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 警察庁

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 このあいだ、弟が成人式を迎えました。
 私は、成人するころには実家に寄りつかない生活をしていたので、地元で開催される成人式というものには出ていないため、成人式というのがそもそもどういうものなんだかピンとこないのですけれど……弟は大学を中退して地元で働きだしたこともあって、近所に一緒に成人を迎える友達も多く、結構な気合いを入れての式参加だったらしく。

「成人式といえば袴はかないとな」
「そりゃ着物だろ成人式といや」

 というようなノリで仲の良い友人と二人、羽織袴で参加したそうな……金髪に近い茶髪をうねらせて、純白の羽織袴をチョイスしたというその趣味がもう……うすうす思っていたけれど、うちの弟ってヤンキーだったんだなと写真を見て気づいたくらいで(ってその写真も成人式のというより、そのあとベッドのなかで半裸の、というようなもので、しかも弟の最新の彼女は私の通っていた美大の後輩だという。間違いなくその彼女を口説くのに「あ、おれの兄貴キミと同じガッコ」というようなネタふりに使われたことが予想ではなく現実として見えてしまうので、無性に腹立たしい写真でした)。

 しかしてまあ、蓋を開けてみれば、着物着た男なんて、ベッドタウンの成人式には弟と友人の二人しかいなかったんだって。全員がダークスーツのなかで、純白の羽織袴の二人。どんなに活きのいいヤンキーでも、盛り上がりようのなかったことは想像に難くない。式の写真も……少ない! 人が少ない。ものすごく想像していた成人式とはかけ離れた人数。訊けば、地元の私が通っていた中学は、隣の学区と統合されてなお、今年は二クラスしかないのだという。少子化も極まってきているなあ、というよりも、そのベッドタウンは家だらけ人だらけなのに、ということは住んでいるのは老人たちばかりなのかと思ったら、ちょっとホラーな感じさえした。

 国単位で年金の話などしていると、何人の働き盛りが何人のリタイアした老人を支えるか、というような図式がよく出てきますけれど、大都会大阪のベッドタウンでかつての新興住宅たちの群れを眺めていると、人はいっぱいいるのに、小中学校はグラウンドが駐車場として使われていたり、ブランコは撤去されて公園がゲートボール場になっていたり、町内で今年成人するのはたったひとり、なんて状況──目に見えて「三十年ほどでこのベッドタウン全体が身動き取れなくなるんじゃないか?」──そんなふうに思う。

 つーか、だったらお前が地元に戻って働いて子供産め、って感じですが、もうなんかそういう段階を越えて滅びに向かっているような気さえするんだ──やるせない感じになる。だって間違いなく数年後は一クラス二十人とかになる小学校で育つ子供って。怖くない? 土地自体がのんびりした田舎の話ならともかく、そんな閉鎖社会で教育受けても、卒業したら目の前は世界有数の人口密度を誇る大都市って。引きこもるよ、そりゃ。

 ところで冒頭リンクした警察庁で『平成17年中における暴走族の動向及び取締り状況について』というデータが公表されたのだけれど、いったいどうやって調べたのかという疑問はともかく、そのデータを信用するならば暴走族ははっきりと少子化の影響を受けて減少している。

 05年のグループ数は956チームで前年から107チーム減少。人数にして一年で三万人近い暴走族構成員が足を洗って夜の街は静かになっていっているわけですが……その警察庁のデータでもはっきりと明記されている「いわゆる旧車會」が35都道府県で291グループ確認されているという。バイク乗りでない人にはピンと来ないでしょうが、そもそもは古いバイクを愛好する人たちを指していたこの「旧車會」という呼称が、この数年で別の意味で使われはじめているのです。

 いわゆる「旧車會」とは、元暴走族メンバーが、いいオッサンになってから、若かりし日愛したバイクを乗り回すという集団で、すでに製造されていないバイクをいかに現役バリバリの状態にまでメンテするかというところに重きが置かれている。そう聞くとまっとうなオッサンの粋な趣味集団のように聞こえなくもないが、実際のところ、彼らが若かりし日を想い出して旧車を乗り回すということは、端から見ている人にとってはヘルメットの中身の年齢など関係ないので、昭和の爆音暴走族どもが日本各地で復活しているということに他ならない。

 昨年確認された暴走族が956チームで、旧車會が291グループ。
 旧車會の数が、びっくりするくらい多い。
 少子化が進めば、これも逆転するということだろう。暴走族をやめて十年とか二十年を生きた大人が、再びかつて愛したマシンにまたがり暴走するということは、きっとその人が大人になってからの年月で、暴走するよりも熱くなれることは見つからなかったということなのだろうから……怖いよなあ「ぬっすんだバイクではっしりだすっ」みたいな抑えがたい若さの衝動のはけ口としての暴走は、理解できないまでも納得できる部分があるのだけれど、人生でほかにおもしろいことが見つからないので暴走に戻ってきた、という構図は。もうその人、死ぬまで暴走し続けるしかないってことで。一種の妖怪だよそれ。怨念を感じる。

