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 なんかもうすでに今年を回顧するような話ばかりになっていますが。
 今年は2001年の『air』以来のEPOのオリジナルアルバム『AQUA NOME』が発売された年でもありました。好きかきらいかで訊かれたら好きだし、その作品群が私に多大な影響を与えていることも事実なのですが、正直言って、この数年の彼女のブログというものには、心を打たれなくなっていた。なんでなんだろうなあ、と思いながらも読み続けていて、で、『AQUA NOME』。

AQUA NOME

 もちろん彼女のブログは宣伝と、そのアルバムにまつわるその後のあれこれが中心となっていって、カウンセラーという別の顔の習性なのかもしれませんが、まわりの人の反応に過剰に敏感で、自分の心の声までもを演出しすぎてしまっている感があり。
 なんていうか。

 新アルバムが出た、そこで歌っているひとの声を聞きに行った、そうしたら「買ってね」、「ライブやるからね」という話ばかりで、なんか醒めた。みたいな。いや、宣伝は宣伝でいいんですけれど、仕事が増えて、毎日がいそがしくて、新婚さんで、わたわたしたブログになるのもわかるんですけれど。

 前回の、クーンツの公式サイトとかと、比べるというのもあれですが、比べてしまったりして。やっぱり筆名というものをもってモノ書いたり歌ったりする人の場合、そのひとのサイトに行ったら、そこにもそのひとの作品世界の香りというものがただよっていて欲しいのです。否、ただよわせるべきだと思うのです。

 EPOの近年の作風は、即興です。
 アルバムレコーディングさえ、思いついた言葉をつぎつぎ録音していくとか、一曲まるまる意味不明な言語とか。彼女には『VOICE OF OOPARTS』というアルバムもあるけれど、まさにあのころから、オーパーツな声を楽器としてあつかう作品世界が特有のものとなっている。
 それは、聞いていると、延々と、どこまでも続くかのような気になる、終わりのない音の群れであって、一枚のアルバムを聴き終えても、終わったような気がしないくらい。それでいて、それが物足りなさにはつながらない。深呼吸したみたいな感じ。
 私はパソコンにアラームをいくつか組み込んでいて、そのもっともひんぱんに使うひとつに『AQUA NOME』のなかの一曲を使っている。これがいい。ものを書いていて、アラームをセットした時間が来る、でも最初は気づかない。手をとめることなく書き続けていて、自分がキーボードを叩く音のなかに、五分くらい経って、別のなにかが流れていることに気づく。わきあがってきて、いつのまにか存在感を獲得する、それがEPOの真骨頂。

 そういう空気が、サイトにはないなあ、むしろそんな大々的に宣伝するのではなくて、サイトにもずっとそっと彼女の曲をかけていて「あれ、これなにか曲がかかってる?」とかいう演出で「実はアルバムが出たんですよ」というようなのが、よほど売れそうな気がするんだけれど。

 とか、思っていた近ごろ。
 EPOが大泣きしたというのを読んだ。

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『e p o n i c a . n e t : EPO日記』

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 世間的に認知されている「オレたちひょうきん族」のテーマを歌っていたPOPなEPOと、がらりと作風の変わった現在のEPOを売り出そうとする彼女自身とを、どこへ持っていっても、そういう衝突は起こりうることで(実際のところ、なにがあったかはわかりませんが)、そういう気苦労もふくめて彼女は今年のアルバムまでの長い期間を必要としたのだと思うのですが。

 この話。
 失礼ながら、ここ最近のEPO日記のなかでは、いちばんぐっときた。
 なんか途中にカウンセラーっぽい玄人口調もまじっているけれど、最後の締めなんか実に良い。本当に、書いていて、書かずにいられなかったんだろうけれど、書いてみたら、あたしなにこれ書いてんだろ、というプロ意識が目覚めてしまった、でも消さない、その気恥ずかしさが、ちゃんと出てる。
 うまい。
 というのは、やっぱり失礼なんだが。
 書かなくていいこと、書かずにいられない。
 観客のリクエストに応えてむかしの歌も歌うけれど、現在進行形の、需要と乖離した(ホントに失礼だな)作品世界をこそ、つきつめていく。

