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 餃子はよく作るが、毎回、皮から作るわけではない。
 たまに食べたくなって生地を練る、その理由は単純明快なことに、薄い皮が作れないからである(笑)。日常的に食べるには重いのだ。本場の方々にとって餃子は「皮を食べるもの」であって、焼き餃子なんてものは餃子鍋のあとの余った具を処分する料理だとか。むろん、焼き餃子定食なんて白ごはんメニューは邪道の極みである。それも自分で皮を練ってみればよくわかる。我が家では週の半分の晩ごはんは小麦粉ごはんなのだけれど、餃子作るとき使う小麦粉の量は、普通にピザ焼くくらい使う。だとすれば確かにピザに白ごはんはない。お好み焼きならまだわかるが(大阪育ち)、カップ一杯以上の小麦粉を使ったら、それはもう小麦粉ごはんである。白ごはんは炊かなくて良い。

 でも好きなんだよね。餃子定食。

 というわけで、ごはんのおかずになるくらいの薄い皮が作れないために、日常的に食べる餃子の皮は買ってくることが多い。おそらく本場の方々にとって餃子が水餃子に限るという理由もそこにあるのだろう。手作りの皮は、茹でたり蒸したりしたほうが美味い。それは餃子が小籠包の一種であるということを想い出せばわかる。ふっくらと水分を含んで膨らんだ肉まんよりも、焼き肉まんのほうが美味いはずだなどというやつは居ないはずだ。だいたいそっちのが美味ければいまごろ全国のコンビニで焼き肉まんを売っているはずではないか。というところからも推察できるように、この国における焼き餃子のスタンダード化は、機械的に大量生産される人知を越えた薄い皮の存在によるものなのだ。あんなものを真似して作ろうと思ってはいけない。今回作るのは餃子鍋用の餃子だ。焼いてもいいが、それは「ああやっぱりタクミさんのつくった餃子は茹でたほうがおいしいわ」と客に言わせるためのイベントにすぎない。というわけで麺棒もいらない。薄くのばさないから。本来なら強力粉オンリーで作ると歯ごたえが強くて好みなのだけれど、餃子パーティー用ということで数を作らなければならないため、薄力粉を加える。ピザの生地もそうだが、薄力粉が少し入るだけで、生地をこねる腕力は半分で良いし、のばすときもびにょーんとのびるので作業が容易い。特に円形に成形する作業を端折ろうなんていう餃子作りの場合、強力粉のみの生地で作業に向かうのは自殺行為だ。逆に言えば、台所を打ち粉だらけにして、たかが餃子を作るのに一日を費やす覚悟で、一枚一枚円い皮を麺棒でのばす、というのなら、弾力ある強力粉のみの生地のほうが扱いやすいかもしれない。

 ところで、今回の餃子パーティーに、特別な客が来る。

 彼女は、肉が食べられないのである。ベジタリアンというわけではない。健康ヲタなわけでもなく、ただたんに「肉って動物の死体」だというイメージから肉を食さない感受性豊かなコだ。ストレスが溜まる状況になるとすぐに大人ニキビが出て、いまはひどい状態なので逢えない、とか言い出す。とても鈍感に生きている、むしろテメエら殴りかかってこいという心持ちで毎日を過ごす私のようなのから見ると、彼女みたいなのは大丈夫なのかという気にさえなるが、彼女は彼女でみずからの敏感さと折り合いをつけて疲れながらも人生を満喫しているようである。というわけで魚介類は食せるし、鶏ガラダシのラーメンは平気。ただしラーメン食べている彼女に「それ鶏煮た汁」と囁けば箸が止まる。つまるところそういうレベルで肉が食えない人物が来る。

