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しかしだからこそ、狩りは胸が躍るのだ。危険は獲物だけにあるのではない。


 ジョン・ソール 『マンハッタン狩猟クラブ』

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 ライオンは、朝起きた瞬間から走り出し、もっとも走るのが遅いガゼルよりも早く走らなければ飢え死ぬことを知っている。一方、朝起きた瞬間からガゼルは走り出し、もっとも速く走るライオンよりも速く走らなければ自分が喰われることを知っている。

 重要なのはあなたがライオンだろうがガゼルだろうが、どちらにしろ朝起きた瞬間に走り出して一日中走り続けて眠りまた翌朝目覚めてまた走り……続けることに迷いを持っていないかどうかである。「私は迷わず走り続けている」と断言できないあなたはもうすでに餓死しているか喰われている白骨死体であって、大地の肥やしにはなるだろうが生存競争のレースからはもっとも遠い位置にいる。断言できないあなたはすでにそのレースを終えた敗北者なのだから。

 ……という、ありがたいお話を、某資本経済大国の経営コンサルタントである某氏がのたまっていた。

 それは幸せなことだ。
 そこに苦悩はない。
 一日中玄関の前を掃き続ける脳みその半分とろけてしまったジャンキーは、この世でもっとも迷いなく充実した一日を送る幸福の体現者である。まあ、明日の食費はあるのに会社に行ったり売れない小説を書き続けたりするのも耽溺の一種であり、脳みそ半分とろけかけていなければできないことでは、ある。

 ガゼルは、ライオンがひどいやつかどうかを考える前に、逃げることを考える。
 ガゼルは、ライオンを倒すことを夢見ない。

 逆に、巨大販売チェーン店はそこに新規出店すれば地元商店街が干上がるかもとは考えない。それはひどいとかひどくないではなく、走り続けるものとつまずかなくても追いつかれて喰われ飲み込まれるものがいるという現実にすぎない。ああせちがらい。

 『マンハッタン狩猟クラブ』は、地下で犯罪者を狩るクラブだが、あるときそこに冤罪で有罪となった男が解き放たれ、事態をめちゃくちゃにする。そういう話である。普通におもしろくて、普通に読むのがとまらないし、どんでんがえしもあっていっぱい人が死んで、哀しくて愛しくて正義は勝つんだけれど、悪役たちも一概に純粋な悪とはいえないバットマンの悪役たちみたいな人たちで、読んでいてとてもせつない(クーンツもバーカーも、ジョン・ソールも。二十世紀モダン・ホラー(最近使わない言葉だなあ)の旗手と呼ばれた小説書きたちの、二十一世紀になってからの作品はどれも妙におもしろい(スティーヴン・キングが「モダン・ホラーの未来をみた。その名はクライヴ・バーカー」と驚愕したあの才能は、ホラー絵本『アバラット』という微妙どころではない未来に行き着いてしまっているし。

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 マキャモンが音沙汰ないが、すごいの潜行して書いてんだろうなあと勝手に夢想している)。みんながそれぞれ微妙にジャンルを変えながら、しかし共通しているのはなんだか過剰なほど「アクションと愛憎劇」にこだわっているところ。モダンホラーな人たちは自分たちがそう呼ばれるのを好まないようだが、見ていると二十一世紀に起こったショッカーを多用する映像重視でアクションのない「驚かし」のホラー・ブームに、かつてのホラー・ブームを創り上げた自負としての「ホラー」=「アドレナリンを放出させるサスペンス・ドラマ」の図式をかたくなな職人気質で作りつづけ提示しているような気がしてくる。怪談もいいけれど、ホラーの基本はやはり逃走と闘争であってほしい。そしてラストは、希望に満ちて)。 