 好きかきらいかで訊かれたら好きだけど、熱狂というのとは違う。
 でもずっと見てる。
 私の聴いている、ほかの好きな曲などのなかで、あまりにEPOの方向性は違う。でも聴き続けている。廃盤になったアルバムもぜんぶ持っている。
 ライブに足を運んだことはない。
 でも、なんか気になっていて。
 今年は、彼女のひさしぶりの新譜が出たっけなあ、と書かずにいられない。

 これはたぶん。
 ものすごく失礼だけれど(そればっかり)。
 カブトムシなんかを観察するのに似ている。
 好きとか愛でるとか欲するとか、そういうんじゃなくて、観察したい。
 そうなんだなあ、とあらためて思う。

 私は、アーティストの、アーティストぶりが好きなのだ。
 その人ふくめて作品だと思っている。
 作家性好き。
 正体不明とか好きじゃない。
 おもしろくないところも見せてくれないと面白くない。
 だからものすごく失礼だけれど。EPOが自分の心を癒すためにカウンセラーにまでなって、彼女のポップスはどこへ行ってしまうのかという興味で新譜を聴いたといっても過言ではない。聴かずにはいられなかったのである。気になって。ネットってすごい。ライブには興味がなかったため、十年近くも新曲を届けてもらえなかった歌い手に関して、興味が持続するどころか上昇しているのだから。ぜったいに、そのサイトがなくて、そのブログがなければ、私は彼女を観察することをやめていた。観察するのに足を運ぶまではしない。でも、毎日、サイトが更新されていないかなと覗くのはたのしい。

 大事だ。つまんないこと書いているブログってのも。

 ところでついでに思い出したのでいっしょに書いてしまうけれど、私は天野月(旧名:天野月子)さんも好きで。彼女のブログも日々読んでいるのですが。

A MOON CHILD IN THE SKY

 先日、コアラのマーチの入浴剤を買ってきた彼女の日記に目を奪われた。
 で、翌日、腹を立てている彼女を、ものすごく、さらに好きになった。
 つまんねえよ天野月、なにその作品世界を壊しちゃう日常。
 でもそれが見ずにはいられない。
 あらゆるジャンルの作家さんの、つぶやくのが日常的に観察できるなんて、私小説で金取っていた時代からしたらとんでもない未来。そりゃ、その関係性によって、作家が作るものもカタチを大きく変えるはずなんだよ。別に歌わなくても、言葉を伝えることはできるんだしさ。だったらなんであえて歌うんだっていう動機づけが、歌う側にも必要になってくる。

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『天野月 : 雑音生活』

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 私はコアラのマーチが好きではない。
 食べ方がよくわからないから。
 チョコって舐め溶かすものなのに。
 コアラ、噛まないとチョコに達しないんだもん。
 チョコを噛み砕くという行為に対して実に違和感があるのだけれども、コアラのマーチは、それを私に強要するのである。

 でも、きらいかといえばそうでもなく。
 いります? と差し出されたら、すなおにもらう。
 自分では決して買わないが、クッキーもチョコも嫌いではない。
 そうして、口に入れて。
 なんかねえ。
 おいしいんだけれど、なんかさあ。
 チョコをぞんざいにあつかっている気がするんだね、噛むと。

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 そういえば今年は、私、ブギーマンと妖精の出てくる話を書いたりしていたんだけれど。プロレス好きなヒトならぴんとくるだろうことに、妖精とブギーマンと竹刀を持ったおっさんがひとつのリングに登場するなんていう光景は、ECWというプロレス団体の専売特許的イメージ。昔から好きなのです。ていうか、むかしのが好きだった。巨大団体WWEに吸収されてしまって、唐突に裸の美女がリングで踊ったりしないしゴミ箱で殴りあったりもしない、子供も観られるハードコア団体という意味不明なものに成り下がってしまって、なんか惰性で好きなだけなのかもしれませんが。
 昨年の暮れに、ブギーマンの戻ってきたことを、よろこんでいた。