 いちばん迷惑しているのは、いわゆるハーレー愛好家集団みたいな、そもそも「旧車會」と呼ばれていた人たちだろう。イメージダウンもはなはだしい。大人になって自由になるお金もちょっとできたし、純粋にバイク乗り回して楽しみたいな、という人たちが、もう数年もすれば蔑まれる可能性は否定できない。いまはまだ暴走族のほうが圧倒的に多いから「あらあの家の十代の息子さんバイクに乗り始めたのね危険だわ」というような認識があるが、暴走族と旧車會の数字が逆転するころには、きっと「近所のあのサラリーマン、バイクに乗り始めたぞ近寄らないほうがいい」という感覚になっているに違いない。そのサラリーマンが人畜無害な趣味人で、本当にバイクラブでバイクにまたがっていたとしても、だ。

 というか、いい大人で旧車ではない新車購入のアメリカンを黒ずくめの格好でのりまわしている私自身が、最近、肌で感じる。昨日も、そろいのつなぎを着た旧車會とおぼしき皆さんを追い抜いてしまったら、むちゃくちゃしつこくつきまとわれて迷惑きわまりなかった。だって旧車の皆さん、信号変わってもスタートダッシュしないんだもの。ていうか旧車だからそういうものなんだろうけど、だったらこっちは別に抜こうと思って抜いたわけではない、ということだってわかるはずだろう。なに抜かしてやがんだとかいってカチンと来るっていうのが、旧車を愛する皆さんなのにそのポンコツ具合は愛せないという矛盾を抱えていて……やっかいだよ、そういうの。余裕のない大人って始末に困る。アジアで映画『頭文字D』も大ヒットらしいが、ああいう走り屋と呼ばれる人たちはまわりに家屋のない峠で戦いたい同士でやっているんだから、違法ではあっても、それはそれで美学がある感じがするじゃないか。走るのが好きならそうするべきだよ。爆音を人に聴かせたいという趣味はまったく理解できない。

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 ちかごろ、自宅の近くの道路でも、夜中に爆音がとどろく。へたにバイクで出かけると遭遇してしまってやっかいなことになるので、外出を控えたりすることがある。少子化がものすごく近い距離で私に迷惑をかけているのだ。そう考えると、我が弟のようなヤンキーどもがちゃんと十代のあいだから生まれてやんちゃしてくれないから、オッサンが空いている道路を走ろうかなどと思いついてしまうんじゃないか、という推論もあながち外れていない気がしてくるのだった。

 そのうち、クラブに踊りに戻ってくるオバチャンや、ガングロに戻ってくるオバチャンや、へそ出しミニスカに戻ってくるオバチャンなんかも増えそうでイヤだ。旧車會同様、まったくもって若くないぶんたちが悪い公害だと思う……しかしガキも二十人一クラスじゃ、グレるのも難しいよなあ。ほんと弟の成人式写真見て、よくお前らがんばったと拍手を送りたくなった。私だったら自分と連れだけ白着物でダークスーツあふれる会場に入るなんて、鼻血が出るくらいストレスを感じるだろう。

 日本同様に少子化の進むイタリアで、高校時代の制服着用を義務づけた「制服ナイト」を開催するクラブが、毎夜の行列できる人気だという。映像を見たが、あきらかに無理のある人たちもたくさんいた。それもひとつの旧車會。懐かしんでいるうちに国は滅ぶだろうが、まあそれで滅ぶならそこまでの国だったということなんだろうな(ガイジンの見た日本のコミケ・コスプレイヤーたちのほうが、よっぽど「この国は近々滅ぶ」的な風景だろう)。

 少子化ってムズカシイ。

『聖き彼の人』の話。(鏡)

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 これを読んだ、epoファンのかたからメール頂きまして。
 どうやら今年の六月あたりに待望の新譜が発表されるらしい。

 どこかのインタビューで、次は自主レーベルで、納得ができるまで作り込んでから出す、ということをepo自身が語っていたのを聞いていたため、そんなことを発言したら、ますます区切りのつけようがなくなって、いつまでたっても完成しないってことになるよ、〆切ってあらゆる創作にとって必要不可欠なものだと思うけれどなあ、と心配していたのですが。

 ライヴではアルバムに収録される曲をすでに発表していて、その中でも「グローリー」という曲はとても感動的だったとか。そのタイトルの曲が含まれるところからして、どうやら新譜はケレンミを押さえたepoのオーパーツな歌声が堪能できるものになりそうです。

