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sunagimo

幼いころ阪神競馬場の近所に住んでいた。
神社が多くて、阪神ファンが多くて。
ビルが少なくて、まだたんぼもいっぱいあって。
遠足といえばかぶと山で。
武庫川は台風がくるたびに氾濫していた。
私の足の裏には縫い疵がある。
そのころ住んでいた借家の風呂が木製で、
しかも腐りかけていて。
飛び込んだら横板が裂け、
剥き出しになった釘の上に私は着地したんだった。
痛くもなんともなかった。
ただ鮮烈に、
自分の血で紅く染まってゆく湯を見つめ、
おかあさんと叫べなかったことを憶えている。
あれは命の抜け出してゆく光景だった。
──そんな時代、そんな土地──
父は高度成長のただ中にいて、
私はその顔さえろくに見たことがなかった。
たまに顔を見たと思うと怒られていた。
なにせ逢う機会がないので、
怒られるタネがたまってしまうのである。
そんな父は自分の家の近所もよく歩いたことがなく、
たまの休みに近所を歩くと私のほうが先導役だった。
子供は近所の路地を一本残らず知っている。
だが子供だけでは探検できない場所もあった。
私は父に駅前の焼鳥屋へ連れて行けとねだった。
蠱惑的な煙がもくもくと立ちのぼる、
子供には絶対侵入できない聖域。
なかには酔っぱらいが詰まっていた。
私は指でコブラを作る他愛ない芸や、
なぜか歌える『氷雨』や『夢芝居』で、
店中の拍手をもらった。
オレンジジュースで砂肝を食べた。
砂肝、また砂肝、砂肝。
こりこりこりこりこりこり。
あまりに私が砂肝ばかり食べるので父は、
「塩抜きで焼いてくれ」
と言ったが私には関係なかった。
その食感の虜だったのだ。
もちろん塩味がなくなっても気にせず食べ続けた。
最後には怒られた。
──という話を帰って聞いた母が、
それからちょくちょく砂肝の南蛮漬けを、
食卓に出してくれるようになった。
ニンニクや唐辛子が大好きだと自己認識した最初のメニュー。
いまでは、自分で作る。
ちなみに右上のは砂肝と一緒に揚げた軟骨の唐揚げ。
こりこりこりこりこりこり。
どうもそういうのが好きみたいなのだ。
フライドチキンの軟骨残すヤツ、許せない。

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 母の日ですね。
 というわけで我が妻は毎年の恒例行事で実家に帰っておりまして(花屋の娘なのです)。自由をむさぼっているこの数日なわけですが(笑)。もともと、だれかのために料理をするときだって自分のエゴをいかに魅せるかということに注意を払う私の場合、だれかがいてもだれもいなくても作るものは変わりません。

 (あなたも試してみてください。相手のために、自分の望むものを作るのです。意外とこれが「こんな辛いカレーあたしに食べられるわけないのに」とか「おれの基礎代謝がどれだけあると思ってんだよなんだこのオママゴトみたいなヘルシー和食」とか。ぶーたれながらも、なかなか甘ったるい感情を生んだりするものです。ま、食べるほうもぶーたれながらも苦笑するという高度なテクが必要ですし、作ったほうも「でも食べて」と押しつける愛が必要なのですが。行きすぎるとケンカばかりしているが実は仲のよい偏屈な老夫婦のようになってしまいますので、各自のキャラ立てはきっちり保守することが重要です。変化は必要。ぶーたれられた翌週に彼の家を訪れて、気でも違ったかというようなフライドチキン・ツリーなどをテーブルにどかっと置いて「足りる?」と小首をかしげてみせればイチコロです。イチコロです。イチコロなのです。翌週彼の家に行って料理を作るという基本設定がすでにイチコロになったあとのような気がするのには、ツッこんではだめです)

 仕事から帰って、ひとしきり原稿を書き、寝る前に映画でも観るかとつまみを作る。接客屋なので、休みの前日でないと生ニンニクというのは使いにくい。でも食べたいときには食べたいので、そのものは食べないようにして、香りづけにたっぷり入れてみる。

