最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ



Nandina

幼いころ、というか、かなり大きくなってもなお、
ひどい乗り物酔いをするやつだった。
剣道を習っていたのだが、けっきょくやめた。
バスで、しかもフェリーに乗って合宿に行くなんていうのが、
もう身体が裏返るほど吐くので、
合宿に行ったらやつれて帰ってくるという状態だったからである。
車に乗れば決まって吐く、いや、乗る前から排気ガスの匂いだけで吐く。
それは、小学生あたりでは、充分に世界を嫌う理由になる。
バスで行く校外学習がイヤだった。
社会科見学では、パン工場に行って帰りにジャムパンを吐いた。
バスのなかに甘ずっぱい匂いを充満させる。
そうなるのがわかっているのに、私を連れて行く。
世界の側のおこないが愚かしいとしかいいようがない。
私はいまでも乗り物には弱い。
体調が悪いと、自分が運転する車でも酔う。
バイクは、顔に風が当たるから酔わない。
と、いうことを言ったら、え、でも、と返された。
「ヨシノギさん、
通勤電車で本読んでるじゃないですか」
……うむ。
言われてみれば、それは酔うという人は多い。
だが、高校生で電車通学をはじめてから、
電車で酔ったことはない。
(飲みすぎて電車に揺られて瀕死になったことはある)

むかし住んでいた家に、南天の樹が植えられていた。
あの合宿や、社会科見学に行く前に、
母はその葉をちぎって私に持たせたものだった。
「噛むと酔わないから」
まったく効かなかった。苦いだけである。
しかし、南天は漢方素材の一種であるという。
市販の酔い止め薬と咳止め薬は主成分が同じである。
一方、南天のど飴なんてものがあるように、
南天には咳止め効果があるとされている。
そこだけとってみても、なにがしかの有効成分はあるのだろう。
が。私には効かなかった。
母の愛をもってさえ、プラシボ効果さえ発生しなかった。
あえて試そうとは思わないが私はうたがっている。
実は、電車で酔わないのは、本を読んでいるからではないのか。
車でもなにかに集中すれば酔わないのではないか。
自分で運転する車では酔い、バイクでは酔わないのは、
たんに私がバイク好きで、より運転に集中しているからなのでは。
揺れよりも、閉鎖空間で、私の退屈が嘔吐するのでは?
まして大人数の騒がしいバスなんて。
はっきりと、私はそういう状況が大嫌いな自覚がある。
吐くほどに。

先日、引っ越した家に南天が植えられていた。
駐輪場を作るために、掘り返した。
これは、鉢に無理やり植えようとしている図である。
大地に根付いていたものを、こんな矮小な鉢に。
南天にとっては窮屈なことであろう。
根の大部分も切らねばなるまい。
もしかしたら枯れてしまうかもしれない。
その根の隙間には、蝉の幼虫が眠っていたりする。
ムカデも這い出してきた。
掘り返しながら、思った。
運転するバイクを駐めるために、酔い止めの樹と格闘している。
これが、克服ということか。
そういえば、しばらく揺られて吐いたりしていない。
ようやく、退屈を飼い慣らせるおとなになれたのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 引っ越してすぐ、妻が「毎朝、庭に動物のフンがある」と言うので、翌日から気にしてみると、どうやら日が暮れる頃の時間に、南天の樹の根元をくつろぎの場としている小動物がいるらしい。

 私は、そのあたり専門である。薬剤をまいて追い払うのは簡単だ。だがしかし、忌避剤というのは総じてきわめて臭い。いまから私は、そこを掘ろうとしているのだ。みずから作業の場を悪劣な環境にするというのは避けたいところである。

 なので、ていねいにフンを掃除してから掘りはじめた。
 数週間にわたって掘り続けたのだが、そのあいだも、なんどか掘っている穴をトイレにされるということがあった。だが、さすがに私の膝くらいまで掘ると、ぴたりとおさまった。きっと、掘りたての斜面に足をすべらせてすってんころりんとかして粗相どころではなくなったのであろうと想像してほくそ笑む。

