って管理しているのはこっちなのだから、使うなら金払えという図式があるのだという。

「ですが、ここならお好きにどうぞ」

 言われてみると、私が自分でやるなら、鉄板置いておしまいとか、そういうつまらないことでは気がすまない。段差プレート加工してなめらかスロープを作るか……市役所が勝手にやれと言ってくれたのだから、これはこれで良かったのかもしれない。

 ありがとうございました、と残業になってしまったはずの市役所の方々に礼を言い、掘られた庭と、なくなった壁と、痛む足と、溝を見る。
 疲れた……
 もう冬だ。
 しかし、次の買い物で、いよいよこの件にはけりがつくだろう。

 という報告の今回でした。
 そんなこんなで、180kg程度のブロック塀を壊すために必要な買い物リスト。

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○材料

石頭ハンマー 1.0kg

hammer

タガネ

hammer

チス

hammer

 これで必要充分。
 もちろん、ブルーシート、革手袋、防護眼鏡などは欲しいところ(私は、ふだんはもう着けなくなった古い眼鏡を破片飛び散る作業のときには着けるようにしています)。
 あと、チスを尖らせるのに、電動ドリルと回転砥石があれば便利。砥石や金ヤスリで、手で研ごうとすると、超合金の超の字の意味を知ります。180kgくらいなら、一気にやっちゃえば、研ぐ必要さえないかもしれませんが、私の場合は、今回撤去した壁には続きの壁があり、そちらは壊さないように最初に丁寧な仕事でハツっていったため、研ぎ道具は必須でした。鉄筋もタガネで切るなら、それはもう手作業で研ぐのは心が折れるほど刃が欠けますから、電動工具はあったほうがいい。

 一家に一台、ドリルです。

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『ドリルは穴を開けるために』の話。

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(↑このときに作ったスロープは、角度がありながら勢いをつけすぎると家につっこむため、低速での厳格な坂道発進を要求され、夜間にはちょっとばかりやりすぎな爆音を発してしまうことが私の繊細な心を悩ませ、けっきょく、ブロック塀を壊してのよりなだらかな駐車スペース作りの今回へと発展したのでした。なので、いまもまだ遠い実家に愛車は眠っている。キャブレターのガソリンが心配になってくる期間になってきました)

 といったあたりで、足も痛むのでさようなら。
 せっかくガレージも完成するのに、シフトチェンジできない足に……これが治るころには正月かなあ。思えば、今年の正月、実家にバイクで帰って凍結カーブですっころんだんだよなあ……

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『折れたペダルの応急処置』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 思えば、今年、この右足は三回目の引きずっているモード。
 二回目もバイクだった(階段をのぼらせてみたら足が挟まりました)。
 考えてみたら、今年は一年の半分以上、右足をかばって生活していた。
 そしてたぶん、痛むまま年を越す。
 頑丈なブーツでも履けばいいんでしょうけれど。
 私のなかで、アメリカンバイクは素肌に革ジャケットとか、やっぱりそういう乗り物で、身を防護するいかにもバイク乗りな装備とか、イヤ。峰不二子とか林白龍みたいなツナギ着てバイク乗るくらいなら、全裸にヘルメットのほうがマシ。
 安全靴さえ我慢ならない。
 あの、右足の感触こそ、このオートマチック時代に排ガス規制前のミッション車に乗る魂だと……そんなに大げさなことではなく、基本、ちょっと買い物に行くくらいでしか乗らないので、普段着で乗ることを自分に禁じたら、もうバイク乗りそのものをやめそうな気がするからスニーカー乗りなんですけれども。

 来年は、ていねいに生きよう。
 痛む足にインドメタシンを塗り込みながら、ため息つきつつ思う年の瀬です。

Concreteblock

(↑壁の内側から、錆びた鉄筋をタガネで叩き切ったところ。町内がうちふるえるような激音を数十回の果て、ふと抵抗がなくなったあの瞬間の絶頂感に、私はアヘ顔をしていたことでしょう。仕事で、機械を使って鉄筋を切ったことは何度となくあるのですが、ハンマーとタガネでは初めてで……これは格別でした。全力でなにかを終わらせる快感を堪能できます)

ホームセンターのコメリドットコム


 
 


