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 シンちゃん
 私はシンちゃんが忘れて行ってくれたライターを
 日本に置いてきてしまったことを
 すごく後悔しています
 失くしたり壊したりしたらいけないと思ったからなんだけど
 手の届く場所にないとやっぱり不安だよ
 大切にするって難しいね


 矢沢あい 『NANA』

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 というレイラの独白がその作品における私の好きなセリフ第三位くらいなのですが、先日その作品に登場するBlackStone Cherryというタバコの話をここでしたら、検索サイトからBlackStone Cherryをさがしてやってくる人たちが大勢現れまして……無駄に長くやっている『とかげの月』なので『徒然』の表題に商品名とか使ってしまうと、ものすごく検索サイトの上位に表示されてしまうのです。しかも『徒然』にはミラーページ『鏡』があるので、ならんでふたつの『とかげの月/徒然』がヒットしてしまうということで……おそらくやってきたほとんどの人がBlackStone Cherryを実際に購入できるサイトを探し求めているのだと思うのですが、残念ながらたどり着いたのは吉秒とかいう聞いたことのない名前の奴が綴る駄文。

 あまりにも申し訳ないほどの数の方がいらっしゃっているこの事実に、怒られる前に謝っておきたいと思いました。

 ごめんなさい。

 ところで、そもそもタバコを販売していないオンライン書店なのでだれも試さないと思うのだけれど、アマゾンで『BlackStone Cherry』を検索すると、

bs

 こういうのがヒットします。
 著者がCherryさんで、イラストがBlackStoneさん。
 なんて奇遇な組み合わせ。
 スティーブン・キング(モダンホラーの巨匠)と、
 ディーン・クーンツ(モダンホラーの巨匠)の活躍する同じ国に、
 スティーブン・クーンツ(軍事小説の巨匠)が存在するため、
 ホラー小説好きのあいだでは軍事ものにまったく興味などない人でもスティーブン・クーンツの名前を知らない人はいません……ちなみに私は軍事ものにも興味があるのでスティーブン・クーンツも何冊か読んでいます。でもやっぱり古本屋のディーン・クーンツの隣にいつも彼の作品があるのでつい読んでしまった感は否めません……というような流れで、BlackStone CherryをさがしているうちにCherryさんとBlackStoneさんの作った乗馬が上手になるための図解付き教本を読んでしまってあまつさえ馬になど興味がなかったのにそれを読んだがゆえに乗馬をはじめてすっかりハマってしまい馬がいやがるので葉巻を吸うのをやめた、というような人も世界中で一人くらいいませんかね。

 ていうかマンガの影響でBlackStone Cherryを吸いはじめるより、ぜったい乗馬のほうがあなたのためになると思うのでおすすめします。もしくは、ここに来たのもなにかの縁だと思ってクーンツを読んでみませんか?

クーンツ

 なんか最近、小説書きの人と話をすると(向こうが私がクーンツ好きなのを知っているからなのかも知れませんが)、この本のことがよく話題にのぼります。いまでもあの手法って通用すると思う? でもクーンツいまでも売れてんじゃん。でもそれはすでにクーンツに固定ファンがいるからで……というような読み方もできますが、実は、小説書きでない人も、読んでみればおもしろい一冊です。だいたい、小説の書き方をおもしろく読ませてしまうことができるという時点で、クーンツの別格さがわかる。そして天才というものは、多かれ少なかれ変人であるということもよくわかる。ナナもクーンツもそばにいたら大変だろうなあ、とつくづく思わずにはいられません。
 なんだかよくわからない話になりましたが、はっきりしているのは、またあなたがこんな駄文を読んで時間を無駄にしているということですよ。

 ここにはBlackStone Cherryはありません。
 さがしものはきっとあなた自身の人生のなかにあります。
 

『サイボーグ誕生』

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 科学情報番組みたいなのを観ていてね、潜水服の特集をやっていた。いつものようにピザの生地をこねながらぼんやり観ていたのだけれど、映像を見ずに音声だけが耳に入ってきていて……

「まるで現実の世界に触れているかのように体感できるのです!!」

 というようなナレーションが「どうだすごいだろう」といわんばかりのニュアンスで入れられているのに思わず手を止めた。いかんいかん。こねなきゃあっためて発酵させなくちゃ。こねながら考えました(私が小麦粉料理が好きなのは、そうやって無心になってものを考える瞬間というものがあるからかもしれない)。

