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感染した者は10~20秒以内に殺すこと
相手が兄弟姉妹親友でもためらってはダメ
あなたが感染したら一瞬で殺す


 映画『28日後...』

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 しばらくなりをひそめていたのだが、ゲームのヒットもあって近頃ゾンビ映画が増えている。
 スプラッター・ムービーに鼻の下まで埋もれて息もできなくなる時代に思春期を過ごしていた私は、いまでもリビングに『フレディvsジェイソン』の巨大ポスターを貼っているほど、それら……彼らに対する愛着がある。

 傾向として、ゲームから派生した『バイオハザード』
bh
 や、『ハウス・オブ・ザ・デッド』
hod
 は、元ネタが「ゾンビを倒して脱出せよ!!」というコンセプトなので、自然と映画もドンパチ・アクションに終始する。『バイオ』のミラジョボはアクション映画好きな観客から見れば「特殊部隊の兵士が銃撃つときに目つむっちゃダメだろ」とか「特殊部隊で三角蹴りは習わないだろ」とか「ロケットランチャーが出てこないとバイオじゃない」などいろいろ言いたいことはあるものの、「逃げ込んだのは、島で一軒だけの”家”」というキャッチで売る『ハウス』に至っては、結局島中でゾンビと戦いまくるだけの映画なのに『ハウス』の名を冠するためだけに「家」という設定を盛り込んだくらい、アクション映画って結局それでいいんだと思わせるものがある。

 危機的状況だ、戦って生き延びろ。
 相手は不死身のゾンビの群れ。

 もうそれだけでプロット完成しているんだもん。
 あとはどう、観客を呼べるタイトルにするかってこと。

 というわけでゲームの力を借りずに先人の力を借りた『ドーン・オブ・ザ・デッド』
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 は、「ゾンビ」という概念を作ったジョージ・A・ロメロ作品をリメイク。走るゾンビで話題になって、これも成功。
 (ちなみにしばらく休止状態だったオフィシャルサイト『ロメロ・ドットコム』が先日ついに再稼働。公式XBOXスキンやiポッドスキンを売り出すようです。ちょっと小銭が稼ぎたくなったのではじめてみましたって感じ。もうこの人の一生はゾンビで安泰(笑)。リビングデッドシリーズ四作目を制作しているらしいが、本当に完成する日は来るのか、ていうか本当に作っているのか?)

 ロメロ以降の80年代、『死霊のえじき』と『バタリアン』が同時公開されたのを皮切りに、場末の映画館を賑やかしていたゾンビものたちは、なぜだか二十世紀末に向けて収束してゆき、なぜだか新世紀になった途端に息を吹き返した。まさにゾンビ的に、それもことごとくが大ヒットしている。そこにはきっと深遠な大衆心理の不可思議が隠されているのだろうが、そんなことはどうでもいい。ジャンルが成長するためには、この波が必要なのである(ゾンビもの以外でも、近年では『CUBE』などに代表されるシンプルに極まった作品が目につく。進化の果てに贅肉がそぎ落とされるってのはあるかも知れないなあ、などとも思う)。
cube
 マーケットが確立されると、亜流が生まれる余地ができる。仮面ライダーの視聴率が上がると、他局では見たこともない新造ヒーローが現れて、それもそこそこの視聴率を稼いだりするように。B級作品が、B級作品だけで存在することはありえない。AあってのBなのだ当たり前だが(というわけで日本映画『東京ゾンビ』が相川翔主演で今年公開予定。公開前にB級だと言いきっちまうのもなんですが)。
tonbi

 そんなわけで、今回はちょっと毛色の違ったゾンビもの。
 映画『28日後...』を紐解きながらゾンビで酒を飲む。氷もってこい。私はウォッカ好き。

 監督は『トレイン・スポッティング』のダニー・ボイル。脚本ジョン・ホッジということで『普通じゃない』、『ザ・ビーチ』といい感じに雰囲気を作ってきたコンビである。私はジョン・ホッジの『普通じゃない』が好きだ。映画もいいが、彼の書いた小説版もいい味を出している(脚本家の書く小説の常で「クーンツが語る絶対やっちゃいけないこと」の最重要項目である「同じ章の中で二人以上の視点を描かない」というルールを平然と破った小説のため、読みにくい部分も多々ある(脚本は基本的にセリフの頭に登場人物の名前が書いてあるので読み手が混乱することはないが、小説も同じ調子で書かれると「え」となってしまう)。が、それを差し引いてもこの人の書く「思わず苦笑いしちゃうせつなさ」ってのは触れてみる価値アリ。

 一部のわかる人のためへの余談だが、雑誌『小説ウィングス』の映画コーナー『夜の指定席』でこなみ詔子が『普通じゃない』をとりあげ、物語そっちのけでキャラ造形を褒め称えたほど、ジョン・ホッジのまったく「普通じゃない」キャラの立て方には拍手を送りたくなるものが多々あるのである。ため息をつく愚痴っぽい天使っていう設定は、一度触れたら忘れられない愛すべきキャラだった(あのコーナー大好きで読ませてもらっていたのですが、数号前の回で映画館の椅子の話を最後に消え去ってしまった。長寿コーナーだったのに予告もなくなくなるって、まあいつも新書館はそうだけれどと言ってしまえばそうなんだが、終わっちゃったのかなあ……と思っていたら。次号の予告にはきっちりとお名前が。今後も別段力入れることなく「こんな映画があってさー」的にオススメ作品教えてください、こなみセンセ。あのコーナーで「へえ」と思って興味なかったけれど観てみたらよかったって作品、ちょいちょいあるんです)。

