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「ぁぁ、つかえないなーこれ」

 先生が言ったから、ぼくは、ふてくされながらめくっていた雑誌にさよならも告げず、キッチンに歩いていった。
 肩越しに覗き込んだら、まな板の上で半分に割られたアボカドが、ポスターカラーの蛍光色みたいなパステルグリーンを見せていて。

「まだ熟していないんだね、カタそう」

 先生の耳もとに背伸びして囁いたのは、さっきのほっぺたへのキスで先生がカタくなってたのに対する皮肉だった。

「サンドイッチにしようと思ったんだが……
しかたない、ツナ缶とタマゴだけで作ろう」
「捨てるの?」
「割ってしまったアボカドは、もう追熟できない。
この状態では食べるのも無理だしね」

 先生がアボカドの片割れをもう半分に切ると、ニンジンを切ったみたいにシャキっと音がする。

「きれいなのに」
「ウツワに活けて愛でようか?」

 鼻先で笑うみたいにして言った先生が、どうせすぐに茶色くなってしまうよと言葉を継いだので、ぼくはなんだか無性に腹が立った。

「なんで笑うの?」
「……まだ怒っているのか? ケンカはやめよう、すぐ作るよ」
「このコ、捨てちゃいやだ」

 泣き出しそうなぼくの声音に、先生も言いかけた唇を、そのままのかたちでとめた。

「ねえ、せんせい……」

 ぼくは背伸びして両腕を首にからめ、先生のほっぺたにもういちどキスをする。

「ね? せんせい」

 でもやっぱり。
 ぼくの唇が、唇の端に触れるよりもはやく、先生はそっぽを向いた。
 なんで、とぼくは怒りさえおぼえて、抱いた両腕に力を込める。

「卒業まで、だめだって言っているだろう……」
「そんなの、関係ない」

 カタくなってるくせに──
 指先を下にすべらせながら、今度は先生の耳たぶにキスをした。
 甘噛みしたら、先生がびくんとするのがちゃんとわかった。
 でもすべらせた指先は、身をよじった先生に逃げられて、なんにもさわれない。

「だめだ」
「なにそれ、ギゼンシャ。これって悪いこと?」
「……よくはないさ」
「ぼくが先生を好きなのは悪いこと?」

 卑怯な問い詰めだってわかってる。
 本当に泣けてきた。
 先生は包丁を置いてふりかえり、ぼくをぎゅっと抱いてくれたけれど。
 性懲りもなく先生のワイシャツをズボンの中から引きずり出してその肌に触れようとするぼくを、強く抱くことでなんにもさせないことにした。

「そんなの……先生は、勇気がないだけだ」

 つぶやいたらこぼれたしずくを、先生のアボカドの匂いのする指先がぬぐった。
 ぬぐったあとに、キスもくれた。
 ほっぺたに。
 それ以上はダメな決まりの、いまのぼくには最高級のスイーツ。
 でも物足りない。
 ぼくのぜんぶを先生にあげるのに。
 欲しいのに。

「ああ、わたしは怖いんだ。青い実を、熟させるのが」

 ぼくはアボカド?
 青くて食べられないから捨てようとしている果実に、たとえる、なんて。
 国語教師のくせになんてデリカシーがないんだろう。 
 またちょっと腹が立ったから。

「捨てないで、なにか作ってよ。そのアボカドで」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ──というわけで。
 うちでは常時アボカド二個が野菜室にストックされているのですが、だいたい週一で食べる手巻き寿司とサンドイッチがおもな消費方法。
 つまりほとんどは生で食べる。なので、たまにそういう青い実に当たってしまうと、もうどうしようもない。
 毎週買うのだから、目利きもできるようになってほとんどはずれることはないけれど、逆に言えば「手巻き寿司なのにアボカドがない」とかいうのがもう我慢できないカラダになっていて、ストックの二個がどちらも「きっと青すぎてダメだろうな」とわかっていながら切ってしまう──で、すばらしい見立て能力によってそういう場合はすべからく食えたもんじゃない──近年、アボカドがポピュラーな食材になったことで、確実にハズレアボカドは量が増えているし、追熟させないと使えないのがデフォルト。百貨店にしか置いていなかったころからのアボカドファンとしては、近所のスーパーで買えるようになって嬉しいことと嬉しくないことの同居です。お年寄りがよく、昔のトマトやバナナは甘かった、と語る気持ちがわかってしまう。私も年老いたらえんがわで愚痴りましょう──昔のアボカドはどれとっても味わい深かったもんだ、と。