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『まばたきにブギーマン、闇に愛』の話。

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 そして彼は、今年、解雇された。
 さよならブギーマン。
 (あー、去年の記事のブギーマンプロフィールもリンク切れになっているなあ。DVDが出たわけでもなく、つなぎ直す場所がないので放置しますが。日本の団体だと、辞めたあともプロフィールって残っていることが多いんだけれど、さすが仕事がすばやいや)

 妖精はいまでも活躍中。
 『BULLY』ってゲームをやっていたら、暴利をむさぼるサンタクロースをぼこぼこにしろっていうミッションがあって、その悪徳サンタを守っているのが緑の衣装の妖精たちだった。残らずぼこぼこにしてやりながら、このゲームって、アメリカのありふれた高校生の日常を描いたもので、だとしたら、あの国にはクリスマスになると、実際にこういう妖精がそこかしこに出没するのか、と思って、それはひどい話のような、でも考えようによっては鷹揚な国柄ともいえるなあと感心しつつ妖精たちをバットで殴り倒していたのでした。言いかえれば、特発性低身長のエンターテイナーなオッサンたちを殴り倒しているのである。でもその行為はゲームソフトの倫理審査も通ったわけなのだ。ちょっと変わったヤツを、まあ変わったヤツだよなと、じゃあ妖精の格好が似合うんじゃねえ、とコスプレイ。それって可愛いから水着着てっていうグラビアアイドルの審査と変わらないんで、水着審査を男尊女卑とか目くじら立てるフェミニストたちには「かたっくるしいなあ」とか言いながら、特発性低身長のエンターテイナー自体をほとんどテレビで見かけることさえない、この国のほうがどうなんだろうと思ったりもする。ミゼットレスラーとか、アメリカはもちろん、プロレスが国技といえるメキシコなんかでも当たり前にあらゆる団体で活躍しているが、日本でだけ見ない。テレビでもたぶん映せば苦情が殺到するのだろう。見た目の不細工な芸人をいじるのはアリでも、あきらかに変わりすぎているヒトは笑えない。矮小で狭量な観客である。

 先日、エディ・ゲレロの甥、屈強なチャボ・ゲレロに牛の着ぐるみをかぶせ、前が見えない状態にして、妖精が勝利をもぎとった。それもまた『BULLY』で見た光景だった。着ぐるみを着て動けない相手をボコる。でもそれで勝つのが妖精のほうで、屈強なレスラー、チャボがレフェリーに文句を言っているのなら、数万人の観客は、自然な微笑みで見つめ、妖精に大歓声を送る。
 好い光景だなあ、と思った。

 なんかよくわからないところに話が行ってしまったが。
 ミミズを食べるブギーマンがこの世から消え、好きな歌手が戻ってきた。
 今年を、振り返ると思いだすのは、そんなこと。
 だれかがなにかを演じていること、そのすごいところや、つらいところ。
 そのあまねくすべてをひっくるめて、娯楽と呼ぶならば。
 娯楽に命がけの人類がいるかぎり、私はこの星の住人が嫌いになれない。

 欠点も、いっぱいあるけれど。
 好いところも少なくないと、うれしくなる。

 ブギーマン。
 いや、なかのヒト、マーティ・ライト。
 四十台半ばにしてキャラ全否定されたレスラーに、未来はあるのか。
 来年、魅せてくれるんだよね。
 EPOもコンスタントにアルバム出してくれると、うれしいな。

(『BULLY』は、とても好ましいゲームです。GTA4を作ったロックスター社製ということで、妙な広大さや自由さを期待して失望するヒトがいるのも事実ですが、学生生活の楽しさって、不自由のなかでこそ羽ばたく心を持つことであり、戦いとは逃げることではないかと。逃げ切って、いつか本当に自由な空へと羽ばたけることを夢見て、もがく時間。全寮制なんかじゃなくても、高校時代とかって、そういうのこそが醍醐味です。っていうのはあとで気づくんですが(笑)。というわけで、大人の人にこそお勧めの『BULLY』なのでした。苦笑いするとこ、いっぱいある。あ、Xbox360版では「男子と20回キスをする」と「“虹色”の世界」の実績が解除されます。もちろん主人公も男の子。どいつがさせてくれそうか、なんてことを考えつつ街を歩くなんてのも、あのころならではですよね……人間って、たぶんやっぱり十七歳くらいで繁殖するのが自然なのではないかな。男同士でも、おれお前とならキスできる、とか、言ってましたもん。もうねえ、どうでもいいからどうにかしてくれこのあふれてくるの、という感じだった。いや、まあ、いまが違うとは言わないが、あのころのそれは、ほんともう見境ない狂気に近い衝動でした。ゲームでは苦笑いですむが、実際に戻りたくなんてありません)