 いまのフレーズって、最近飽きるほど批判的なニュアンスで聞かされる「ネット社会の弊害」とか「仮想現実におぼれてゆがんでいく子供」とかいったテーマでの識者の発言の内容に非常に似ている。いや、私は別に「ネットが子供を歪めたりしない」なんて主張をする気はないし、LAN回線さえあれば無修正ポルノが小学生でも手に入る世の中では、無感動に成長していく感受性だってあるだろうとも思う。でも、一方で、無尽蔵な情報に触れることによって、現実のみで生きる以上の感動を享受するやつらだっているはずだ。

 番組で紹介されていた製品たちを見るに、一昔前には潜水服とは、いかに透明度のある耐水圧ガラスを作るか、という方向性で試行錯誤されていたものらしいが、車のフロントガラスが液晶モニタにとってかわる時代(いつも思うんだが、ああいう次世代車って走行中にトラブルでモニタが真っ暗になったりしないものなんだろうか。もちろんその辺りも考えられてはいるんだろうけれど、私は自動走行システムなんてのも絶対使いたくないな……自分の操縦ミスでガードレールにつっこむとか、運転の下手な妻の隣に乗っていたので、とかいうならまだしも(ちなみに私の妻は免許保持者だが彼女の運転する車に私は乗ったことはない)……電気製品に殺されたくはない)。

 潜水服も、服というよりも隔離された小部屋のようになっていた。より躯にフィットした潜水艇といったおもむきだ。外界の情景を人間の網膜に伝えるのは、カメラであり、液晶モニタである。番組で熱狂的に紹介されていたのは、その潜水服で見た現実世界が、リアルタイムな転送技術によって遠く離れた水族館の劇場で巨大スクリーンに映し出され、数十人の観客がいま実際に潜っているひとりの見て感じている世界を共有できるというシステムだった。

「この潜水服についたロボットアームは、潜水服を着たものの手にはめられたグローブと連動していて、まるで実際に触れるように深海の世界に触れることができるのです!!」

 水族館のスクリーンに映し出される映像は、深海の鉱物をロボットアームがいじくり回す──FPSの画面そのもの。ねえそれってさ、実際に人が「着て」潜る意味あるのかな。確かに記録的にはこの手のサイバー潜水服のおかげで、前世紀には考えられなかった深海まで生身の人間が潜っていけるようになった。でも、ガラス一枚隔てて、というならまだしも、電気コードを通して見つめる現実の深海世界って──潜水者は水圧さえ感じないという──ということは水族館の劇場で、潜水者の体験を共有している観客の感じているものは、疑似体験と呼ぶべきなのか?

 その潜水服を着て潜った人が「潜った」ことは紛れもないが、目にし感じたものだけを取って比べるならば、数十人の観客だって「潜った」ということにならないかな。潜水者の感じる「潜った」感覚は、想像の産物とも言える。科学によって現実世界と切り離された潜水者は、なにも感じないがゆえに、実際に「潜った」ことを自らの精神で練りあげ感じるしかない。

 ネットの世界で、普通に数千の異性の性器や死体や戦争の風景を目にしていて、どんどん冷めていくやつもいれば、想像力でそれを現実にしてしまうやつだっているだろう。私のパソコンもゲーム機も常時接続で無尽蔵な情報を拾い続けていて、たぶん私は、私の父親の世代が目にしたことのないものを、山ほど目にしている。

 良いか悪いか、という話ではなく。

 電車のなかで、傘だの鞄の角なんかで痴漢行為をして捕まるバカっているじゃない。そもそも触る度胸があれば口説けよとか思うのだが、それ以前に、傘ってお前の手ですらないのにそれなにが気持ちいいんだ? とずっと思っていた──けれど、ピザの生地こねながら気づいたんだよ。冒頭のサーボーグの人って、その機械の腕が手が自分の手なわけで、そこに実際の神経は通っていないけれど彼の精神の作り出す感覚は通っていて、きっとなにかに触れたとき、熱いものは熱く、冷たいものは冷たいんだ。潜水者のロボットアームはメタリックでも、潜水者がイスラム教徒なら、メタリックな不浄の左手で食事してはいけないし握手してはいけない。厳格なキリスト教徒なら、眠るときは機械の両手を布団の外に出しておかなければ自慰行為にふけっていると疑われるので自主的にそうするべきだ。