結局、ぼくらはみんな生まれつき狂っているんじゃないのかな。赤ん坊がどんなことをするか考えてみたらいい──ぼくらはあんな調子でいるのをやめるわけじゃない。誰もが大声で叫んだり、いきなりものをつかんで壊したりしたいのだけれど、それは許されないよね。だから狂ったところを正常な話に訳してくれる反狂翻訳装置みたいなものをもつ必要があって──その使い方をおぼえなくちゃならないし、装置はちゃんと動かないといけない。でないと、頭がおかしいのがばれてしまうから。

Speaking with the Angel

 コリン・ファース 『なんでもあるけどなんにもない世界』
(ニック・ホーンビィ編『乳首のイエス様』収載)

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 と、コリン・ファースは言うけれど、私が思うに、赤ん坊が叫んだりものを投げたりするのは、単純な情動の激しさによるものなので、大人になってそれを変わらず発動させることができる人を指して、狂気と呼ぶにはいささか抵抗を感じる。たとえば私はプロレスファンだが、多くのスポーツにおいて、もっとも観客が沸くのは、選手が血管切れるほどの大声で叫んだり、火事場の馬鹿力的な奇跡のポテンシャルを発揮したりする瞬間だ。あんまり日常生活のなかで、吠えながらもの持ちあげているひととか見ないからね。ましてや自分が出せる限界の声で叫んだことなどいちどとしてない、というひともけっこういるはずで、そういうひとにとってみれば、試合に勝って吠えちぎり号泣している選手や、あまりのアドレナリンの噴出によって死をも怖れず高度数メートルから奇声をあげて空へ飛んでしまうマスクマンなどは、いっそファンタジーとなる。

 そう。
 そういうのは、わかるのだ。
 自分ではできないが、やっているひとを見ると、共感できる。
 だれだってかつては赤ん坊だったから、感情にまかせて叫んだり暴れたりというのは、大人になったらやっちゃいけないことだけれど、感覚として理解できないわけではない。恋人が優しかったりすると、赤ん坊のようにわめき暴れる彼女の話なんかは、ときどき実際に耳にするし。液晶テレビに椅子の脚が突き刺さった話をされたときは、なぜそんな女とつきあっているのかと友人の良識を疑ったが、あとになって考えてみれば、彼女にはその欠点をおぎなってあまりあるなにかがあるのだということで、それを想像するとうらやましくもある。
 そういうのは困ったものだが、狂気と呼ぶべきものではない。

 分岐点は、録画していたのをいま観はじめたところのテレビアニメ『うさぎドロップ』でいうなら第三話。りんちゃんは、おねしょをしました。夜中にこっそり着替えています。大吉は言います。恥ずかしいことじゃないんだ。りんちゃんは泣きます。うん、うん、とすなおなよい子です。

usagi

 しかしまあ、そういう子ばっかりではない。
 だいたいにおいて、おねしょが試金石であったりする。

 自分で洗おうとする、なんていうのは、なかなか実際的な選択で、現実問題としておねしょ濡れた布団をぜんぶ洗って翌朝までに乾かすことなど不可能なのだからバレるのだけれど、それでもなにか手を打たずにいられないという性質は、将来が楽しみである。

 一方、その場面で、人生における「いいわけ」というスキルを身につける最初の一歩を踏み出してしまう者たちも少なくない。いわく「これは汗」とか「水をこぼした」とか。絶対にバレる嘘しかとっさに思いつかないのは彼らがまだぺーぺーだからで、なにげに、そっち方面に進んでしまって幾年月をすくすくと育てば、大人になって「あなたおかしいんじゃないの?」と詰めよられるような性質となりうるものである。おねしょのいいわけをしたやつは、どこかで射精したいいわけだってするようになる。使った金は落としたと言いはり、思わず出た鉄拳を愛の鞭などと呼ぶようになる。いいわけをする子は、事態の発生した瞬間から露呈したときのための嘘を考えはじめるので、ものごとを真に解決しようという方向で頭を働かせない。
 これもまた困ったものである。
 が、これもまだ、狂気という範疇でくくるべきではない。

 狂気というのは、解決方法を考えないどころか、ものごとを最悪の方向へみずから誘導する思考のこと。もしくは、思考そのものが存在しないこと。狂気とは、たいていの場合、瞬発力をともなった、ひらめきのようなものだ。