 そうしてようやく、穴の底に降りる前に動物の糞をさがすという作業から心が解き放たれたのであった。ほとんどの場合、帰宅してからの日もとっぷり暮れた真夜中あたりの作業なので、闇のなかでライトを照らして確認はしたものの、確信はなく、まだ南天の樹も残っていたときのことなので、枝しげるそのあたりに手を突っこむのは、なかなかに精神的苦痛だったのだ。

 とりのぞかれた南天の樹は、裏庭へ持っていって、鉢に植えた。店に来た薬品会社の営業さんに訊けば、鉢植えでも南天は育つということだったのだが、物理的な問題として、大地で育ってしまったものを鉢に収めるには根の大半を切り落とさねばならない。営業さんはここぞとばかりに自社の肥料を売り込んできたけれど、残念ながら私は育児に関して放任主義である。枯れる枝は放っておく。雨で育つ以上に水はやらない。死にかけたら助けるつもりだが、生きているなら、どんな姿になろうと手は出さない。

 放任しておいたら、一か月ほど葉っぱが落ちまくった。
 しかし、枯れるわけではなく、枝の先に残った葉は緑色のままだ。
 土の量と、水の量と、日光と。
 南天の樹は与えられた状況に順応して、自らのサイズを小さくしたらしい。
 強い植物である。
 強さとはそういうものだと感じ入る。
 借金だらけなのに家族で借金の話をしようとしないからサイズダウンが実現できなくて今日も借金の額をふくらませている、どこかの島国の民たちも見習うべきである。太い幹に残ったわずかな葉で日光を浴びる、アンバランスではあるが健気な南天の樹の姿は、決してぶざまではない。

 などと、環境破壊の権化たる排ガス規制前のカワサキ車を駐めるために、すくすく育っていた樹を掘り返し鉢に閉じこめた私が賢人ぶって言うことではないのは確かだ(笑)。不遇の南天の樹に私は魅入るが、向こうにも目があったら、私を殺さんばかりの視線で睨んでいることであろう。

 恨めしさつのる、南天の樹が呼んだのかもしれない。

 やつが戻ってきた。
 正体も判明する。
 猫である。
 白い。

 しかしこんどは、糞害ではない。
 最初は、なんの音なのかわからなかった。
 裏庭に面した部屋で私は寝ていたのだが、早朝、陽が昇るか昇らないかという時間。

「事故!?」

 飛びおきた。
 窓の外というよりも、壁が鳴ったのだ。
 なにかが壁にこすれながら飛び去っていったかのような音だった。
 バイク乗りなので、似た音を聞いたことがある。
 転んで、アスファルトの上を滑っていくと、そんな音がする。
 起き上がり、窓を開けると、なにかが逃げていった。
 白い。
 音は止んだ。
 目の前には、南天の樹の鉢植え。
 その朝は、なにが起こったのかわからなかった。
 壁を調べたが、なにも見つからなかった。

 しかしまあ、ちょっと考えればわかることではある。
 わかることではあるのだけれど、なぜなのかがわからない。
 そこから毎日、同じ時間に同じ音がするので探偵ナイトスクープに依頼を出そうかと思ってもいいくらいのものだったのだが、残念ながら、答えはあきらかである。

 やつが、壁で爪を研いでいるのだ。

 だが解せぬ。
 我が家の壁は確かに凸凹した堅い吹きつけ塗装で、爪とぎにはもってこいかもしれないが、毎朝おなじ場所であるのはなんなのか。しかも気味が悪いことに、その場所は私の枕元であり、庭を掘り返す前にはいちどたりともそんな音はしなかった。

 トイレを潰された猫の怒りの行動なのだろうか?
 ばりばりばりばりばりー(起きる。窓開ける)すったかたー。
 いわゆるピンポンダッシュという嫌がらせのようではないか。