 調べてみた。

 肉なし餃子。単純に肉を抜いただけでは、つなぎがなくてぱさついて包みにくいようだ。パンとか小麦粉とか足せば包みやすくなるという。でも、ただでさえ皮多め具が少なめの私の餃子で、具にまで小麦粉を足すのはただの小麦粉まんじゅうになりそうな気がする。ということを友人数名に漏らしたら異口同音に「豆腐でしょ」と言われた。しかしそこにもネックが。餃子パーティーの当日、私は夜まで仕事で出ているのだ。当日、餃子を包むわけにはいかない。だとすれば作った餃子は冷凍庫にストックしておくしかない。凍らせた豆腐がどんなに食えたものでないかは、実験してみるまでもない。高野豆腐とか使えないかな……と考えていて、いったいなにを悩んでいたのかと膝を叩いた。

 この国には「おから」という食材があるじゃないか。
 肉餃子&肉なしおから餃子、レシピ。

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 まずは具。

●材料

白菜 2玉
ネギ 2本
ニラ 1束
しょうが 100g
たけのこ水煮 200g
生エリンギ 200g
たまねぎ 100g
干ししいたけ 2個

酒 100ml
塩 大さじ1
しょうゆ 大さじ2
こしょう 小さじ1
オイスターソース 大さじ1
片栗粉 大さじ2

豚挽肉 500g
おから 300g

●つくりかた

 白菜とニラを茹でます。そして刻みます。ほかの材料はフードプロセッサーにぶち込んでOK(私もそうした)ですが、白菜だけは包丁で刻みましょう。少しざっくり感が残るくらいでとどめるのがコツ。餃子のなかで唯一、歯ごたえのある食材ですから、これを細かく刻みすぎるとペースト状の具になってしまいます。言うまでもないですが、干ししいたけは戻さないと刻めません。エリンギは野菜室にあったから入れただけ、なくても良い。たまねぎは甘みが出るので少し入れると美味。おから対策として、オイスターソースで濃いめに味つけしました。片栗粉は、みんなでひとつの鍋を囲むための保険。万が一、鍋のなかで肉餃子が破れても、挽肉がダシに溶けないように。友人が本物のベジタリアンなら、それでも食べられなくなるかもしれないから鍋は二つ用意したほうがよいでしょう。そのさいは、片栗粉はなくても良い。

 肉orおから以外の材料を刻み終えたら、とにかくまぜます。両手で粘りが出るまで練ります。そのうえで半量に分け、片方に挽肉、片方におからを投入、さらに練ります。おからのほうが量が少ないのは、単にワンパック300gでおからが売っていたから。600g入れるとさすがにパサつくだろうという計算。結果的にこれは正解でした。

 だいたい、これで各300個の餃子の具が完成。余ったら冷凍できるので、多めに作っておいて、晩ご飯のメニューに困ったら皮を買ってきて包んで焼き餃子、というのがオススメ(包んでから凍らせると場所を取るからね)。

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 次に、皮。

●材料

強力粉 1kg
薄力粉 250g
ごま油 大さじ2
水 500ml~

食紅 大さじ1

●作り方

 粉をボールにあわせ入れ、水を加えながらこねる。以上。
 量的にボールでは小さいので、私は40L鍋を使います(一食1Lの水分を摂る私が、夏場にウーロン茶をまとめて作る鍋です。カレーとか冷凍庫にいっぱいぶん作るときにも活躍)。床に置いて、生地の入った鍋に向かって1000発ほど正拳突きを落としたら、良い感じにこねあがる。水の量は、小麦粉の状態などにもよるので、良く言われるたとえですが、耳たぶの柔らかさ……ヒトによって違うよねえ。ちなみに私はかなり福耳なんですが(笑)。Dカップくらいの女性の二の腕の裏側の柔らかさ。その因果関係は定かではありませんが、まあ、ちょっとやわらかいかなあ、と思うくらいが包みやすいです。指先だけでのばして包むから。ごま油は、動物の死体が食べられる人なら、豚ラードのほうがコクは出ます。

