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今日はいちにち家にいました。
『GTA4』の日本語版、発売日でした。
一ヶ月以上前にアマゾンさんで予約しました。
いつものことなのですが、アマゾンさんはゲームを発売日に発送します。
別に発売日にプレイするこだわりなどないのでいいのですが。
たまたま発売日が休日になってしまったために、こんな気持ち。
東京大阪間くらいいちにちで走れようんこちんちん。

おかげで原稿は完成しました。
ひさしぶりにBL書いてた。
あーショットガンでホテル襲いてえと思いつつ。
ヒロインの口腔に両手の指を突き立ててねぶらせていました。
でもGTA届いていたら書きあがっていなかった。
ありがとうAmazon。
きっとこれはやさしさなんだよね。

GTA4

(某プロレス団体の狂犬が最近ウンコチンチンという侮蔑を多用しているのが気に入って、私も日常生活でなるべく使うようにしています。首にチェーンを巻きながら「うんこちんちんはトイレに流されチャイナ!」とチャンピオンを侮辱する挑戦者というのは実に新鮮です。ウンコはいいけどチンコは流されたら困るな。それはさておき武道館の丸藤×KENTA……よかった。まさに新時代が来たという感じだった。感慨深い。メインの60分ドローに集中させるため、ほかの試合を軒並みさくさく終わらせたブックも気がきいていて素敵だった。なんだかんだ言ってうんこちんちん言ってるのが王者戦やってる団体より、やっぱりNOAHが好き。大好き。丸藤×KENTA戦のあいだ、ずっとメモをとっていた。まさしくメインを張れる団体の顔となったふたり。ちょっとBL熱が再燃しそうな予感がします。伝説のレフェリー、ぼくの青春のカリスマ、和田京平がNOAHのリングに立っていたのもまた……涙腺ゆるみました。プロレスファンやっててよかった……京平さんのブログはずっと読んでいるのですが、まったくおもしろくないところがおもしろくてやめられません。最近はちらほら引退を臭わせたりするので、やきもきします。特別な人だよ、この人は)

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『和田京平オフィシャルブログ - カウント2.9』

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NOAH

『KENTAvs丸藤ともにV1』(日刊スポーツ)




Halloween

 11月1日、すべての聖人の日(All Hallows)の前夜祭(eve)として10月31日におこなわれるためHalloweenと呼ばれるようになった行事。また、中央アジアからヨーロッパに渡来した民族においては、一年の終わりが10月31日であり、その夜には霊魂と精霊の世界への扉が開くとされていたため、この世界へあらわれた異世界のものを受け入れるべく人間の姿を隠す仮装をしたのが起源ともされる。いまでは、扉が本当に開くことはめったになくなって、子供たちが「トリックオアトリート!(Trick or treat! イタズラかゴチソウか!)」と練り歩くのを大人たちが微笑ましく見守るお遊戯会になっているけれど。

 オバケカブ(加工しやすいのでカボチャが主流になったがもとはカブ)の示す伝承が真実ならば、かつてその夜の扉からあらわれたのは異形のものたちなどではない。天国のひとつ手前のドアで審査員をだまくらかしたウィル(もしくはジャック)は天国と地獄の狭間の闇を永遠にさまようことになる。そのときに哀れみをかけたのは悪魔。せめてランタンをとウィルに差しだした。それは、悪行ざんまいのウィルに悪魔が親近感をおぼえたのか、それとも、悪魔でさえ、いずれおのれの悪行の結末として無限の闇をさまようことになるのかと畏れたからなのか。ウィルのような愚か者たちが、無限の狭間から、その夜だけ開いた扉をくぐってあらわれる。刻の流れのなかであらわれたのは怪物だということになったけれど、そもそもあらわれるのはランタンの光であり、それを掲げているのは、闇にさまようヒトである。

 嗤う野菜のランタンは。
 いくらさまよっても出口などないという悪魔の自嘲か。
 それとも天国のひとつ手前のドアを開くことができずに闇に迷ったものの、それでもしたたかに「まだおれは死んでねえ」というあがきの笑いか。
 それともこういうことだろうか。
 ハロウィンには光を掲げよう。
 思いきり、嗤ったのを。
 扉から出てきたウィルに、見せるために。
 どうせお前はすぐに闇に戻るんだ、扉番の聖人をだましたむくいを永遠に負うのさ。
 ざまあみやがれ。

