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 今回はいいサンプルが手に入ったので、それをもとに考えてゆきましょう。
 まず、『幻追い~とかげ~』、『幻追い/リーリー』、『造形師ディクリード・フィニクスのヒーローな休日。』、『幻追い~三結神~』と、二年にわたってすべて最終選考に到達していた『幻追い』シリーズの最新作『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』が四次選考で落とされているという事実。私も、同じ世界観で書いた自分の作品の良し悪しくらいは自分で判断できるので言うと『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』はこれまでの『幻追い』シリーズよりも意識的に飛び抜けたキャラを登場させまくったことで、なかなかに楽しい作品に仕上がっています。決して過去の四作に劣るものではない。

 となれば、これが落とされた四次選考を通過し、最終選考に至っているもう一作『ゲームの真髄。』の存在が、この結果をもたらしたと考えるのが妥当でしょう。そうこれはウィングス小説大賞選考員の意志。

「こっちの路線のほうがいい」

 ということに他ならないのでは。
 とすれば私に限らず、私の今回の二作品の違いを検討すること、その結果が『ウィングス小説大賞で最終選考に残る方法』と呼べるでしょう。

 まずは、ストーリープロットから見てゆきましょう。

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 電脳情報網(ウェヴ)の中ですべてが手に入るからこそ、情報に置き換えられないものを求める者もいる──それらを幻(マボロシ)と呼び、それを追う者たちのことを幻追い(マボロシ・スカウト)と呼ぶようになった近未来の地上。
 時計を専門に追う幻追いの煉太は、電脳情報網の中で市場的には価値のないアンティークな軍用時計を、手当たり次第に収集している者がいると気づく。
 その時計はすべてまったくの同一タイプで、裏蓋に両界曼陀羅の画が刻まれている──その収集家の先回りをして時計を集めようとする煉太だったが、相手は想像もできないほど高次元な幻追いとしての能力を発揮し、煉太を完膚無きまでの敗北感にさらした。
 だが一方、その相手は煉太のことをさぐりだそうともしていた。
 気づいた煉太は自分から接触をはかり、やがて電脳空間(サイバー・スペース)で彼と出逢う──そこにいた相手は、口で喋るかわりに左の鎖骨に移植したディスプレイで語る、美しい少年だった。
 煉太は、彼からのメッセージに触れる。
 『たすけて』──その言葉に、少年の正体をさぐることを決意した煉太は、情報侵入者(ハッカー)の少女泳姫(ヨンニ)と、その姉の華姫(ホァニ)、さらには人体改造フェチな双子の弟、煉司の協力も得て、現実世界での探索を始めた。
 しかしなぜか、探索を始めた途端に煉太の身には危険が降りかかるようになり──ついに彼の居場所を見つけ、そこに向かった煉太たちの前に現れたのは、武装したテロリストたちだった。
 彼らは思想の礎として、かつて存在した自然保護過激派(エコテロリスト)がシンボルとしていた時計を胸にさげ、地球のために人類を駆逐する活動を行っている。
 時計を殺しの小道具に使う彼らのために、自分よりも能力を持つ幻追いの少年が、時計を追わされている──その事実に怒りをたぎらせ、自制心を無くしてテロリストたちに挑んでゆく、煉太──かすめた銃弾が煉太の右耳を奪った直後、テロリストたちは何者かによって一掃された──煉太の危機を救ったのは、テロリストを追っていた特殊部隊の指揮官である、アイスGと呼ばれる男だった。
 アイスGは、時計を追う煉太をつけねらうテロリストたちを追跡し、そこにたどり着いたのだ。
 彼と彼の部下たちの手により、さらなるテロ行為を目論んでいた巨大な集団が壊滅した。
 そしてあとには、時計をさがす能力はずば抜けているものの、見せ物として人体を改造され、自閉症に陥っている少年が残された。
 閉ざされた心にだれも近づくことはできなかったが、唯一、煉太だけが時計を介して少年に近づくことができた──少年と煉太は友人になり、煉太は彼の回復の手助けをしながら、幻追いとして未熟な自分を鍛えることを思い立つ──新しいともだちが、くじけず前に進む姿に影響されての、決意だった。