 映画は録ってあった『SAYURI』をチョイス。
 原作を読んだときには、あんまりぴんとこなかったのですが(あれを何年もかけて書いた作者の精神力と異常なキャラ愛情パワーには圧倒された。未読なら一読は薦めます)、なにせ豪華キャストだってことで録画して、でも二時間オーバーだしちょっと後回しかなあ、と思いつつちらっと観てみたら、日本が舞台なのに日本人がみんな英語で喋っていてそれがとても新鮮で、売られて虐げられるが花開く日本人芸者なのにチャン・ツィイーが英語で泣いているという。おおこれがエキゾチカというものかしらん、それを日本人の私が砂肝の南蛮漬けで日本酒すすりながら観るというのもまたよくわからんことになってよろしおすな(南蛮漬けの由来は諸説あるが、どうやら当時は揚げ物と唐辛子の組み合わせが異国情緒だったみたい。ちなみに「鴨南蛮」というそばがありますが、あれは大阪難波の大阪名産長ネギ使用のそば「鴨難波そば」の誤訳です)。てことで、これに決定。ちょっと寝る時間が遅くなる(ていうか朝早くなる)が、かまわん。こういうひとりの人生を追った物語というのは、独りで観たいものだし(余談ですが、どうもこの作品。原作好きには映画が不評で、逆もまたそうである傾向が強いということで、原作にあまりのめりこめなかった私としての期待もありました。重ねて言うが原作を評価しないわけではない。ただ、小説書きの姿勢として、生涯ただ一冊の渾身の書、というのが私はヒいてしまうのだ。それは私の思う小説というものとは違う。私もたびたび少女一人称モノを書く大人男性ですが、あのナリキリぶりは小さな説を紡いでいるというよりも純粋に彼のプレイな気がする。たった一度の最高のオナニーをするために己のすべてをかけて巨大テーマパークを作った、というような。わかりにくいか)。

sayurisayuri

 観た。よかった。好き。
 映画のほうが好き。
 観ている途中で砂肝がなくなって、無意識にニンニクをつまみに飲んでいた。なんというか箸のすすむ映画だった。不快になるシーンがなく、つっこみどころは満載。しかして役者の質は最上級で、まったりした物語を刺激的に演じきっている。アジア人が好きだ。日本の役者の質の良さをほんと世界に誇りたいね。渡辺謙の演技はどうさ。真性ロリ好きの役を、これほどまでに格好良く魅せてしまうとは。一歩間違えると大ブーイングな感じ。うん。映画がいまいちだという人の気持ちもよくわかった。この役者陣が好きかどうかの問題なんだと思う。私にとっては大好物だった。私は日本製の大奥モノとかOLモノとか、女同士のどろっとしたドラマがあんまり好物ではないので、ハリウッドが描く日本の女の嫉妬の世界というものが苦笑いしながら観ることのできるちょうど良いレヴェルで、楽しめた。チャン・ツィイーが嫌いではないと言ったら化粧品売り場のコに「アジエンスの等身大POPありますよ」と言われたのが数年前だが、いまになってみれば本気で持って帰ってもよかったような気がするくらいである。工藤夕貴のキャラはちょっともったいなかった。私なら、あのキャラもっといじるな。とふと思って、そういう指向だからダメなんだよ考えてみろよこれ以上あのキャラ前に出したらどんどん一般受けしなくなるだろう? と冷静に気づいてちょっと落ち込んだ。基本的に壊れかけてる寸前で自分の人生を転がしている愛すべきダメなやつ、みたいなキャラを愛してしまう傾向にあるのだった。工藤夕貴は今年、ジャッキーと真田広之と組んで『ラッシュアワー3』だとか(そういえば『ラッシュアワー2』にはツィイー(ところでツィイーという日本語表記が正確であるらしいのだが、発音はチチィーで正しいですか?)が出ていたっけ。つながっているようだね映画界)。なんだかこれから良い感じに転がりそうな女優さんです。ニュアンスであれだが、突き抜けた感はある。この映画でも恐ろしいまでの演技力だったモモーイに並ぶ世界に誇れる日本の個性派女優として、人類の新たな感受性を目覚めさせて欲しいものだ。突き抜けたがまだ踊らされている匂いがする。踊って欲しい。見たことない色で。

 ということで意味もなく回想の芸者感で。
 砂肝の南蛮漬けレシピ、被虐的に。

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●材料

 鶏砂肝 400g
 しょうゆ 大さじ3
 酢    大さじ3
 ごま油 大さじ1
 ニンニク お好み
 しょうが お好み
 唐辛子 輪切りで大さじ2

 適当に生で食べられる野菜(キュウリ、ニンジン、ネギ、等)とか、もどした春雨とかを入れさせられてもいいかも。

●作り方

 砂肝以外の材料を合わせた漬け汁を先に作らされます。
 砂肝を素揚げにしろと命じられその通りにします。
 揚げたてを漬け汁に浸さざるを得ません。
 冷蔵庫で息の根が止まる寸前まで冷やされます。
 
