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 決算棚卸し。睡眠不足で数字と格闘しているなか、携帯電話に無数の着信が残されていた。数時間後に、これも多量に残されていた留守電の一件目を再生して、首を振る。

「タクミ……はぁ……ぅ……事故った」

 父の声である。
 しかもあきらかに痛みをこらえているうえに混乱している。誘拐されて椅子に縛りつけられて、大きな僧帽筋を持つ犯人に、銃底で二、三発殴られたあとの電話みたいだと思った。
 現実逃避である。
 それくらい、危うい事態になっているなととっさに思った。もしかしたら事故現場からかけてきたのかもしれない。だったら、これは私の携帯に残された最後の父の声だったり……いやいやいや、と首を振ったものの、そもそも父から電話というのがおかしかった。

 父の乗る、トヨタエンブレムが嫌いだが、そのスタイルは好きで、フロントグリルをとりかえてあるカローラフィールダーは、基本、助手席に母を乗せている。普段は、どんな緊急事態でも、電話もメールも、ほぼ100%、母の携帯からくるのである。

 いくつかの留守電を聞くが、母からはなく、ぜんぶ父。
 電話をくれとしか言っていない。
 どうやら死んではいないようだ。
 しかし聞き取りにくいくらいに、息も絶え絶えな声である。

 父以外のメールを確認する。
 うちは三人男兄弟で私が長男なのだが。
 まんなかの弟から来ていた。
 これも非常にめずらしい。
 そこではじめて、少しだけ事態が理解できた。

「四国でフィールダー大破。
 ふたりの命は無事。」

 そのメールに、
「なんだそれ。電話してみる。」
 それだけ返信して、すぐ、母にかけた。
 つながる。
 え、どういうこと?
 事故で携帯電話を壊してしまって、それで父から電話が来たのかと予測していたのだが。ふつうに着信しているのである。怖すぎる。
 つながった。

 荒い息。

「……たくみ」
「ああ。ケガしてる?」

 訊いてはみたが、最初に名前を呼ばれたときに、すでにわかっていたことだった。声がかすれている。血を想像せずにはいられない。

「肋骨が……ぅ……折れて、るの」

 それを話すのに30秒ほどかかる。
 これは、一本ヒビが入ったとかいうことでは、ない。
 そこは病室で、それよりも本人が話せないということがあきらかだったので、最低限のことだけ訊いて切った。これでは確かに、父と話すほうがまだしも会話になる。かけなおす。その後、当たり前だが、こちらが仕事中のそれも棚卸しのトイレに出た一瞬でかけていることなどおかまいなしに、なにが必要かと、うわごとのようなつぶやきを聞く。

 母は携帯していたけれど、父は持って行っていなかった保険証。
 現金。
 服が血まみれで、救急車でハサミで切られたので、着替え。

 なるべく早く退社して家に寄るよと約束する。
 四国に行ったのは、今月亡くなった祖母の生まれ故郷なので、謄本をとりに行っていたから。自分の逝った事後処理で、息子夫婦が逝ったりした日には、おばあちゃんだって化けて出てこようというものだ。

 しかしまあ、これからどっちが悪いんだとか、保険の話だとか、近所に転院させないと見舞いにも行けやしないとか、いろいろとあるわけですけれども。今月のあまりの日々に、義妹は「あたしは呪われているのかも」とか言いだすし、みんな「自分が呪われている」と思っているんだから言うなよ、と、いさめたり。さすがに今月、両親が遠い土地で死にかけましたもので、とまた休暇願を出すなんてできなくて。実家に保険証を取りに行ったら、末の弟が帰ってきていたみたいで。弟はダーツバーで働いたことがきっかけで競技ダーツにハマり、むしろバーで働くよりもと、最近、車関係の仕事に就いて、下っ端の雑用というところで、あちこち飛びまわっている。たぶん、飯食いに寄るとか言ったのに、四国行ってるわよ、とかいうやりとりがあったんだろう。かってに上がって食べなさい、と、母がホワイトボードに書いていた。その文の最後に、ちょっと前までやんちゃなバイク乗りで事故常習犯だった弟に対する、決まり文句がつづってあった。