吉秒匠 『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』あらすじ。

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 ──自分でいうのもなんだが、短中編のプロットではない。同じプロットで書きようによっては千枚くらいいける。大長編向けのプロット。良くいえばハリウッド映画的。悪くいえばハリウッド映画的。今年、オスカーくんを抱けるのは、保守派ユタ州で上映されなかったゲイのカウボーイの話が最有力で、ハリウッド的の最たる巨大なゴリラが人間に恋する話などは候補にも漏れたんだとか。火薬とアクションとコンピュータグラフィクスに審査員も飽きてきたのか。単純なプロットこそ最強の物語だと信じる私ですが、そういうのは眠れない夜に読み捨てられる人生の潤滑油として機能して欲しいものなので、アクション超大作、なんてのが世界的な賞を取ったりするのは好きじゃない。私のウィングスにこだわる理由もそこにあります。女性向けでありながら男性読者もいて、過剰な感動などを求めているのではなく「うん。おもしろかった」という一瞬の悦楽にこそ人生の価値を見いだせる、そういう一話完結型ライトノベルの日本における王道を作ってきたのが、ウィングス小説大賞だと思うから。

 ウィングスでアクションを描きたい。
 泣かないくらいの「感動を与えはしないがなにか感じるものがある」分量で読者の心を揺さぶりたい。
 高級料理がうまいのは当たり前だけれど、自分だけのお気に入りの近所の小さな安い居酒屋も持っておきたい。
 そういう私好みのプロットが、こっち。

 でも、ウィングスは私にそれよりも求めるものがあるらしい。

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 前世紀の中頃に生まれたコンピューターゲームという文化が、やがてスポーツと同じように他人の試合を観戦する観客(ギャラリー)モードを標準装備したとき、プロのプレイヤーという存在が現れた──そんな近未来の地上。
 ゲーム・ランキングの世界に君臨する絶対王者佐々木幸也(ササキコウヤ)に完膚無きまでに叩きのめされ、夢も自信も失ったゲーマー夏容(シアロン)は、業界から足を洗うことを決意していた。
 だが、一通のメールからあなたのファンだという少年、リーシャと出逢うことになる。
 実はリーシャはゲーム会社の社長を父に持ち、夏容に伝えたいことがあるのだと告げた。
 佐々木はゲームを売るために、ねつ造された王者だとリーシャは言い、蒼いカプセルを取り出した──これを飲めば夏容も強くなれる──クラムと呼ばれるその薬は、ゲーム世界での反応速度を速めるかわりに、現実では人間に触れられなくなるというものだった。
 絶望の淵にいた夏容は、迷いなくクラムの力を借り、翌日から連戦連勝を続ける。
 父親の会社からクラムを盗んできたリーシャは帰る場所がなく、自らの窮地を劇的に変え救ったリーシャのことを、崇拝の念さえ込めて天使だと呼ぶ、夏容もまた彼を手放したくはないと思い始めていた。
 二人は求め合い、当初は満たされた関係を送る──だが、徐々にゲーマーとしての仕事の量を増やす夏容は、クラムを飲み続けざるをえなくなり、その副作用によって、やがて二人は一日のうち一瞬も触れあえなくなってしまう──互いに、苛立ちがつのってゆく。
 夏容は勝ち続けることで佐々木との対戦が実現するものだと信じていた──しかし絶対王者は現れず、クラムの作用による圧倒的な強さによって夏容自身が絶対王者と呼ばれるようになるまでのぼりつめるが、夏容自身の心はまったく満たされないままだった。
 ある朝、夏容は、まったくリーシャに触れずに闘うことだけを考えている自分に気づき、クラムを飲むことをやめようと決意した。
 だが、そのとき二人の暮らす部屋に押し入ってきた男が、リーシャを連れ去った──リーシャの父親が差し向けた追手だ。
 そして、その事件の中で、夏容は気づいてしまう──佐々木の現れなかったわけ──リーシャが自分を勝たせるためにクラムを盗み出すまでしたわけ──それは、自身が認める相手である夏容を、クラムの力で倒して王者と呼ばれることに、我慢できなくなった佐々木がリーシャだと考えれば説明できる、と。
 時が経ち──夏容は、FFという名の新たなキャラクターとなって、クラムを使わずに絶対王者佐々木の挑戦者となるレベルまで駆け上がっていた──闘いの舞台で、夏容は一粒だけ取っておいたクラムを飲んだ。
 対等の条件の中で、夏容は佐々木に──リーシャにゲームの楽しさを説き、彼に出逢えた喜びを語り──抱きしめる
 世界中の観客が、彼らを祝福する。