 そうして避けられぬ悲劇となった未熟なパステルグリーンアボカドの切り身を、とりあえず冷蔵庫に保存しておいて、休みの日の昼食などひとりで食べる食事で実験的にいろいろ作ってみたりする。電子レンジで加熱すると、とりあえずやわらかくなる、というレベルであれば、やわらかくしてからもういちど冷ましてレモンとマヨネーズとタマネギのみじん切りとパセリなど足してディップにしてしまうことで解決なのですが(アボカドディップを器に盛るとき、アボカドのタネを一緒に入れておくと色が変わらなくなる、というのを某料理研究家がのたまっていましたが、ありゃ本当でしょうか。やってみたがどうも効果のある実感がない。だいたいどういう理屈なんでしょうねえ)。でも、先生の切ったような、あたかもニンジンを切ったかのごとく「かたっ」という最強レベルになると、加熱しようがなんだろうが食感そのものが変わらない。木片です。料理素材ではない。しかし捨てるわけにはいかない。ではどうするか。

 徹底的にみじん切りする。
 面倒なのでフードプロセッサーでやります。

Avocado1

 この状態になってなおツブツブ。
 どうやってもとろりとしたディップになどなりそうがありません。
 だいたいロリだのショタだというものは、なにも平らな胸や骨張ったケツが好きなわけではなくて、その熟していない清純さ、カタさを愛でる競技なので、相手が同じ種族でないと、退行する自分の目線を愉しむことも、青さを陵辱する征服感も味わうことなど不可能なのです──ん? ああいや、どうやってもやわらかくならない青い実が人間ならば愛でようもあるが植物それも食材となると愛しようがないなという話ですよ、いやまったくアボカドパスタのレシピを求めてここへやってきてしまったあなたにはもうしわけないが、そこのところをおさえておかないと、このレシピは愛せません。
 結論を先に書いておきます。

 食べられます。
 空腹ならおいしくいただける。
 見た目もミートソースみたいだし。
 ただし冷めたら食べられない。
 アボカドの味はまったくしません。
 あえてこれを作るためにカタいアボカドをさがすなんてのは愚行です。
 緊急避難。
 だから心で感じるのです。
 青くて食べられないカタいあのコを、いま私はむりやりおいしく食べている──
 人間相手にやっちゃダメですよ(笑)。
 その空想も料理の悦び。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●材料
 青くてカタいアボカドのみじん切り 一個分
 タマネギのみじん切り 四分の一個分
 ニンニクのみじん切り 二片分
 オリーブオイル 大さじ3
 白ワイン 大さじ1
 バジル(粉末) 大さじ1
 カイエンペッパー(一味でも可) 小さじ1
 ブラックペッパー(あらびき) 小さじ1

 パスタ(スパゲティでもマカロニでも乾燥でも生でもなんでも可) 一人で食べられる分 

(基本的に粉末のハーブに白ワインを含ませてパスタに絡む状態にするので、唐辛子はカイエンペッパーの名称で売られている粉末状のもののほうが適します。バジルもホールより粉末。でもブッラックペッパーだけがあらびきなのはAglio Olioの作法。ついでに言うとフライパンも絶対に鉄製のほうがいい。私は普段使いには32センチのテフロン炒め鍋と26センチの鉄フライパンを愛用しています。最近は鉄フライパンもフッ素加工のものとか多いけれど、たぶん鉄フライパンでニンニク炒めたりすると味も香りも違ってくるっていうのは、溶け出している鉄分のせいではないかと思われるので、鉄フライパンはむき出しの鉄のほうがよい。剥げる加工のないぶん、一生モノにもなるし)

pan

●作り方
 オリーブオイルをフライパンへ投入。弱火であたためつつ、ニンニク、続けてタマネギを入れる。茶色く色づいてきたら、強火にして残りの材料をすべて入れ炒める。ワインが蒸発しきらないうちに、ゆであがったパスタをぶち込んでからめてできあがり。水気が欲しければゆで汁を少し加えても良い。材料に塩が入っていないので、パスタはちょっと塩味強めで茹でましょう。それでもどうしても塩が足りないというジャンカーなあなたは、好きにナトリウム振りかけるがいい。