「運転、気をつけて」

 ……笑ってしまった。
 気をつけても、事故には遭う。
 ヒトは、つるっと手をすべらせてグラスを床に落としてしまうものだし、そんなことは絶対に生涯ない、と言いきれるヒトはいないはず。
 事故は連鎖するというけれど。
 ふだんは電車通勤なのだが、たまたま棚卸しで深夜になるのでバイクで出た私も、その足で実家へ向かう途中、そのときにはまだ、ふたりの状態もよくわかっていなくて。信号が変わったことに気づかなかった。ヘルメットのなかで大声を出した。こうやって連鎖するんだと、肌で感じた。

 私の文章もおかしいね、これ。
 しかしまあ、まだ、あたふたしている状態なのです。
 それでも、今月締め切りの原稿だけは仕上げたあたりが、我ながらひどい感想だが、自信にはなった。身のまわりで一ヶ月のうちにこれだけ人が死んで、両親がつぶれた車のなかで血だらけになって、それでもキーボードは打てる。というか、それで落ち着いた。
 
 いまは、やっと現実的な問題が見えてきたところ。
 四国は遠い。
 けっきょく、母は肋骨9本を折ったうえ、背骨も圧迫骨折しているということで「とりあえず」一ヶ月の寝たきり。父は頭を何カ所か縫ったけれど、歩きまわれるので母の世話を焼いている。
 脊髄の圧迫骨折は、体重をかけると悪化するどころか、ぐちゃっ、と背骨が折れちゃって一生寝たきりとかそういう事態もありうるそうなので、近所に転院とかいうのも、一ヶ月過ぎて、そこで動かせるかどうかとか……遠い話だ。

 写真がある。
 警察の撮った写真を、また薄暗い部屋のなか携帯で撮っているので、粒子は粗いけれど。
 最初は正面衝突と聞いたのだが、これが本当に真正面だったら、おれたちいまごろ喪服だったなと、弟と話した。
 相手は、ミキサー車だった。

Fielder

 写真を見るかぎり、運転席側がへしゃげているのに、助手席の母が重症なのは、やはりエアバッグの加減なんだろうか。素人考えでは、助手席の母がそこまでの状態であれば、運転席の父が数日で歩きまわれる状態というのは、首をひねってしまうのだけれど。支点と作用点の問題なのかな。ともかく、シートベルトとエアバッグ。このフィールダー、買ったばかりだったんだけれど、もったいないというより、買い替えていなかったら、たぶん逝ってた。ちゃんとつぶれて衝撃吸収して、車内空間はつぶさなかったシャーシと、素早いエアバッグの作動。ありがとうトヨタの先端技術。アメリカでは大変なようだけれど、ここではふたり、トヨタ印の品質に助けられています。

 走れば走るだけ、事故る確率は上がる。
 よく言われることだけれど。
 自分だけは特別ってことは、絶対ない。
 
 実家から帰るとき、妻に、マフラーをはずせと言った。
 コートのなかに入れてるから大丈夫だよと言い張ったが、はずさせた。
 毎年のように、タンデムシートに乗った同乗者のマフラーが後輪にからまってバイクの大事故が起きている。さすがにしばらくは、私だけは大丈夫なんて思えない。
 これを読んでいるあなたも、きっと連鎖するから。
 いや、連鎖する、というくらいの気持ちで、愛車を点検して。
 無茶な走りはしないで。
 
 私、今週、両親をいっぺんに喪うところだった。
 こういうこと、あるんだから。

 縁側でのことだった。

 一成(かずなり)はマンガ雑誌を広げ。
 玲(れい)はそれを横からジュース片手に覗いていた。

 ときおり、意味のわからない単語を兄に訊ねたり、ストーリーが追えなくなって解説を求めたりしたけれど、基本的には兄のペースでめくられるページの、そのリズムを崩すような口出しはしなかった。玲が口を出さないからよけい、兄がゆっくりとした一定のペースでページをめくっているのがわかったし、だからそれでも読み切れない部分は、あえて追わずに眺めていた。

