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「じゃあ書評の意味がないじゃないですか」
 そんな気もする。
「意味はあるよ。書評は、先行するテクストを材料にした二次的な読み物だ。それだけだがね」


 京極夏彦 『邪魅の雫』

jyamijyami

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 近年の受賞作家は低年齢化のせいなのか妙に老成した冷たい視点を持っていたり、逆に感情の高まりを実際的に過激な暴力で表現する傾向にある──それはあたかも少年犯罪が多発する現代の様相とシンクロする──そういうくだらない文学批判や書評をそこかしこで目にすること、それ自体を嘆かわしく思う今日この頃。文学の最先端が世相を映すのは当たり前のことで、だとすればそれを批判するしかできない書評家の皆さんこそが老いて時代の感覚からずれてしまったがゆえに違和感を感じるのでしょう。一方、その賞と対をなすあれのほうも、なんというか「まだ知らないヒトに教えてあげる」的受賞者が多いと批判されていたりして。

 確かに、京極夏彦の某賞受賞作も「そこかよ」という感じですが、売れているものを後付けでもっと売ろうと受賞させた結果なのであれば、確かにそこだと納得できる。売れているんだから間違いはないんだし。まあ賞与える側としても、危険なくらい尖った超新人とか、すでにそこそこ売れている実力個性派とか、そういうのに冠を与えるのなら意見の一致をみやすいって側面もありますでしょうし。あまりにもジャンルの内部が細分化すると、統一王者とか決めにくくなるもんですからね。昨今の大量繁殖した深夜アニメとか。もうアレとソレとは同じアニメだけれどまったくの別物として論じるしかなくて、どっちが良いとか悪いとかの問題ではない。問題ではないのなら、どっちも放送して気に入った少数派がディープなファンとなり派生するCDやゲームやDVDなんかを買ってくれるのにたよってそれで成り立たせればいい。で、それで成り立つのなら、そもそも優劣なんて決める必要性がない。

 というわけで。
 ヒマだけど本持ってきていないなあ、と思えば出張先や旅行先でもケータイひとつ、パソひとつあれば読み切れない量の小説をそこかしこからダウンロードできるこの現近未来社会において、だれが読んでもおもしろいなんてものは、むしろ毒にも薬にもならないくだらないものなんじゃないかとさえ思ってしまいかねない。統一王者は、ただ単にジャンル内でもっとも破綻しなかった優等生であったりさえするのではないかと思ったり……しません?

 そう考えると、ちょっとアンダーグラウンド要素を入れたジャンプ的、と言われ、実際にコミックバンチや少年マガジンで作品がマンガされたりもする、某賞受賞者、石田衣良なんて人の小説も、確かにものすごく優等生でまとまりよく端正な印象があるけれど──最近、立て続けに石田衣良関連作品に接していて、なんだかすごく私はこの人の作品に肯定的な気分になってきたので、それについて語ってみます。
 こうも数撃たれて、それがことごとく端正だと、かえって奇形な感じがしてくるのですね。しかも愛らしい。人間を肯定して、青春賛歌を歌って、夢を応援し、加齢した女性の肌を褒めちぎり、もちろんセックスもバイオレンスもグロテスクなところを含めて美しく描く。

 つい先日終わったドラマ『下北サンデーズ』が、とても良い出来だったのに9話打ち切りという憂き目にあったことは、裏番組に『渡る世間に鬼ばかり』があったことと関係がないとは言えない。あの時間枠に石田衣良作品の、しかもセックス&バイオレンスなしのまさに直球なジャンプ的作品を置いた時点では、『渡鬼』の視聴層はそもそも『下北』みたいな熱血青春喜活劇など興味がないだろうし、だとすれば『渡鬼』をおそれて他局が勝負を逃げている時間帯に『下北』ぶつければアンチ『渡鬼』層を根こそぎ持っていけるんじゃないかという計算が立てられていたに違いなく──事実、『下北』が始まったところで『渡鬼』の視聴率になんら影響があったわけではないことから、その作戦の半分は的を射ていたと言えるのでしょうが──ただし、あとの半分は紛れもなく読み違えていた。

shimokitashimokita

 原作・石田衣良、監督・堤幸彦。
 『IWGP』の黄金コンビ、再びのタッグ。
 わくわくした──私は単純に歓声を上げて、観て、おもしろくて、打ち切りに憤慨したひとりだったのだけれど。
 ドラマの中盤から視聴率が落ちたのは、あきらかにそういうことだった。