 いえいえ、特になんの結論もないんだけど(笑)。
 触れた手が汚らわしいと感じるか愛しいと感じるかが脳と嗜好の問題であるように、画面越しになんにでも触れられる時代に、なにを感じるかってのは大切なことで、それは自動的に感じるものではなくて想像力を駆使して得るものなんだなあ、と思いを新たにしたのでした。だって、そんな潜水服着せられたら、本当に自分が潜っているかどうかなんて見えるものからも触れるものからも判断つかないんだよ。考えることを放棄する潜水者は、ロボットアームで触れられることに「感じる」よりも、なにに触れても「感じない」ことにこそ喜びを見いだして、灼熱の溶岩の中に自らつっこんでいったり、平気で他人を傷つけられるようになるのかもしれない。メール相手に冷たくするのは、現実に目の前にいるだれかに冷たくするよりも簡単だ。だからこそ、そこになにかがあって、それも現実だと信じているならば、メールでしか語ったことのない相手もちゃんと現実の人として接する想像力がいる。

 しかし、そう考えると難しいよな……潜水者の右手とロボットアームの左手を連動させるとどうだろう。潜水者はその機械の手でカレーを食べることに罪を感じるべきだろうか。そもそもロボットアームなんだしって言っちゃえばそれまでなんだが。ていうか潜水服着てちゃカレーが食えるわけないな。

 というあたりまで考えたところで、こね終えました。料理は楽しい。あとは発酵を待って焼くだけです。
 

 裏切りを許せる程 大人にはなれなくて
 傷ついてもすがりつける程 一途にもなれなかった


 矢沢あい 『NANA』

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 最近では、健康診断の問診票にもタバコは「吸いません」にマルを入れるのだけれど、酒が入るとまれに指がのびてしまうことがある。年に十本も吸わない(なぜか葬式があるとタバコが欲しくなるので、その年に知っている誰かが亡くなったかどうかによって倍増することはある)し、酒の席で「くれる?」というパターンなので、この十年くらいは自分でタバコを買ったことはない。完全な嗜好品だ。

 そういえば、いつのまにかコーヒーもまったく口にしない日が増えている。でもアルコールは抜けない。唐辛子を摂取しない日はない。週に二個はアボカドを食べる。玄米が主食。でも週の半分は晩ご飯はパン。結婚式でロシアの人たちはパンとウォッカを生活の象徴として日本でいう御神酒のように口にするんだとか。私はパンもご飯もあって、世界中の野菜がスーパーにならんでいて、どんな動物の肉も食べられるし、泡盛もワインもどこの酒屋にだってあって、カフェインもカプサイシンも、ニコチンもタールも法的に摂取を禁止されていない、この自由で節操のない国に生きていることを本当に幸せに思う。

「タバコ、もらっていい?」

 このあいだ隣で飲んでいたコに言ったら、珍しいタバコが出てきた。変な匂いがすると思ってはいたのだが、一本もらって火をつけると、甘い香りがする。変だが、嫌いではない。訊いてみると、『NANA』に出てくるBlackStone Cherryというタバコだという。『NANA』って。そのコは男性だったので、私はちょっとえーという顔をしてしまった。だって女の子目当ての話のタネに吸っているに決まってんだから。嗜好品にこだわりのない男というのは信用ならない。なんというか恋人も、はやりすたりであっさり捨ててしまえるような軽さを感じる。

 が、彼は、いやそうではなくてオレは本当にあのマンガが好きで、たまたま自販機でBlackStone Cherryを見つけたから買っただけなのだと弁解していた。見てくださいよこれ、と箱を横にしてみせてくれた。タールとかニコチンとかの分量書いてないんですよ怖いでしょう……笑いながら言うことではない。

 葉巻をすすめられると吸う人なので、BlackStone Cherryもああ葉巻なんだなってことはわかった。タールを低くして化学調味料で味を付けたようなものではなく、発酵して熟成した腐りかけの葉っぱそのものが燃えている。匂いを楽しむものであって、煙をくゆらせるためのものだ。多くの飲み屋では葉巻に火をつけると「ほかのお客様のご迷惑になりますので」と声をかけられるが、BlackStone Cherryはそんなことはなかった。見た目が紙巻きだからだろうか。壁に染みつくほどの甘ったるい煙がもうもうと立ちのぼっていたのだが。まあ、間違っても肺に煙を吸い込んで味わうような類のタバコではない。嗜好品。お香の煙を楽しむように楽しむものだ。