 ……まあ、なんにせよ。
 輪廻思想のねづくこの国にハロウィンのメジャーにならないわけはそんなところだろう。
 私は、死んだからってだれもが仏になるなんてのより、わるいやつは永遠の闇に堕ちるんだ、という潔い考えかたは好きですけれど。そう思えば、自分がどうせ抜けられぬ闇を永遠にさまようなら、悪魔にもらったランタンに、泣くよりも、怒りよりも、笑い顔をきざむかもしれない。ウィルが自分で描いた嗤いを、開いた扉のなかに見たのかもしれませんね、ヒトは。

 さあ近所の店に走ってハロウィングッズを買いあさるんだ!
 ちなみに、いまだ日本ではメジャーではないハロウィンなのに、なぜ都市部の大型雑貨店などではワンフロア使ったり、場末の小売店でもあれほど大規模な売り場が組まれているかといえば、それらの商品は全品返品ができるからです。メーカーや問屋さんのほうから「ハロウィンまで置かしてください」というような位置づけなわけですね。クリスマスが稼ぎ時の雑貨輸入業者さんなんかにとっては、ハロウィンが日本で育つかどうかはひとつの夢。バレンタインのチョコレートみたいに、日本独自の商機になる可能性というのも捨てきれないわけですから。無宗教の国というのは、こだわりがなくて素敵です。
 そんな理由によって、ハロウィンの当日になっても、それらのグッズは値引きされたりしません。揺らぎない価格で売って終わるだけ。だとすればお祭りの当日の意味なんてどうでもいいから、それまでの雰囲気をこそたのしみたいという向きには、なるべく早く買ってたのしんだほうがお得ということです。愛する人の頭に三角帽子のっけて、クラッカー鳴らしたら「なんの記念日だっけ?」と相手がどきどきするはずですので、言ってあげましょう。

「ハッピーハロウィン!!」

 ほんとぜんぜん売れないよハロウィングッズ……せっかく入れた知識も「ハロウィンとは?」って訊いてくれるお客さんがまずいないから、語る場もなくこうやってひとりごとだ。写真はお客さんからもらった夏野菜の写真をいろいろ撮ってあったのにつかわないまま夏が終わってしまったので夏野菜ランタン風(嗤)

 パーティだぜ。

「あなたイタズラにする、それともゴチソウ?」
「どっちも」

 そんなお祭りでいいと思います。
 平和極楽主義な、この国らしく。

(余談ですが、インドのお祭りディワリーも、ハロウィンとまったく同じ時期におこなわれます。ヒンドゥ教の女神ラクシュミを祝い、新年を迎えるこの行事のなかでは、一日断食をしたり、家の壁を白く塗りなおしたり、シルバーアクセをあげたりもらったりする。私は、いっそディワリーこそ、仕掛けてみれば日本にも根付くのではないかと思っているひとりなのですが。断食して身を清めてアクセサリー贈って、とか。販売員としては、いい感じのダイエットグッズとギフト小物の売り場が容易に想像できて夢がふくらみます。白いペンキも売れるなら値入りもいいしね(笑・塗料の利率というのはものすごいのです。自分で仕入れたことがある人は、ぜったい定価でなんて買えなくなるくらい。アクリル絵の具に散財して喰うにも困っていた美大生のころに、なんで塗料メーカーの営業さんと知りあえるようなバイトをしなかったのか、大変悔やまれます)。インドでは「ハッピーディーワーリー!!」ってやるらしいですから、勝手に日本風アレンジをほどこして、クラッカーや三角帽子やインドの神々のお面なんかも売っちゃえばいい。象神ガネーシャのお面なんか、意外と定番になったりする可能性を秘めているのではないかと。だれか一緒に仕掛けませんか?)

halloween
「おにいちゃん、ありがとう」

 帰り際、妹の言ったのに、私は思わず否定の言葉を口走りそうになる。
 だって……
 考えてみたら、彼女がこれから先、おにいちゃん、と呼ぶのは私だけになってしまったわけだが、彼女が生まれたときからそばにいた、本当はもっと長いあいだ彼女にそう呼ばれなければいけなかった、その男はもういない……いないけれど。そう呼ばれることを、私が独占するなどというのはものすごく悪いことのような気がして、いやお前のおにいちゃんはあいつだから、と指さす先には遺影しかなく、私はため息をついて、ああ、とか、いや、とか、はげます言葉さえ出てこない。