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 食べます。
 売られ虐げられ犯され強制され、そして花開いて自ら箸をのばして食らうのです。
 生ニンニクをがりがりと奥歯に挟み込むのです。
 難波で買ってきた長ネギを入れるなら焦げるほど焼いてください。
 そして浴びるほど呑んでください。
 独りで。
 それが砂肝の南蛮漬けというものです。
 競馬場を想い出すのです。
 あの無垢だった幼き日の自身を。
 想い出しながら、食らうのです。

 明日のために。
 
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 おっとわすれるところだった。
 『軟骨の唐揚げ』レシピも。

●作り方

 鶏軟骨に塩胡椒一味唐辛子を振り、片栗粉をまぶし揚げさせられる。
 
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 以上です。
 こりこりこりこりこりこり。
 こりこりこりこり。 
 ここりこり。
 待ち望んだ新地図。

 『Happy Halo Dayと新マップ』の話。

 500円で買った新地図で、マッチメイキング対戦しようとすると買ったはずの新地図を「ダウンロードすることが必要です」と表示される件について。
 毎週、Bungie.netに目を通している私は、超飛翔と透明壁の是正のために新地図がアップデートされていたことを知っていたのですみやかに再度ダウンロードしたのですが(もちろん再課金はされない)。とても丁寧なBungieのサイトと文章があってこそ、これは「かめへんかめへん」と水に流せる程度のことになっている。

 でも、Xbox公式サイト。日本のマイクロソフト。なんにもアナウンスしていないんですが、こりゃどうなんでしょう。みんながみんなXboxと並行してインターネットもやって、毎週のBungie.netの更新をチェックしていると信じているのでしょうか。スタンドアローンで360をプレイしている人はそもそも『Halo2』の新地図をダウンロードしてはいないわけで、だとすれば今回の情報を必要とするすべてのユーザーはXboxLiveにつながっているわけです。Liveでメッセージ流せば済むことでしょう。この春の大規模アップデートで、360は初代Xboxのソフトをトレイに入れていても、タイトルがなんであるかを表示するようになった。マイクロソフト側でそれは把握できないのだろうか。できるはずだ北米では『3』のテスト当選者を選ぶのに『2』のプレイ時間が参考にされたと聞く。ああこのユーザーは『Halo2』をプレイしている。新マップをアップデート前にダウンロードしている。それがわかるなら、なぜ知らせない。

「金出して新地図買ったのにマッチメイクできないってなんだそれボケッ」

 と360を蹴っ飛ばした人は絶対いる。
 私はいま、そういう人に向かってこれを書いている。落ち着いて、ダウンロードし直せばいいんですよ、確かに事前に「アップデートしたから再ダウンロードをしてください課金はもちろんされません」と言われていなければ、クレジットカードから自動引き落としのXboxLiveで無防備に「ええもう一度ダウンロードします」とは操作できない。それはよくわかります、ちゃんと日本ユーザー向けにメッセージを送らないマイクロソフトのこういうところがツメが甘いなと私も思います。

 代わりに私が保証します。
 ダウンロードし直して。

 こんなところでぼやぼやしていないで。
 欲しかったのはこの情報でしょう?
 事態はすべて解決しました
 さあ、360の前へ。

 さあ、新地図で私と殺し愛しあいましょう。
 疲れた……トム・クランシーの小説でよく、乗組員たちが敷居にけつまずくようになったらその船はヤバい、という表現が出てくる。疲労と過失は完璧に比例する。上官は部下がけつまずきだしたら、とりあえず何らかの対策を立てねばならない。そうでなければ、彼らは翌日にでも、敷居を蹴ってつま先が痛いのとは比べものにならない大きなミスをやらかすのである、と。

 GW最終日が雨。炭はあるが着火剤がなく、鉄板はあるがコンロはない。すなわち連休の最終日にバーベキューをしようとやってきたお客さんがもっともキレやすい状況。

 「BBQコンロはご注文になりますって意味ないやんけ!」

 もっともです。言っちゃだめだが、雨でよかった。
 で、そういうばたばたしているときに限ってなにか起こったりするもので。半月ほど前にハードディスクを買った。これがおとといクラッシュ。RAID構築していたHDDだったのだが……ちゃんとしたメーカー品だったので修理に出して、無償修理でそれはともかく。