BULLY




 ちょっといま別の大長編を読んでいる途中で、
 まだページを開いてもいないわけですが。

 『オッド・トーマスの受難』

 発売されました。

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『オッド・トーマスの霊感』の話。

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 ↑これの続編。
 シリーズ二冊目。
 まだまだ続くシリーズです。
 今度こそ、このシリーズが滞りなく邦訳され尽くすことを望んでやまず。
 ハヤカワさんですし、大丈夫でしょうが。
(ていうか、クリストファー・スノーのシリーズ、どこか別の出版社で出しなおしてくれませんかね。いらないんでしょアカデミー出版さんは。第一巻の後ろに次巻予告まで載せておいて出さないって……それが問題にもならないって。私はたったひとりでも死ぬまで言い続けますよ)

 とりあえず買っておきなさいって悪いこと言わないから。
 なに?
 まだ『霊感』も読んでいない?
 なんてこったい。
 小説というジャンルを独自の信念を持って泳ぎ続けてきたレジェンド・ディーン・クーンツが、もうそのテクニックが超絶すぎてマジカルにさえ思えてしまうまでの空中殺法をはなつ、このシリーズ。ちょっとさあ、私ってヤツが信じている宗教の、得体の知れない聖書だと思ってでいいから読んでみて。あなたがあした自殺しようとか思っているなら、それはとめないから、読んでみて。
 きっと、生きる気になる。
 クーンツ好きな悪人はけっこういると思うんだが(笑)。
 クーンツ好きな人は、自暴自棄って言葉を無視して生きている。
 正義も悪もどうでもいいが、ヒトは希望なくして生きられない。
 そして希望とは、ディーン・クーンツの新刊である。

FOREVER ODD

(クーンツとは関係ないが、始末屋ジャックの新刊も出てんだよなあ。こっちはまだ買ってもいない。吸血鬼小説の金字塔『ザ・キープ』でも有名なポール・ウィルソンですが、初期のクーンツ作品と比べるヒトも多い、始末屋ジャックのデビュー作『マンハッタンの戦慄』は、未読ならぜひ読んでみて。なんかねえ、古いシリーズのルパン三世好きな人にもお勧めしたい感じです。モダンホラーって映画化するとクソになる、というクーンツの歩んだ道を、ふたたび歩んでいるウィルソンを見ていると、クソでも低予算でなんだかんだと映像化されたクーンツが、幸せだったような気にさえなってくる。B級ホラーは小説というジャンルでこそ美しいんだよな。夢から出てきたブギーマンはどうやっても滑稽なんだよ)

 それはそうと、クーンツ・フリークとして無視できない出来事が、今年はあった。
 「息子」オッド・トーマスの公式サイトに続き。
 愛犬……いや、
 「娘」トリクシーのサイトが作られたのである。

 数多くのペンネームを使いわけてきたクーンツは、いっしょに暮らすゴールデンレトリーバーの名を冠しても何冊かの本を書いているのだが……

 彼が、そして彼の妻が、その愛犬を喪ったのは少し前。

 あの犬バカ・クーンツが、あれほど溺愛してきた「娘」トリクシーを喪い、もしかしたら筆を折るのではないかとまでファンは思った(事実、ひと月ほどは書けない状態になったらしい)。しかし、そんな予測は、愛と正義の人の前では、まったくの見当外れだったということが、このサイトの開設でわかったのである。

 クーンツ好きのひとりとして、うれしかった。
 トリクシーが、ここに生きている。
 クーンツの書く文章、撮った写真。
 どれもに、希望しかない。

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 私は、彼女に言いました。
 みんなが自分の子供を愛すのと同じくらい、
 必死に、私たちは、おまえを愛したよ、と。

