いまの女性群が
一生のあいだにあまりたくさん
産んでくれないということになっちゃった。
人口統計学では、
女性は15歳から50歳までが
出産してくださる年齢ということなものだから、
15歳から50歳の人の数を勘定すると
大体わかるわけですね。
もう、ほかからは生まれようがない。
急に男が『産む役』に
なるということはできないわけだから。
(中略)
産む機械と言ってはなんだけど、
装置がですね、
もう数が決まっちゃってる。
装置の数。
機械と言っては本当に申し訳ないんだけれども、
それが決まったとなるとあとは。
機械って言ってごめんなさい。
その産む役目の人がひとり頭で頑張ってもらうしかないんです。
ひとり当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が
いま、日本では1.26。2055年まで推計したら、
くしくも同じ1.26だった。
それを上げなければいけない。
柳澤伯夫(現 厚生労働大臣)
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別に支持するとかしないとかいうわけでもないし、熱く政治を語る気もない。しかし、野党第一党で次の政府とか言っている人たちが、えらい長いことバッシングしてるよね、これ。首相が辞めさせないって言って、本人も続けるって言っていて、それでもまだ彼らは「それでいいのですかこんな発言を許してもいいというのですか国民のみなさんっ」とあおり続けているわけですけれど。
新聞とか、見出しだけ流し読みして、
「女は産む機械」
とか。
それだけとったらそりゃ許せない発言。
でも、冒頭引用が大臣の発言なわけだ。
たとえば、私がこの手のたとえを書いても、だれもなんにも言わない。
だとしたら、これはこれを言ったのが大臣だからダメだってこと。
もう一度読んでみる。
すごく謝りながら喋っている。
つまり、彼も「これはうまくないなあ」と思いながら口にしているのである。
単に、うまい言い方が見つからなかっただけともとれる。
文章的に見るならば、
出生率が上がらないのは産まないから──だから解決策としては、
「ほかからは生まれようがない。
だから産む役目の人がひとり頭で頑張ってもらうしかない」
機械うんぬんのところは、抜いても意味は通る。
意味が通るのに余計な言葉を挟んで叩かれているわけである。彼の気持ちとしては「産む機能を持っているのは女性だけだから、その女性が産む気になったり、産める環境にあったりしなければ出生率なんて上がるわけないでしょ、そこ大前提」という意味なので、素直に聞けばむしろ、
「女がいたって男もいなけりゃ子供は生まれないだろ、男も大事にしろ」
と、むしろ男性のほうが憤ってもいいような内容だ。
ていうかさ──
話も膨らまないような、くだらないことだよこれ。
悪意もって言っていないの明白じゃない。
私なんてまさしく団塊ジュニアの世代で、まわりを見れば結婚何年目って同級生ばかりなのにちっとも子供つくったなんて話は聞かなくて、そりゃうちらの世代がこんなじゃ人口も減るわな、と酒飲みながら語るまさに当事者なのですが。そんな私でさえ、むしろ「この大臣、確かに軽率な言葉選びだけれど、ちゃんと考えてはいる」そう受け取れる。むしろ、小学生程度の国語力があれば悪意あって言っている言葉ではないとわかるそれを「許していいのか」と詰め寄る──それもしつこく──そっちのほうが「もっと熱意注ぐべきところあるだろ」と感じずにいられない。まあ彼らにしてみたら、手順はどうであれ政権とらないことには政策実行できないというのが脅迫観念的にあるのかもしれないが。
だれが浅はかかと言えば。
「この団体の正規軍はふぬけの集まりだ!」
と叫んでリングに乱入する悪役軍団を演じている彼ら。
その演出って、結果的に正規軍の人気を高めて団体の基盤を盤石にするものである。
野党某党の皆さん、プロレス観たことないんですかね。
どう見たって正々堂々戦っておれたちが正規軍となってやるって言動じゃない。
別に、私も正規軍のファンなわけじゃないですが。
少なくとも当事者として確実に言えることがある。
どっちもそんな言葉遊びでつっつきあっていたって、
それでだれが、
「よし、じゃあそろそろガキでも作るか」
なんて思うんだってことだ。
くだらない団体だよほんと。
客をあおる前に悦ばせること考えなよ。
金払ったのにおもしろくないから騒ぎ立てる。
良い試合見せてくれて、こっちが幸せなら、そっちも幸せでしょう?
