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 剣闘士スパルタクスの反乱も、百年近い昔の語りぐさとなって久しい。その教訓が、闘士たちの過酷な環境をわずかながら改善した。
 そして初代ローマ帝国皇帝・オクタヴィアヌスが、勇敢な剣闘士には敗者となっても助命の機会を与える制度を設けた。


 雁野航 『コロセウス 楽園の少年少女』

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 『PRIDE』のこと。

 ↑あれはもう一年前の春。
 巨大スポンサーを失って演出を控えめにしながらも、PRIDEは良い試合をたくさん魅せてくれた。うちでも人が集まると「あの試合観た?」と話に出るのはPRIDEのことばかり。むろん、地上波放送がなくなったから、当たり前に観ているほかの団体の試合よりも、見逃す率が多くなったということもあるのだろうけれど。

 一方、格闘技団体の名前になど興味のない人々は、あいかわらず桜庭和志が地上波放送に顔を出しているので、百年も前の話ではなくても、PRIDEが窮地に陥ったことさえ忘れ去ってしまった。芸舞台とはそういうものだ。いつのまにかいなくなった演者をふたたび想い出すのは、その者が死んだときだけになる。

 ところで格闘技団体の合併といえば、弱小団体を次々と飲み込んで、ついにはアメリカのエンターテイメントプロレスを統一したとされるWWEが想い出される。私はWCWというそこそこメジャーな団体のファンだった。だが末期には、白塗りのバンパイアが空から降りてきて、天井から多量の血糊がどばっと降ってくるだの、いかに高い金網の上から命知らずに飛びおりるかが勝負になったりして、いくら団体の危機とはいえ、闘士たちにキャラクターと命を投げ出させる起死回生策の連発は、観ていて醒める一方で、負のスパイラルを眺めているかのようだった。そしてWCWはWWE(当時はWWF。同じ略称のパンダのマークでおなじみ自然環境保護団体に訴えられて負けました(笑))に飲み込まれた。多くのWCW闘士たちは、さらに弱小の団体へと下ったり、引退したりしたが、一握りのWCWスターたちは、いまでもWWEのリングで活躍している。いまでも毎週、私はWCWの闘士を応援しているのだ。WWEが好きなわけじゃない。いまや、世界中で視聴されるWWEだが、その億単位のファンのほとんどが、それぞれの大好きだった弱小団体を追いかけていたらWWEファンだということになってしまったにすぎない。
WCW
 だが誤解しないで欲しい。
 あのままではWCWは消滅していた。
 私は、彼らに感謝している。
 買った側、そして売った側。
 ファンのために、団体の看板をさらに大きな看板の下に置くことで、生き延びさせた。
 その決断に、いちファンとしてついて行ったのだ。
WWE
 来る4月1日の大会で、WWEのオーナー、ビンス・マクマホンと、アメリカの不動産王ドナルド・トランプが代理戦争を行う。それぞれにカツラ疑惑を持つ両氏が、負けたら自分の頭を剃るという恥辱のデスマッチである。プロモーションでは、ドナルドが会場にお札の雨を降らせるなど、どうも末期のWCWを思わせる演出が気になる。突然に現れた大富豪が、現オーナーを小馬鹿にしてファンの喝采を浴びている。演出の先には現実が待っているのがプロレスの常だ。現実世界で、WWEになにが起こっているのか、興味津々である。
McMahonTRUMP
 そのWWEに飲み込まれた別の弱小団体、ECWが最近熱い。
 パイプ椅子とビールがトレードマークのその団体は、鉄条網デスマッチとか、そういう血みどろなのを観ながらビールで乾杯な団体だった。熱狂的なファンを持ちながら(いつもスペシャルリングサイドに座っている麦わら帽子とサングラスの客は、所属レスラーよりも有名だ。いやレスラーにだって有名なのはいるぞ。ホリケンがコントで演じていた(それさえ懐かしいが……「♪生きてるってなぁに」)テリー・ファンクはこの団体の闘士だった)、これも経営的には行き詰まり、そして熱狂的なファンがいたからこそ、集めて増やす方式のWWEに飲み込まれた。ちょうど十年ほども前のことである。
ECW
 それがつい先週、アナウンサーが絶叫していた。