 半量には、食紅を練り込みました。もちろん、同じ鍋をつつくのに、彼女が肉なしを選択できるように。料理は愛情です。で、食紅を練り込んでから、紅く染まった己の拳を眺めて「は」と思ったことに、肉なし餃子が必要なのはひとりなのに、なぜ具も生地も半量で作ってしまったのか……しかし、できあがったおから餃子を試食してみたら、解決いたしました。まったくもって、肉なし餃子美味。肉好きの私にとっても。これは、きっと肉ダメな彼女以外の女性陣も食いつくから、結果半量で正解です。いやまだ結果は出ていないのですが、我がこねし指がそう感じている。ていうか何度も書くが余ったら凍らせりゃいいんだって。少なめより多めです。もてなし料理の基本。

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 レシピ終了。
 包み方?
 いやだから指先でのばして包むだけだって。
 冷蔵庫にあったシソとか水菜とかコーンとかチーズとか、加えて包むと変化が出てよい。もてなし料理の基本として、一個か二個は、唐辛子や豆板醤を詰めましょう(笑)。茹でても透けないようにちゃんと具でくるむんだよ。
 そんなこんなで、録り溜めていた『銀色のオリンシス』を全話一気観しながら作っていたら、冷凍庫がいっぱいに。

destiny

(余談になるが、しっかし東堂いづみ原作は大河ドラマだめだなあ……
 最終的に宇宙の命運がサイコ女子ふたりのどつきあい「そうやってまたわたしをだましてゆるさない!! ぜったいににがさないあんたみたいなおんな!!」……餃子包みながら巨大ロボットはケンカの道具じゃないとなげいておりました。小説読まないと全貌がわからないらしいが、先にアニメを観てしまったのは失敗だったかも。日曜朝の少女向け東堂いづみ原作は悪かないにせよ、大人向けの物語書かせるとなんだこのキャラたち、その言動おかしいだろサイコさんだよなにをどう感情操作されて楽しめばいいのさ、という感じです。叫べば盛り上がるってもんでもない。全体に古いロボットアニメ臭がする。古き良き、ではないところがつらい。耐えきれずスキップばかりしていたので、リモコンが打ち粉で真っ白になった。どうしてくれる)

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 餃子というより和菓子に見えます。
 ピンクだし。
 ちょうど14日、この餃子のせいでホワイトデーのほうはダイエーで買いました(経済紙でも話題だったダイエーオリジナル驚愕の89円第三のビールというのを売り出していたので一本買って飲んだが……ひどい。もはやビールに似せる気もない別の飲み物だった。しかし嫌いではないところが微妙だ。外国産の安いビールの味、なんとも言えず好きな部分もあるのだった)。お菓子を手作りしてもあんまり感動されないということを学習したというのもある。男の料理は、繊細さを露出しすぎてはいけないと気づいた。たとえできてもやらない。弾けるピアノを、あえて弾かない美学。でも弾かないで、弾けるということは匂わせなくてはならない。その辺りの匙加減ができてこそハードボイルドと呼べるでしょう。いや別に目指してないが。ピアノも弾けないし。

 さておき、試食。
 あえて焼く。
 焼き餃子は断然、鉄板がうまい。中華は火力だというのはよくいったものだ。しかし朝から鉄鍋を熱していると、台所中が白煙に包まれるのが難ではある。それでも、ひとり分を焼くのなんかは特に、かんかんに熱した鉄に餃子で水注いでじゅう~というのが、やっぱやりたいじゃない。

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 とある朝の食事に、玄米ごはんでいただきました。

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 おからのほうが、ちょっとしっとりしている。きのこ多めに入れたのがよかった感じ。どうしても味のパンチは肉のほうがあるが、ほかの具のエキスを吸い込んでしっとりした、おからはそれはそれで別の味わい。ニンニクが欲しいなあ。チューブのを買ってきておこう。餃子用にニンニクの醤油漬けも常備しているのですが、さすがにみんなで食うのは地獄絵図。茹でれば、ゴマダレとかでもいいかも。酢醤油よりポン酢が合うかも。肉まんみたいにいっそカラシはどうだ?
 と、そういうことで遊びたくなる、良い出来です。市販の皮で作る餃子とは、別物といっていい、これが餃子。皮を食す料理。でも焼き餃子定食もアリ。おからも酔っているときに出されたら普通の餃子と思って食うだろう。それくらい違和感はない。スターバックスとマクドのコーヒーどっちがおいしいか実験というのをこのあいだ読んだが、人の味覚というものは、突き詰めると個体差なのだ。肉だから美味いってもんでもないわけで。おからで筋肉は育たないから、栄養面でどうかってとこはあるにせよ、ヘルシーという美徳もあるのであって、アブラが入っていないのに違和感なく餃子だというのはたいしたものだ。