危機感持っているのに、試合前のあおりを増やしてどうする。
どっちでもいいから、なんかやるならとっととやらなくちゃ。
「団塊ジュニアが産めない歳になったら終わりですよこの国は」
その話に何年かけるんだ。
小学生なみの計算力もないのかあんたらは。
あ、ごめんなさい小学生を侮辱しました。
ごめんなさい、本当にごめんなさい。
叩かないで。
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「首相は子供がいないが、今回の発言に首相も傷ついたのではないか?」
衆院予算委員会/少子化問題に関する集中審議
高井美穂(民主党)による発言。
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デリカシーない発言はどっちだよ姉さん。
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「小島!お前がトップなんて納得いかねえんだよ!
セコンドのお前らもこんな弱いチャンピオンに
いっつもペコペコしやがって!かかってこい!」
第33代三冠ヘビー級王者 小島聡について
諏訪魔(VOODOO-MURDERS) による発言
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ヒールがこういう発言したあと、チャンピオンが発奮して大活躍しファンの支持を得るという構図以外に、どこにたどり着けるというのか。言えば言うほど観ているほうの期待は「小島がんばれ、あんまり好きじゃなかったけど、そんなふうに言われるのを許すほど嫌いでもないさ」──「あー首相子供いないのに、子供できない人の気持ち考えろとか詰め寄られてんじゃん可哀想すぎる、いじめてやんなよ」──そういうふうに流れていくものだと思うんだが。
ちなみに小島は数ヶ月後、21分28秒の激闘の末、剛腕ラリアットで諏訪魔を粉砕。王座の防衛に成功し、ファンの喝采を浴びたのでした。まあ、それがあったからこそ、いまの諏訪魔が良い悪役だと言われるようになったのも事実ということで、そういう方向めざしているなら止めはしないけれどもさ。
演出ってものの基礎を学ぶべきだね、彼らは。
母の実家が広島で、祖父が逝ってから牛を飼うのをやめ、たんぼも人に貸して、祖母は一人で気楽に暮らしている。冬になって、雪が降ると車で行くのはとても大変なんだけれど、そうでもないときには海沿いのまっすぐな道を延々と走るのは気持ちが良い。そう言いながらもう何年も私は逢っていないのだが、父と母は年に一度は逢いにゆく。そして、海沿いの道で、生牡蠣をおみやげに買って帰ってくる。
それが今年は、どこの海でも牡蠣の販売を見合わせていたらしく、そういう話を聞くと、広島のあの辺りの海では冬の生牡蠣こそが年間収入の大きな部分を占めるのに、その直販漁師さんまでもが売らない、ということの意味の深さを思わずにはいられない。そのうえ、身のまわりで「ノロウィルスの猛威にやられた」友人たち数人が、数日トイレのドアの前でのたうち回って暮らした、だの、なんだか悔しくなってきていっそ自分で自分の首を絞めて気絶しようかと真剣に考えた、なんて発言をするものだから、知識として加熱すれば大丈夫だとわかってはいても、あえてスーパーで貝の類に手をのばすことが減ってゆき、牡蠣にいたっては、ふと気づくとこの冬一度も口にしていなかった。
貝にはそもそもみんな有害なウィルスだの寄生虫だのいることがわかっていながら食べてきたという歴史があって、だったらこんなにいろんなことの技術が進んでいる映画のなかの近未来みたいな現代で、安全な貝を作るとか、安全性をきっちり調べる手法とか、そういうものが確立されないのはちょっと不思議だ。細菌のいない化学繊維の疑似土壌と浄水で育てられた、洗わずに食べられる野菜はいま普通に店頭に並んでいる。しかし野菜は洗えばいいじゃないか。むしろ、絶対に食あたりしない生牡蠣なんてものをこそ作れば、世界中で大ヒット間違いなしに思える。生魚は危険だからと、刺身や寿司を敬遠する人々が世界中にいる。絶対安全な海鮮生食品群は、そういった人々の価値観を根底から描き変えるパワーを持って人類社会に迎えられるだろう。できないものだろうか。今朝の新聞に出ていた「マグロが獲れなくなる」という記事を読んで、どうして養殖ができないのだろうと思うのは浅はかなのか。クローン牛を作るより、牡蠣やマグロを育てられる疑似大海を作ることのほうが、ずっと簡単に思えるのだけれど。
ところで、SFの世界では、違った角度からこの問題を解決している。
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手術はもちろんあっさりとおわった。翌日には連体テストも終了した。これは、多重現実で利用者が使うさまざまな仮想小物(デバイス)の、連体子(ドライバ)み込みと動作試験だ。コカ・コーラとケンタッキーフライドチキンとハーゲンダッツの幻覚で成功を祝った。カロリーゼロで、まことに好ましい。
飛浩隆 『ラギッド・ガール』