 RAIDの話。
 (Redundant Array of Inexpensive Disks
 = レイド
 = 直訳 / 安物ディスクでの冗長な配列。
 = 意訳 / 小容量のディスクを複数台使い仮想の巨大な一台のディスクと見立てる技術。
 しかしなぜかパソ界ではわかりにくい直訳の「冗長」という言葉が好んで使われている)

 私の使っているRAIDってのは二つのHDDに同じデータをミラー化して置くという単純なものなんだけれど、これの利点というのは、どっちか片方がクラッシュしてもPC全体は動き続けるし、データも守られるってことにあるわけです。
 
 物書きの端くれなので、テキストデータこそが財産です。もちろん、毎月のようにディスクにバックアップをとっていますし、そもそもテキストデータは別の場所のワープロソフトと同期させるためにネット上にもコピーがある。つまるところ、いまメインで使っているHDDがぜんぶいっぺんにクラッシュして、なおかつバックアップのディスクも破壊される(こういう状況を想定すると、火事で全焼というよりも悪意ある何者かが金属バットを振りかぶって壊すという可能性のほうが現実味をおぼえます……「このひとが書き物しているせいであたしの人生がこんなことにぃぃきぃぃっっ」……リアルで怖い(笑))、そういうことが起こっても、まだデータは生き残る。本気で悪意持ったそれなりにパソコンも扱える人に本気出されたらそれも抹消される恐れはありますけれど、そこまで私と私の書くものを憎んでいる人なら、そんな七面倒くさいことの前に私の背中に包丁を突き立てているでしょうし。

 そう考えると、確かにRAID構築していたことでHDDが壊れてもパソコンは動くから「HDDが壊れてからバックアップをとる」という作業ができて、これはまさに人類の夢と希望が叶ったかのような奇跡の所行ですが、でもだからといって私が毎日のネットディスクとの同期(これはそもそも自動設定)や、毎月のディスク焼きをやめるわけではなく、思えばゲーム機数台も含め、我が家の壁はLANケーブルだらけで、別にメインのマシン構成が使い続けられなくても、別のを使えばいいだけの話。でもだったらRAIDってなに? といざクラッシュして思ってしまった。

 これはあれです。車両保険の、金払ってたのに事故らなかったのは損したような気分になるのと似ています。
 私が私のデータに対してやっていること。
 これって、保険に保険をかけて、さらに別の保険もかけるようなことなんだな。
 さっきも書いたけれど、そんな大事が起こったら、その中心にいる私自身がもうあとかたもなくなっている公算が高いのに。

 そんなことを考えていたら、ふとあることに気づきました。そういえば、これの前に買ったHDDも初期不良だったな、と。そういえば、ハードディスクレコーダーも、XBOX360も、この数年で買ったHDD搭載の機器、買ってそのままの状態で一年動いた試しがないのです。ぜんぶメーカー品で、ぜんぶ保証期間内だからぜんぶ修理はタダとはいえ、これは、私のヒキが弱いということなんでしょうか。流れが来ていない、背中がすすけちまってるよ、ということなんでしょうか。

 今朝の新聞でエキスポランドのジェットコースターで人が死んだ記事を読みました。
 私も大阪育ちなので、同じジェットコースターに何度か乗ったことがあります。
 いつかは壊れる金属部品が、たまたま彼女のところで折れたのであって、彼女は私であったり、ほかのだれかだった可能性もある。並列世界において分岐する枝葉の時空は、いまの私に絶対に起こりえないことまでもは含まない。どこかの時空では、別の私は宇宙船に乗って異星人と戦っている、などということは起きないのではないかというのが現代量子学の通説。エヴェレットの多世界解釈によれば、シュレーディンガーの猫はキメラには決してならない。

 『シュレーディンガーの猫』のこと。

 せいぜい、こっちの猫がつまずいた敷居を、あっちの猫は無事に通りすぎたというくらいの差違しか起こりえない。そして死とはそういうもの。

 『サイレント・アイズ』の話。

 こっちの世界で死んだあのひとは、向こうでは生きている。
 小さな差違。
 この時空の彼女はたまたま、ジェットコースターに乗って。
 きっと大多数の時空では、そうではない。
 小さな差違。
 しかし、それがここでの現実。
 多世界解釈の無意味ともとれるし、クーンツのいうように希望でもある。
 別の世界のあたしが良い目を見ているからって慰めになる?
 そう書いたのは、イーガンだったっけ。