「なにこれ、ぜんぜん期待してたのじゃない!」

 私は、わざわざ予約して待つほどではないが、石田衣良の名前が目についたら買って読む程度には石田衣良を読んでいて『下北』のドラマ化は、まさに『下北』な感じでなんの違和感も覚えなかった。でも、原作ありきでないヒトは。石田衣良が、ジャンプ的弱小少年たちの夢見る日常を描いた『4TEEN』で某賞を受賞した、なんのひねりもない恋愛小説も書く、ときには株相場師の話も書いたりする、むしろAボーイのダメさ加減のほうをこそ愛情持った視線で描く、実は『IWGP』こそが異例的にハードボイルドな作家だということを、承知のうえではなく、新ドラマを観た人は。

「上戸彩、キモっ」

 という感想しか持てなかったことだろう。
 ドラマが良い出来であるかないかということよりも前に、あまりにも「石田衣良&堤幸彦」ブランドに期待したモノとはかけ離れていたはずだから。

 4teen

 『4TEEN』でも言えることなんだけれど、なんというかそのあまりにも嘘くさい美談と、あまりにも情けない主人公たちと、あまりにも役不足で人間としてダメっぽいのに救世主や守護天使の役割を担わされたサブキャラたちが、結局のところ傷を舐めあって励まし合って明日も生きていこうねというような鼻につく物語こそが石田衣良なのであって、リストカットだのスカトロだの包帯少女やペットのスク水少女、垂れかけた肉とか白血病とか夢だけ食べても生きていけるさとか、そういうのを「それはそれとして」こういうシーンとかセリフとかってグッときたりしない? という問いかけの作風こそが。そここそが石田衣良だとするならば。あのドラマはあれでよかったと思うんですが。

 上戸彩はキモい。
 しかしまあそれはよい。
 気をつけておきたいのはDVDのタイトルに「ブルマ」とついているにもかかわらず、その回の上戸彩が履いているのはショートパンツであること。私はドラマを観ながら「ああこれでまた反感かって視聴率が……」と思っていたが、まさか打ちきりになるほどだとは思わなかった。
 劇中で座長を演じる佐々木蔵之介が、大阪で演劇をしていたことのある私にとっては『惑星ピスタチオ』の佐々木蔵之介で、その人は大阪の小劇団からスターダムにのし上がった代表格のような役者なのだが、それが東京で売れない小劇団やっているという設定で演じている(というか佐々木蔵之介が退団したせいで現実のその小劇団は解散に追い込まれたのに、その佐々木蔵之介がテレビで「売れたらおしまいだ」と信念持って演劇やってる小劇団を率いているという……その皮肉)、そういうのも私にはおもしろかったけれど、興味のない人にはキモい目と目のあいだが離れた馬面のロン毛がキモい上戸彩に説教していてなおキモい、というだけのことだったのかもしれない。ブルマも嘘だったし。もう観なくていいやと思ってしまったのかもしれない。まあ結末は見えているわけだ。石田衣良だから。アンハッピーエンドになるわけないので、だったらハッピーエンドなのである。ブルマをはかない上戸彩をどこぞの馬面が説教しているドラマなど観ても、時間の無駄である。そう結論づけられたのかもしれない。

 実際のところ、石田衣良作品はそうだ。
 そうであるということにおいて、あのドラマは良くできていた。
 ありえないまでに良くできた話なのだ。
 ものすごい美談。みんないいヤツ。
 親指立ててサイコーと涙できる人しか観てはいけない。
 『4TEEN』の第一話は何度読んでも呻いてしまう──勃たない14歳の羞恥心8割の苦悩と、ケータイの電源を切る友人たち、聖母のような腐れ女子高生──ブラボー!!
 コミックバンチや週刊少年ジャンプに確かに似ている。
 大衆演劇とか、プロレスとかにも似ている。
 まさに『下北サンデーズ』はそういう演劇界の話であり、石田衣良がプロレスファンかどうかは知らないが、いつかこの人がプロレスものを書けば、ひさびさに中島らものようなプロレス愛に満ちたプロレス小説が書けるのではなかろうかと夢想したりさえする。どっちが勝つかはわかっているが、そこまでの過程でいかに「魅せる」かということに命がけで、客を納得させ酔わす──そういう部分もそうだが、同時に──悪役は、あくまで悪い役の人である、という点も石田衣良にプロレスを感じる理由。