 おねしょしてしまった。
 燃やそう。

 とか。

 布団だけ燃えているのはおかしいから、家も燃やそう。

 とか。

 ていうか、怒られる前に怒りそうなやつを始末すればいい。

 ぼくが消えればいい。

 そういったような。
 他人が聞けば、なぜそこにたどりつくの? という帰結だが、本人のなかではものすごくひらめいてしまった、すべてのつじつまがあう解決策なわけで。この子が、その方向ですくすくと育ってしまったとき、そこにあらわれるのは狂気と呼んでさしつかえないもののような気がする。

 ということを、私は月に一度、考える。
 
 某大手製薬会社の営業さんなのですが、だいたい月イチくらいで、顔見せにやってくる。売場をちょこちょこっと直して写真を撮って、新製品出るんですよお、とか笑って。ものすごくふつうな、ものすごく愛想のよくて腰の低い「そこをなんとか」が口癖の、剛と柔でいうなら柔の精霊の守護を得た、営業マンの代表格のようなおっさんなのですが。 
 
 軽く禿げている。

 いや、それは問題ではない。問題は、このあとの話を書き続けると、たぶん私の勤める店の近所にあるドラッグストアでは同じ営業さんが回っているはずだから、ピンとくるひとがいるかもしれないということである。まさかこんな文章を本人が読んだりはしていないだろうが、彼を見かけたひとなら読んでいるかもしれない。いや、ここはそんなにひとでごった返しているような場所ではないが、それでも私がそんな可能性にさえ怯えてしまうのは、あまりにもそのおっさんがだれもにとって忘れがたい存在であると確信しているからである。

 軽く禿げている。
 軽く、というのは、それなりに年を食ったおっさんならば、それが不都合であることはまずないような禿げかただということである。全体的に薄い。そして、生え際が後退している。現在の生え際の実際的なところは頭頂部を越えているとみられるが、彼は残った髪をかなり長めにのばしていて、それとなく、おでこのあたりに前髪を作り出している。
 なんの不都合もない。
 この国の、特にスーツ族な方々には、よくみられるスタイルだ。
 そんなことを、私はいちいち記憶したりしない。

 最初は気づかなかった。
 しかし、なんどか店を訪れてもらうたび「ん?」と思った瞬間があり、いまでもはっきり記憶しているが、私はそれを彼のこめかみにあるアザだと認識した。先月、このひとにアザってあったっけ、と考えた。しかしまあ、剛と柔でいうなら柔の精霊の守護を得たようなおっさんは、肉体的には私の興味の範疇外なので、全体をぼんやりとながめ、腰が低いひとだなあ、もみ手する営業さんなんてフィクションみたいだよなあ、くらいのことを思っていたのだった。
 それが、よく見れば顔に大きなアザがある。
 そういう方が、製薬会社で働かれていらっしゃるというのは、なにか同じ思いの人たちに貢献をとか、そういう感動的な美談のひとつもあるのかしらんとか、勝手に想像しはじめたのだが、よくよく見れば、おかしいのだ。

 前述のように、彼の髪は全体的に薄い。
 地肌が見えている。
 だが、そのことに、私は、よくよく見るまで気づかなかった。
 なぜならば。

 頭皮が黒いから。

 むぅ!
 と声が出そうになった。
 わたくしごとだが、先月もそういう小説を書いていたりしたもので、自宅の書斎にはその手の資料が散乱している。たぶんそれは、そういうものだった。

 アートメイク。

 眉毛にほどこすことが多い。
 アイラインも一般的だ。
 というか、それ以外ではほとんど実用されない。
 地肌に、タトゥを彫ることで、消えない化粧をする。
 施術方法はいわゆる絵柄を肌に彫るタトゥと同じだが、極力、皮膚の表層近くに薄く墨を入れることで、経年にともなう新陳代謝によって薄くなっていく。完全に消え去ることはまれだが、そもそも毛があるところに彫るものなのだから、うっすらグレーが残ったところで問題はあまりない(かつて女優今井美樹全盛期に、自前の眉よりも太くタトゥをほどこした女性たちが、後年になり外科手術で太眉彫りを除去しているドキュメンタリーは見たことがあるが)。

 私は、日に数千人のお客さまに逢う。
 土地柄も大阪界隈なので、楽しいひとがいっぱいいる。
 眉タトゥは、イカツイ系のこわもておじさまにも愛好家が結構いる。
 結構といっても、年にひとりふたり見るか見ないかだが。
 しかし、話は戻って目の前のおっさん。

