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culdceptsaga
 というわけで序盤をプレイ中。

 前作までが『ボンバーマン』であり『ぷよぷよ』な展開だとすれば、今作は『ファイアーエムブレム』であり『ラングリッサー』。紙芝居ではなく、きちんと物語を読んでいる感がある。
 さすが冲方丁──王道と見せかけて、実は「主人公は駒」という設定を貫いているあたりが憎い。少年ジャンプ的にならず、むしろ侍魂であり企業戦士のような潔さを主人公に与えたことは、360ユーザーの年齢層、そして十年にわたって『カルド』を愛してきたプレイヤーたちの側にこそ成長物語があるという大前提のうえで構築されていることは間違いない(1997年10月30日、カルドはセガ系コンシューマ第6惑星サターンに生まれた。微妙に十年経っていないが似たようなものだ気にするな、九歳と十歳の差などない。ちなみに私は早生まれの1月30日生まれなので同級生の4月生まれと10ヶ月の差があることを恨めしく思ったこともあるが、いまとなってみれば良き日に生まれたと思う。なにせ来年の1月30日はWindows Vista発売日。同じ誕生日になるわけだ。そして明けて1月31日はジャイアント馬場御大の九回忌。自分の祖父の命日さえあやふやな私なのに、誕生日のせいで御大の命日を毎年忘れることはない。誕生日の夜、日付が変わる頃、ココナッツクラッシュを想い出す。哀しいが、全日本プロレス好きとしては嬉しいことでもある)──自分を「買った」妹王の盲目的とさえ思える「平和への想い」のために、己の身を削り闘うコロセウスで生き残ったもと奴隷の少年──むしろ女性向けのストーリーかもしれない。私なら、王道を怖れるあまりに絶対にハメを外しておかしな物語展開にしてしまうが、彼の物語ときたら──人を感動させるほど美味いカクテルは、なにかを加えることでではなく、バランスを極限まで整えることでしか生まれない──書き手としては、絶対に物足りなく思うシンプルな展開と文章なのだけれど、プレイしている分にはそれがちょうど良い。それをわかっていて、しかも抑制して「書ける」という職人の腕に感服する。過剰さのないまったり愉しむ大人の娯楽として『カルド』はひとつのステップを上がったのである。

(初代に実装されていた「敵同士の闘いは戦闘画面表示しない」という機能が省かれていることに「退化だ」という声があるようだが、これは『カルドセプト サーガ』がオンラインのスタンダードを目指すという決意表明だろう。対戦相手が人間であるという前提では「他人の行動を省略」などという機能はあってはならない。CPU相手の対戦でそれに慣れてしまうと、オンライン対戦が「ダルい」と感じるようになってしまうということへの予防策ではないだろうか──まあ、確かに操作系で「ん?」というようなあきらかな不具合は多々あるので、私の良心的解釈に過ぎないのかもしれないが。少なくとも『ラストハルマゲドン』で(RPGなのに)戦闘が起こるたび数分もディスクを読んでいた(冗談でなく「エモノガイタゼ」→トイレタイム、というレベルだった)、というような時代からのゲーマーとしては、まったくもって問題ないまったり加減である(褒めちぎっているようだが、全体の動作のまったり加減は、どうもデータ量が過剰負荷なのではないかという印象がぬぐえない、という点は指摘しておこう。スタンダードとなるべく電脳世界に降臨したなら、あのまったりというよりもっさりした不安定感はどうにかしなければなるまい。データ更新での改善を求む)

 癒し系毒舌小動物、ティコムンの口癖が気になる。

「脳みそぶち割ってやるでふ!」

 ──割らないよな、普通、脳みそ。
 割るとしたら「頭蓋」。
 もしくは表記するなら「脳天」。
 「椰子の実割り」とか「脳天唐竹割り」なんてジャイアント馬場の技も、脳みそではなく頭蓋骨を割るための(割れないけど)技だ。
 「脳みそ」とするなら「ぶち割る」ではなく「ぶちまける」が自然。

