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人々は恋に落ちる。それだけです。


アン・リー

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brokeback

 『ブロークバック・マウンテン』は偏見のなかで、偏見に怯えて、とても幸せとは呼べない場所に追い詰められるまで葛藤しながら逃げたひとりの男の生き様を描いた映画だった。それはゲイのお話だけれど、それはひとつの寓話であって、多くの場所で多くの人々が──もしかするとすべての人々が──抱いている不安だ。

 人々は恋に落ちる。

 理不尽なことに。
 恋に落ちる。
 カウボーイの彼がそうであったように、それは突き詰めると恋愛ということではなくて、人生の選択という問題になる。

 恋に落ちる。
 たとえば相手は酒だとしよう。
 酒を買うには金がいる。
 金がいるが飲み続けていたら働けない。
 飲み過ぎて死んだらもう飲めない。
 だから多くの場合、人は体を壊さないように、仕事を終えたあとで、次の仕事にも自分の人生にも差し支えのない範囲で、恋をする。

 勇気のないことだとアル中が笑うだろう。
 世間の目も気にならない。
 自分の命さえそいつのために捨てられる。
 それを実践する勇者に、自分をごまかすライトアルカホリックは笑われる。

 ふたりで牧場をやろう。
 どうせお前は結婚生活も破綻した。
 なにも失うものはないのにと、勇者が笑う。

 最後まで隠し通し、それでも変わることなく恋しあり続けた。
 彼はとてもあわれだ。
 もうすべてを失ったのに、瀬戸際で、たったひとりの部屋のなかで、それでも酒を飲むことに罪悪感と恐怖を感じる臆病者のように──ラストシーンの彼の笑顔は、下劣に印象的。

 ところで監督は、アカデミー作品賞を逃して、こう言った。

「投票するのはアメリカ人ですから、台湾人監督作品に対する偏見のようなものがあるのかもしれません」

 私はとてもそれが哀しかった。
 チェウ・ユンファ大好きの私は『グリーン・デスティニー』で監督の気迫と野心を見たし、彼のインタヴューを読むたびに、技術で壮大な「恋」を描く職人の誇りのようなものを感じていた。

hidden dragon

 だから、トップオスカーを抱きしめられなかったとき、それが審査員の偏見によるものだと発言したことには、失望しか感じなかった。

 だれにでも耽溺はある。
 人々は恋をする。

 すばらしく描いていたから。
 密室無記名投票のアカデミー賞で、審査員たちが彼の作品を選ばなかったのは、すばらしかったから──あまりにも心をえぐって痛かったから──不快に思えるほど、目をそむけたいほどの真実がそこに描かれていたから。
 だから怖じ気づいて、自分がこれを認めると書きたくはなかったのではないかと。
 監督には思って欲しかった。
 実際、作品賞は逃したが監督賞は獲ったというのはそういう意味なんだろうし。
 苦悩するゲイを描き、行き詰まる耽溺の恋人を描きながら、現実では国籍で人をわける発言は──その意識こそが、彼に「恋」を描かせるのだろうけれど──公の場で、語って欲しくなかった。

 最新作『ラスト、コーション 色|戒』が、日本では2008の頭から公開ということで、ちらほらとまたアン・リー監督の言動がニュースに載るようになっていますが。
 職人、特にもう世界が認める抜群の技術を持った大監督なんだからさ。

「まあ、黙って観ろや」

 と、監督こそ黙って威風堂々としていて欲しいものです。
 賞にからむたび、感情むき出しにしすぎるんだよ。
 たまにこそっと呟くと素敵なのに。
 こっちも勝手に「深いなあ」と感心できるのに。

「人々は恋に落ちる。それだけです」

 作品の出来の良さを皮肉にも感じることだったのですが、アジアの純心トニー・レオン様(ゲイ映画といえば『ブエノスアイレス』でもある)の最新作でもある『色|戒』は、「中国人をバカにしている」と出演シーンがカットされまくったチョウ・ユンファの『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』同様、中国公開版は作品時間が大幅に短くなるまであちこちカットされまくっているそうだ。
 ユンファの例とは違い、これは性描写の過激さが中国当局に検閲された結果らしいが……でも中国で『色|戒』は大ヒットしたんだという。
 世界中で性描写の過激さが話題になっているのに、それを全部カットしたバージョンがヒットしている。

 検閲育ちの中国国民の純真ゆえか。
 それとも、性描写はアクションであり、アクションを省いても良いアクション映画はおもしろいのだという、職人のなせるわざなのか(太極拳の使い手アン・リー監督は「映画での拳法は現実のものとはあえて違うように描いている」という信念を持つ偉大な人)。
 なんにせよ、楽しみです最新作。