「クソすげえ! ECWのCMパンクが祭典出場権を獲得だぜ!!」

 いちいち解説すると「クソすげえ」は「Holy shit」直訳「聖なるクソ」というECWで生まれた感嘆語である。なんかすげえ感じが伝わってくるでしょう? 崇め奉るほどクソすげえのだ。で、祭典というのはもちろん、4月1日の富豪二人がカツラを脱ぐ大会で、その大会はWWEの大会なのだけれど、こうして「WWEの看板の元で運営されるECWの闘士」がWWEの大会に出場するとなれば、もちろん、みんながその大会を観るわけである。ECWに良い感情を持っていなかった、たとえばWCWファンの私なども「WWEに一泡吹かせてやんなっ」とちょっとCMパンクという闘士にガッツを見せて欲しいと思ったりしてしまうわけだ。
 ところで、そのパンクが祭典出場を決めた試合。

「パンクが新技を披露した!!」

 とも絶叫されていたのだが。相手を持ち上げて、前に落として、膝蹴りをぶちかますという技──前々から、CMパンクの蹴り主体のファイトスタイルは、某選手のそれに似ているなあ、と思っていたけれども、祭典出場権をかけたその大事な試合で、ついにカミングアウト。新技とされるそれ──
KENTA
 KENTAの必殺技「go 2 sleep」の完全なコピーでした。KENTAの大ファンなんやね(笑)。まあECW自体が日本の団体とは交流が多かったし、KENTAはアメリカのROHという団体にも参戦しているので、パンクがテレビでKENTAを観たことがないなどということはありえない。これもまたうれしいことである。力道山曰く「アメリカの相撲」から派生した独自の伝統芸能といっていい、日本プロレス。
riki
 (↑この映画のことは別の機会に詳しく語りたい。良い作品です。ただ、NOAHファンの私としては、プロレスリング・ノア元取締役百田義浩、現副社長百田光雄という二人の実の息子と、猪木と馬場という愛弟子のことをいっさい省いた「悲劇の人」的な描写に演出過剰なところを感じなくもなかったのですが)

 相撲の文化が色濃く反映し、儀式化された試合作法と、その先の肉体表現こそを尊ぶ魂が、いまアメリカの側にこそカッコヨク見えているらしい。NOAHもROHも、WWEのような「火薬でドーン!」「なんと大事な場面でまさかのレスラーが乱入!!」な演出で会場を沸かす団体ではないが、アメリカで確実に勢力を広げつつある。WWEの祭典にNOAHの技を使うECWの闘士が出場。

 もうなにがなんだかわからない。
 しかし、わからないから観てしまう。
 いろんなファンが、結局ひとつの団体に集まった結果になる。
 相乗効果というやつですね。

 というわけで、話がそれましたが。

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「PRIDEとUFCという二人の子供をこれからも愛し続ける」 


 ロレンゾ・フェティータ

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 PRIDEの新オーナーが、UFCオーナー、ロレンゾ・フェティータ氏に決まった。
 UFCとは、総合格闘技の代名詞である。
BD
 まだ総合格闘技のなんたるかさえ確立していなかった世に「逃げられない金網に荒くれ者二人を投げ込む」というスタイルで競技化を図った先駆者──いや、開拓者だ。当然、初期の試合は、ただの腕力自慢バカが金網で囲まれた試合場「オクタゴン」のなかで、血まみれで殴り合うというものだった。
 それは、まさに現代によみがえりしコロセウスの姿だった。

 日本で、K-1が、PRIDEが、生まれたのもUFCあってのこと。
 いまでは、総合格闘技をスポーツと見なすのは自然なこととなった。
 勇敢な闘士には敗者となっても観客の拍手がおくられる。