 ともかく、次の休みに、壁を凝視した。
 よく見れば、ひっかき傷のようなものが無数にある。
 が、これが完璧に一箇所に集中している。
 そこに穴を開けたいかのようだ。
 努力むなしく、まったく掘り進む気配はないのであるが。
 穴を開けて私の喉にでもかぶりつくつもりか。

 怖いので、そこにステンレスのプレートを取りつけた。
 ほんの小さなもので、効果があるとは思えなかったが、一心不乱に一点を掻きむしっているというのが恐ろしかったから。
 それが。
 なんと、翌日からぴたりと止んだ。
 一歩ずれれば、壁はあるのに。
 その一点を爪がすべって研げないように加工しただけで、やつはあきらめた。

 けっきょく、いまもって、なんなのかわからない。
 潔癖症な白猫だったのだろうか。
 同じ場所、同じ高度でなければ用が足せず、ここと決めたら、一ミリずれてもいーっとなって爪も研げないというような。
 それとも……

 そう。そうなのかもと思う。
 あの南天の樹に、恋していた猫だったのかも、と。
 私が越してくるまで、その家は空き家だった。
 あの白猫は日がな一日、南天の樹のそばで、排泄もすれば爪も研ぐという、当たり前の日常を過ごしていたのかもしれない。

 だとしたら。
 もよおしたところで鉢植えにされた南天の樹のふもとにはトイレにするようなスペースがなく、やむなく、爪くらいは研ごうと考えたのか。
 日常を守ろうと。
 あの南天を背にして、その角度で、いつものように爪を研ぐ。
 だから、その角度が微妙に封じられただけで、去ったのかも。

 どこかの人間がやってきて、ぼくの日常はめちゃくちゃになった。

 ふてくされているとしたら、あやまりたい。
 でも、フンは困るし、壁を引っかくのも困る。
 南天の樹は、掘り返したが、ここにある。
 そっと鉢のそばで寝っ転がってひなたぼっこするくらいなら、私もそばに行って、エサのひとつも詫びに与える気でいるのだけれども。いかんせん、私は猫語がわからない。妥協案を猫語で書いたメモを南天の鉢に貼りつけて、意思疎通をはかることができればどんなにいいかと夢見て、ふと朝早くに目が覚めたりすると、窓の外を覗いてしまう。

 南天の樹、枯れないみたいだから。
 放任だけれど、大事にします。

 と言いつつ、これ書いていて気づいたんだが。
 もともと南天が植わっていたの、南西だった。
 信じていないが、興味で知識は持っている。
 陰陽道風水的には、南西ひつじさるは、裏鬼門。
 「難を転じる樹」
 かつての住人が鬼門を封じるために植えたのだとしたら、その根を切って空けはなった、私こそがこの家にわざわいを持ち込む鬼なのです。
 気づきたくなかった。
 しかし今日、ブロック塀の破壊にも取りかかってしまった。
 もう、あともどりできない。
 いや、信じていないけれど(笑)。
 できあがったガレージに駐めるバイクへ、南天さまのかわりに、魔除けのステッカーでも貼っておこうか。

Feng Shui

 ていうかこんなこと書いて、事故ったらやだなあ……

Haloa

 優秀なAmazonさんによって、
 発売日にまとめてちゃんと届いた、

Halo Combat Evolved Anniversary

 と、

セインツロウ ザ・サード

 午前中に届いたのを妻が受けとってくれていた。
 そしていま帰宅。
 いや、ちゃんとごはん食べますよ、寝ますよ。
 でも、ヤらせて!!

 『Halo』と私の十年。
 そしてそれは、Xboxと私の十年。

Xbox360

 初代Xboxはアメリカで2001年11月15日に発売されました。
 記念アバターアイテム無料配信中!