 そして彼女は、その魂が、よりすばらしく、
 よりふさわしい場所で目覚めるための、
 永遠ではないが、長い眠りに落ちたのです。

(中略)

 彼女はマジカルクリーチャーでした。
 これから、私は彼女に関する本を書くつもりです。
 神が許すならば。


 ディーン・クーンツ
『トリクシー・クーンツ』公式サイトより意訳)

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 「God willing」は、「もしできるなら」と訳すのが本筋だろうけれど、私はきっと、クーンツは読んで字のごとく「神に許されるなら」という意味で書いたのだと思う。
 愛するものの死でさえもが、書くことのきっかけになってしまう自分に、少なからず罪悪感もおぼえるのだろうが、それでも、神に問いながらも。
 彼はそれを使命だと考えている。
 愛犬の死によって、自分が見た命の輝きを、書くことが。
 
 このひとは、書き続ける。

 神は許すどころか、推奨するだろう。
 少なくとも、ここに、彼の言葉によって世界を照らされている、私みたいなのがいるのだから。
 ああ神よ、非宗教のくせに神を論じる不道徳をお許し下さい。
 でも、私は、師ディーン・クーンツが好きなんです。
 牧師様の声が聞きたいという動機だけで教会に行くのは、罪ですか?



(このシリーズも邦訳して欲しい。すべての犬は、しあわせを実現する方法の秘密を知っている、とか。けっこう日本人好みの内容だと思うんだが。まず『オッド・トーマス』が売れないと、なんだ、このカツラのおっちゃんだれ? ってなるもんなあ。ほら、あなたもいますぐだれかに首輪をつけてもらって無償の愛で御奉仕するのです。そこにしか幸せはないのです。さあケツを出して這いつくばれ! 尻尾を挿してやるぜ! とかいうテンションで書いていいものなら、私が訳すのだが(笑)。ああごめんなさい神さま、ちょっとした冗談ですってば)

 マジッククリーチャー・トリクシーが、クーンツに与えた魔法のかけらを、私もたっぷりと与えられてきた。感謝したい。彼女の魂が、どこかとてもきれいでやさしい場所へ、たどり着きますようにと、祈ります。そして、ディーン・クーンツ夫妻の、永遠の守護天使となってくれますように、願います。願わなくたって、たのしくはしゃぐ逝ってしまった娘の絵本を書く彼を見ていれば、いまでも彼女のマジカルなのは続いているんだと、わかりますけれども。

 クーンツの小説に、ゴールデンレトリーバーが出てくるたびに私は、彼の家で、彼が書くのを見つめる、彼女を想像していた。それはたぶん、新しい犬をクーンツが飼っても、これからも、私のなかでは変わらないと思う。公式サイトの、たくさんの写真を見て、よけいにイメージが補強されてしまったしね。

And, I love you.
Great magical creature
Trixie Koontz
Thank you!!!!



 思いだしたので書いておきます。
 代々のMicrosoft IntelliMouse(マイクロソフトインテリマウス)を愛用しているのですけれど。
(正確には、MicrosoftのWireless Mouseのシリーズ。現在はIntelliMouseのワイヤレス製品はない。それでもいまだにインテリマウスと呼んでしまうのは、言い変えれば「マイクロソフトの変なカタチのマウスシリーズ」をまとめて指す名称がないからである。機能なんかよりも、あの独特の形状で群を別けるべきだと思う)

 で、いまつかっているマウスには、第三と第四、第五のクリックボタンがあるのですが。自由に使い道を設定できるこれのひとつに、私は「閉じる」をずっと設定していた。ネットサーフィンを窓開きまくってやるくせがあるので、これがまさに必需品。むしろふつうの右クリックボタンなんかよりも、ずっと使用頻度が高いので、これを右クリックに設定してもいいかもと思うくらいなのですが。

 Internet Explorer 8ですよ若旦那。
 いんたーねっとえくすぷろーらー8。

 導入したとたんに「閉じる」が使えなくなった。
 あれやこれやと調べてみれば、なぜなのかまったく意味がわからないが「IE7」まではあった「閉じる」という機能そのものが「IE8」では削除されているのだった。