吉秒匠 『ゲームの真髄。』あらすじ。

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 ──同じ新書館から出ているディアプラスという雑誌も読まれている方には確認してもらえると思いますが、吉秒匠『ゲームの真髄。』という作品名は、ちょっと前のディアプラス主催の小説賞で選外になっています。「ボーイズラブ要素が薄い」とのことで、選考にも参加させてもらえなかった作品です。むろん、タイトルは同じですが、ディアプラスとウィングスでは規定枚数が違うので、大幅な改稿と加筆がほどこされてはいます。が、ストーリープロットは同一。『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』とは対照的に、キャラクターはステレオタイプにしてありますし、主人公とヒロインしか出てきません。もともとが恋愛小説として書いているのだから、当然といえば当然のことなのですが。

 造語が多いために、少しとっつきは悪いかもしれませんが、とくに女性ファンの皆さんには楽しんでいただけるのではないでしょうか──というのは、1990年、サイバーパンクの第二世代と呼ばれるリサ・メイスンの長編『アラクネ』を日本語訳した小川隆さんが、訳者あとがきで書いた言葉。『ゲームの真髄。』に出てくる電脳空間と人間の精神とを近づける薬品「クラム」が、歴史上最初に登場するのはこの作品です(名作です。ただし、クラムを飲むと現実世界で神経過敏になりすぎて恋人に触れられなくなる、というのは吉秒設定。アンドロイドとかサイバースペースなんていう過去の偉人が作った造語が今では日常会話でも使われるのに対し、素晴らしい作品の中に生み出されたクラムという単語は古本屋の奥で黴びていきそうだったので使ってみた。なので、私のあらすじのようなロマンス的なものをこの作品に求めると肩すかしを食います。『アラクネ』は新人女性弁護士カーリーが幻想的なテレ空間で自分を模索するお話)。

 前世紀の中頃に生まれたコンピューターゲームという文化が、やがてスポーツと同じように他人の試合を観戦する観客(ギャラリー)モードを標準装備したとき。
 という近未来は「今」のことです。
 観客(ギャラリー)モードを標準装備したゲームが続々と発売されているXbox360は、ゲームがオリンピック競技になる日も近いと思わせてくれる。少なくとも、あるレベルを超えた人と人のゲーム対戦は、マイナーなオリンピック競技よりも、見るものを惹きつけます(実際に、2000年から各国政府の公式支援によって開催されているWorld Cyber Gamesという年一回のゲームの世界大会は今年も開催される。この大会、昨年は『DOA Ultimate』部門で日本代表が優勝しています)。

 おそらく『3』では観客(ギャラリー)モードが実装されるだろう『Halo』シリーズの最新作『Halo2』(初代Xbox用ソフトですが、Xbox360でプレイできます)が『ゲームの真髄。』の根底にあることは『Halo2』でネット対戦を経験したことのある人なら、プロットを読んだだけでぴんと来るでしょう。

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 実際に、改造したデータで不正をはたらく者がいる。メーカーはそれを排除し、公正な対戦環境を守ろうとする。遺伝子ドーピングが現実の脅威となっているオリンピックのドーピング問題と、その現象はなにも変わらない。『ゲームの真髄。』は、己のすべてを競技での勝利にかけることで、崩壊していく論理や理性といったもの、その瀬戸際で踏みとどまることのできたものが勝者なのかそれとも……といった展開で繰り広げられるラヴストーリーです。

 ここまで読めばあきらかなことに、要は、BL小説を書くときにすべての作家が「恋ってどう生まれるんだろう」ということに悩むのではなく「作品の舞台をどこにしてどういった設定のキャラたちに恋させよう」ということに悩む、その過程で、私は私の得意分野である電脳空間とゲームの話に絡めたというだけのこと。ストーリーの根幹は、ライダーキックで怪人は倒されるの法則に従って、恋人たちは結ばれる。そこにつきる。

 つまりは、ウィングス小説大賞の望むものはライダーキックなのか。
 でも平成仮面ライダーシリーズのヒットはライダーキックを捨てたことでこそ生まれたのではないのか、ウィングスも今そういう時期に来ているのではないかと思って私はプロットをひねくり回していたのだけれど、そんなことは求められていないのか。

 (雑談になりますが、はじまったばかりの新番組『仮面ライダーカブト』では、ライダーキックが復活しています。『555』の流れをくむ近未来メカニカルライダー系マスクドライダーシステム装着型の仮面ライダー。すべてを変えた『響鬼』は非常に興味深く見たのですが、やはり定番化は難しいようです。おやくそく最強。でも、試してみたからこそ、心意気新たに王道に戻ることができたという部分もあるはず。それはそれとして『カブト』公式サイトの「天道語録」読んでみてくださいよ。今度のライダーのなかのヒト、なかなかキャラ設定が冒険しています。大衆に受け入れられるのかどうなのか、今年も仮面ライダーから目が離せません。バイク乗りなのにゲタ愛用者って……)