 出張で来られなくなった某氏。
 悔しがるがいい。
 (あまれば……あまるだろうきっと。花見のときにでも食べられるように冷凍庫にとっておくよ。それはそうとフィリップのドイツ土産のマスタード、まだうちにあるんだけれど。食っていい?)


 小説を書いているときに、ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります。


 小川洋子 『物語の役割』

yoko

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 さて。一息ついたところで、うちのメイン顧客である書き物方面のみなさまがたとお話ししましょう。ここのところゲームの話ばっかりだったし(笑)。こういう話をするとまた某ちゃんねるの少数派のみなさんが私のことを「け」と語りながらリンクはってくれたりするかもしれませんが。それはそれで多謝。

 というわけでおかげさまで『GoW』を買いました。密林紹介料収入がジャングルにまんま返った形で。貢献しているなあ私。それにつけてもアマゾンのアフィリエイト。今期から月末締めになったのだけれど、どう考えてもこれはこっちにとって不利な変更だと思う。やる気も削がれます(前期までは四半期締めだったため、数を稼ぐとアップする紹介料率が三ヶ月ごとにリセットされていたのだけれど、先月からは一ヶ月ごとリセット。そのぶん、初期設定のパーセンテージが上昇したので、かえって収入あがるケースも多い、というのが密林側見解だが……与党政策かよ。最低賃金あげるなら一律時給1000円とか思い切ってしないと効果なんてないって。最低賃金が740円から750円になったからといって、収入が上がって格差がなくなるなんてどういう戯言だ)。
GoW
 ゲーマータグは「Yoshinogi」です。
 あっちで出逢ったらどうぞよろしく。
 おっとまたゲームの話になるところだった。そうだ、某ちゃんねるの話が出たので、ついでに書いておこう。読みながら、本人が書き込んで言い返すというのも興ざめだよなあと感じながらも、同じジュブナイル書き同志としてそれは言っておこうと思ったことがひとつだけあったんだった。
 (無断で一部表記を変えて引用しますが許してください)

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 A投稿者としてネットで有名な人のいつだったかのAの最終選考通過にならなかった話が残っていた。同じ作品をAもBも高評価するってことは意外とこの二つのレーベルって近いのかしら。

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 ちなみに、先月の某賞の件。
 で、その賞の途中経過発表はウェブ上でなのですが、当初は私の作、副題が抜けていたんですね(その後、編集さんとのメールのやりとりでなおしてもらったのでいまは副題もついている)。だからたぶん、このかたが思っているのは別の作品。ちなみに副題は『少年鎖骨電光掲示板』──そう。四連作のなかで唯一、Aの「最終選考通過にならなかった」どころか四次選考も通過していない作なのでした。

 という時点で、もはやあんまり二つのレーベルが近くないことは読みとれますが、私が言っておきたいのはさらに別のことで。

 同じプロットの作品でも、私ははっきりと意図的にレーベルによって味つけを変えているよ、ということ。AとBにいたっては規定枚数が倍以上違うので、登場キャラからして倍増。ちなみにAには登場しなかったがBにはほとんどメインキャラとして登場させたのは──

 「中年男に恋するコスプレ好きな三つ編み美少女にして有能な部下」

 (笑)。大人女性が読者の中心なAでそんなキャラは絶対つかえませんが、萌え美少女の表紙でクラッとくる大人男がメイン顧客なBでは逆にそれも入れておかねば。という読み。というわけで私の受けた印象としては「ああ、やっぱりここはこうしたほうがウケるんだ」──AとBはまるで違うな、というわけです。
 参考になればいいのですが。