『Xbox Anniversary Prop - Xbox.com』

 さっそく着てみた。
 プレゼントオープン!!
 花火ぱーん!!
 XboxLiveで逢いましょう。
 十年を経てよみがえった美しき『Halo1』のマップで戯れましょう。

 そんなわけで、ブログとか書いている場合ではないのです。
 絞り出せるすべての時間を向こうで過ごす。
 あーなんでXbox買わないかなあ。
 なんで『Halo』やらないかなあっ!
 十年飽きていない。
 この私が、証人のひとり。
 あなたが人生で得られるのに見逃している愉悦がここにあるんだけど。
 まあ、もういいや。
 日本で売れなくても、Halo友だちは世界にいる。
 私はなにも困らない。
 ありがとうXbox十年オメデトウ。

 みちたりています。
 いってくる。
 

※追記

 いってみて、ボタンひとつで十年前の見た目に切りかえられる機能に、おー、おー、と声洩らしまくり。こんなだったっけ。こんなだったんだよね十年前。うん、目ざめた直後、角張っている配管が配管だと認識できなくて、自分がなにを見ているのか理解するまで時間を要したのを想い出す。
 いまや、リアルタイムのゲーム画面はCG映画と変わらず、鉄のパイプが鉄のパイプに見えないなんて事態は起こりえない。
 十年。
 毎日の積み重ねって、まとめて振り返ると、すごいものだ。
 未来を生きているんだと実感できます。
 すごい、すごい。
 
 

 おはようございます。
 吉秒匠です。
 ヨシノギタクミです。
 はじめましてのかたにはなんの話だかな今回ですが、説明もせず、長話もせず、ただ淡々と事実を見つめたいと考えます秋の日です。

 といいますか、ツイッターのほうを読んでくださっているかたには察していただけているかと存じますが、食べてゆくためのお仕事で肩書きが変わったり転勤だ出張だと……正直、このところツイッターも見ていません。ほんとに週一くらいでつぶやくだけです。ここからが師走なのに、秋にしてもう子持ちししゃもの子を数えるほど忙しい毎日でして。

 この『徒然』も、今週は書けないや、となかばあきらめていたところ。
 きましたよ。
 七回四年にわたって動きがないので触れることのなかった新書館ウィングス小説大賞の発表で、まさかの、というか、予想通りの、というか。
 なんにせよ動きが。
 
 これは書き写すだけでブログ一回更新(笑)。
 ひさびさに、私のウィングス歴をざっくり紹介。
 なにそれ?
 いやだから説明はいたしません。
 でも検索してきてくれる人がいるんだよ。
 だったら今回のそれがどういうことなのかひとことだけ書いておくのです。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新書館ウィングス小説大賞

第12回 第一次選考通過
     『(タイトル不明)』
第13回 第四次選考通過
     『幸せなモノ』
第14回 第二次選考通過
     『哀しみを癒すモノ』
     『ひとなつのみず』
     『僕の泣く声を聞け』
第15回 最終選考通過
     『みぎみみの傷』
第16回 第四次選考通過
     『なぁあお』
第17回 第四次選考通過
     『兎の瞳はなぜ紅い。』
第18回 第二次選考通過
     『兎はどこに逃げるのか。』
      編集部期待作・一席
     『とかげの月』
第19回 第三次選考通過
     『ふれうるきずに』
第20回 編集部期待作
     『アスプの涙』
第21回 第四次選考通過
     『バオバの涙舟』
第22回 第三次選考通過
     『ささやかな旋律。』
第23回 第三次選考通過
     『りんゑの宴、ぼくの唇。』
第24回 第三次選考通過
     『うさぎがはねた。』
第25回 第二次選考通過
     『愚かしく魔法使いは。』
第26回 第三次選考通過
     『幽閉の銀の箱』     
第27回 第四次選考通過
     『幻追い~とかげ~』
第28回 第四次選考通過
     『幻追い/リーリー』
第29回 第四次選考通過 
     『造形師ディクリード・フィニクスのヒーローな休日。』
第30回 第四次選考通過
     『幻追い~三結神~』
第31回 第三次選考通過
     『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』
     第四次選考通過
     『ゲームの真髄。』
第32回 第四次選考通過
     『ルビオの世界にぼくらはいない。』
第33回 第四次選考通過
     『恋愛花電 -A.F.L.-』
第34回 第二次選考通過
     『ゲームのよろこび ~人形の回路~』
第35回 第三次選考通過
     『つちのこ、』
     第三次選考通過
     『永遠のシミラルド』
第36回 第三次選考通過
     『サング=エリミネータ』
第37回 第三次選考通過
     『ヴコドラクの女王』
第38回 第三次選考通過
     『みどりいろのアソカ』
第39回 第三次選考通過
     『メイデン・メイヴの永遠』 
第40回 第三次選考通過
     『黥鉄トライヴ』 
第41回 第三次選考通過
     『リウ・ユーファの焔慧』 
第42回 第二次選考通過
     『妖精息子』 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 きましたよ。
 四年越しの三次選考落選。
 見ていただければわかるとおり、過去にもなんどかありました。
 自分で書いた作品たちは、どれもかわいい息子であり愛人なのですが、はっきり言いましょう。かの編集部には見る目があります(断言)。
 三次選考で落とされるコは、ダメなコです。
 いや、ダメというか。
 ご主人様が。
 なんというか、妙なことに凝ってしまって、愛人に理解しがたいコスプレをさせたり「お前、ベリーショートも似合うんじゃね」などと口走ってしまったり。
 そういうコたち。
 あっはっは。
 『妖精息子』って。
 恋の呪いとか出てきます。
 変なクリーチャー暴れまくりです。
 不死のおとうさんは全裸で太平洋を泳いできます。
 ヒロインは処女です。
 先輩は縦ロールです。
 読みかえしてもおもしろいんですが、かの編集部はお気に召さず。