 ただ、そばにいたかっただけなのである。

 晴れた日の、蔵の白さがきわだつ青い庭を前に、ゆったりとしたふたりだけの時間の流れているのが、子供ながらに、しあわせだなと、思ったりして。マンガ雑誌は、少年誌にはお定まりの軽い──軽いとはいえ、あきらかに小学生の弟に兄がページをめくってやるようなものではない──色気が満載されたラブコメにさしかかっていたが、ページを繰り続ける手は、とまることはなかった。

「ちょっとはやいー」

 そこではじめて玲が、ページをめくる速度に口を出した。
 それは、どうも困っているらしい、兄の態度がおもしろかったからだ。マンガの世界では、転んだ少女に少年が馬乗りになり、ところどころ肌をあらわにしながら密着して、近づきすぎてしまった顔と顔に、互いに照れていた。正直言って、玲にはまだ、ヒロインの下着が見えているのでどきどきする感じは、それは見てはいけないものだから──罪を犯している自覚ゆえの鼓動の速まりにすぎなかったのだけれど。
 でも、中学生の、兄は。
 どうやら違うのだった。
 目をそらそうとしない。
 玲は瞳の動きを追って、兄が主人公に自分を重ねているのだと気づいた。

 ──カズくんもこんなふうに女の子にさわったりしてみたいんだ──

 よく、わからなかったけれど。躯と躯が密着して頬を染めあう物語のなかのふたりは、玲の理解している、同じクラスのだれが好きだから頬を染める、というのとは微妙に違うなにかを含んでいるのだとは、わかった。
 兄がページを繰る。
 キスシーンだった。
 ごめんとあやまる主人公に、少女のほうから、身を寄せていた。
 現実世界で、濡れた音がした。きゅ、というような小さな音だったが、板張りの縁側についた玲の手のひらが、汗ばんでたてた音なのはあきらかだった。

「……ん?」

 自分を見上げる弟に、気づいて一成が首をかしげる。

「さっきの大根餅の早食い競争、ぼくの勝ちだった」

 唐突に小一時間前の昼食の話をはじめた弟に、戸惑いながらも兄は、負けず嫌いな答えを返した。

「もう時効さ」
「ジコウってなに?」
「約束は時間がたつとないことになるんだ」
「……そんなの、ずるい」
「レイが、さっさと罰ゲーム決めないからだろ」
「いままで考えてたんだもん」
「なに? いいよ、言ってみな」

 そう言った兄の頬も火照っていたから、あれは誘導だったのだ。
 だって言葉がなくても、伝わった。

「これ、して」

 ジュースを置き、身をひねって兄を見て、玲は、開いたページの内側を指さした。

「ふうん」

 と、兄はよくわからない返事をして。
 キスをくれた。
 その行為にではなく、一成の唇に残っていた唐辛子の、ぴり、とした辛みに、玲は、少し大人になった自分を感じながら──思い返す──たった一個ずつの大根餅を、ゆっくりタレをつけて食べたカズくんは、まるで、競争に勝つ気がないみたいだった、と。
 唇を離したとき、ふたりの背後で悲鳴があがった。
 抱きかかえられるようにして兄から引き離されるとき、玲は、はっきりと兄が舌打ちするのを聞く。

「ごめんなさい。ごめんなさいっ」

 引きずられていきながら、玲は。
 かあさんごめんなさいぼくが、と言い続けたのだが、いったいなにがごめんなさいなのかはわからなかった。
 ただ、かあさんが、カズくんを睨んだのが。
 自分のせいだということだけは、まぎれもなく明白なことだったから。
 あやまり続けた。
 翌日には、それは触れられない出来事になったし、あいかわらず玲が兄になつくのを、とがめられたりもしなかった。

 あれは、春節の、うららかな日のこと。
 忘れられない、しあわせだったころ。
 ちょっとだけ揺れた、午後の出来事。

Dcc

Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 8
 『The silent prize of DCC Eating Match.』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 8曲目
 『春節の静かな賞品』)