 何度も、何度も何度も書いたことだが、マイクロソフトさんは巨大になりすぎてしまったがゆえに自分のしっぽのかゆみに気がつくのに三年かかるような巨大恐竜なみの愚鈍さもあわせもってしまい、いまだにマイクロソフト製マウスを設定するソフト「Microsoftマウス」では、「閉じる」を設定できるようになっている。というわけで、いまや自動アップデートですべてのInternet Explorerは8番目のに入れかえるんだと決めたのはマイクロソフトさんなのだから、すべての自社マウスで、その設定は「設定しても使えない」でもそこにある幽霊設定項目となったのである。

 まったくもう。そんなマイクロソフトさんのヘルプなど、覗いてもやらない。いつものように自己解決する。ていうか、ずいぶん前にしたのを思い出したので、その手法などを書きとめておきます。なんて、むずかしいことではないのですけれども。

 ショートカットキーというやつがある。
 キーボードの組み合わせで、いろんな機能を一瞬で起こすってやつ。
 [CTRL]+[C]=コピー、みたいなの。
 これのなかに「閉じる」機能がある。

 [CTRL]+[W]

 で、「Microsoftマウス」では、ボタンにキーボード操作を設定することができる。
 (「キーボード操作」を選択すると、その後に入力したキー操作を記憶します)
 はい。解決。
 解決だけれども。
 今後IEに閉じる機能をのせないのなら、「Microsoftマウス」からも「閉じる」を設定できないようにするべきでしょう。当たり前のことでしょうそれ。どっちも自社製品だぞコラ。

 とはいえ、インテリマウスは使いはじめると手放せません。
 あの不評だった初代Xboxコントローラーさえ、私の両手にはジャストフィットだった。手足大きめなので、アメリカンがちょうどいいのかもしれませんが、まいど「人間工学にもとづいて」作られる、決して好評ばかりではない奇抜なインテリマウスの形状が、実に心地よい。マイクロソフト製品との相性が良いのか。いや、どうなんだろうそれは。いちおう美大出なので、人間工学とかかじった身なのですが、つくづく教授のひとことを思い出してしまいます。

「でもな。変なカタチの椅子に〝慣れ〟たヒトにとっては、それがかけがえなく最上の椅子になってしまうんだよ。〝慣れ〟は、いつでも人間工学を上回るということを忘れてはいけない」

 だから、おばあちゃんに、人間工学的に見てこっちの方が使いやすいはずだと、ひん曲がった杖を奪いとって最新型を与えるのは、親切なことではないということを肝に銘じよ、ということだったのですが。Microsoft Mouseの開発者は、間違いなくインテリマウスを使って開発しているわけで、その時点で、次世代のインテリマウスは、インテリマウス愛用者にとっての〝慣れ〟のうえに成り立っている人間工学的エルゴノミクスデザインなんですよね。

 どうりでプレステのコントローラーを握ると落ち着かないわけだ(笑)。
 だから、たしかに毎回毎回「電池長持ち」とか言いながら、公表される数値で使えたことのないワイヤレスマイクロソフトインテリマウスを、選択してしまうのです。
 もう機能とか、そういうことじゃなく。
 それじゃなきゃいけない。
 一種のデザイン的洗脳です、これって。
 いや。でも。
 〝慣れ〟ると使いやすいんだよ、これが。

Wireless Optical

 最新型よりも、↑これが好き。
 間違いなく私が生涯つかったなかで、もっとも使いやすいマウスです。
 ただし、これも「電池二本で六ヶ月」はいちどとして実現したことがありません。どんな理想的な閉鎖空間で計測実験しているのやら。電池一本で一ヶ月といったところでしょうね、実測では。そこは納得のうえで、他社のエネループなる充電池で解決。

eneloop

 すばらしいです。
 安定感こそ、道具の命。
 Xbox360のワイヤレスコントローラーも、私はこれで動かしています。
 電圧が安定しているんだろうなあ、他の充電池よりも、確かに長持ち。

xbox360