 さまよったのです。
 いま、リストを見てつくづく思います。
 三次選考(が最終選考だった回も多いのですが、リストがごちゃごちゃするうえに男々しい言い訳じみているので今回は記述しませんでした)や四次選考といったところで吟味され続けて数年が経つと。
 突然に、ぽつんとそういうコたちが現れる。
 もういちど言います。編集部の見る目は確かなのです。
 私が迷走している。
 なんか、こうなのかな、と訊いてみたくなってしまう。

 で、訊いてみた。
 違いますと、はっきり返事が返ってきます。
 気持がよいです。 
 愚かなのは私です。

 次回のために、すでに用意していたプロットがあったのですが、完全に今回の流れを踏襲した「チーム男子」モノだったため、別のところに売り込むことにします(たぶんBL化して)。新書館のほかのチームがどうなろうとも、小Wはブレていないとよくわかりました。上位作品の(おお、今回も見知ったお名前がちらほらと……我が身が恥ずかしい)あらすじを読んでもわかります。D+が、スペードが、変革しようとも、いや、そっちで充分に変わったぶん。言いかたは悪いかもしれませんが(ってプロレス人生35周年の天龍源一郎がコメント求められてよく前置きするの大好きです。そう言っておけば許されるわけではないとわかっていながら言わずにいられないから前置きする。究極的に意味はないのだけれど、それがプロレス。ちなみに私のウィングス小説大賞人生は15周年をむかえました。まだまだ浅い)、変われば変わるほど既存の読者を逃がしてまでつかまえた新規読者層の動向が読めない、という現実もあったのだと。完全な推測ですけれどね。毎号各誌を読んでいて、本屋での積まれている冊数など見ますに、どんなビジネスでもいまそうなんですが、パイはひろげなくちゃいけない、しかし、それはけっきょく売る側がやったことのないことをやってライバルと戦う道でもあるので、雇用確保のための最低限の死守すべき砦は、闘いが混迷すればするほど、心を通じやすい常連客との関係性強化。極端な話、小説ウィングスの発行部数が毎号安定しているなら、ほかの弾はもっと攻撃的になれる。となればこの改革のとき、戦国時代、賞の発表をウェブ上で発表しないから、それを買って読むしかない私をふくめた全国の数百人さえ、最低500人(単純計算のために切りの良い数字で低く見積もっております)買うとしても×740円は三十万を越えますから、大きい。数字は小さいけれど、このご時世に、絶対安定のこの金額(実際はもっと多いはずです。重ね重ね。寓話化しております)は捨てられない。三十万あればマジックフィンガーをもつ正社員三人くらいは雇えますので、気むずかしい先生のところへ送り込んで肩を揉んだりさせるだけで三ヶ月後も需要と供給のバランス。小説大賞の話はともかくとしても、この一冊の立ち位置が最終兵器彼女的なところにないのは明白です。萌えるド派手なのは別の戦場。この戦場で求められる新兵は、アジア制覇を狙う覇王ではなくて、治安維持軍の一員。守られし市民にも愛されるキャラならなおよろし。