Avocado2

 見た目がいまいちなので、パルメザンチーズでごまかしています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おいしいんだけど……びみょー」

 ぼくが言ったら、先生は何度かうなずいて、つぶやいた。

「うん。それはきっとアボカドの味が消えてしまっているからだと思う」
「でも、捨てられるより、いいよ」
「そうだね、きみのそういうところが、わたしは好きなんだ」
「……なにそれ」
「変わらないでいて欲しい、ということだよ」

 だったらちょっとこのパスタは辛すぎるって言ったほうがいいんだろうか。
 だいたいそれってロリコンなだけじゃないかな。
 ぼくだっていつかは大人になるんだし。

「だから、急がなくてもいい」

 ぼくの心を読んだみたいに、先生が言った。
 やっぱりダメって言っているんだけれど。
 それはなんだか、この先もずっと一緒にいるから、いつかできることは先延ばしにして大丈夫、と言われているみたいで、ちょっとムカついたのもなおった。

「びみょーだけど、おいしい」

 同じこと言ってるんだけど、ちょっと順番を変えて言いなおす。

「ありがとう」

 先生が、笑った。
 ぼくの好きな先生が。
 変わらずそこにいる。
 そうだねこれが壊れるのは……怖い。
 思うのが、またちょっと大人になったみたいな気がして、かなしかったんだ。
 ぼくはぼくの矛盾に潤みながら食べ続けた。
 先生は、そんなぼくをずっと見つめていた。
 カタいアボカドが、ぼくに噛み砕かれる音。
 ぼくが鼻をすする音。
 フォークと皿のこすれあう音だけが聞こえる。
 ぼくと、先生の、大切な時間が過ぎてゆく。


 Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 2
 『Aglio Olio ed avocado immaturo』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 2曲目
 『青くてカタいアボカドのパスタ』)



短い青春に傷だらけな胸かかえて、自殺未遂、毎日やりたい。


草間彌生 『マンハッタン自殺未遂常習犯』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ごたぶんにもれず、その夜は(録画して試合終了の数時間後にだったけれど)内藤大助×亀田大毅の一戦を見つめていて。

「やっぱり揺らがない強さだよね世界チャンプっていうのは」

 というのが感想で。
 亀田大毅の反則は確かに目に余ったけれど、大舞台で勝つことだけ考えていた十代の選手が追い詰められて、パニックになった様子は手に取るようにわかったし、そこで反則に逃げた幼さには苦笑はしたものの、翌日になってライセンス停止だとかそんなニュースになるとは思わなかった。

 ボクシングコミッションの見解としては、総合格闘技などに圧されて観客動員数の減るいっぽうの業界が、ファンの期待に応えられなかった、ファンを不快にさせたということを重く見ているとか。
 でも、あの追い詰められてキレちゃった亀田大毅のふるまいというのは、会場のファンが最初から大歓声で世界チャンプの勝利を願っていたのを見てもあきらかなことに、まさしく期待通りのものだったとも言える。少なくとも私にとってはそうだった。最速で世界戦に到達した汚く吠えまくる若者。それを迎え撃つ遅咲きの王者。ドラマの構造として、カタルシスは王者の勝利でこそ生まれる。
 まして、若き狂犬が反則行為を繰り返すのを、熟練した職人技をもって王者が正攻法でしりぞけるなどというのは、いっそブックを組んだプロレスの試合のように良くできた舞台だった。

 それでも、亀田大毅は処分される。
 兄の次試合も流れ、亀田家のピンチとなった。
 今朝の新聞によれば、父はもうだれのセコンドにもつけないのだという。
 ボクシングに人生を捧げていた人に、その処分が与えられ、それを聞いて「ざまあみろ」と思うファンがいるのだとしたら、私はそのほうが哀しい。どんな人間にもチャンスを与えるのが格闘という競技だと私は信じたい。むろん、競技に対する愛を忘れたヤツに罰は必要だとは思うけれど。回復不能な罰というのはどんなもんだろう(それとも無期限停止というのは無期懲役と同じもの? 素行が良ければ出所できたりするんだろうか)。