「脳みそぶちまけてやるでふ!」

 『武装錬金』のヒロインもそうだが、可愛いキャラが「はらわたをぶちまけろ」とか口にする萌えはアる。しかし、見た目は可愛い小動物だが、実際に敵のはらわたをぶちまけたり、脳みそぶちまけたりするキャラには、微笑むことができない。なにせ『武装練金』のヒロインがはらわたぶちまけさせるのはどこかの化け物だが、ティコムンの対戦相手はプレイヤーである私自身なのだから。生々しい脅しは笑えない。

 ──ということまで考えて。

「なに生意気な口きいてんだこの小動物が、だいたい脳みそぶち割るってなんなんだ、、ちゃんと喋れ」

 返り討ちにしてやるよ、と。
 プレイヤーを熱くさせるための周到な言葉の罠なのか。
 だとすれば──
 
 若くて可愛い新米バーテンダーが、レシピよりも少しドライすぎるカクテルを作って出し、その味に小さく苦笑いしながらも客は逆に満ち足りた気分になる──そういう風景をセリフひとつで「演出」して魅せた、職人の技の切れ味に、感服どころか畏れを抱くのでした。

 やめられないゲーム。
 一気に読まずにいられない本。
 観終わって喉がからからになっていることに気づく映画、とか。

 愉しまされている。
 遊ばされている。

 それって逆に、作った職人に「遊ばれている」ということだ。
 思うがままに操られてしまった。

 ティコムンの間抜けたセリフに熱くなる。
 でも本当の戦争も、そうだったりするんだろうと思う。
 だれかの描いた単純な物語に遊ばれる。
 間抜けなキャラを演じて「できるかい?」と問う。

「できるさ、やってやるよ」

 闘争本能が応える。
 握っているのが銃でなくて良かった。
 本当にゲームで良かった。

 平和な国でこそ、心をだれかに遊ばれることを愉しめる。
 カルドセプトサーガ。
 セガ機には『テトリス』と『カルド』が必要だ。
 Xbox360は、これで真にDCの後継機となったのだ。

(しかして先日、DCに新発売のタイトルが現れるという出来事が!
DC
 製造中止から5年いまだ現役。まさに生ける伝説の名機)

 愉しいに決まっているタイトルの、重箱の隅をつついて批判するのもまた、愉しい。

 入手新カードの閲覧画面で「見て戻るたび」カーソルが最初の位置に戻っている不具合に、かの猿楽丁の面子の誰ひとりも違和感を感じなかったのだろうか。職人としてあんなあきらかなダメポイントを見逃してはいかんだろう。年季が入ると馴れ合いが生まれる、という芸事の難しさがゲームの世界でも現れだしているのか。
 進歩したハードと最高のスタッフ。
 でも、歴代最高の『テトリス』にはならない。
 だれもが、いつかの時代の大御所が舞った舞台を夢見ていまの舞台を創る。
 そういう岐路に立っていることもまた事実の『カルド』。

 次世代機、次世代機と言われ、三世代。
 すでに歴史の出来事。
 SAGAとは、伝説という意味だ。
 ふさわしい。 
 順天堂大学医学部の丸井英二教授らの分析で、興味深い事実が判明した旨、新聞で読んだ。
 記事によるところを端的にまとめると。

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 日本の大都市で70年代以降に男の赤ん坊が産まれなくなっている。

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 まとめすぎたか。
 補足。そして語弊がある。
 男児は生まれている。
 ただ、その割合──産まれてくる男児と女児の比率──が、減少しているという、というお話しである。以前から、日本全体で見た男児の出生率が低下していることは知られていたが、統計として都会で男児が減ることがこうしてはっきりわかってみると、ちょっとショッキングでホラーな事実に見えてしまう。

 しかし、データを詳しく見てみると。もっとも減少がいちじるしい都道府県として取り上げられている私の住む大阪でさえ、1971年に女児ひとりに対し男児1.077人だったのが、2004年には1.046人の割合にまで減少したというだけのことなのだ。

「それでも女の子のほうが数少ないんじゃん」

 という感想を単純に持ってしまいそうな数字ではないか。

 もちろん、実際にはそうではない。もともと、男児は女児に比べて死にやすい。丈夫な女と虚弱な男、そのバランスを是正するためには、産まれた段階での数は圧倒的に男のほうが多くなければならないのである。これが1:1に近づいていく。その理由はわかっていない。