 愛してる、ぼくも、めでたしめでたし。
 舞台はちょっと変わっていましたね、いい物語だった。
 それでいいのか。
 それがええのか、ええのんか。
 ──つづく。





第12回 第一次選考通過
     『(タイトル不明)』
第13回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『幸せなモノ』
第14回 第二次選考通過
     『哀しみを癒すモノ』
     『ひとなつのみず』
     『僕の泣く声を聞け』
第15回 最終選考通過
     『みぎみみの傷』
第16回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『なぁあお』
第17回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『兎の瞳はなぜ紅い。』
第18回 第二次選考通過
     『兎はどこに逃げるのか。』
     編集部期待作・一席
     『とかげの月』
第19回 第三次選考通過
     『ふれうるきずに』
第20回 編集部期待作
     『アスプの涙』
第21回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『バオバの涙舟』
第22回 第三次選考通過
     『ささやかな旋律。』
第23回 第三次選考通過(最終選考落選)
     『りんゑの宴、ぼくの唇。』
第24回 第三次選考通過(最終選考落選)
     『うさぎがはねた。』
第25回 第二次選考通過
     『愚かしく魔法使いは。』
第26回 第三次選考通過
     『幽閉の銀の箱』     
第27回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『幻追い~とかげ~』
第28回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『幻追い/リーリー』
第29回 第四次選考通過(最終選考落選) 
     『造形師ディクリード・フィニクスのヒーローな休日。』
第30回 第四次選考通過(最終選考落選)
     『幻追い~三結神~』
第31回 第三次選考通過
     『幻追い/少年鎖骨電光掲示板』
      第四次選考通過(最終選考落選)
     『ゲームの真髄。』


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 回によって最終選考前の選考が第三次であったり第四次であったりするので、最終選考に到達して落選したものはそれを明記しました……してみて気づく、最終選考落選の数の多いこと……

 編集部期待作、二回。
 最終選考通過、一回。
 最終選考落選、十一回。

 今回、ちょっとこの辺りでもう一度傾向と対策を練るかと調べていたら、自分でも忘れていた第12回の一次選考通過という記録を見つけまして。一次ではタイトルも載らないのでデータとしては不完全なのですが(たぶん手元にあったウィングス向けに書いたものではないなんらかの原稿を送ったのだと思われる。まるで記憶にない)、いまのいままでウィングス小説大賞応募歴十八回と書いていたのが、実は十九回だったことが判明し……大変だ。第12回の発表は小説ウィングスNO12号(まだ劣悪な紙質でいまの二倍以上の厚みがあってページ数は少ないという雑誌のころです)。その号の発行は1996年、8月。

 いつのまにか今年は私のウィングス小説大賞応募歴十年の記念の年なのでした(笑)。

 パーティーでも開くか、と思ったのですが、十年たってもなにも祝うことがないので、かわりにこれからの決意も新たにしつつ、この不毛の大地に新たに舞い降りんとする人生を捨てた堕天使たちのために吉秒匠が書かせていただきます。

『ウィングス小説大賞で最終選考に残る方法』

 いや、今回調べなおして気づいたが(余談ですが、私は小説ウィングスを創刊第1号から最新刊第50号までと、二冊の『小説ウィングス・スペシャル』を所有する、小説ウィングスコレクターでもあります。トリビアの泉や探偵ナイトスクープで「新書館小説ウィングスについて詳しい」研究者が必要になったときは、私を指名してください)、長年、ページをめくればそばにいる存在だった月本ナシオさんが角川ビーンズでデビューしてしまい、プロアマ問わずの賞とはいえウィングス小説大賞から事実上の撤退をなしたいま、胸はってこれを書けるのは私くらいでしょう。

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 今月末がまさに二十回目のウィングス小説大賞となる原稿の締め切りなのですが、どうにもいま書いている原稿にピンと来るものがないんです。私自身が、書きながら『ウィングス小説大賞で最終選考に残る方法』を知りたいということで。年表にしてみるとよくわかりますが、数年に一度、タイトルの傾向が変わっています。大きく作品の内容も方向転換している時期です。そしてそんなときには、決まって成績が悪い。新しくはじめたものが自分の血肉になるまでに私の場合、数年を要するみたい……公演を繰り返すうちに格段におもしろくなってゆく舞台というものがありますが、そういった性質の物書きなのでしょう(ポジティブシンキング)。でもラノベ書きとしては致命的です。そのあたりの不安定さが、小説ウィングス編集部の私を使えない理由だということは、重々承知しているのですが……また私は、この三年書き続けてきた『幻追い』の系譜ではないものを書きはじめてしまいました。手さぐりです。なにが(ウィングスという雑誌にとって)おもしろいのか、一日中そればかり考えている今日この頃です。