 これはやっぱり世界戦だったということが大きいので、世界的に見れば耳をかじったとかそういう常軌を逸した反則はともかく、最終ラウンドで熱くなった若者がレスリング行為で相手を投げたからライセンス剥奪なんていうのは、処分するほうが大人げない感じさえするんだけれど、この国では大衆の支持を得る。

 荒っぽい外国人横綱に「チャンプとしての品格がない」から試合をさせないことにしてしまう、そういう精神論がまずありきの競技が国技である国なのだから、世界に挑む若者が期待通りに未熟だったからもう試合させないというのもアリなんだ。

 ところで、元ボクシング、元キック、などという世界でつまはじきにされた選手が総合格闘技のリングを盛り上げているという現実は確かにあって、ボクシング業界も所属選手が総合の試合をすることは禁じているくらいなのだけれど「ボクサーとして品位が足りない」からと選手を処分していたりしたら、それこそ品格のない強いボクサーがほかの業界にかっさらわられる結果になりはしないかとボクシングファンでもある私としては危惧してみたりもするわけで。去年の大晦日、躯をぬるぬるにして拳に鋼鉄を詰めた男がカリスマをボコった事件があったが、あの彼は一年を待たずリングに帰ってくるという。彼もまた柔道界で疑惑をもたれ続けた人で、総合のリングに移っても競技への愛のなさを全国中継で見せつけたにもかかわらず、いまだクビにはなっていない。ボクシングという競技の神聖さも大事だとは思うが、暴れん坊は総合へ行け、というような小綺麗なエリートのスポーツにボクシングが成り下がるなら、それこそファンは離れていくでしょう。

 相撲の世界で育てられたけれど厳しすぎるので辞めますと辞めてプロレスラーになったけれどプロレスラーは貧乏で総合格闘技の賞金は大金だということで大舞台に出場したら大物に勝ってしまったレスラーがいる。

 安田忠夫。

 ギャンブル好きで「借金王」というキャラクターを演じプロレスリングで暴れるものの、それがアングルではなく本当に実生活でも借金まみれで家族にも逃げられ、2001年に格闘技デビューしてみたら佐竹雅昭に勝ってしまい、その年の大晦日には「INOKI BOM-BA-YE 2001」に出場、ジェロム・レ・バンナ(とても強い人。番長と呼ばれる)にまで勝つ。その大晦日、紅白から涙もろいお年寄りを呼ぶ戦略だったのかなんなのか「借金王安田が14歳の娘と再会」というアングルが組まれ、だれも予想していなかったバンナに勝つという偉業をなしたあと、再会した娘をリング上で肩車した姿には、不覚にも私もうるんときた。

 あれから数年経ち、あの少女はレースクイーンになってブログを開設。
 そのブログで今月初め、家族の緊急事態が起こってイベントに出られなくてゴメンと書きつづられた(現在その記事は削除されている)。
 後日、その緊急事態というのが父親のことだったとわかる。

 安田忠夫、練炭自殺未遂。

 知人に発見され、病院に運ばれ、借金王は言ったとされる。

「確かに睡眠薬は飲んでいた。あの日はとても焼肉を食べたかったけれど、ガスは料金未納で止められている。それで七輪をふたつ入手したところ今度は肉を買う金がなくなってしまい、ひとりむなしくエア焼肉を楽しんでいたら不覚にも眠ってしまった」

 ……安田忠夫は、アントニオ猪木が旗揚げした『イノキゲノムフェデレーション』で、立て続けにジョシュ・バーネット、マーク・コールマンに瞬殺されている。かつて所属団体を素行の悪さからクビになり、新天地に向かったがその弱小団体は興業中止、またしてもアントニオ猪木に救われたカタチになってはいたものの、猪木の創設した新団体はガチを基本とするため、正直なところだれも安田忠夫に期待なんてしていない。
 だから自殺未遂?
 あいかわらず、借金は減っていないらしい。
 だから自殺未遂?