 で、さらに言っておけば、今回の私、四作品送っています。初めてのトコだったので、傾向と対策がわからなかったため、思いつく方向性ぜんぶをわけて書いた。でわかったのは、やっぱりBL要素が入ると受け入れられない(笑)。A向けに書いた作品のほとんどがそれだからなあ、書き直すにしてもつぶしが利かない。

 ちなみに「A投稿者としてネットで有名な」私が、最近よく訊かれて、それもAの常連組みたいな人たちにまで「どうしてる?」と訊ねられることに、Aの応募要項特有の「テーマ」という項目。訊かれてはじめて思ったのですが、悩んだことがなかった。そういえば批評でも「友情、とテーマにあるのに」なんて文をよく見ますね。私がなにか勘違いしているのかもしれないと、ちょっと不安になる。今回のはこう書きました。

 「パペッツの情動回路」

 それが、だってキーワードだったんだもの。
 前回はこう書きました。

 「恋愛シミュレーションゲーム」

 だって、それがモチーフだったから。
 物語の内容は、そんなのAなんだから「主人公が恋と別れと克服の果てに自分だけの幸せを発見」で揺るぎないところで、だったら「テーマ」を問われれば、それは「今回はなにをネタにしたの?」という料理の鉄人でいえば「今夜のテーマはこちらっ!」というのがまさに「テーマ」ではなかろうかと……だから「まぐろ」とか書けばいいんじゃないかと。思っていつもそうしているのですが……「恋と友情」とかって書くの、鉄人だとテーマが「塩っからい」というような感じになりません?(このあいだの鉄人の「パイ生地」ってのは、そういう感じに近かったが……以前、日本版でも「酒」とかって回があったな。調味料やんっ、とつっこんだおぼえがある)──それは確かに、そんな一言で表現できるなら料理する必要ないじゃん塩せんべいでも食っとけ、てなもので、そういうこと書こうと思うと悩みますよ。だからたとえば舞台が「古代バビロニア」とかヒロインが「凄まじいまでの美貌と恐るべき超能力」を持っているとか。それが「テーマ」でいいんじゃなかろうか。深く悩むところでもない。そんな私はこれもA&D特有の「好きな作家」の欄に、Aは海外SF作家陣、Dは本邦エロマンガ陣の名前を毎回書いています……はっ!?……Dの成績が近頃ふるわないのはもしやそのせいか……先々月送ったのには、最近はスカを開拓しはじめた某氏の名を書きました『CROSS』好き。勃たない男が結局なおらないまま幸せになるってエロじゃないし。なのにエロ。もっと評価されていいと思うこの人は。そういう作家っていっぱいいる。そのむかし、私の通っていた高校の国語教師で、

「アダルトビデオにもだからこその魅入ってしまう作品というのはある」

 そういうのって、結局、監督がこだわりすぎてAVとしても評価されないんだけど、というようなことを授業中に力説はじめて女子はおろか男子にも理解されなかった可哀想な人がいました……先生、いまになってわかったよ。確かに絶対に本流には行けないけれど、亜流でもさらに異端の作り手たちっていうのが世の中にはいっぱいいるんだね。そういう人たちは、亜流のなかでかろうじて干されない程度の媚びをまぜながら、そこでだけかろうじて紡げる自分だけの世界を編んでいる。教科書に載っているこんなのも素晴らしいけれど、おれが昨夜観たAVの監督や脚本家や女優たちも、ぜんぜんヌけないけれどおれに良いもの見せてくれたよ。お前らもテレビで流れてるのだけがドラマだと思うな。もっと自分だけの大好きな作家を探すんだ草の根分けても……とそういうことが言いたかったんですね。ま、授業中にはじめたのはやはりよくなかったと思う。でも、彼の授業で私がおぼえている話は、それだけだ。それだけ、さえもない教師にはいっぱい遭ったから、彼は私にとって、良い教師だったのだと思う。ありがとう先生。あなたの名前は忘れましたが。