 八角形のオクタゴン。
 四角いリング。
 PRIDEの名とリングは残るという。
 飲み込まれ、相乗効果が出ればいい。
 現在、日本ではUFCはWOWOWで放映されているが、こうなってくるとPRIDE地上波復活とともに、UFCが年末格闘技特番の定番になったりするかもしれない。しょっぱいぬるぬるの試合とかと見比べれば、UFCの歴史は、一般の視聴者にだって伝わるだろう。

 (WOWOWと同時に、日テレ系G+でも放映されていることは、こうなってくると興味深い。PRIDE側は「フジテレビで地上波放映再開できれば最善」と述べているが……『ガキの使いやあらへんで』のカウントダウンもない罰ゲームSPが年末特番だった昨年のことを思えば、日テレが動かないと考えるほうが不自然だろう)

 これは、拍手すべきことだ。
 これからもたのしませて。
 飲み込まれた先の、対決に熱くさせて。
 新しいPRIDEを、私も愛し続けます。
 UFCに一泡吹かせてやんなっ!

PRIDE

 その魂は、不滅だと信じています。
 あの事件から数ヶ月たち、2月11日のHERO’S名古屋大会のための前日計量。
 桜庭和志は、一度目の計量を3.6キロオーバーの88.6キロだった。

 にやり。

 笑った桜庭は、着ていたジャージーで覆って抱えていた、なにかを取り出し、再計量。
 無事、計量をパスしたのだが。

 その「桜庭が抱えていた4キロほどのもの」の正体が。
 これだ。

Xbox360 

 ──360フリークとして露出はうれしいが、パフォーマンスの意味がわからない(笑)。スポーツ紙の記者も、うまい見出しを思いつけなかったのだろう。この大会、全体におとなしめだった桜庭が、ほとんど唯一演じて魅せたネタだったにもかかわらず、紙面で大きくいじられることはなかった。
 その出来事を、あれはいったいなんだったんだろうなあ、と友人と話していて。桜庭がゲーム好きなのは昔から知られていることだし「ぼくは落ち込んだりせずゲームに夢中なくらいだから大丈夫」というメッセージではないのか、という妥当な話のあとで、異口同音に、でも、と呟いてしまった。

「でも、きっとマイクロソフトの工作員が動いたんだ」

 その工作員の存在は、いまや周知の事実である。
 ヨーロッパで3月23日にPS3が発売された。
 ロンドンでは、発売待ち行列のみんなが、なぜかおそろいの椅子に座っていたという。何者かが、親切にソニー信奉者の方々の腰が冷えるのを心配して配布したものだった。椅子の背には、とあるURLがプリントされていた。
 これだ。

 http://www.shkyw.org/

 邦訳。

「次世代へ、XboxはPS3を歓迎します。
 ソニー……来るのが遅い!!
 さあ、ゲームをはじめよう」

 ──良いセンスだ。殴り合いのゲームを繰り広げてもらいたい。
 というか、日本以外の国では、すでに360の勝ちが確定しているという見方が濃厚で、それゆえにマイクロソフトもいつになく余裕の態度なのだろう。日本で同じメッセージをいま発しても、経済紙読む人ならだれでもわかることに「いや、ここではソニーの勝ちが濃厚でしょ」という状況なので、マイクロソフト工作員も、桜庭に箱を持たせるなど、一見意味不明な、控えめに認知度を上げる戦略で動いているようである。

 そんなこんなで、ブルードラゴンがはじまる。
 テレビアニメの話ね。

 アニメ『ブルードラゴン』公式サイト

 見てわかるとおり『ブルードラゴン』がXbox360のソフトで、それを作ったのが『ファイナルファンタジー』の生みの親であるというようなことなど、どこにも書いていない。前面に押し出されているのは「あの鳥山明のキャラクターがテレビ画面に帰ってくる!」──普通、そこは「あの人気ゲームソフトがアニメ化!」の文字を躍らせるところだ。しかしまあ、以前に同じ放送枠でアニメ化された鳥山明キャラの『ドラゴンクエスト』がシリーズ累計4000万本という販売数だったのに対し、『ブルードラゴン』が現在18万本。単純計算で『ブルードラゴン222』まで発売してようやく肩を並べるペースである。一年に二本出しても百年かかる──それでは謳えない。