 というわけでこのテーマ、第一回目の今日は、いつものように選考者への愚痴から始めたい(笑)。

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 創刊50号にしてこの小説大賞も31回を迎えた。時間的にも十八年。そもそも賞のスタートは創刊を見据えたもので、第一回の入選者から二人が創刊号に登場した。縁なく小説ウィングスでは執筆していないが、いまも活躍中の小説家となった。その後もさまざまな入選者たちがプロ作家として誕生した。第7回の新堂奈槻、13回の真瀬もと、17回の甲斐透、20回の雁野航、22回の縞田理理。今回のショートショート競作で短編を披露してくれた西城由良、浅井柊ら新鋭ももちろん小説大賞の出身者だ。


 『第31回ウィングス小説大賞総評』より抜粋。

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 さて。ここに出てくるのは9人。
 賞は第31回。
 名前が列記されているなかで、大賞受賞者は新堂奈槻さんただひとり。それは第7回のこと。むろんウィングスが「まだ劣悪な紙質でいまの二倍以上の厚みがあってページ数は少ないという雑誌のころ」の出来事であり、十五年ほど昔の話だ。今回も大賞は出なかった。十年以上にもわたって大賞が出ない。ときまさにオリンピック開催中だが、上記の通り、その後も数人とはいえ本誌デビューしている者がいるのである。だとしたら、彼らに大賞の冠を与えるのが当然ではないだろうか? 上を見上げたとき、今回のトップがデビューしているにもかかわらず賞金は一銭も手にしていないし、表彰台にはだれもいない。その状況で「よし次こそは私が」と奮起できる者がいるとしたら、ちょっとマゾ趣味が入っている。金メダルを首に下げた新堂奈槻さんの姿を目にして、いまもウィングス小説大賞に挑んでいるのって、私のほかにだれかいる? (西城由良さんも長かったけれど、めでたく小説ウィングス50号でデビューされています。名前変えたりしている方も多いのだろうが……元気でやっていますか、みなさま)

 ほとんどの人は、数年前の雁野航さんが銀メダルを首に下げているのを見たことがあるくらいだろう。十年、大賞が出ないのだとしたら、それは編集部の設定している大賞の基準のほうが間違っていると確定して良いと思う。祭りが祭りとして機能していないのだもの。

 私が応募をはじめてからの話に絞るが、名前が出ている17回の甲斐透さんのデビュー作『月の光はいつも静かに』はその回の編集部期待作だが、実際の甲斐透さんのデビューは、その次の第18回で編集部期待作・二席を受賞した『金色の明日』のあとのことである。ちなみに同じ回、編集部期待作・一席を受賞しているのは吉秒匠であり、私はウィングス未デビューである。さらにちなみに言うと、上の編集部総評では触れられていないが、第20回の編集部期待作受賞者、有瀬なおさんは受賞作『天使の鳥篭』でディアプラス(ウィングスの姉妹誌であるBL系雑誌)にデビューしている。ちなみに同じ回で編集部期待作を受賞している吉秒匠はディアプラス未デビューである(さらにちなみにこの回、雁野航さんが銀メダルを首に下げていた。つまりこの回のトップ3で唯一私だけが紙面掲載はなかった)。さらにさらにあえて書くなら、私はディアプラスの主催する小説賞でも最終選考に何度か残っている。小説ウィングス50号の歴史上、編集部期待作を二度獲って作品未掲載なのは吉秒匠ただひとりだ(和泉統子さんはめでたく小説ウィングス51号でデビューを果たされましたので、これからもこのフレーズを吉秒匠が独占します。嬉しい)。