 目覚めてすぐに「入院費用は?」と娘に訊いたとか、その後のコメントの軽さから、再びマスコミの注目を集めるための自作自演のアングルなのではないかという声も聞かれるが、警視庁田園調布警察署から「多量の睡眠薬を摂取していて脈はあったが意識はなかった」という公式見解が出ているので、事故にせよ自殺にせよ、安田が逝きかけたのは本当のことのようだ。
 まったくもって、それこそファンの期待を裏切る行為というものだ。

 ボクシングをプロレス的に演出した亀田家の失敗は、大声で反則を指示したことだった。王者はまぶたを切っていたのだから、追い詰められた挑戦者の側としては「目を肘でねらえ」と耳打ちすることは、いけないことだけれど戦略上ファンも許容できたのに。テレビ中継されているのに、叫んじゃいけない。

 「借金王」というキャラクターを演じるプロレスラーが、本当に借金に苦しんでいてもそれはかまわないが、それを苦にして自殺未遂事件を起こすのは許容できない。

 自分は見せ物である、という自覚。
 キャラクターを観客が許容できる範囲から逸脱させないこと。
 結局のところ客商売の最たるものでしょスポーツって。
 だったら、演じきらないとダメなんだ。

 追い詰められて、観客に見られていることを忘れた。
 ぶざまな演者たちを見ていたら、草間先生のことを思い出した。
 不安定すぎる自分を描くことでカタチ作った人。
 揺るがないキャラクター。
 これが人生のチャンプって感じ。

 『Yayoi Kusama Official Site』

 自殺未遂やりたいわぁ、とか言いながら裸に水玉描いて街に出た彼女の青春を、そしてそのまま老女に至った立ち居振る舞いを、見習いたいわぁ、とギスギスした亀田家を見つめながら、本当に逝きかけた安田忠夫を思いながら、自分をも振り返って思ったのでした。

 死にたくなんてない。
 ただ限界ぎりぎりで、あと一歩いったら自分が壊れてしまうというラインで、華麗におどりたい。
 華麗にってとこ大事。

 リングで見たいのも、そういうのだな。
 見ている側の華麗さも必要だと思う。
 亀田家に期待する。
 一年、私は待ってるよ、弟。
 本物の亀田の強さを演じて、兄。
 安田忠夫にもむろん期待しています。
 ぶざまじゃないの、魅せてほしいよ。
 真似できねえほど、ぎりぎりでカッコイイの。

kusama

(ところで安田がアングルでなく本当に借金で死にかけたということを聞いて、私は首をかしげてしまったんだが。家族を失って賃貸のガスも止められたアパートでひとり暮らしで、世間的にすでに「借金王」という肩書きで私生活が公表されていて、仕事は現在どこにも所属しないフリーの格闘家。世の中のだれよりも身ひとつで生きていけるスポーツ選手が、本当に自殺するほど借金を背負っているのだとしたら、どうして自己破産しないんだろう? 実質上の後見人であるアントニオ猪木が「刑務所で更生するのも一案だ」と発言したらしいが(自殺未遂した男にかける言葉でもないと思うが)、その師匠の言葉から察するに彼には破産するとかそういった発想がないようなので、安田もそれに洗脳されてんじゃないかと思う。だれか言ってやれよ。無一文になってブラックリストに載って、だれからも借金できなくなったらギャンブルもできないだろ……ああ、でもそうすると新米プロレスラーあたりから巻き上げるのかな……でも死ぬって。そんな選択肢ないだろう、一度でも観客の前に立った者は、その身も心も永遠に観客のモノでもあるんだ。ほんと立ち直れよ、安田忠夫。元チャンプ。私の安田を勝手に殺すな) 