(ひとつ懸念しているのは、日本公開版のモザイク。モザイクっていうか、昔ながらの肌色のモヤッとしたエアブラシで描いたようなまるいの。ベッドシーンが売りだから、そこら中にあるんじゃないかと……嫌いなんだよ、だいたいこの無修正ポルノがネットにあふれるご時世に、いみじくも総合芸術のしかもトップクラスとうたわれる作品で、なぜ人間の肉体を隠さねばならないのか。しかもなぜ肌色なのか。あれって黒人にも肌色当てているよね、ありえない下劣さだと思う。そんなパッチ当てることがイヤらしいよ。『ブロークバック・マウンテン』でも、自然のなかで、はじめて心を解放して裸で川に飛び込む恋人たちの、その股間を二つのまるが隠していた……ものすごい遠いショットで、映画館で観ても俳優の顔が判別できない距離のシーンで、だ。私ははっきりと、そのシーンで苦笑したことをおぼえているのである。おろかしい検閲だと思うぞ、この国のそれも。余談だけれど、女性器はダメだけれどアナルは修正なしで売れるとか。バカか。なんだそれ。だったら唇にもモザイクかけろよ、人によっては目や指先もエロいことあるからモザイクかけるといい……と考えてみれば、いっそ全部カットしてしまう中国政府の潔さもかっこよく思えてくる不思議(笑))


水分70%
脂質20%
食物繊維5%
タンパク質3%
糖質1%

 それがアボカド。

水分30%
油脂65%
その他5%

 これがマヨネーズ。
 マヨネーズにおける「その他」成分など微々たるものであり、その中にはタンパク質も含まれる。アボカドにおいても割合こそ違うもののそれは変わらない。じゃあアボカドになくてマヨネーズにあるものってなーんだ?

 酢、である。

 というわけでこのあいだの、

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 『青くてカタいアボカドのパスタ』のこと。

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 のなかで、アボカドのディップを作るのに私はマヨネーズを加えているのだけれど、実際には酢だけでいい。マッシュアボカドに酢を足し塩こしょうして、それを挟んだサンドイッチを目隠しした被験者に食べさせると「マヨネーズサンド」だと断ずるという高名な実験もあるのでまちがいない。むろん、被験者に目隠しをさせるのはどんなに味がマヨネーズでもカラーがアボカドグリーンなので見れば騙されっこない、という事情による。

 (先日の『探偵ナイトスクープ!』で、「トンネルの中でいちご味のかき氷を食べていたら、いちごシロップの色がみどり色になって、そのとたんに味がメロン味になった」という依頼があってあれこれ実験しているのを見たのだけれど。変わるんですね、味。ていうかトンネルの中の照明って、助手席のあの子の顔も突然に『V』のエイリアンみたいになって『ゼイリブ』を思い出します。人間もあの照明の下ではマズく見える。番組ではトンネルのなかでイチゴやトマトを食べても変な味がするというのを検証していたんだけれど、それって実は「ウマいマズい」の問題ではないんだと見ていて思った。思っている味と違うから違和感をおぼえるってことで、逆にアボカドが真っ赤だったら、強烈で間違えようのないあのアボカド味も、ぜんぜん違う奇妙な味に感じてしまうのでしょう。そう考えると、味なんてものはイメージの産物であるといえる……生理化学的には、痛いと痒いとくすぐったいと気持ち良いが、なぜ同じ刺激で時と場合によって感じ分けられるのか解明できていない、という話を連想してしまった。解明できていないが、だれでも答えはわかっているのだよね。同じように触れられても、イヤなら不快だし、好きなら快感になる。そういうのと同じことだと思えば、実は料理の味なんてものも、無理からややこしくしたプレイの一種なんじゃないかと。塩もコショウもなく獣肉あぶったのが御馳走だった狩人だったころの人類から見れば、凝りすぎた現代の調理なんて、常人には理解できないマニア向けポルノを見るように「わざわざそんなことをしないとおいしく感じられないのか?」という不幸にうつるのかもしれません)

 ではなぜ私はマヨネーズを加えるかというと、アボカドの食感が好きなので、あまり潰しきる感じにしたくないから。ポテトサラダもそうだけれど、ごろりとしたかたまりが残っているくらいがベストね。

 追記っていうか、どうでもいい話でした。
 ついでに豆知識。

●マヨネーズは冷蔵庫に入れると腐りやすくなる。

 原材料にタマゴが含まれていながら常温保存可能なマヨネーズが、その魔法を発揮するのは、むろん油と酢が入っているから。それらが絶妙にまじりあった乳化状態となることで長期保存が可能となるのであった。ということで言わずもがなだが、あまり冷やしすぎるとオイルとウォーターである魔法成分たちが分離しやすくなり、かえって保存がきかなくなる(ちなみにくっつかないはずの水と油を卵黄に含まれるレシチンという物質が仲をとりもってくっつけている)。
 もちろん、開栓後は油が酸化するので冷蔵庫にね。
 という知識から導かれるさらなる豆知識。

●マヨネーズの空きボトルをお湯や洗剤で洗うと手間取る。

 油が入っているのでお湯で洗うと溶けそうだけれど、実際にはせっかくレシチンで乳化していた油が、乳化が壊れることで油そのものに還ってしまうためよけいに落ちづらくなる。水で洗うのが一番です。当然、洗う前には酢を注いでシェイクしてドレッシングとして使える限界まで使い切りましょう。