 エコ戯言と片づけられない過去の出来事としては、1976年7月10日、イタリア・セベソで事故により多量のダイオキシンが放出されてしまった痛ましい事故がある。736名が高濃度汚染に晒されたとする地域で、事故後、七年間のうちに産まれた74人のうち、男児は26名であった。

 そういった例と並べてみると、今回の統計は、日常的な汚染地域と化した日本の大都市で、人類が滅びつつある証左のように見えなくもない。世界的に若い男ほど精子数が減ってきているらしいといった記事を読むと、汚染地域で貝や魚がほとんどメスになってしまったりする環境ホルモンの脅威が、いよいよ人類に実際の脅威となって襲いかかって来たのかもしれないと死にたくなる。

 別のデータとして、全体では自然死産率(中絶を含まない死産)の割合が減っているのに、男児の自然死産率は上昇を続けている、というものがある。このことについてもはっきりした確定説はなく様々な仮説が立てられている──が、私の直感で(!)書くなら、もともと丈夫な女は医療事情の向上でもはやほとんど死ぬことはなくなり、そのせいで、医学の進歩をもってしても、もともと数撃って率上げる方式の男がどうしても亡くなってしまうそのわずかな数の占める意味を増しているというだけのことではないのかという気がする。

 ここを突き詰めていくと危険思想になりかねないが、生物進化の仕組みとして、どんなに医学が進歩しても、根本的に「弱いオスが死ぬ」という図式があるからわずかづつでも進化が促進されるのではなかろうかという達観に至る。

 死ぬために生まれるオスは進化のための贄として必要なのである。

 昆虫界には『オス殺し現象』と呼ばれる現象がある。これは、出生率に偏りは見られないのに、成体では異常にメスの多い集団が形成されてしまう現象で、主な原因としては悪性微生物などの増殖により、オスのほとんどが大人になる前に死んでしまうような状況に陥っても、メスにはほとんど死者が出ないという経過による結果だ。重要なのは、しかして、その種が滅ぶことはない。ということである。大々的なオス殺し現象が発生したところで、「一匹のオスもいなくなる」事態にならない限りは問題にはならない。

 集団内に男がひとり生き残っていれば、あとは女で種は回るのである。

 ──まあ、その残ったひとりが精力旺盛でないとか、相手を選り好みするとか、ボーイズラヴとかだったりすると悲劇だけれど、ほかの男が全滅する世界で生き残ったひとりならばきっと来る者拒まずなバカマッチョに違いない。いや単なるイメージだが。

 そういう観点で今回の統計を眺めていると、夢想が膨らむ。

 産まれる男女の割合が大都市になるほど1:1に近づいていく。これは、大きな都市の環境が悪化しているせいではなくて、単に近くに病院もあるし入院して出産する人も増えて、産まれたての男児が虚弱であることさえも種として克服してしまった結果なのではないだろうか、と。そして、そう考えるならば、先のオス殺しの件を思いだし、本当にこの減少は1:1の割合で止まるのだろうかと逆の畏れを感じ始めてしまう。

 医学の進歩で男が死ななくなった、そのことを人類という種が種の共通認識として理解まではせずとも「感じ」、その全体意志として「別に男の子を多く産まなくてもいいんじゃねえのこういう時代なら」と決定したから──だから男児の出生率が減少したのだとしたら──「種の意志」なるものが本当に存在するのなら。

 男どもは、もっと競って死に、もっと限りなく「最強のひとり」に近づくまで減らしたほうが進化は促進されるはずだ。実際には、世界でひとりだけの男という図式では種の全体数が減少していくので、町内にひとり、マンションでひとりくらいの割合が必要だろうか。そのひとりの男が決して死なず、医学の力で老いの進行も遅らせることができるなら、男:女の割合は1:100でも全体出生率2.0を越えることは充分出来る。種は繁栄するのである。

 とかそういうことを「種の意志」が考え始めたり、あげくに「最近はクローン技術とかもあるらしいじゃない?」などと考えてしまったら──いよいよ「もともと死ににくい女」だけで種を構成しようと目論んでもおかしくはない。

 最近、その手をニュースを読むたびに思う。
 人類には天敵がいなくなった。
 敵のいないリングなどままごとだ。
 そんなリングで強い選手が育つわけはない。
 まして地球連邦となった唯一無二の人類には、切磋琢磨し追いつき追い越し競い合う他団体の存在もない。
 ──思うのだ。

 これ以上の進化は必要か?