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今年の春節はバレンタインデーと重なるとか。
都会に働きに出ていたり、学生で実家を離れている、
なんていうパターンが近年の中国では増えていて、
3月までの旧正月期間に旅客輸送量は25億人に達するという。
昨年も、中国では駅のラッシュで死亡者が多発した、という話を聞くから、
日本の正月のようなものを想像してはいけないのだろう。
文字通り、死んでも家族のもとへ帰らなくてはならない旧正月。
以前、日本人と結婚して日本にやってきた中国生まれの女性と、
いっしょに働いていたことがあるが、
まあそりゃもう春節が近づくとそわそわしまくりで。
私も兵庫育ちだから、神戸南京町のには足を運んだことがあるよ、
というような話をすると、
獅子舞も爆竹も、あんなものではないんだと。
死ぬまでにいちどは本場で過ごしてみて、と。
言われたっけなあ──
この時期になると、思い出す。
一年の計は元旦にあるなんて、日本でも言うが、
中華圏の春節に計がある信仰はもっと過剰で、
だからとにかく派手に、衣装もととのえて、
家族の顔を見て、先祖をうやまって。
よい子にしていないとサンタが来ないと信じている子供みたいに、
そこはきちんとしないと一年が台無しになる、と確信してる。
だからこそ、億単位でヒトが動いてしまうわけです。
彼女も、休めないなら辞める、と毎年言っていて、
いちどは本場に来いと言いながら、
あのコ行っちゃったら私たちは休めないじゃない、
と苦笑いしたものですが。
その彼女は、けっきょく母親の体調が悪くなったということで、
迷わず仕事を辞めて旦那も残して国に帰ってしまいました。
げに大事は、家族なり。
これだけ通信機器が発達して、
毎日何時間でもパソコンでテレビ電話できるけど。
春節には、家族のピンチには、ぜんぶ捨ててでも逢いに行く。
その迷いのなさを、うらやましく思った。
そんな同僚のことを思い出しながら、
今年も本場へは行けないけれど、
せめて大根餅くらいは食べましょう。
親にも逢いに行こう。
なんかこれ、良い影響。
だれかがだれかを愛しているのを見せつけられると、
自分もそれをないがしろにはできなくなる。
そうやって続いてきた行事なんだろうな。
たぶん私もこのさき毎年、ああ春節だ、と思う。
春節ですよ。
それがなんなのかは、よくわかっちゃいなくても。
ようはめでたいのです。
春がきたってことなのです。
まわりのみんなを抱きしめて、祝いましょう。
Radish rice cake。略してRRC。
冷凍庫へ、そろそろ詰めこんでみる。

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 そんなわけで、中華街ではこの14日から春節祭。
 甲子園球場のそばで育った私は、十代のころ、友だちと遊びに行くのも、ほとんど同距離にある神戸と大阪のどちらかを選ぶことになるのですが。母親からは、避妊だけはしなさいよ泣くのは女の子のほうなんだから、というセリフと同じくらい、よく言われました。

「どっちかで遊ぶなら大阪にして。神戸はこわいもの」

 ときまさに、山口組五代目跡目の座をめぐる内部抗争が激化していた時期。あのころのことを思えば、いまだに香港では爆竹の音を拳銃と間違うから自粛しているという話を聞くにつれ、獅子が舞い、爆竹鳴るけたたましい春節を迎える平和な関西に落ち着いたことを、よろこばしく思います。

 ということで、我が家のプランターからもアマリリスの新芽が出てきたうららかな、でもまだちょっと肌寒い、よき春の日の大根餅レシピ。
 簡単ですので、ぜひ作ってみて。

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○材料

大根 1本
薄力粉 3カップ
干しエビ 100グラム
干し椎茸 2枚
陳皮 5グラム
塩こしょう 少々

○作り方

① 乾物を水で戻し細かく刻む。
② 皮ごと大根をすり下ろして水分を絞り、塩こしょうで味付け。まとまるくらいのかたさにまで粉をくわえます(大根の大きさや水分量によって薄力粉全量は使用しない場合もありえます。目安としてはEカップの下乳くらいの感じ)。
② できあがった生地に刻んだ乾物を入れ、5ミリの厚さに丸め、15分くらい蒸す。