 かつて私は作品評で「センスのある作品だが、若干方向性が読者を限定するように思う。作風に合った投稿先を考えるのも一つの方法ではないか」と言われている。ところで今回もまた、同じようなことを言われている人を発見したのでエールを送っておこう。「相応の賞を目指すか、当ジャンルの作品を研究した上で再チャレンジを」と言われている柚井黄菜子さん。いま「でも私はこの方向性でウィングスに新風を」とか思っているでしょう? その主張はウィングス編集部には通じません。なにせデビュー前の新人に向かって「デビューしても食っていけるかどうかわからないし、できれば二足のわらじで書き続けて」と言うような編集部です。新人に覇気を持たせるという発想どころか、「当ジャンル」と書くほど自分たちの方向の独自性を大切に想いながら、自分たちの雑誌がこの先ラノベ界を牛耳るという野望は持っていないのです。私は読み捨ての小説雑誌編集部なんてAV女優をスカウトするように、おいしい話で釣ってデビューさせ、化ければ大もうけだし外れれば「マニアものに出るかできないなら引退な」という作家使い捨て方式でいいと思うんですけれど。デビューしたあと食っていけるかどうかまで心配してくださるのが、親切と取れないこともないですが……って、エールになっていませんね。いやがんばってください。ともに切磋琢磨しましょう次代の小説ウィングスをアジアの星……いやアニメ、ゲーム化からハリウッド進出を果たすような作品も生み出せる、世界の小説ウィングスに育てあげるまで。実際の話、エロ分量の少ないBL風味ファンタジーは、この先アジア圏での日本少女漫画ブームともあいまって、ここがチャンスの売りどころだと思う。新書館的には先細りでも国内マニア市場を固めて行く路線なのでしょうか。私は私がウィングスでデビューできるかどうかももちろん心配ですが、小説ウィングスがこの先存続してゆけるのかどうかのほうがもっと心配です。

(柚井黄菜子さま。たぶんこれ読んでいると思うので、気が向いたらご連絡ください。ともに愚痴りましょう)

 以上は、私の力不足ということでそれはそれとして。
 今回も、ちょっとムっとしたことがあったので一言。
 前回の第30回で最終選考に残っていた私の作品タイトル名が、実際には『幻追い~三結神~』であるところが『幻遣い~三結神~』と誌面では誤植されていたということがあって、最終選考に残ってみんなで膝つきあわせて「しかしこのタイトルはどうかしらん」などと話しているに違いない作品のタイトルが思いっきり書き間違えられているってなんだよー、という話をここでもしたのですけれど。
 今回の同じく最終選考に残って誌面では『ゲームの神髄。』と書かれている作品。
 あのね。

 『ゲームの真髄。』です。

 私は無神論者です。
 私の書くキャラクターたちも、自分の運命は戦うことによって自分で切り開く。
 祈るキャラはいないのです。
 これは、ゲームという人生を生きるゲーマーたちのお話で、その「真髄」とはおれとお前の人生の「真実」のことで、決してそれは「神髄」と書き表してはいけないセリフ。

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 編集部のサポート体制もこれまでの反省とともにより強化していく予定だ。


 『第31回ウィングス小説大賞総評』より抜粋。

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 それはそうだがさしあたり、毎回発表で最終選考到達作品のタイトルを誤植するって。どこまで読み込んでくれたのかという不信感がつのるのは事実。作品名を書き写しているのは選考したくださったかたとは別人かもしれないですけれど、でも「ああ今回もデビューには届かなかったけれど私って想われているなあ、次こそ期待に応えて読者に逢おう」という活力は生まれるどころか萎え気味で。

 そういう気持ちで、十年。
 ──つづく。


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『とある小説賞の終宴と私の人生』の話。


 ひさしぶりに『飛翔』リンクに新顔さまが入ったので、ついでにメンテしてみました。ていうか画像の保管庫として使っていた某無料スペースがリニューアルして過去のデータが抹消されたんですよね。例の倒れた大物ではないですが、広告収入っていうのは、本当にそれで成り立つことが可能なのでしょうか。この数年で結局、使っていた無料サービスの大半が消え去ったのですが……多少払っても安定を求めます。こうなってくると。

 ところで先日(2006年初頭)、たまたま私の愛読している日経流通新聞『MJ』に『飛翔』リンクでおなじみ赤井都さんがインタビューを受けている記事があって驚いた。思わずひさしぶりに掲示板に書き込んだりしてしまいました。ものすごく長いインタビューを受けたのに、そこをはしょってそっちを載せるのかとご本人はのたまっておられでしたが、でっかい作品写真もどかんと載っていて、どうやら赤井都とは近頃『豆本』界のトップランナーでもあるらしい。ということで、その旨『飛翔』にも書き加えました。年月が経つうちに、書ききれなくなってゆく赤井都の魅力。ほんとは紹介したいあれやこれやほかにもいっぱいあるんですが、全部書くとウチが赤井都ファンサイトになってしまうので我慢しているのです(笑)。