 必要ないならば、生け贄も必要ない。
 生まれた全員がただ生きれば良い世界で、出産率の男女差などなくなるのは当然だ──

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「あたしは機械としかつきあえない人間なのかも」
「いっとくけど、ないがしろにしたものは衰えてくるのよ、ルーシー」
「たとえばあたしの体ね」
「心と魂はどうなの? まずそれからはじめましょうよ」
「冷たいわね。あたしの健康のことはどうでもいいみたい」


 パトリシア・コーンウェル 『神の手』

predatorpredator

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 この世界は弱くても生きていける楽園になったのだから。

 なったのに。

 ルーシーの脳には腫瘍ができている。
 彼女の体から筋肉が落ちたのは病のせいだ。
 だが、叔母の目にはそうは見えない。
 ないがしろにしたから。
 退化したのだとしか思えない。
 あとで叔母は悔いるのだ。

 それは病のせいだったと知って。
 しかし、彼女は責められるべきではない。
 
 進化? 必要ないから?
 
 この世界は弱くても生きていける楽園になったのだから?

 なったのに。
 今朝、通勤途中に道路にぶちまけられた血を見た。
 四階から飛びおりた男子高校生が即死だったという。
 高校生の息子を持つ同じ職場の彼女が、もうあの道通りたくないわと眉根を寄せながら、言った。

「流行っているらしいから。うちも心配」

 私は思わず鼻で笑って、返してしまった。

「流行りで死ぬんだ?」

 彼女は真顔で、そんなものよと答えた。
 最近の子ってそんな感じよ。
 彼女の脳裏には自分の息子の顔が浮かんでいるのだろうに。
 私は、肩をすくめて、そうなんだ、と言うしかなかった。

 死なない世界。
 弱い男も種に認められ「もうこの世なら数多く生まれさせなくても良い」と出生率が丈夫な女と同じになりつつある世界。
 敵のいない世界で、自ら死ぬ子。

 楽園てそういうものかもなあ、と、ふと思いました。
 進化のための贄だった男は。
 楽園では、闘わなくてもよいなら、ほかのなにをすればよいのだろうか。
 死ぬ以外に。

 愉しんで生きればいいじゃない?
 子を産む道具となって?
 この世は楽園だ空しすぎるぜと呟きながら。

 飛びおりた彼の気持ちがまったくわからないわけではないというのが、どうにもヤなんだよな。
 楽園の贄。
 それってそもそもいらないものだ。
 だから愉しくないと死ぬんだろう。 
 つまんないから死ねるのだ。
 楽園の贄。
 愉しむことが死活問題なんて──
 空しすぎるぜ。

 それともこれは単なる病のせいか?
 滅びへの順調なスタートダッシュ?
 健康体とは言えないにしても。
 人類という種はそれほど病んでいるか?

 しかし、彼女は責められるべきではない。
 病であることは確定していない。
 知らないのに疑うというほうがどうかしている。
 とりあえずは、ないがしろにしたから衰えたのかもと疑ってみよう。
 鍛えたら改善するかも。
 やってみる価値はある。
 他にやることがないなら、心構えとして。

 淡々と生きる強さを持ちたいです。
 楽園ではソレこそがハードボイルド。
 明日も生きるんだ?
 愉しくもないのに?
 カッコイイっ!!