 唐突にゲーム話に戻るが、私は『サラダの国のトマト姫』をクリアしていない。あのころ、パソコンはまだマイコンと呼ばれていて、私がはじめて触ったパソコンは隣の家のパパが持っていたものだった。その息子と仲が良く、よく留守を見計らっては勝手に起動させ、小学生らしくささやかなエロ画像に興奮したり、ピコピコどころか、ピ……コ、ピ……コなんて速度で動く野球ゲームで対戦したりしていた。なにせこっそり起動させているので、アドベンチャーゲームなどはできないのである。だってセーブしたらばれるからね。というわけで、いまとなってみればたいしたボリュームではなかったはずの当時のAVG名作『サラダの国のトマト姫』も、何度となくプレイしながら、結局後半の展開を知らずに終わってしまった(のちに出たファミコン版は、コマンド選択方式に変更されていて、その当時の私はPCのコマンド全文入力方式における単語探しこそサラトマの醍醐味だと考えていたので、いつかPC版をプレイしようとファミコン版には触れず、結局そのままになっている。2004年にはEZアプリ版が出たが、それもまたファミコン版の移植である。いちから言葉を探す難解さでヒットしたゲームなのに、ファミコン以降、だれでもクリアできるゲームに改変されてしまった。いまでも私にとってサラトマとは「こんなもんクリアできるわけあるかっ」とゲームにはじめて熱くなった原体験の象徴なのである)。
saratoma
 そのすぐあとにPCに触りはじめた私だったが、そのときにはもう『サラダの国のトマト姫』を買う気にはなれなかった。ゲームはファミコンと『ドラクエ』の時代に突入していたのだ。

 あのころからだろう。
 辺境で、一部の小説が、読者になにかを本当に探させることをやめた。亜流が、ひとつの本流として定着した。そこにある謎は、ドラマは、制作者の意図したとおりに観客の感情を揺り動かすことが目的のギミックで、出来を語るときにも、そのギミックによって観客の心が「想定通りに操作できたか」──成功したか否かが判断基準となる。

 サラトマに「こんなもんクリアできるわけあるかっ」と罵ったとき、私は制作者になぜもっとうまく作れないのかと問うていた。その後、ファミコンの時代にスマートでクールなだれでもクリアできるコマンド選択方式へサラトマが「進化」したとき──それはまぎれもなく「進化」なのだけれど。一方で、私のような、サラトマの理不尽さを罵ったからこそ、その作品をおぼえている、自分の原点としている、そういうプレイヤーは確実に減らしてしまった。

 冒頭引用の小川洋子さんは、文学者だ。
 ヒトの歩いた道のうしろから、次の問題を、テーマを、みんなで考えようと問うている。あたしはこう考えるんだけれど、こんなのっていま、みんなどう感じるのかな? と。

 きっとその作業のなかで、文学は進化する。

 そしてその対極として、同じ小説という形を取ってはいても、まるで別物なものを書いている人たちは、人類のいちばん後方を歩いている、だなどと感慨深く思ったりすることはない。ここでの小説はギミックなのだ。言葉で仕掛ける罠だ。他人を己の意のままに操ることに悦びを見いだす書き手と、操られることに快楽をおぼえる読者とのせめぎ合いである。人類の行方など、関係ない。今夜が、最高の夜になるかどうかだけが関心事で、もしもそれが究極に実現できるなら、明日なんて来なくてもいい。人類が滅んだってかまわない。

 というような話だったんですが。
 ドラクエのヒトや、ガサラキのヒトや、ウィングス系の祖であるあのヒトに、読んでもらうための作業のさなか、肝心のヒトビトに読んで頂くに至らず我が飛翔が終了してしまいました。操りたかった。明日なんてもういらないと言わせたかったなドラクエのヒト。私のサラトマを殺した。あのヒトの心をこの手で。ずばりファースト・ガンダム世代なのに、ガンダムはやっぱターンエーが好きとかってダメっぷりで、むしろボトムズでガサラキな私は、あのヒトも、罠にかけたかった。
 なんとなく感触はわかったので、来年も行ってみます。たぶん。

ガサラキDQ8

 というわけで次はどこ行きましょう。
 なにを殺そう。
 考え中。