Fuu

愛猫ふー。
「ふー」がなんの略なのか私は知らない。
妻の実家で飼っている猫なのだ。
妻が幼いころ拾ってきた。
もうすぐ二十年になるという。
「そろそろしっぽが割れ出すかもね」
と化け物あつかいされるふーだが、
抱くと怖い。
骨なのである。
それも骨の細さが手に伝わる状態。
抱きしめればコナゴナになる。
もうトイレにも行けない。
しつけられた高貴な魂は尿意をもよおすと
トイレに彼女を向かわせるのだが、
なにしろ立ち上がることにさえ時間がかかる。
まにあわない。
いまではふーはオムツをはいている。
猫年齢換算法で20年は、
人間でいうと105歳。
けれど彼女は年に何度も逢わない私を認識する。
カメラを持っている私を見つめる。
その白濁した瞳で見えているのか。
わからないがまっすぐに見つめられる。
彼女の世界で私はなんなのだろう。
彼女の家でくつろぐ人たちのなかで、
彼女にエサをやったことがないのは私だけだ。
敵ではないが飼い主でもない。
服従も見下しもしない。
私と彼女は対等。
だから見つめられるのだろう。
問いかけられているのかもしれない。
あたしにとってのあなたはなに?
あなたにとってのあたしはなに?
……さて、なんだろうね。
どうでもいいと思っているのかもしれない。
しかし高貴なレディーふー。
あなた猫生にお邪魔できたことを、
私は誇りに思います。
どう考えてもあなたにとっては不審人物の、
私を無視もしないし敵視もしない。
あなたのたたずまいから私は学んだ。
ただ生きるクールさ。
悩んじゃダメ敵を作らないこと。
生きながら化けるまでの生き様。
さらなる長寿を願います。
老師ふー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 って言ってたら。
 晩ご飯食べてた午後23時。
 電話があった。

 逝ったって。
 もう老師ふーには逢えないんだって。
 暑い夏を越えたと思ったらそこが限界だったというのは、ヒトの逝き様でもよく言われることだ。涼しくなってきて、気が抜けたんだろうか。そうしたら思いのほか、もうその身に明日を眺めに行くだけの力は残っていなかったのだろうか。
 夏のあいだ、がんばっていたんだな。

 私にとっては、幼いころに事故で亡くしたシャム猫のガウディ以来の、人生のなかでの猫の死だった。ガウディは国道で撥ねられて、それでも必死で我が家に帰ってこようと、細いどぶ道に点々と紅いシルシを描きながらこときれた。頭の半分つぶれたガウディが、ついに力尽きて己の血に沈んで逝った姿は、幼い私にとって衝撃だったし、その余韻はいまでも続いている。

 ふーは、遠く百キロほど離れた土地で逝った。
 逝く数週間前に、バイクで逢いに行ったのだけれど。
 そのときには、よろけてはいたけれどまだまだ元気だった。
 
 きっと、この先も想い出す私のふーは、私の目をまっすぐに見るふーだ。
 私が出逢ったときにはもう化け物呼ばわりされる歳だった。
 それでも自分のまわりの世界をたえず摂取して噛み砕き納得しようとしていた。
 純血のガウディのクールさとは違う、雑種だからこそ、拾われてきた猫だからこその、怯えと紙一重の世界観察……そんな歳になるまで暮らしているのだから、もうその家できょろきょろとあたりを見まわす必要などないだろうに、逝くまで自分の立ち位置を疑っていた。
 でもあくまで冷静に。
 問いかける。

「あたしここにいていいのよね?」

 ほとんど見知らぬ私にさえ。
 問いかける。
 おじゃましてんのはこっちだよと苦笑いしてしまう。
 あのふーの弱くて強いまなざしを、私は忘れることはないだろう。
 味わい深いイキモノだった。
 ちょっと考えるとこのあるタマシイでした。
 老師ふー、永眠。

「あれーあたしどうなっちゃったのかしらん」

 あたりを見まわす彼女の姿を、どうしても想像してしまいます。
 一緒にいて、触れあった時間にしてみればきっと数日のことなのだけれど、私のなかにも、ふーが残った。
 それじゃ、まあ、一緒に生きましょうか。
 これもなにかの縁でしょう。
 私が迷ったときには、ちょいと頭の片隅に現れて見つめてくれると助かります。
 
「ほらちゃんと見てみなさいよ、なんにも怖くなんてない」

 ヒトを凝視するのに、ヒトを怖がらない。
 人見知りしないおおらかさを、継承しよう。
 ちゃんと見れば世界は怖くなんてないんですよね。
 老師ふー。
 おしえをどうもありがとう、です。 
 おやすみなさい。