 ホントに思うよ、そう。
 それがとても強くて格好良いことに思える。
 自殺流行りの楽園にて。
 
 いやすごい。
 マニアの底力というものを見る気がするね。
 昨日から今日の『カルドセプトサーガ』の話。
 「カルドセプトサーガ」を検索してくる数百の人々。今日は発売日です。
 私は密林予約したので発売日に届いてはいないのだけれどね。
culdcept
 まあ届いても次の休みまで触れないのでどうでもいいんだが、困るのは荷物を受け取るのに休みを一日使ったりすることがままあること。ネットで注文したものが、画面から出てくればいいのにな──ダウンロード販売とか、ネット小説とかは、ある意味そういうことだけれど、それが流通のすべてになることは絶対にないだろう。人は触れることで、逆に自らの存在を物理的に確認している。

 共働き夫婦の留守がちな家としては、ぜひハンコなしでポスト投函の方式でお願いしたい。
 でも、メール便も郵便小包も、なんだか律儀に不在通知だけを置いていく。本来、その形式だとポスト投函が許されているはずなので、この地域で以前、なにか問題が起きたのかもしれない。

 で、再配達の依頼。

 そのたび、職場に届けてもらうの欄にチェックを入れようか迷う。
 そのたび、想像する。
 いまの職場で、もと検収担当だった私は、いまも荷受け場の方々と懇意にしていて、私あてに荷物が届くたび、みんながさがしまわって大声で声をかけてくれる。
 想像すると──躊躇する。
 私がそういう指向だとはむろんみんなうすうす気づいているにしたって、週に何度も

「アマゾンからお荷物ですよ吉秒さんっ!」
「今日は楽天市場から、古本ですか中古ゲームですかっ?」

 とか叫ばれるのはやっぱりイヤなのだ。
 でも毎回迷って、チェックを入れかけては想い出すことがある。

 以前、職場に田舎の母親からバレンタインデーに酒が届いた同僚がいた。
 そのとき彼は、末期的なアル中になりかけていて仕事中にも隠れて飲んでいるような状態だった。
 住んでいたマンションもそのせいでトラブルを起こし追い出されていた。

 彼の母親からのバレンタインの贈り物を見たとき、私は彼を殴りたくなったことを憶えている。

 実家で暮らしていたころ好きだった酒に、いまや息子が壊されかけているのに、彼の母親はそのことに気づくどころか、息子の引っ越し先の住所さえ知らない。なにが起きているの知らせて欲しい、と贈ったご機嫌取りの酒が、彼を今度こそ徹底的に破壊するなどとは、夢にも思ってはいない。

 もうダメだ、もう彼とは一緒に働いていけないだろうとだれもが予感していたが、最後の時期に見た、あのバレンタインのブランデーは嫌な感じだった。
 忘れられない。
 プライベートでどんなにむちゃくちゃでもいいから、職場で飲まないで欲しかったし、職場に連絡するしかなくなるまで、母親を無視して欲しくなかった。
 まきこまないでほしかった。
 見たくなかった。
 私は、彼とは仲が良かったし、彼が辞めてからも顔を見て笑いあうことが何度かあった。
 でも、酒のせいで壊れかけていたにしても。
 あれはダメだった。
 人として許せないところがあった。

 と、そのことを想い出して、職場にプライベートはいっさい持ち込むまいと心に誓うのである。
 と、いうようなまるで「カルドセプト」に関係のない話をする『カルドセプトサーガ発売日』の話──そうさ、これがこのサイトの本来の姿だ(笑)。ここには「カルドセプト」攻略法も、まして同じ日に発売になった『DOAX2』の情報もない。
 いま、私は『グランセフトオート3』に夢中だ。
 その話と、カルドセプトサーガのプレイ記は、そんなこんなでまた後日。

 発売日に遊んでいる皆さんは、眠れない夜を過ごしてください。
 私も、こっちのシリーズもぜんぶ追っかけている人だから、一緒に買おうか迷ったんだが、時間的な限界。中古も値崩れしないソフトだから、買っといてもいいんだけれどねえ。真冬にビーチで美少女。ど腐れ具合が素晴らしいな。世界に誇るべき文化だ。
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 でも本当に。
 セガっ子の私としては。
 シリーズ初回作から手で触れ愛しんできたものたちが、いまこうやってみんなに探されて興味を持たれているということが、とてもうれしい。ぜんぜんダメなんじゃないのと言われていた360が、絶対ダメだと言われた日本でも健闘している。うれしい。小畑健が、週刊少年ジャンプの新年1号から『ブルードラゴン』の連載を始めるそうだ。勝てそうな気がしてくるじゃないか。
 吉秒匠はXboxを応援しています。

 しつこいくらいに。
 いやいや、まだまだここからさ。

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