 三十になったばかりの中学教師ラグビー部顧問が急死すると、どんなことになるのか。
 まずご両親はスポーツマンにもほどがある息子が風呂場で心臓麻痺を起こしたということを納得するまえに警察から事情聴取を受ける。妻は死を理解できない子供たちを腕に抱いたまま、やっぱり警察に自宅の状況を調べられたうえ、事件性がないと判明してからそのうえで原因究明のために解剖するかどうかを訊かれる。むろん即答しなければいけない。

 解剖を拒否して彼を棺に収めたあと、翌日の通夜の用意をし終えたころには、もう彼らには立ち上がる気力もない。体力も気力も尽き果てて、でもだれかの顔を見るたびに泣いて、子供たちは泣く大人たちを見てなぜか陽気にトトロの歌を合唱し、だれもがいったいこのコントじみた現実感のないのはどうしたことかと思いはじめたころ、彼の教え子たちが現れる。

 さまざまな高校の制服を身につけた男女、制服を身につけていない男女、葬儀屋がうろたえる数百人が、棺の中の冷たくなった彼を覗いては嗚咽を漏らす。やがて中学生たちがバスで到着すると、もはや疲労困憊の親族たちは頭を下げれば倒れ込む状態で、やむなく彼の教え子たちなど見たこともない私をふくめた親戚の男どもが延々とお辞儀をはじめる。焼香が三時間ほど続く。教師とは、すごい仕事だと……すごいけれど、だからこそ限界を超えて働いてしまったんだろうと、私が眉間にしわをきざんでいると、ラガーマンたちが円陣を組んで雄叫びを上げはじめる。

 寄せ書きされたラグビーボールが棺にのっている。

 数年前、彼が私の実家に来て、バーベキューをしたことがあった。
 残念なことに、そのとき私は、仕事で参加することができなかった。
 今年の夏、今度はおにいちゃんふたりがそろうバーベキュー大会をやりたいねと妹が言って、日取りまで決めていたのだが、今度は彼の仕事が忙しく、流れてしまった。

 けっきょく、私は会おう会おうと言いながら、棺の中の彼を見た。
 彼が逝ってから、彼のために泣く数百人を見た。
 とつぜん心臓が止まるとか。
 交通事故に遭うとか。
 だれかが一瞬でいなくなる。
 家族は嘆き悲しんで、故人を知るすべての人が哀しんで、でも翌日には日常が続いていって。
 忘れることはないけれど、想い出すだけになる。
  
 と、こんなことを書いているあいだも。
 彼のいなくなった彼の家で、まだ泣いている人がいる。
 子供たちが、寄せ書きされたラグビーボールの意味に気づくのはいつだろう。

 彼も彼らも彼女たちも、私にとっては見知らぬ他人だったのに。
 いつのまにやら家族で。

 思えば今日も世界中で多くの人が逝き、同時に生まれている。
 哀しんだり、よろこんだり。
 別々に生まれてくるのに、なんか愛しあったり。

「おにいちゃん、ありがとう」

 いや。なに。
 足が痺れただけだ。
 死ってやつは、まったくもって……
 語るものじゃないなと思う。
 そこに意味なんてきっとない。
 ただ彼は逝ったのだ。

 泣きじゃくっているのはみんな生きていた。
 これからも泣きながら生きていくんだろう。
 私も、そうなんだろう。

 とりあえず全員に愛してると言っておきたい。
 手がとどく相手は抱いておきたい。
 一秒後に心臓が止まるかもしれないが。
 だからこそいそいで愛しあうんだ。

 ちぇーおれだけバーベキュー参加できなかったのにまた仕事でそっちがキャンセルかよ休んで肉食おうぜー、って私が駄々をこねれば、彼はちょっと遊ぶ気になって休日出勤とか、やめただろうかとも思うが、そうやって彼に育てられたラガーマンたちがあちこちで雄叫びを上げているなら、そっちを放って遊ぼうぜなんて言わなくてよかったという気もする。こんなことつらつら考えたって、なんの解答もないことはわかっているんだが。

 せっかく生きているんだ。
 生きまくろうと、叫んでみるか。
 バーべーキューでもやろうか。
 彼がやりたがっていた。
 肉食おうぜ、肉。