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 これでいちおうの完成。
 小説挿絵な写真の奥に見える、焦げ目のない白いのがこの状態。オーブンシートを四角く切ったのにのせて蒸してあり、そのままジップロックで冷凍が可能です。
 人によっては、大根を下ろすのではなく刻んだり、さっと湯通ししたりもしますが、面倒くさいので私はおろします(しかも電動モーターの力をかりて。この時期、鍋はぜったい大根おろしとポン酢で食べたい我が家でのフードプロセッサー稼働率は、そうとうなもの)。私個人の嗜好としては、あんまり大根を絞りすぎないほうがよい。おろした大根だと、ちからいっぱい絞ったら本当のカスになってしまうという理由もありますが。

 陳皮、というのは、いわゆるミカンの皮の乾かしたもの。なので、ミカンの皮があまっていたら、それを刻んで入れてもいいんじゃないかと。ケーキに入れるレモンの皮のように、表面だけ削ってもよし。

 冷凍した大根餅は、ごま油でじっくり焼くと、写真前方のような焦げ目がつき、またちがった味わいになります。私はこれを朝ご飯にしたり、お弁当に入れたりもする(お好み焼きで米を食う大阪っコですから、小麦粉練り物だって平気でおかずだ)。

 ソースは、酢醤油ラー油添えか、チリソースに醤油。豆板醤にナンプラーも捨てがたい。なにせ、唐辛子が必須です。熱い辛い食べたあと唇がヒリヒリする、というのが大根餅。同じタレで食べられる点心、餃子や焼き鳥なんかといっしょにホットプレートで焼けば、パーティー料理になりますし、晩ご飯のおかずにも。以前作ったメキシコのタマレと同じで、こいつは、祭の前に作りためておいて、勝手にこいつで腹を満たせ酒を飲め、という料理なのですな。

(チリソースはいわゆるサンバルアスリのほうではなくて、中華のスイートチリソース。サンバルはもっとあぶらっこいもののほうがあうと思う。ケチャップとサンバルまぜたのにマスタードとマヨネーズを添えてタバスコとレモンぶっかけて食べるフィッシュ&チップスに勝るものはない)

 生地に刻みショウガや、ゴマとか、そういうのもよし。作る人によって味が違ってこその祝い料理なので、感覚を掴むためにも、まずは大根半分くらいから作ってみるのがよろしいかと。手間を惜しまぬなら、皮をむいて、千切りにして、湯がいて、絞って、という手順を踏むと、至極マイルドな大根餅とあいなります。

 まあ、こんなもんはおにぎりみたいなもので、どうなったら失敗とか、そういうこともない料理ですから、気楽に作って冷凍庫に詰めましょう。

 というあたりでレシピについては書くことがなくなってしまったので、小説についても少し。辛い唇とか、兄弟とか、前にもこの企画で使った気がしますが。好きなんです、こういう関係性。もちろんふたりは異母兄弟で、母親と一成が血がつながっていない。五年後、この三人のあいだでは修復できないねじれた想いと事実が生まれてしまい、一成は家を出て二度と田舎には戻らず、数年を都会で暮らしたあとメキシコに渡り、マスクマンとして凱旋帰国。そこで弟と再会するのですが、それはまた別の話(笑)。