 『飛翔』リンクでおなじみフィリップのもともと死にかけていたバイクがついに逝ってしまわれたようで。しかしまあ、彼はなんだかんだで自分の躯は傷つけないところがライダーの鏡だ。私はフロントブレーキからカーボン臭を嗅いだ時点で怖くてそのマシンには乗れない。それでもマシンに信頼を寄せる心意気が、いざ今際の際が来たときに「ありがとう」とマシンから言われるかどうかの差なのだろう。先日も、別のライダー友達がバイクを全損する事故にあったが、彼女もまた無傷だった。彼女曰く、古いバイクに乗る以上、いつでも覚悟はしているから。だからいざってときに躊躇なく地面を転がって助かるんだとか。フィリップも転がりながら修理費の見積もりを脳裏でしていたという。覚悟というものが余裕を生むのだなということがよくわかる話だ。

 このごろ迷惑していることがあるんですけれど、『飛翔』リンクでおなじみ孝山祐さんが先日まったく同じ理由でサイトにメルアド載せるのをやめておられましたが、いやほんともうね孝山さんはサイトで自分が女性だと明記しているにもかかわらず、私と同じメールを大量に受け取っているということは、これはメルアド見つけて回収ロボットの仕業なんですよね。公開用のアドレスとはいえ、昨年後半からの「逆援」スパムの量と来たら!! 自動削除も追いつきません。セレブな女性があなたを買いたいと悶えながら叫んでいる! ……というメールを無差別に送る手口が、あきれるほど流行っているようなんですが。手間のわりにそれに釣られる男なんてそう多くない気がするんだけどな。それとも世の中、私が思うよりもバカでカモなオトコドモがあふれかえっているんだろうか。そういえば我が実弟もニュースキンとかいう時代遅れなマルチ商法の片棒を担ぐべく「サイトを作る必要があるからそういうの教えて」と言ってきていたが……なんにせよパソコンに興味が出たならそれきっかけで教えてやろうとレクチャーはしたものの……どうしてダイレクトメールとかマルチ商法とか、なくならないんでしょうね。力ずくで押していけば、折れてカモになる人がやっぱり大勢いるってことなんだろうなあ。弟にも「これ儲からないぞ、どう考えても」と説明したのですが、始めちゃうともうダメだな。生肌で痛い目にあって学習するしかないのだろうと思うので放っておくことにしました。

 ──話がそれましたが、そんなわけで、私も『表紙』のメルアドの表記を画像に取り替えました。これでロボットには拾われないでしょう。みなさまには、クリックでメールが送れたり、コピペでアド登録できたりする利便性が失われて大変恐縮ですが(ちょっとしたことでもメールしてくれる一見さんがけっこういたのは、クリックメーラー起動のおかげだったとは思うのですが、やむなし)、そこまでしてなにか言いたいという吉秒好きや嫌いのみなさまにおかれましては、手作業で書き写してください。

 メルアド画像作成は『交差点の真中で』を運営されるharupuさま製造のツールを利用させていただきました。『とかげの月』をはじめたころ(何年前? Blogなんて言葉はまだ世に氾濫していなかったころだ)には、バナーひとつ作るのも面倒くさいものでしたが、最近はそこかしこに便利で親切なツール職人さんがいて、感謝感激です。一分でできた。まあ他力本願に走ってしまうのは、こつこつと作業する集中力を私がなくしていっているだけの話かもしれませんね。チェーンソーなんかで木に命が吹き込めるかノミで削るんだよハンマー打ち下ろすんだよ手に豆作って破れて血が出てこそ木に命が宿るんだと、かつてどこぞの彫刻家に怒られたことがありましたが(そのひとに「なぜアクリル画をやっているんだ」と問われて、油絵の具よりも早く乾くから、と私が答えたのが説教の発端でした)私は大根おろしも電動おろし器ですりおろす大人になってしまいました先生。でも幸せです。水炊きはたっぷりのおろしにポン酢でいただきたいものです。

 『小説』を更新しろという叱咤激励もいただいております(ええそうですねボツ原稿いっぱい溜まっていますから(涙))。ありがとうございます。仕事のあいまあいまでなんとか作業はしようと思って(思っているだけなのか……)いるのですが、なにが面倒といって近年の私の原稿はルビだらけ。これを処理するのが、もう……ダウンロードできるようにするなら簡単なんですけれど、やはり画面でダイレクトに読めるというのが理想です。アドビも嫌いですし。地道に作業します。お待ちあれ。