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『ラギッド・ガール』を含む飛氏の『廃園の天使』シリーズは、仮想現実という使い古された設定を、仮想であっても現実であるという逆転の発想で描いた傑作群だ。シリーズ第一作
『グラン・ヴァカンス』 に限れば、人間は一人も出てこない。全員が仮想世界のAIである。それでありながら、彼らには彼らの生き様がある。現(うつつ)の実(じつ)も夢うつつ。夢のうつつも夢世界の住人にとっては現実なのである。いつ消えるか、なにを目的に生きるのか。なぜ戦うのか。その問いの答えはリアルにもヴァーチャルにもない。境界はある。けれど、鏡像は鏡像だからこそ、オリジナルよりも過酷な現実に直面せざるをえないのかもしれない。
SF界の聖典、
スタートレック・シリーズ ではレプリケーター(Replicators)という装置がおなじみだが、これはコーヒーを注文すると、現実に質量保存の法則を守り分子結合によってコーヒーを作り出す装置だ。ホロデッキ(Holodecks)内であれば、完全に仮想のコーヒーが飲めるが、そのさいには本人がどっぷりとホロデッキ内で再生される仮想現実に浸っていることが必要である。一方、『楽園の天使』における視床カードの扱いはそうではない。手術によって視床カードを脳髄に直結すると、人々は現実世界で生活しながら、そのうえに仮想現実をダブらせることが可能となる。すなわち、この食事のシーンで、彼女たちはカロリーを気にせずにアイスをほおばっているが、そのアイスが載っているテーブルや、彼女たちの座っている椅子は現実のもの。ただし、その椅子にほどこされた彫刻は視床カードの視せる仮想の現実かもしれない。大多数の人類が視床カードを移植した未来において、街であり部屋の景観は、
キューブリック 的にシンプルなものになってゆく。シンプルな外観の街を歩く人々は、それぞれの視床カードによって、好みの外観に彩られた仮想装飾のダブる街を歩くのである。
視床カードを使えば、ケンタッキーフライドチキンと同様に、おいしくて完全に安全な(ただし栄養もない)、恐怖を抱かずにすむ、生牡蠣を食すことができる。
スタートレックでは、よく知り合ったばかりの相手にレプリケーターを使って「ぼくの故郷の料理」だの「私の星では欠かせない酒」だのを振る舞うシーンが出てくる。そういうとき、たいていの場合、相手は食べたり飲んだりしたあと顔をしかめて「なんなのよこれ」と口にし、振る舞ったほうが「これの良さがわからないなんて」と嘆く。観ている私たちが頷くのは、実は、料理なんてものは、味そのものよりも「故郷の」「私の星の」という装飾の部分のほうこそが大きいのだと知っているからである。スーパーの総菜でも、高級フレンチでも、ソテーしたニンジンの味は変わらない。いや変わるけれど、それほどまでに──片方は記憶に強く残り、片方は翌日には忘れ去られるほどには──変わらない。けれど、どこでだれと食べるかが味を変える。それを視る心が、味わうという行為に意味を与える。愛のない接吻はただの肉と肉の接触にすぎない。
視床カードの作用下で食す生牡蠣は、美味いだろうか。
海のミルクと呼ばれる栄養はない。実際的な危険性はない。食とは、他者の命を摂取するからこそ、その意味が味を生むのだと力説する向きもあるだろう。確かに、生牡蠣のなにが美味いといって、その磯の香りの生々しさ──そして矛盾することにその生々しさを打ち消すレモン果汁を絞りかけているという征服感──いっこの生命を一口に飲み込んでいるという愉悦であることは疑いようもない。仮想の生牡蠣なら、いくら食べても平気だからといって、視床カードを移植したらヒマを見つけては生牡蠣を食うかといえば、きっとそうはならないだろう。それはしょせん嘘だ。命の奪い合いではなく、もしかすると時間の無駄遣いかも。
けれど思うのだ。きっと視床カードを脳に繋いだら、私はヒマを見つけては、食べたことのないありとあらゆる料理を、食材を、きっと食材ではない本当なら食べることが倫理的に許されない、どんなマニアでも口にしないようななにかをさえ、食べるだろう。食べまくるに決まっている。食べ物でなくても、素材のデータがあれば、人がもしもそれを食べればどんな味がするかは想定できる。放射性廃棄物をひと飲み。そうして、もしかすると私は、仮想の劣化ウランをポリポリ食べるのが大好きになるかもしれない。
愛のない接吻はただの肉と肉の接触にすぎない。
だが。
仮想のキスでは愛が生まれない──
わけではない。
仮想の生牡蠣は現実の生牡蠣とは別物だが、別物として好きになることはできる。
AIには、AIの人生がある。
仮想世界で強大な敵を倒すために、ともに戦った戦友がいる。
仮想の血を流して殴り合い、良い戦いだったと世界の裏側のだれかと笑いあったことがある。
何度も書いてきた。
『Halo』の最新作が、ついに来る。
現時点で、視床カードの思想に最も近いものだと私は思う。
機種をまたぎ、数年越しで、いまだにプレイしている──全世界で約15000000本のセールスを記録、オンラインマルチプレイヤー対戦へのログオン時間は延べ650000000時間超──もはやそこには世界ができている。そこに世界があると知っていて、そこに自分の居場所があって、だれかと触れあえるのだと知っているのならば。それはだれだって、その場所を訪れるだろう──現実ではないし、私のすべてには成り得ない──けれど、確実に存在して、完全に私の一部となった『Halo』の世界。生牡蠣以上に、仮想の生牡蠣を食べるように。私は、電源を入れたら10分で味わえる、この偽の戦闘──スポーツとしての対戦の、そのまた仮想──を、愛し、かなりの頻度で味あわずにはいられない。