 で、気持ちよく酔っていた私はふーんと言いながらその一本を楽しんでいたのだけれど、隣に座っていたヤツの思惑通り、その場はBlackStone Cherryから『NANA』の話へと移行していったのでした。私は映画のほうは観ていないんだが、なんでももうすぐDVDが発売されるとか。

 NANA

 そういう話のなかでいつしか意見が対立したのが『NANA』第4巻の冒頭のシーン。読んでいない人のために説明もしながら多数決をとってみるに、どうも私には意外な結果だった。

 章司くんのことをサイテーなヤツだという者が結構いたのである。ていうかほとんどその場の三分の二だった。私の属する「どう考えたってあれはハチのほうがどうしようもない女だから捨てられたんだろう」という意見は(一部の熱烈な支持を持って迎え入れられたものの)少数派だったのでした。いやわかる。「なにがあっても二股って」という理屈はよくわかる。けれど不思議なのは章司を批判する人々が、なぜだか幸子にたいしては「仕方ない」と納得してしまうこと。こっちはそれが納得いかない。幸子擁護派いわく──

「好きになる気持ちはどうしようもない」

 ということなのだが(そういう意見を口にするヤツは決まってその手のセリフの響きに酔っている気がして、それがまた説得力ないんだが)、だったら章司くんがどっちも好きなのは仕方のないことではないのかと。だってハチとサチコって別物でしょう。彼はハチのためによく耐えたよ。私はあのシーンで、章司と幸子が結ばれて素直に爽快だったし「あたしの負けだよ」と心で呟くハチには、そりゃそうなるよ作者はよくわかっていらっしゃるねえ、という憐れみしかおぼえなかった。で、そういうことを力説したら、なんだか恋愛とか結婚には責任というものが関わってくるのだというありがたい説教が始まったので、私はふーんと聞きながら「も一本いい?」とBlackStone Cherryの二本目をもらって火をつけたのでした。

 議論に決着は出ませんでしたが(ていうか既婚者のタクミさんがそういう考えなのは間違っていると私が責められていただけなのですが)、BlackStone Cherryは堪能し、私はつくづくと、日本中でこれだけBlackStone Cherryを売り、恋愛のあり方についてみんなに熱く語らせる、いち少女漫画のパワーというのはものすごいなあ、と感心したのでした。

 比べるのもなんですが、自分の書いているものも曲がりなりにも少女と呼ばれる存在へ向けてのものなわけで、自分の作品のどこかのシーンを論じて、彼女たちが熱く語ったりできるかなあ、と考えてみた。私は自分の小説の具体的に彼女たちを感じ入らせることのできるシーンというものを思い起こしてみたが、見つからなかった。

 あのとき私がついた、深いため息は、そういう意味だよ。「なんかタクミさんが反省している」と言ったキミの指したように、自らの恋愛観を振り返ってのものではなく。

 というわけで今月書きはじめるWの原稿は、私にとっておそらくはじめての「女子高生」が主役。その年代の女性を書くことは多いが、学生というものがこれまで私の書いたもののなかには、まるで出てこなかった──舞台は現代、読者と同じ年代のヒロイン。Wに対しては、まだ撃っていない弾、というものを見つける作業になってきている。まあ、書いてみよう。失敗したところで、どうせ、だし(笑)。と、また最後は初見のかたには意味不明な話になっていて申し訳ないです。

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 じゃあ愛してるって言ってくれたら一緒に寝てあげる
 だって生まれてこのかた一度も言われたことないんだもん
 いっぺんくらい言われてみたいじゃん


 矢沢あい 『NANA』

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 ああ、愛してる。
 ていうか、ほらやっぱこういうこと言うからハチは幸せになんないんだ。愛してる、は言わせるものではなく、言うものなのだよ。訊ねずにぶつけるものなのだよ。舞台の上の歌うたいが観客にこびずに吠えるように。見えない読者に向かって書くということがそうであるように。関係性の基本だ。相手の心を疑うのは、こっちの想いに弱さがあるから。疑わなければ生まれなかった現実が、疑うから生まれてしまう。迷わず行けよ行けばわかるさ──あらゆる少女漫画が、突っ走ることこそ最強であると説いているのに、乙女たちは飽きずにうじうじ悩むもので、でもだからこそ少女漫画や少女小説ってすたれないんでしょうね。深いなあ。


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 男と女は
 所詮欲望の対象物同士だろ
 愛なんかで繋がれるのか?


 矢沢あい 『NANA』

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