 怪しい人は出てくるが悪人はいない。
 石田衣良作品でどうしようもない悪人というのは、ほとんど『IWGP』シリーズにしか登場しないのである。

 ドラマ『下北サンデーズ』は大衆に支持されなかった。
 でもそれが好きだった私は、もうひとつの作品のことを憂えた。

 『アキハバラ@DEEP』

 すでにマンガ化とドラマ化がされている。
 そして石田衣良作品、初の映画化。
 比べる材料がたくさんあるぶん、石田衣良作品について考えるには絶好のモチーフである。

 というわけで観てきました。
 次回は『アキハバラ@DEEP』を材料にした二次的な読み物と致します。
 とか言って書くのが疲れてきたので先延ばしにするだけなんですが。

 いやでもほんとドラマ『下北』、良いですよ。
 藤井フミヤも良い味出してた。
 たぶん再放送もないだろうからDVDで観てください。
 いっそ深夜枠とかのほうが視聴率とったんじゃないかと思うんだがなあ……


sudachi

カレーはナンの添え物だ。
そう私が言ったら反論されたので、
ピザの主役は生地だろうと応戦した。
アンチョビ・ピッツァ。
アンチョビを抜いてもかろうじてピザの体裁が残るが、
生地を抜いてアンチョビだけの姿をそう呼ぶ者はいない。
北京ダックの皮は春包のために焦がされる。
餃子もピロシキだって、具抜きの餃子はあり得ても、
生地抜きのピロシキなどありえない。
酒好きでしかも蒸留酒派なので、
パンとウォッカを婚姻の儀式の道具にする、
凍える国の単純な思想にあこがれていた。
体をあたためるウォッカと、生きるための小麦粉。
その摂取が生きること。
生きることを愉しむのはその摂取を愉しむこと。
カレーパーティーが終わって。
見ず知らずの客人とゲームを始め、
余ったナンとウォッカでくつろぎながら、
「次こそ殺してやる」
「ハヤテの雷神むずすぎっ」
(パッドで出るのかアレは?)
盛り上がって日付も変わり数時間。
ふと振り返ったら少女たちは、
凍える冬に向かって毛糸を囲んでいた。
そっちのが可愛いよ。
ううんそっちが素敵。
すだちを着飾らせている、
彼女たちを見ていたらあたたかくなった。
暑いから肌を磨き、
寒いから着飾る色をさがす。
そうやってヒトは愉しんで生きてきたんだ。
パンとウォッカ。
でもパンにつけるカレーがあるとなお。
酒だけでなく毛糸と暖炉があればなお。
生きていることは愉しい。
毛糸の色に悩めばなお愉しい。
彼女たちに訊いた。
タイトルは?
「こいするすだち」
──彼女たちは愉しむことを知っている。

komono

『ぼくは生まれるという恐ろしいまちがいをしてしまった。世界はぼくが思い描いていたような場所じゃなかったから、兄弟たちがいる暖かくて安全で快適なところにもどりたい』


 マイク・レズニック 『キリンヤガ』

キリンヤガ

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 世界はすばらしい場所だと夢見る生まれる前のとかげは、まだ見ぬ世界を怯える兄弟の制止を振り切って世界へと、生まれた。世界にはなにが待っているかわからないと兄弟たちが止めたのに、希望に満ちたとかげには届かなかった。
 輝く太陽と、あたたかい雨。
 飛び交う虫たちを、喰いたいだけ喰う。
 夢見るとかげは、生まれてしまった。

 生まれたばかりのとかげは、はじめて見る世界をじっと、じっと眺めて。
 やがて言った。

『太陽はどこにあるの?』

『虫がいないよ、ぼくの空腹はどうやって満たせばいいの?』

『この、透明な壁はなに?』

『ぼくを見つめる、あの巨大な目はなに?』

 とかげはすぐに気づいた。
 生まれたことは、まちがいだった。
 兄弟たちの心配は本当だった。
 ぼくはここで飢えて死ぬ──

 そのとき神が現れた。

 『とかげのあいしかた』の話。

 未熟な神は、大きく切った飲み込みがたいピンク色の新生児をとかげに与えたが、飢えに怯えるとかげに選択肢はなく、今度はいつ食料を与えてくれるのかわからない気まぐれな神が与える肉片を、むりやりに頬張った。飲み込むのに一時間近くかかり、消化するために翌日はまったく動けなくなる。

 あたたかい雨は降らなかった。雨を作る小さな機械で、いろいろな神がとかげに雨を降らせたが、それは愛情ではなく興味本位によるもので、水道の蛇口から取ってきたばかりの冷たい水だった。