テレビCMが、非常に良い出来。
つないだ手と手、日常のなかのゲーム世界。
これが『Halo』──プレイした人は、これを観て「うんうん」と頷かずにいられない。
今年中に発売される予定の『Halo3』。
その、マルチプレイヤーパブリックベータプログラムが近日開始される(平易に言えば対戦モードのテスト)。
絶対に参加する。
参加する気であれば、いろいろな手段で参加できるので、ぜひ行きましょう。
ゼロからめざすならば。
↑これを用意して、ネットへLAN接続。
だいたい『Halo』のマルチプレイってなに? というあなたは、
↑これをどうぞ。
(『Halo2』は初代Xbox用ソフトですが、Xbox360においても問題なく動作します。07年春にはXbox360専用の新マップパックも出るということで、名実ともにいまだ現役のXboxが誇る名作なのです)
そして準備が整ったなら、
『Halo 3』マルチプレイヤーパブリックベータプログラム へ。
その世界は仮想だけれど、そこでのふれあいは、うつつ、である。
出逢いましょう、かの地で。
私のゲーマータグは、
Yoshinogi
です。
つなぎましょう、手と手を。
まじえましょう、仮想の銃弾と。
心を。
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そして──
『『Halo 3マルチプレイヤーパブリックベータプログラム参加権をいただいた』の話。 へ続く。
「Yoshinogiさん、いつもXBOXに関して記事にして頂きありがとうございます」
という文章で始まるメールがXboxLiveで届きまして。
(意外に知られていないが
『My Xbox』 を使えば、PC上でもゲーマータグだけでショートメールのやりとりができる。スパムも(いまのところ)まったくなく、なかなか使える機能だ)
『Gears of Warという言語』の話。 ↑この記事で、
『ギアーズ・オブ・ウォー』のフェイスプレートもらっちゃいました。
これ、以前にどこかのイベントでも入手できたモノらしく、ヤフオクで同じのがプレミアム価格販売されています。今回の放出では、私を含め20人限定の『ギアーズ・オブ・ウォー』を話題にしたブロガーにフェイスプレート放出企画だったのですが。躊躇なく開封(笑)。金で買えねえものもあるー、とくらあ。ていうか、イベント会場で入手できるものは海外電化製品によくある「カッターナイフで切らないと開けられない」プラケースに入っているのですが、送られてきた私のは生身をプチプチでくるんであっただけ。一瞬、逆にプレミアム感が、とも思ったがそんなわけはなく、それを言うならユーザー向けにはいつもモノスゴイきらびやかな包装でモノを送ってくるマイクロソフトさんが、思い切り普段づかいの事務封筒に手書き伝票でプレゼント送ってきた、その封筒のほうが希少かも(笑)。
さっそく装着。
この高揚感。
写真。
2006年と書いてあるのが、本場な感じです(『ギアーズ・オブ・ウォー』は、06年の末に海外で発売され、日本では年明けて07年の発売でした)。封筒にはシールも入っていたのですが、きっと横腹に貼れということなんだろうと思いつつ、やはり断念(雑誌の付録などで、この手の本体デコシールがあったりするのですが、正直、絶対に使わないし、シールを直接ボディに貼れてしまうユーザーって、どうかと思ってしまう。自分の名前を彼女の内股にタトゥーさせるロクデモナイ愛し方に似て思えてしまうんです)。
ついでなのでその他の写り込んでいるものも紹介。
本体の上で蒼く光っているのが『Xbox360 アロマシステム』(非売品)。360が熱を持つと内部に仕込んだ香り球が芳香を発するという「あら彼ったら熱くなっちゃって獣の匂いがしてきたわ」的ななまめかしきアイテムなのである。で、後ろのは愛飲しているウォッカに付いてきたおまけの扇子。そして二丁拳銃のあの御方こそ、
マスターチーフ Kubrick。
こうして見ると、我が凶箱って族車のコックピットみたいです。
恥ずかしい。
結局、まだ買っていない。
『Gears of War』を動かしたことのないマシンに貴重な『Gears of War』フェイスプレート……申し訳ないので、はやくその世界に飛び込みたいのですが、なにせ決算期、なにせ今月はタイトな〆切スケジュール……来月こそ。と言っている間に『Halo3』ベータテストが……遊ぶのも忙しい。
幸せ。
私のゲーマータグは、
Yoshinogi
です。360お持ちの方は「ゲームを比較する」で、私のプレイ履歴を覗いてください。お、ようやくはじめやがった、と言われるようにがんばります……いま、ぜんぜんゲームしていないみたいに見えるでしょうが、いまさらながらに『GTAダブルパック』をプレイ中(『Halo2』含め、初代のソフトをプレイしても360にはなんの履歴も残りません)。『Ⅲ』がようやくクリアできて『Vice City』へ!