 うたえないが、うたわないままに『ブルードラゴン』は、かの少年ジャンプで『BLUE DRAGON ラルΩグラド』として連載中。あの鬼才小畑健氏によるキャラクターで人気を博す。こちらにいたっては、ゲームの設定すら無視して独自の物語を展開。タイトルロゴの下部に「~Xbox 360ゲーム(マイクロソフト)"BLUE DRAGON"より~」と書いてはあるが、このマンガ読んで、その世界を期待して『ブルードラゴン』買ったら後悔するんじゃなかろうか、と思うくらいに別物です。さらには月刊少年ジャンプにて柴田亜美による『ブルードラゴン』連載も。カードゲームにもなるらしい。おそらく、それらのメディアミックス展開に触れるユーザーのほとんどが、Xboxを所有してはいない。銃すら持っていない相手に弾を買わせるのは至難の業である。しかしこれがマイクロソフト工作員のこの国での仕事の作法。

BD

 気づいたらそこにXboxが絡んでいる。

 当たり前のものにするという戦略。電撃的な告白で恋人の座を奪うのもひとつの恋愛作法なら「あれ、そういえばいつもお前はおれのそばにいるね」と時間をかけて相手に思わせてしまうのも、実に有効な作法ではある。
 マイクロソフト工作員は、今日も暗躍する。
 たとえば、私がこんなふうに別になにを叫びたいことがあるでもなく、360の話をしていることとかも。壮大な計画の一部だったりするのだ。きっと。すべてのコンシューマゲーマーが夢に見る未来──それは、すべてのゲームが一台のゲーム機で走る環境。パソコンからXboxLiveにつながるLive Anywhereも始動し、Xboxがスタンダードになれば、夢でなく世界中のゲーマーすべてが集うネット上のパーティーなんてことが実現する。

 さあ、未来はここだ。
 というわけで、なんの話かと言えば、Vistaへの乗り換えを本気で検討しはじめたということで。しかしVista走らせるならメモリも、ついでにHDDも容量増やしたいなあ、コア2デュオって素敵だよねえ……と考えれば考えるほど総とっかえが魅力的。やっちゃうか。夏になればまた忙しいし、やるならいまだな。と思案しながら毎日を過ごす今日この頃なのでした。
 とりあえず、いまのシステムがVistaで動くのか、どこが問題なのか、確かめましょう。

 Windows Vista Upgrade Advisor
 
 スペック的な問題はないようだが、これは要するに「動く」というだけの確認だしな──エプソンのスキャナが使用不可。それは困る。エプソンのサイトに行ってみた。お。ドライバもう提供されている。ということはハード的にもなんら問題はなく……大事なこと忘れていた。ソフトだ。うーん。なにはともあれジャストシステム……ああ。ここにネックが。システム以前にこれがないと書けない一太郎を最新版にバージョンアップする必要があるということに気づく。年月の経つのは早いものだ。我がマシンの常駐ソフトども、ロートルばっか。メーカーがサポート放棄したものも多い。ソフトも若手に入れ替えか(『一太郎』を使うのをやめるというような発想ができればいろいろラクなのでしょうが)面倒。でもいずれ通らなければならない作業、思いたったときにやるべきなんだろう。やるか。パソコン刷新て、なんだか春の感じだし。とりたててほかのなにが変わることもないので機械をいじるというのは「春だし髪型変えて新しい私っ」みたいな心境の現代版だなあ、とか思ってプラス思考になってみる。それもこれもケーブル一本さえ通販で買えてしまう、いまが未来のせい。

 よし。今日は買い物をしよう。
 この部屋で。
 春だしな。
 端から見ると春なのに引きこもっているヒトなのが哀しい。
 機械といえばバイクもいじってやらねばなあ。
 冬のあいだ中オイル替えてないや。