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「もしこのわたしたちがこれをしなくても」とフランシーンは容赦なく指摘した。「わたしたちは結局ほかの分岐でやってるでしょうね」
「それは事実だけれど、そんなふうに考えても無駄だ。結局は、自分の選択がほんものだというふりをしなければ、ぼくは現実になにもなしえない。だれだってそうだろう」


 グレッグ・イーガン 『ひとりっ子』

singleton

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 死は、多世界から強制的に押しつけられる選択。
 そのクジを引いてしまった。
 でもそれがここでの現実。

 避けられるかどうかは、単純な確率の問題である。
 ひとつの命が突発的にお亡くなりになられる確率をaとすれば。
 無人島に二人いると、a×2。
 二倍死ぬ。
 三人寄れば、a×3、略してa3。
 三倍死ぬ。

 だとすれば、私が神で無人島(惑星でも可)に我が子を残したくて、何人そこに詰め込めば神の血脈を継ぐ人類なるものが残せるかと考えたとき、計算上はこうなるはずです。

 理想は死の確率aを限りなく0に近づけることが望ましいが、人類が有性生殖である以上、男女二名は最低限必要である。よって。

 a×2、が最小の確率。これ以上は増やせば増やすほど、もめたり殺し合ったり男同士だったり女同士だったり、セックスレスとか仕事中毒とかが生まれてぐんぐんぐいんぐいんぐわんぐわんと種全体としての死の確率はうなぎのぼり。だから某世界宗教の神はアダムとイヴを二人きりで生んだ。三人目の男とか女とか、四人目のゲイとかがいると、話がややこしくなって最初の世代で人類全員が「やつを愛するくらいなら種として滅びる」と生涯独身でいることを選択してしまう危険性も高くなるから。

 そう考えると、ハードディスクは、別に増やしても愛憎劇を繰り広げるわけではないので、増やしても死の確率が増えるわけではないような気もしますが、それは幻想です。HDDは消耗品です。壊れやすいものです。実際、我が家で一年に何個も壊れているのです。壊れやすい機械が×2ならば、やっぱり壊れる確率は二倍なのです。それはもしもa×0であれば壊れる確率が0になるということからも確かなこと。

 だとすれば実は、ハードディスクが二個あっても三個あっても、RAID10(HDD4台以上を使用する非常に冗長な構成)であっても、増やせば増やすだけ死の確率を高めているだけなのだから、究極的にはa×1が実際使用できる最強の数値なのではないかとふと思ったんですが。

 まあ、馬鹿なこと考えていないで保険かけましょう。
 強制的な選択にあらがうには、リスクを分散するしかない。文章を綴れば綴るほどに、なにかを喪っていくのと、得ているのとを同時に感じる。それはきっと私が喪われたあとに残るデータが増えていっていることでこの時空での確固たる実在を得ている一方、データが増えれば増えるほど、それがだれかを傷つけたり、死に近づいていくというリスクも生んでいるからなんだと思う。
 愛を得れば、喪う怖れも、もれなくついてくる。
 閉じこもった部屋から一歩出るだけで、モニタの小窓に一文書くだけでも、爆発的にリスキーになってゆく。

 だから見ず、発せず、ふれあおうともしないのなら。
 それはそれで、なにも得られないというリスクを背負う。
 結局、選択だ。

 というわけで直ったハードディスクでもう一度RAIDを組みました(GWでも初期不良はさっくり直って帰ってくる不思議)。
 いまもがりがりと私の書く文章を冗長に保存している。
 消耗品が、さっそく消耗されて死に近づきつつある。
 そして同時に、生み出している。

 そこはかとなく幸せ。
 なにもないよりは、あったほうが。
 ともかくそっちのが幸せだと思う私です。
 だとすれば喪うために紡いでいるのかもなあ、とか夢見る。
 多世界解釈自体の無意味さに魅力を感じるのと、それは似ている。
 戦う予定もないのに毎日欠かさない腕立て伏せとか腹筋とかシャドーボクシングとか。

 意味がないから、意味があったり。
 
 どうせ朽ちるから。
 でも、いま咲いてる花を愛でるのは悦びだから。
 死ぬとわかって小さな植木鉢に種をまく。
 それこそ幸せってものだと思います。

 あたたかな春がやってきました。
 無常の世界のよろこびを探しに出かけましょう。

 ああGWの終わったこの開放感よ(笑)。