 頭ぜんぶが黒い。
 そして、こめかみにアザがあると私が認識したのは、たぶん、彼の生え際が先月よりもさらに少し後退したからである。つまるところ、耳の上あたり、おっさんが小学生だったときにはもみあげがあったであろうところまで、地肌が染められているのである。
 頭皮へのアートメイクを、私は、はじめて見た。
 文献でも読んだことがなかった。
 その存在だけでも驚愕だが、目を奪われるのは、先月よりも彼の生え際が後退したなどというのが、私の幻想にすぎないということだ。そんな範囲ではないのだ。いやもう言ってしまえば、頭全体を見て、髪の毛よりも、黒い地肌のほうが面積が広いのである。
 つまり、私は、先月まで、気づかなかったということ。
 でも、いまは。
 いちど気づけば。
 凝視してしまう。 
 だって。

 彼のもみあげは毛でなくタトゥなのである。

 もみあげというか、こめかみと、そこから続く頭頂部あたりまではうっすら伸ばした髪で覆われているだけだから、もう私が先月までおっさんのありふれた軽い禿げ具合などと思っていたものが、ほとんどすべて、刺青だということである。

 なんというか、彼に対する認識が変わった。
 そのもみあげのタトゥの形状、それに、それなりにタトゥの資料写真を見ている、私の見た目感覚からいっても、数か月で消えるとか、そういった染料刺青のたぐいではない。少なくとも数年、いや、ほとんど恒久的なものとして、かなりの労力をつかって彫られたタトゥなのである。

 クールだ。
 彼が、客ではなく、営業マンだというのもすごい。そういえば、かの製薬会社には有名な発毛剤のシリーズがあるから、その社の営業が、いかにも禿げましたというのはマズいのだろうか。いや、マズいのだろうかって、彼のその頭皮は、あきらかにものすごい。マズいとかどうとかいうことでなく、大手製薬会社でタトゥはたぶん禁止事項だろう。だがもはや、まずいよそれキミとか言える状況でないことは一目瞭然である。

 推測だが、かなりの確信をもって言える。
 あの面積に、あの墨は、髪があったら彫れない。
 ということは。
 彼は、まだこめかみに髪があり、生え際も後退していない人生のころに、いったん髪をぜんぶ剃ってタトゥをほどこし、髪を生やしなおしたということだ。
 ……ちょっと信じがたい。

 髪に力がなく、地肌が透けて見えるのが悩みだったのだろうか。
 そんな毛髪だが、生え際が後退することは考えなかったのか。
 いつか髪がなくなれば、黒いヘルメットをかぶったようになるのがわかりながら、その彫り師は、なぜに彼にそれをほどこしたのか。いまさらどうしようもないことはだれが見てもあきらかで、そんな彼にマズいよなんて、私は言えない。

 いや、むしろ。
 さっきも書いたのにまた書くが。
 私は、目をキラキラさせている。
 とてもクールだと感じる。
 そして、それからも彼には毎月のように逢うのだが、そのたびに身震いするほど、強く考えてしまうのである。

 それは狂気の沙汰なのか。

「あの、そのタトゥって」

 そう訊きたい。
 彼が狂ってはいなくて、物腰低い営業マンの顔を一瞬だけ奥に隠し、クールな微笑みを浮かべて「ああこれ、けっこう気にいってんですよ、これでも」などと答えてくれたら、私はワオ! と吠えて、今晩いっしょに飲みませんかと誘うだろう。
 いまだ、できずにいるが。
 たぶん、できることはないのだが。
 夢見てしまう。

 願わくば、脱毛のとまらないみずからの体質に狂った彼が、瞬発力をともなったひらめきのようなものとして理解しがたい行為をおこなったのではなく。
 静かなタトゥショップに足を運び、彫り師とのカウンセリングを経て、それでも、決意は揺らがず、地肌に墨を入れたのだと信じたい。

 自身の悩みを、独自の信念で屈服させた。
 羽根の模様を彫ることで、本当に心が飛べるようになった少女のように。
 覚悟のうえでのことならば。
 それはタトゥという技術が生む、最上の結果だと思うのです。
 うん。
 それが、彼の狂気の証明でないのだとしたら。

 確かめないまま、私は彼に笑いかけられる。
 ……まあ、なんというか。
 そういうようなことで。
 そういうようなことを。 
 私は月に一度、考える。