 以上。
 アボカドの件、追記。
 また三千年後。

nyuka
 この作品については五〇ページでも六〇ページでもいくらでも語ることができるが、残念ながらここではスペースがない。ただひとこと、『ローズマリーの赤ちゃん』は、どんなものであれ一般大衆小説を書こうとする者には、絶対の必読の書だと言っておこう。

HOW TO

ディーン・R・クーンツ 『ベストセラー小説の書き方』

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 驚くほど少ない作品でホラーの帝王と呼ばれるまでになった、と賞賛されるレヴィンだが、いまだにDVDが売れ続ける映画版『ローズマリーの赤ちゃん』があまりに認知されすぎていて、小説家としての手腕が褒められることは少ない。

Rosemary

 実際、彼の小説は淡々と場面を切り替えていく劇作家ならではの平面さがあり、それが『ローズマリーの赤ちゃん』では徐々に狂っていく緊張感とマッチしているものの、その他の作品で抜群に成功しているとは言い難いところがある。
 けれど、そんなことはどうでもいいのだ。
 彼はその生きた時代にホラーの潮流を作り上げた。
 帝王が生まれるということは、その時代がその色に染まるということである。
 帝王が生まれねば、その時代は違っていたということなのである。

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「ローズマリー万歳」と、ヘレン・ウィーズが言った。
 他の者がそれに和した。「万歳、ローズマリー」 「万歳、ローズマリー」ミニーも、スタヴロパウロスも、ドクター・サパースタインも。「ローズマリー万歳」と、ガイも言った。
「ローズマリー万歳」と、ローラ・ルイーズも言ったが、唇を動かしただけで、声にはならなかった。


アイラ・レヴィン 『ローズマリーの赤ちゃん』

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 それを読んだ多くの作家が影響を受けた。
 その影響から生まれた作品にまた多くの次代が影響を受ける。

 アイラ・レヴィンが逝った。
 凍えはじめる11月の12日。
 帝王はニューヨークで心臓を止めた。

 この国で言えば、つい最近、西村寿行が逝った。
 私は父親の本棚で彼らの書いたものがほこりをかぶって茶色くなっているのを見つけた世代だが、かび臭いそのページをめくって、私の血肉となったものは多い。
 十代の私にとって西村寿行作品に出てくる、石で自分の男根を鍛えるダークヒーローなどは確かに影響力大だったのだけれど(笑)、やはり数年前に逝ってしまわれた、西村寿行と森村誠一とともに「三村」と呼ばれた男──

 半村良。

 この国でホラーの帝王と呼ばれたその人から受けた影響は大きかった。

 半村良。
 アイラ・レヴィン。

 ホラーを蘇らせたと賞されたふたりは、時間軸のいまから見るならばひとつの起点。
 時代は繰り返すというけれど。
 繰り返しのなかでだけ進化が起こる。

 私の記憶のなかに、悪魔、というイメージが確固としてあるのは、このふたりがいたからだ。
 悪魔。
 その言葉でいま一番にぴんと来るのはクライヴ・バーカーだが、そこに至るホラーの時代を築いたのは、やはり帝王レヴィンであった。
 ゆりかごの中の悪魔。
 自分だけに見える悪魔。
 この地球には裏側がある。
 親切な隣人は自分にサタンの子を産ませたがっているのかも。
 目に見えない場所もあって、悪魔がいるなら神もいるかもしれず、でも神が偉大だとは限らない。

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 神は存在しなければならなかった。おのれを存在させなければならなかったのだ。その為に人を作り、増やそうとした。我々はそのようにして生み出され、無気力に生きる人を憐れんだ。それで知恵を授けた。神は人に叛かれたと思った。造り出した最初の男女がすでに神以外のもののあることを知ったからだ。神は人を追放し、しかも君臨した。人の掟として存在し続けて来たのだ。

jyujin

半村良 『獣人伝説』

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 確かなものなどなにもない。
 ホラーの帝王たちは、忘れるなと書き綴る。
 崇める帝王は、もういない。
 彼らは逝った。
 どこに行ったか知らないが。
 忘れるなと綴った彼らの本は、もう古本屋でしか手に入らない。

 繰り返せ。
 疑うことを忘れるなと叫べ。
 地上は楽園などではないと。
 だからこそ心おどる場所だと。
 恐怖心さえも、遊んでしまえと。
 たのしんでしまえ、と。

 逝ってしまった彼らに習った。
 繰り返そう。
 忘れぬために。
 万歳。

(余談だけれど、私は『デスノート』を最初読んだとき半村良の『獣人伝説』をたびたび思い出した。神の代理人が力に溺れて孤独になってゆく構図と、具体的に存在する悪魔。多くの箇所ではっきりとパクったような描写だと感じたのだが、それがそうでないのだとしたら、やはり半村良のぶちまけたエッセンスがそこかしこで発酵し、時を経てまた一点で凝縮された明確な例であろうと思う……繰り返されているのだ)  

L

 さようならアイラ・レヴィン。
 ホラー界には一作でのしあがったすごい帝王がいたと、我々は記憶する。