ビル・ゲイツ氏のカリスマで成り立っていたといわれるマイクロソフトが、複数トップの体制に移行して、技術者が逃げていくんじゃないだろうか、と噂されるなか、
「プレイステーション3を一台買うより、WiiとXbox360を買うだろ、ふつう」
というような発言でもおなじみのピーター・ムーア氏が昨年の新作発表で左腕に彫ったのは『GTA IV』のロゴ。
2005年6月に、いま私がクリアしたばかりの『グランド・セフト・オートⅢ』が神奈川県の有害図書に指定されたという出来事があり、『GTA IV』をこれまで主戦場としてきたプレイステーションで継続発売していいものか、人の目を気にしすぎるソニー久多良木が迷って決断が遅れていたところに、マイクロソフトが有利な条件を提示してマルチプラットフォームタイトルに変更された──そしてその後、『GTA IV』のダウンロードコンテンツはXbox360に独占供給されることが決定。
いままさにテレビでは発売したばかりの『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』のテレビコマーシャルがガンガン流れているが、あれも日本発売にさいして、変更点がいっぱい。
・一般人殺害を目的とした、ストーリーに直接関連のない2人プレイ用ミッションの削除(2件)
・性的描写の含まれる、ストーリーに直接関連のない職業ミッションの削除(1件)
・人を倒しても、お金が出ないように変更
・倒れている人に追い討ちができないように変更
・その他、上記の表現を含むシーン等の変更及び削除
街で売春婦ひろって郊外で車を停めギシギシ揺らして体力150%回復したあとその売春婦が血の海に沈むまで殴り命と金を奪う、ことのできない『GTA』なんて!! とだれが思わなくても、作ってる人たちは思ったに違いない。事実、そういう残虐さを笑う部分が、ぶっ飛んだホラー映画を観て笑えるのと同様、このシリーズのキモだと思うし。
そういう不満に、ピーター・ムーアは応えたのだ。
右腕に『Halo2』のタトゥー。
だれもがペイントだと思っていたら
本物だった という笑えるぶっ飛びかた。で、残った片腕に今度は『GTA IV』──うれしいよな。私が『GTA』関係者なら、迷わず久多良木ではなくムーアと握手をする。ビジネスって舞台が大きくなっても、けっこうそういうところの問題だ。先日、記者に「今年の新作発表はありますか?」と問われてピーターは答えた。
「驚きの新作はある。でももうタトゥーを彫る場所がないよ」
笑うピーターのカリスマ性に、最近ぞっこんなのである。
吉秒匠はXboxを応援しています、でも、マイクロソフトを応援しているかはちょっと微妙。と何度も言ってきたが、あくまでセガっ子の延長でXboxユーザーだった私も、近頃、マイクロソフトという組織自体に愛着がわき始めている。副社長が宣伝のためにマジタトゥーって(本当は違うにしろそういう夢を見させてくれる演者魂が)。素敵。
今回、『ギアーズ・オブ・ウォー』のフェイスプレートもらって、もっと好きになった。
いやけっしてモノにつられて書くわけではないが(笑)。
吉秒匠はXboxを応援しています。
今年の新作発表が楽しみだ。
期待しています、ムーア先生。
(背中が空いているじゃないですかっ)