 と書きながら、右手でかき上げて気づく。
 髪も切らないとな……
 変えなくても動き続けるものはどうしても後回しになりがちです。
 本当はそういうのこそ、まっ先に手をつけるべきなのかも。
 だって変えなければどうにもならないものはどうせ変えるのだから。
 よし、とりあえずバイクのタイヤの空気圧を測ってみよう。
 出かける気になるかも。

 と玄関まで行ったら雨が降ってきた。
 よし。買い物に戻ろう。
 この部屋で。
 なんにもしないくらいならなにかしたほうが良いに決まっているのだ。
 よし。いやあ春だなあ……
 『遠恋』の話。

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 そろそろ花見の季節だね、昨年はじめて花見に参加してくれたあの二人に、メール送って今年も誘わなくちゃな……と思っていたら、エミリオ=リオナのほうからメールが来た。なに、餃子会にこられなかったから、ぼくらのぶんは残っているかって? じゃなくて。

「8月に大阪で式を挙げるのでタクミさん来てください」

 ってことでした。
 で、エミリオ=リオナの彼女はどうしているかというと。仕事を辞めて、とっくに東京にいるのでした(笑)。先月こっちで逢ったじゃねえかよ。そのときはまだ働いていた。よく一年も、毎週のように大阪と東京で行ったり来たりしているよなあ、と感心していたのですが。

 ああわかるよ、逢って、触れあって、また来週ねと別れる理由が、距離だったり、仕事だったり。なにそれ。理不尽だもの。だから遠恋なんて続かないって言ったんだ、私なんて手のひらにやわらかい太ももが触れているのに、触れていたい思想があるのに、それから離れて出かけるだなんて、学校や職場や家が100メートルの距離にあったっていやだ。ていうか服を着るのがいやだ。世界がここにあるのに、いったいどこに行くというのさ。

 続かないって。

 私と彼女の勝負。
 一年前、彼女が勝ったら賞賛を贈ると言ったけれど、これは。遠恋の終わり、で私の勝ち?
 それとも──

 というわけで勝負続行だ。
 ぜんぶ捨てて式挙げて私に美味いもの食わせて、キミは毎週通うことはできるけれどこの世の果てのように遠いその土地に行って、ずっと触れていたいと願ったそのエミリオ=リオナの体温のそばで、エミリオ=リオナの思想のそばで。
 恋をつづけたなら、こっちの負けでいい。

 恋の定義?

 さあ。どうだろう。
 キミが私に教えてくれ。
 うん。正直に言おう。
 すごいと思ってる。

 私には、距離で別れたヒトがいる。
 もう一度同じことがあっても、同じ選択をする。
 想いの問題じゃない。
 私は、ありえないことなんてないと思っているから。
 恋がこの世にあるように、別れもあると思ってる。
 当たり前にあるものだと思っている。
 ありえない、と思えない。
 やめられないから続けていることが多い。
 選んで終わらせたことなんて一度もないかもしれない。

 もう我慢できないからやめてあっち行く?
 ずっとそばにいる?
 すごいと思ってる。
 でも勝負続行。

 いや、こちらは手を出さない。
 ただ魅せて欲しいだけ。
 いい試合を期待する。
 つづける恋のはじまりに。
 とりあえずの拍手喝采。
 ま、がんばんなよ。
 なんだろうねこの悔しさは……
 遠恋はある?

 私は、ありえないことなんてないと思っているから。
 ああ、ああ。そうだった。
 思っているから、苦笑いするのだろう。
 じゃあなんで、そもそもそんな勝負を?

 大事なのは、別れはあるが、それが唯一のラストシーンではない、というのを忘れがちなこと。遠恋? 距離があるから、思い切れたってとこもあるはずで、ありえないよ、と口にした私は、多くの選択肢を見ず、思想を広げる作業を怠っていた。遠恋はありえないから遠恋はやめて恋にする。当たり前の選択。
 それをすごいと思う。
 自分が悔しい。

 きっとそういうこと。
 きっと真夏のウェディングドレスは、
 私の瞳に忘れがたく焼きつく。
 おめでとう。