 Radish rice cake。略してRRC。
 と、最初は書いたのだけれど、あらためて調べてみたら、英語圏の中華街では、大根餅は、
 Carrot Cakeという名称で売られているらしいです。
 大根の英語訳がwhite carrotなので、間違ってはいないのだろうが、いやどう聞いてもそれは甘いニンジンケーキだろう……
 一方、英語レシピではDaikon Rice Cakesなる表記も発見。ほら見たことか。そっちのがわかりやすい。けれども、それも厳密には、餅という漢字を直訳してしまっているわけで、漢字圏のこっちにしてみたら、小麦粉ねりものは餅よりもむしろケーキのほうが近い気はする、白玉粉で作る大根餅というのもあるにはあるけれど、点心を餅と呼ぶのはやっぱり抵抗が……
 というわけで。
 あいだをとって、小説のタイトルには「Daikon Carrot Cake」略して「DCC」を採用いたしました。英語版の料理の鉄人で、大根のことをDAIKON-radishって呼んでいたし。アメリカンプロレスの中継観ていて「エンズイギリ」っていうのが、ものすごく日本語発音で浸透しているのはうれしいことです。そう、日本生まれのものは、そのまま日本語で呼ぶがよい。
 しかし、ダイコンラディッシュも違和感あるが、料理の鉄人で「Shiitake-mushroom」って連呼するのは、いっかいごとにつっこんでしまわずにいられません。
 シイ「タケ」マッシュルームって!!
 漢字訳すれば「椎茸茸」ですよう。
 だったら「シイタケ」でいいじゃない。
 長さ二倍になってんじゃない。
 略すか。
 SMの時雨煮。
 ……なんか淫靡。
 干しSM。
 ……放置プレイも過ぎるよね。

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』




 祖母が逝った。
 激しく、思いこみ、自分を止められない人だった。
 しかもそれを芸術や娯楽に向けることはなく、すべて生身の人にぶつける。
 敵も多かった。
 しかし、子供かと思うくらいに、可愛い人でもあった。

 本人曰く、「無理やり結婚させられた」夫。
 でもだれがどう見ても、そのあとを追って逝った。
 孫の私にも、よくわからない。
 でも、私は私のあきらかに彼女の血を受け継いだ、思いこんで好きだの嫌いだの言ってしまう癖を、なおそうとは思わなくなった。

 愛したモノにヒトに愛していると言う。
 嫌いなのにもそう言う。
 いやおれこう思うんだけどと思いこむ。

 問題もいっぱい起きるんだが、あの彼女みたいに逝くのが良い。
 だって彼女は、けっきょく醒めずに逝った。
 まわりはずいぶんと迷惑したところもあるのだけれど、まああれはああいう女で、小細工なしに勢いだけで走りきっちまったなあ、と。その残滓として、たくさんの家族や仲間も生まれているわけだもんなあ、と。
 それはそれで、逝ってしまえば、まさしくビッグマザー。
 すなおに、ありがとうと言える。
 彼女の血による突っ走る癖がなければ、いまの私のまわりの家族も仕事も人間関係も、まったく違ったものになっていたどころか、構築されなかった可能性も高い。

 通夜、彼女の遺体の前で、孫の長である私は、彼女の息子三人に説教をされまくった。無尽蔵に酒を飲む一族なので、こっちがすでにひとりで数本の空瓶をテーブルに並べるまでになっていても関係なく、ヤカンで燗した酒を湯飲みで私に差し出して、ありがたいような話を延々と続け、三人三様に吠え、泣いている。歳のせいもあるだろうし、日頃から夜更かしなせいもあるだろう。親戚を含め寝ずの番をすると決めた屈強な男ども全員が雑魚寝をはじめたなかで、私はワインをボトルで直接飲みながら、でも酔えなくて、親父たちのように泣きもせず、のぼってくる朝陽を窓の外に見ながら、おばあちゃんの線香をとりかえていた。

 あたりまえのこととして、ヒトは死ぬ。

 関西方面に住んでおられるかたは新聞で読んだかもしれないが、その通夜の日、大阪の薬局から火が出て、80歳の女性が逝った。あろうことか、それは私の義妹の祖母である。私といっしょに通夜に到着した弟は、遅れて着くはずだった妻からの電話を受けて、検死に立ち会うために、とんぼ返りした。あまりのことに、弟と私は首をかしげて苦笑いを交わしたくらいだ。なにやっての、神? 帰りの高速で弟が事故ることのほうが自然に思えて、あんまり言ったこともない「気をつけて帰れよ」なんていうセリフをなんども口にした。その後の四日間は、ちょっとしたパニックだった。ヒトが死ぬというのは、病院で死のうが、炎に包まれてであろうが、大変なことだ。当たり前のことなのに、当たり前だけれど、大変なことなのだ。