 また書きすぎている気がします。
 すべて冗談です。
 私の原稿がちゃんと読まれて落とされているのがその証拠です。
 これが欲しかった。
 不安になるのです。
 だから、そういうものを書いてみて、もしかしたらこういうのを待っていらっしゃるのかしらん、と。やってみたら違っていて、動いた、この前まで動きはなかったけれど、それは私が行き止まりに当たっているだけだったんだ、ウィングスはおなじところにある、と確信できて「チーム男子」なんて破り捨ててやる。と、私も動き出せた。思えば、発表のときにはすでに次作を書いている時期だったこれまでと違い、年一回の長編勝負になったウィングスは、これからはメンタル勝負の色合いが濃い(毎回休みなしに書いている方々のあいだでは、ですけれど)。
 迷ったら負けです。
 ここに流行り廃りとか関係ないのです。
 ウィングス愛が魅せられるかどうか。
 既存のウィングス読者の購買欲を理解しているかどうか。
 むしろ、いまの流れを無視した先にある安定を紡ぎ出せミラクルフィンガー。
 書いていることも文章もめちゃくちゃですが、自覚しています。
 むしろ壊れてしまえ、信じる力の足りない私の脳みそ。 

 いま、発表からいちにち考えて、地震の直後に作った、これは重すぎるからしばらく寝かせよう、と判断していたそれを詰めていこうかと考えています。もしかすると両極端なことで、振り子が振れすぎてまたやってしまうかもしれません。考える時間ができたことの、良い面であり悪い面。
 だけれども、少なくとも。
 今回の「動き」は、私の心に良い作用をもたらしました。
 伝わっている。
 そのうえで判断して、これは違うと言い渡された。
 だったら別の企画を、新商品を、と燃えられる。
 奇抜すぎず、軽薄すぎず、琴線に触れる。
 考えます。
 まちがいなく、私の人生の中心にして、もっとも変わらない日常。
 この戦いが、私を育ててくれました。
 蹴落とされ、私は吠え、これからも。
 次こそ、見ていてください。
 緊張感あるカッコイイの狙って書いてみようかと予定。

 ……ええと。
 そういえば、余談ですが。
 書くの自粛していたんですけれど、もうずいぶんと前の話なのでついでに書いてしまいます。
 新書館の某編集者さんがツイッターはじめましたと書き込んだその日に私はフォローして、翌日にはフォローを返され、コメントまでいただいたのです。
 ですが、その数日後、ふと気づけばフォロー解除されておりました(笑)。
 広告用のアカウントですから、基本的にフォロー全返し解除なしなのに。
 狙って拒絶された。
 すなわちそれは某編集部で、

「これ、あれだよ、あのヨシノギだぜ。
 フォローとか編集者がまずくないか」

 という会話がなされたことはまぎれもなく……
 そのときも心がほっこりいたしました。
 嫌いでも、見てくれている……
 (いえ、嫌い、なんてひとことも言われていません。
 でも一挙手一投足にそう邪推するのが乙女心)
 もはやストーカー愛の心理にまで到達しようとしているのかもしれません。
 
 言いかたは悪いかもしれませんが。

 おお愛しの女神。
 我がすべて。
 もっと蹴って。
 捧げます。
 捧げるにたる戦士に、なってみせます。
 くやしい。
 いまこの瞬間から、鍛えなおしてみせるのです。
 まずは今号を、読み込むことにする。
 ああ、変わらない表紙だ。
 好きすぎる。

wingsTwitter Icon