 ともあれ、そんなホッジが、漫画的な世紀末の世界をスクリーンに描き出す。

 交通事故に遭い、目が覚めた彼のまわりには誰もいない。
 焼けこげた跡もなく、空の色も変わらない、ただ無人であるだけの大都会にさまよい出る。
 その冒頭で、観る者は街ってのは人もその一部なんだと痛感する。
 だれもいない街ってそれだけで怖い。
 平屋が点在する田園風景に人がいなくても怖くはない。
 でも、高層ビルが群立する光景が無人だとひどく恐ろしい。
 それは逆説的に、いま自分がいるこの世界が「人」で成り立っているんだ、と確認させられるからなんだと思う。

 畑がある風景の中では、独りでも生きられる。
 けれど、コンクリートジャングルでは、自分以外のだれかがどこかから食い物を持ってきてくれないと、飢えて死ぬ。

 だれもいない世界にさまよい出た主人公は、条件反射で紙幣をかき集める。
 映画を観ている私は、彼のその行為が無意味だとわかってはいるが、実際に私がそこにいれば、やはり目の前の紙幣をポケットに詰め込まずにはいられないだろう。本当は、だれもいない世界でポケットに詰め込むべきはチョコバーでありカロリーメイトなのだが。

 街は感染した。
 「怒り」という名のウィルスに感染すると、人はゾンビ化する。
 血に触れてはいけない。
 噛まれてはいけない。
 感染すれば、発症まで数十秒。

 主人公はやがて生き残った数名の人類と出逢う。
 そこには恋も友情も生まれるが、ルールは変わらない。
 あなたが感染したら一瞬で殺す。

 主人公の両親は、感染を恐れてベッドで手をつないで自殺した。

 ゾンビは「悪」だろうか?
 この映画を観ていて、考えた。
 ただゾンビを殺しまくるストーリーではないがゆえに、ジョン・ホッジのマジックにかかって私は考えてしまったのだ。
 感染すればゾンビになるから、感染したやつは殺せ。
 襲ってくるゾンビは殺せる。
 けれど、あと十秒でゾンビになる感染した友人は殺せるか否か。

 よく言われることだが、ウィルスもひとつの生命である以上、それが感染し広がるのは野の花が咲き広がるのと変わらないことだ。だとすればそれは世界にとっての「悪」ではなく、人類にとっての「悪なるもの」ということなのだ。ジョンホッジの提示したテーマは、突き詰めるとこういうことになる。

 私が生きるためになにを殺せるか。

 ……物語の後半で、印象的なシーンがある。
 主人公たちが、バケツに魚を飼って愛でている。
 魚は人類にとっての食料でもある。
 荒廃した世界で水は命と同様に貴重なものだ。
 けれど、主人公たち……人は。

 だからぎりぎり魚が生きられるだけの水を入れ、おなかを砂利にこすりつけながら泳ぐ魚の姿を見て微笑む。

 万博が開幕した。
 自然と人間の共生がテーマだ。
 竹カゴですっぽりと覆われた建物がある。
 自然の素材で直射日光を防ぎ、冷房を極力使わないことで省エネになるという。
 しかし、それはセリフにするとこういうこと。

「山から切ってきた竹で日を遮れば、いくらかクーラーをゆるめて温暖化が防げるね」

 竹の、自然の側から見ればメリットなんてなにもない。
 なにが共生だ。
 地球にとっては人類が滅ぶことが一番にいいに決まっているのである。

 あきらかに地球は死に向かっている。
 私たちは、私たちを生かすために大地まで殺せる。
 大地は「悪なるもの」でさえないのに。

 それでも、生きる。
 そこには開き直りと同義の覚悟が必要だ。

「私は生きる。たとえ私が悪だとしても」
 
 だれも傷つけず、傷つきたくもないなら、いますぐ愛する人と手をつないで二人だけの世界へ旅立つしか方法はない。
 ゾンビ=「悪なるもの」はどこにでもいる。
 だれかの幸せは、だれかの不幸せの裏側だってことはよくある。
 それでも人は、選ぶのだ。

 ゾンビとはそもそもはブードゥー教でいう蛇体の神の名であったものを、ロメロが映画の怪物として使ったことから広がった。それが怪物の名として定着したことに多大なる貢献をはたしたのがトム・サビーニ。彼はのちに『13日の金曜日』シリーズでも名をはせ「血の魔術師」と呼ばれることになったメイクアップ・アーティストである。彼のつくりだす血のり、飛び散る臓物、切り裂かれる肉体……これらこそが、ゾンビをゾンビたらしめたのだ。
 彼は、自らのベトナム戦争体験をそこに反映させた。
 現実の地獄で事実としてさまよう生きた死体たち。
 生き残った彼が、描くことを選ぶ。

 ゾンビとは、問いだ。
 私にとっての「悪なるもの」が大挙して目の前に押し迫ったとき。
 私はなにを選択するのか。
 戦うのか喰われるのか殺すのか抱きしめるのか逃げ出すのか仲間になるのか笑い出すのか泣き崩れるのかだれの名を呼びどうやって覚悟を決めるのか。

 たまにはゾンビもの、観て欲しい。
 スプラッター嫌いの方にも、『28日後...』は観終わったあとに清々しささえ残る希有な作品。
 二種類あるエンディングの、オリジナル・バージョンが私は好きです。

 『HELP』じゃなくて『HELLO』ってのがね。
 いい選択だと、思う。

28DL...