 いつかは死ぬ、ということを思うよりも。
 いま生きている、ということを、朝陽のなかで考えた。
 さすがに酔いはじめていたし前日も徹夜で眠かったので、かなりナチュラルハイな状態になっていたのであろう。なんだか、ものすごく強烈に、この四日間で、その瞬間の記憶だけが残っている。

 彼女の棺桶に、
「愛してる。ありがとう」
 と書いて入れた。

 とりかえている線香には、あまり意味がないような気もした。
 死体は、死体であって、私が言葉を向けたのは、その肉に対してではない。
 彼女の、彼女でありつづけた日々に向けて。
 愛情を感じるし、感謝を感じた。
 彼女の気性を受け継いだのは、遺伝子のせいであって、彼女自身がどんな生き方をしたって、その遺伝子に変異が起こるわけではない……というのは真実だろうか……キリンの首がのびたのは、高い木の葉を食べるためだというが、ちょっと首の長いオスとメスを何代か交配したところで、あんなに首がのびるものか? きっとキリンの精子に、卵子に、子供のころからずっと願ってきたこと、その生き様が、刻まれてしまうのに違いない。

「もっと吠えてくよ、おれ」

 言って、飲むのをやめた。
 二時間ほど寝た。
 起きたら、彼女は骨になった。
 人工の心臓弁と関節が、サイボーグのように焼け残った。
 あれは良い。
 火葬は、残された者に、故人の無になったことを知らせるが、そこにチタニウムのパーツなどが残っていると、ほとんど壊れた機械と変わらない。魂というものが在るにせよ無いにせよ、ともかく、肉体は機械だ。オイルを注し、パーツ交換したところで、100万キロ走るバイクはない。走ったぶんだけガタが来て、いつか走ることは不可能になる。感染症などというのは、最終的にどこがダメになったかという一例であり、そこを避けても、きっと限界は近かった。いもうとのおばあちゃんも、警察の見解では台所で服に火がついて、風呂場でシャワーを浴びながら逝ったということだが、それにしたって一例。かたちはどうあれ、走りきって、ゴールしたのだ。ナイスラン。見事なカーブへの攻めっぷりだった。いくつものカーブで、彼女たちは転倒しなかったし、独自の走法まであみ出して、走れるだけの距離を、その後も駆け抜けたのである。

 そこまで行こうと思う。
 できるだけメンテしつつ。
 でも、タイヤがすり減るからと、スピードを落とすのは間違っている。
 そもそも、走るための機械なのだ。

 魂があるから、動いている機械なのだろうか。

 私が朝陽のなかで考えたのは、そういうことだった。
 「無理やり結婚させられた」夫を、死ぬほど愛する魂は。
 作動する機械のうちで生まれたのではないのかと。
 どんなオスとメスも、欲望と衝動がまずありき、そのあとに。
 在るならば、愛とかいうやつが紡ぎ出されてくる。

 だとしたら。

 私のあしたの魂は、あした、まず動くことからしか生まれない。
 どう動くかを考えることは無意味である。
 ただ欲望に、衝動にしたがって、機械の本能で動き走る。
 そうしたら、その夜更けか、朝陽の、のぼるころ。
 魂が、ちょっとだけ、育って。
 なにかをちょっとだけ考えたりするかもしれない。
 うん、あれは好きだった、とか。
 愛とかも。

 この四日間。
 いくつかの死に、出逢って、生き様を見た。
 まだ私の筋肉は動く。
 冷えて動かなくなるまでには、いくつかのひどいカーブを攻めながら曲がれるだろうし、なにかを変形させたり、少しは、どこかでだれかのなぐさめになるものも生みだせるかもしれない。

 おばあちゃん。
 じっと見られると恥ずかしい行為もいっぱいの日常なので、
 まあ、視界の隅のほうで見ておいて。
 それでも気になってしかたないくらいに、手足ふりまわして生きていく。
 動くうちに、まだ知らない色の魂も沸いてくるだろうか。
 それは、とても、たのしみだ。

 というわけで。
 日常にもどってきた。
 私は私で変わらない。