 坂本龍一や土橋安騎夫とともに日本人ではじめてヴァージンレコードと契約したことで知られるepo。メディアへの露出が少なくなってからも、DVDやベスト版は発売され続け、彼女の根強いファンがそこかしこにいることを知らしめています。
 そのepoの、数年ぶりのオリジナルアルバム。
 なにが変わっていて、なにが変わっていないのか。
 いまから楽しみです。
『館ひろしとこーれぐーす』の話。(鏡)

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 このところ、以前した話にちょっとしたメール頂いたりすることが多かったので、忘れないうちに書きとめておく。

 まずはこーれぐーす。

 あれから三ヶ月ほどがたったわけだが、結果から言うとこーれぐーすは再生していません。
 思うに、こーれぐーすは、生の唐辛子で作らないとダメだということなのではないかと。そのために買いに行くのもなんだったので、乾燥唐辛子ぶち込んでみたのですが、コクが出ない……年越し蕎麦を食いにうちに集まった連中に毒味させたものの、こーれぐーすを知らない者にさえ「これは違う」と断言させるほど蕎麦を台無しにする泡盛と酢の混合物にすぎませんでしたよ……それともまだまだつけ込みが甘いのかなあ、唐辛子赤いままでちっとも切り落としたホルマリン漬けの赤子のペニスみたいにならないし。

 『伝言』で「私が持ってるこーれぐーすの瓶に、『無くなっても泡盛を足せばオッケー』みたいな事が書かれてます」という情報もいただいたのですが、どうにも本当かよという感じです。

 ネット上にこーれぐーすの製造法がまったく見つからないこともあわせ、仮説を立ててみるならば──もしやこーれぐーすとは酢成分の発酵状態に依存するのでは? 紅茶キノコやヨーグルトキノコのように、全体の発酵を促す菌が一定量存在しているところに泡盛を足せば急激にうまみが増殖し、そのプロセスを繰り返す限りは絶えることがない。

 だからほとんど使い切った瓶に足してもこーれぐーすの旨みが増殖しないので味が回復しないのではないでしょうか。換気しきって風邪の菌を皆無にした部屋は、窓を締めたところで風邪の菌が増殖しないように、この説が正しければ、いま地上にあるこーれぐーすのすべてが、実は太古の地上にあらわれた、たったひとり(?)の「こーれぐーすイヴ」へとつながっているのかも知れません。

 いや実際のところ、乾燥唐辛子であることが問題だとはどうしても思えないのです。どうもなにか決定的に欠けているものがあって、三ヶ月たっても、そのなにかはまったく生まれてくる気配がない。

 というわけで、自作こーれぐーすは冷蔵庫で保存を続けますが、詳しいレシピも探し続けます。

 最近はサンバルアスリという辛みソースにはまって(どろっとしたニンニク入りのタバスコみたいなソース。かけるとなんでも熱いアジアの味になる。東南アジアでは食卓に欠かせない調味料らしい)、新たなレシピを追い求め試行錯誤の日々です。これについてもいつか書こう。

 そして館ひろし。
 むろん、観ていますよ『功名が辻』。館ひろし信長。二行以上のセリフがおぼえられないという館ひろしの欠点を問題としない寡黙で男気の満ちあふれた殺してしまえほととぎす。いいです。館ひろし好きとしては、たまらない信長。

 しかし、こういう時代劇を観ているといつも思うのですが、実際の織田信長は四十代で死んだわけで、それだってその当時の戦国武将としては長寿なのですが、リアルないまの館ひろしの年齢はそれよりも上。信長って館ひろしの歳まで生きていなかったんだよなあ……と思いながら観ていると、いまNHKで語られているあたりなんて、信長は二十代前半のはずですよ。ダンディな低音で喋る年齢ではないはずで、でも史実からすると、まさにそういう館ひろし的な威厳を持っていたりしたのも事実なようで。

 思えば、次々に国を攻め滅ぼして魔王と呼ばれる二十歳そこそこのカリスマ性満ちあふれる青年だったわけなんですよねえ、信長。磨かれて渋みの出てきた館ひろしのカリスマとは、また別個のオーラを放っていたのだろう。

 むろん、ヒロインの仲間由紀恵演じる千代も、普通に考えれば子役の年齢で嫁にとられるのがその時代。成人男性と十代前半の子役の初夜を描いたりできないのでそうなっているのだろうし、信長を実年齢で説得力持って演じられる二十代の役者が存在しないので館ひろしなのだろうが……

 戦国って、そういう若さを削ってなりたっていた時代だから魅力的なんだよなあ、ということも思ったりする大河ドラマなのでした。