 みんながみんな、自分の向かう方向に朝起きた瞬間から眠りにつくまで……死ぬまで全力疾走している世界では、だれかとだれかがぶつかりあったとき、お互いの内包する走り続ける狂った世界にはなんの興味もないのに、つぶし合うことになる。共存できるし、喰わなければならない追いかけっこでもないのに、ある人の固有の世界は他のある人の固有の世界を否定せざるをえない。そうでなければ、自分が間違った方向に狂った速度で走り続けているのだと認めることになるから。

 それは想像さえしてはいけないことだ。
 考えた途端に走れなくなる。

 梅雨時にカラ梅雨で、でもどんよりとはした空を見上げてバイクで走り出しても大丈夫だろうかと思ったりするときに、なぜだか関係ないことを想い出してため息をついていたりする。コヨミ的には一ヶ月遅れだが、こういう気候が五月病というやつを発生させる一因なんだろうな。暑くも寒くもなく、晴れでも雨でもない季節の狭間。そこには生存競争の激しさが皆無で、なのにおれはなんでこんなトチ狂ったように無意味なことに必死に走り続けているんだと、思ってしまったら辞表を書いて上司の顔面に叩きつけるような方向で破裂してしまうのかもしれない。

 先月は祖父危篤月間だったので、小説を書かなかった。
 おかげでなんやかやと有り余っていて、仕事から帰って夜中に腕立て伏せはじめたり鼻血が止まらなかったりしながら原稿を書くという傍目にも狂った走り方の毎日になっている。ため息は出ても、あいかわらず五月病のカケラもない。

 あまりにもテンションが上がっていると、なにを見ても頭に入ってこず、ただなにかを黙々としたくて『Halo』をやり続けていたらランブルピット(いわゆるバトルロイヤル)対戦ランキングレヴェル13にまであがって、レヴェルも10を越えてくるとそれはもうスポーツなので汚い言葉で罵ったりするガイジンも激減し、聞き慣れた「fuck!! ヨシーっ!!(yoshinogiのノギが英語圏の人は発音しにくいらしい)」という断末魔もなくなり、かわりに「shit!!」とか「くそっ!」ってのが増えてくる。それも決まって小声で。

halo2

(『HALO2』は初代Xbox用のソフトですが、Xbox360でも動作します。いまだにオンライン戦の動員数ではトップのソフト。『3』は2007年、Xbox360用としてリリースが決定済み)

xbox360

 これっていまさらながらにおもしろいと思うのだが、可愛い女の子でもゲームで負けたときどっちの国でも「糞」と口にするのが当たり前というのは、逆説的に「糞」に対する人類の恥のようなものが透けて見えているのではないかしらん、と。知的生命体である地上の覇者たる人間の私が、しかしどう見ても汚物なそれを毎日のように排泄することだけは克服できない。

 それは、ヒトが決して天使になれない証明だ。
 天使の定義はハネがあるかないかではない。
 汚れ、穢れのない存在であるということだ。
 汚いモノそれは、性別と排泄。
 つるんとした股間でケツの穴もなし。
 それが究極に美しいということ。

 だからスポーツと化した反射神経と判断力のゲームのなかで、他人の銃弾に眉間を撃ち抜かれたときみんなが小声で口にするのでしょう。

「糞」

 おれは、私は、完璧ではなかった。
 そう確認するために、自分を倒した敵に対してではなく、自分自身に向かって。

 人は決して天使にはなれない。
 なりたいと思う人もいないだろう。
 だからこそ、確認する。

「糞」

 おれはまたやっちまった、敵の気配にも気づかなかった間抜けだだから死ぬんだ。
 あたしの撃った弾は当たらなかったあたしの指が震えていたから、迷ったから。

 つぎこそ完璧に。
 もう一生、排泄しないなんて不可能なんだけれど。
 わかっているけれど、でも越える。
 ハネを生やして飛んでみせる。
 無理かもしれないけれど走る続けるのは大前提でしょう。
 考えないこと。

 考えたら、自分が肉でできた糞袋だと知れてしまうから。
 そう思ったら、喰われるしかないから。

 狂え。
 そして走れ。

 自身に向かって呟き続けながら。

「糞」