 なにより、一日中、巨大な目がいくつもこちらを見ていることが我慢ならない。

 ぼくは、なんのために生まれてきたのだろう──

 ロシアリクガメが死んだのは、もともと難しいと知っていたのになんの知識がなくてもリクガメのエサと水をやっておけばよいのだろうと考えた浅はかな神のせいだ。
 フトアゴヒゲトカゲが死んだのは、はっきりと消化不良のせいだった。痩せ始めたことに気づいた神は、慌ててネズミの新生児を与えることをやめ、コオロギの缶詰に切り替えた──一度に、コオロギの半分しか口にしなくなっていたものの、まったく食べないよりは良い──体重が戻れと思った、二週間後、口許にコオロギを差し出してもぴくりともせず、イミテーションの岩石のうえで、まぶたを閉じて眠ったように死んでいるカラダを見つけた、神は本当に悔やんだ。それはまぎれもなく神のせいだ。
 イロカエカロテス──伯爵は、自傷行為をやめようとしなかった。繊細な伯爵には、巨大な目から放たれる視線に、一日中晒されるなどという世界は居心地が悪すぎて、カラダを傷つけ、一度は口にした肉と血の味にも再び口を閉ざし、コオロギだけは食すが、ただ生きているだけの状態だった。水槽という世界の中心で、最後まで伯爵は誇り高くオレを見るなと叫び続け、季節の変わり目に死んだ。もうこんなところには居られないと、そのぐったりとしたモノになった伯爵のカラダが言っているようで、神は言葉を失ったが、すべては神自身の行いのせいだった。

 イエアメガエルは、いまはどこかの水槽で元気に暮らしていると信じたい。

 ヒョウモンイエトカゲモドキと、クランウェルツノガエルは、神の度量や技量に関係なく、与えられるだけの食事を貪るように喰い、数ヶ月で二倍近い体長になって、いまも元気に生きている──あたたかい雨の降らない、太陽のない、透明な壁と巨大な目に囲まれた、世界で。

 神は悔いている。
 喰いものだけを与えていれば、とかげはどんな世界でも生きていけるのだと。
 そんなふうに考えた、自分の浅はかさを。
 繊細な心たちから、折れて死んだ。

「すごいなあ、こいつらの体長からすると、このピンクマウスの一片って人間にとってのギャートルズのマンモス肉みたいな大きさだもの。そりゃ二日にいっぺん喰えば充分だよな」

 バカみたいに笑って発言していた神は、自ら水槽のなかで二日に一度天から降ってくる自分の体重の三分の一くらいの食べ慣れない肉の塊だけを喰って──狂わずにその閉鎖的な世界で生き続けられるか試してみればいい。
 愚かな神よ。
 商いのためというイイワケさえもできない。
 愚かな神は、生まれたばかりのとかげを無駄に玩んで死なせた。

 戻りたいと泣くとかげに、遠くの声が言う。

 こうなった以上、あなたはここにとどまるしかない──と。
 どこにもつながらない世界に生まれてしまった、とかげは、絶望のうちに生きるしかない。
 生きることさえ、させてやれなかった。

 ごめん。
 そんな言葉で、すまないことはわかっているが。
 売る場所があるから生まれてきたとかげたちであって、それを売ろうとして失敗する行為に矛盾はなく、次への反省にすればいいのだろうとアタマでは思うものの、偽物の岩のうえで、眠ったみたいに逝った、とかげのたたずまいが目に焼き付いてしまった。触れると、あたたかかった。まだ、この世界にいるみたいに。もう、冷凍の新生児と愛玩動物とのあいだになんの区別もなくなってしまった、ただの肉の塊に、確かに愛情を感じて言葉に詰まった。忘れられない。
 もっとどうにかできたはずだと、思う。
 ごめん。

 とかげのあいしかたのしっぱい。
 もしも、彼らをこれから愛そうと思ってここにいるあなたには、特に言いたい──そもそも、とかげを愛するあなたには言わずもがなのことだろうけれど。

 つらい。すべてを自分に依存していた、とかげが死ぬのは。飼っていた猫を喪ったときと、もちろんなにも変わらない。こちらを見つめる瞳が、放つあの独特の視線の感じを、二度と感じられないのかと思うと、叫びだしたいくらいにどうしようもなく、悔しい。

 私には与えられない。
 でも、しっぱいはとても簡単だということは、伝えられる。
 あいするなら、知識を先に蓄えて欲しい。

 生きるために生まれてきた夢見るとかげを失望させないで。
 生まれたばかりのときには戻りたいと想ったけれど、まったく奇妙で想っていた世界とは違っていたけれど、生きてみればなかなか快適な世界だと、あなたのとかげに想わせてやって欲しいと願います。