 また話が変わるのですが、今日、やっと文庫化されたので読み始めていたパトリシア・コーンウェルの『真相』を読了いたしました。

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 『検屍官』シリーズも別段熱くなるものはないのですが全作読んでしまっていて、コーンウェルっていうのはこう目を見張るアクションだの血湧き肉躍るサスペンスではないのですけれど、読まされてしまう上手さがある。そのコーンウェル初のノンフィクション『真相』。あの正体不明の殺人鬼、切り裂きジャックの正体を、全世界でベストセラーの警察科学小説の著者がいま解明する! というわけで。

 日本円に換算して七億円ですって。DNA鑑定って、日本でもよっぽど捜査上「それがなければ困る!」という時でないと使わないくらい、高価なものらしいんです。それをパトリシアは。『検屍官』シリーズで稼いだ金を投入しまくって、朽ちかけた手紙の切手の裏、洗濯されていてダメもとの衣服の股、はっきりいって彼女がこの世に生を受けなければ絶対にだれもDNA鑑定などしなかったであろう箇所を調べるは調べるは……で、見つかるは、見つかるは……切り裂きジャック特定です。ほとんど揺るぎない。すべての犯罪は、金の力で解決できるのではないかと思わせられる、コーンウェルの執念でした。

 ノンフィクションでありながら、お得意の犯罪現場ドキュメントを小説の手法で書き、読ませてしまうその手法。しかも犯人として名指しされるのは高名な画家。『真相』の売上げでその七億円のどれだけが回収されたのかは謎ですが、金は回っているという寓話のような話です。

 読みながらふと思ったのは、百年前の未解決事件だっていまになって調べられて、犯人とされる彼の肉体的欠陥から性的嗜好、友人に話したことやホテルの部屋でメモに書いたこと、だれかに頼んで出してもらった手紙の内容や、何人もの妻を愛していたのかどうかまで、なにもかもあきらかにできてしまうという、その怖さ。切り裂きジャックの時代には、写真も普及していなければ、手紙なんてぜんぶ経年劣化を起こすインクで書かれているんだし、法律も警察の仕事も、きわめて大ざっぱで記録なんてあってないようなものなのに、それでも百年の年月を経て、切り裂きジャックの生身が透けて見える。

 そう思うと、たとえば私だって、ネットで読んだだれかの文章や、小説や写真やなんかを保存したリプリントアウトしたりしているし、この数年で倒れたブログ業者が、本当にすべてのデータを破棄しているのかどうかは根拠もなく信じるしかない。私の情報は百年経っても、容易にそこかしこから見つかるだろう。昨日飲んだバーではアンティークのカメラで客の写真を撮るのが売りだということで、写真を撮られた。若き日の石原慎太郎の写真とならんで、あの膨大なアルバムのなかに私の写真も入り、マスターも二代目だという店だったので、確実に百年くらいは保管されるだろう。私は高校の卒業アルバムを持っていない。当時つきあっていた彼女が持っている。いま私が切り裂きジャックになって、百年捕まらなくても、それらの写真は調べる気のあるものが調べればすぐに見つけて本の表紙にできるだろうし、いま書いているこの文章だって、なんらかのカタチで見つかってしまうかもしれない。見つかれば、勝手な解釈で私の性的嗜好から歪んだ欲望まであきらかにされてしまうのだろう。

 メアドを画像にしたくらいでなにも守れないのはわかっている。
 現代人のすべてが記録され保管されてゆく。
 書くからには、ある種の覚悟というのは持っていないといけないな、と思う。意識するしないにかかわらず、記録される言葉を発するということは、自分の断片をそこかしこにばらまいている行為なんだ。もちろん、切り裂きジャックにならないで、だれにも探されず注意も向けられない空気のような人間であれば、そのことを不安に思う必要なんてないのだろうけれど。

 モンティパイソンのコメディみたいに、数百年後に遺跡の品として発掘されたディスクなんてのはありうる話だし、不用意に人に見せられないものをディスクに焼いて保存してしまうのもどうかなあ、とか。イヤ、そんな長大な話ではなくても遺言には

「私が逝ったら私の部屋にあるすべての記憶媒体(ハードディスク含む)を完全に破壊してくれ」

 と書くことは決めています……って遺言書くひまもないかもな。
 いますぐ書こう、親戚一同が「匠はどんなデータを残して逝ったのかな」といじって、私を亡くしたのとは別の意味でおいおいと泣く羽目にならないように。