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 ねがいごと。
 それも個人情報かと、まわりのはモザイクかけた。
 内容的には、

「世界が平和でありますように」

 ダントツ一位。

「推しとつきあいたいです」

 名前も書いてあるようなのも多い。

「家族の健康」

 そういう場合、まず、お礼が述べてある。自分たちがここに在ることに、ありがとうございます。そのうえで、このしあわせが続きますように。

 このあいだ七五三に行った。
 お寺だったので、お坊さん。
 ありがたい注意をくれた。

「ゲーム機をください」

 そう絵馬に書くな、と。
 物欲を神に頼るな。
 というか、ねがいごと、というのは決意を表明するものである。

 そう考えると、平和とか良縁とか健康とか。それらは一種の決意ではある。自分でなにがしかの努力はできる。でも、だとすると。こう書けば許されるのではないか。

「ゲーム機が欲しい」

 神に、くれ、とは言っていない。
 自分で手に入れる決意。

 さて写真の中央。
 息子が書いた。
 ひらがなも少し書ける。
 でもこれは字に見えない。
 訊いた。これなに。
 カタカナの羅列を答えられた。

「ツノが三本あるんだ」

 ……機械生命体のたぐいらしい。
 それも字でなくイラストだった。
 私が聞いてもわからないものを、
 この絵でサンタに理解しろとは酷。
 努力をうながした。

「それがなんなのか、わかるように教えて」

 少し考えて息子は言った。

「本屋さん行ってくれる?」

 行くとも。
 完全に物欲ねがいごとだが、
 結果的に彼は学ぶ。
 他人が理解不能な夢は叶わない。
 具体的にわかりやすく伝える。
 そのうえで願ってくれないと。
 叶えさせる気があっても、間違ったの贈る可能性が高い。
 サンタがな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 正解はこちらでした。

B07XRQ9LP3

 機械生命体ゾイド。
 スティラコサウルス種。
 スティレイザー。
 そう思って見なおしてみれば、十字に見える部分が開いたトサカを抽象化して描いたように見えなくもないが……

 ぜんぜんツノ三本ではない。
 こういうことはよくある。おそらくゾイドの主役機であるツノ三本のライガーが、ゾイドの代名詞として記憶されているのが原因。

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「欲しいものの絵を描く?」
「スティレイザーってどんなだっけ」
「ゾイドだから……」

 ツノ三本。

 サンタさんから無事届く。
 私の翻訳のおかげだ。

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 同じ名前の獣神サンダーライガーが引退した新日本プロレスの新年大会をいっしょに観ていると、今年も間違えている。

「ぼくの好きなジェイ・ホワイト!」

 いやそれ、ウィル・オスプレイ。
 逆もよく言う。
 身長は同じだし、どっちもラグビー強豪国の出身だが、ながらくジェイ・ホワイトは長髪で、ウィル・オスプレイは短髪。大人だとまず間違えない。しかしまあ、言われてみればどちらもジーザス・イエス・キリスト役で主演できそうな風貌ではあるので、彼のなかでは「新日本プロレスの痩せマッチョコーカソイド系選手」ということで記号化されてしまっているのだろう。

 日本人選手では、2020年現在放送中の仮面ライダーが仮面ライダーゼロワンであるという一点によってのみ、プロレスリングZERO1という団体の代名詞である大谷晋二郎が記号化され、その得意技である顔面ウォッシュ(相手選手をコーナーポストに固定して顔をなんども蹴る技)とイコールになっている。結果、プロレスリングZERO1のロゴが大きく入ったブルゾンを着て出てくる選手全員に「ゼロワン! 顔蹴るひと!」という声援を送る。ちなみに大谷晋二郎も、非常に独創的な髪型をしているので、大人はまずほかの選手と間違えることはない。

 前述の、七五三で、絵馬を書いた。
 自分で書くかと訊くと、首をひねる。
 じゃあ書いてやるよ、なに書く、と訊くと。

「ピーたん」

 ちなみに、それは『騎士竜戦隊リュウソウジャー』に登場する機械生命体ヨクリュウオーの一形態の呼称である。

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 そうじゃない。 
 大きくなったら、なにになりたい?
 
「ガイソーグ?」

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 疑問型で答えるあたり、質問の意図もよくわかっていない。もうひとつちなみにガイソーグもジェイ・ホワイトも、役柄的には圧倒的にヒール。パイプ椅子を振り下ろすジェイ・ホワイトに会場全体でブーイングしているのに、うちの子だけジェイ・ホワイト・ガンバレーと黄色い歓声を贈っていたりする。リュウソウジャーをボコボコにするガイソーグに目を輝かせる。ある種、心配にはなる。

 それはなに。
 ガイソーグのどこが好き?

「つよいやん」

 明確だ。

 というわけで、絵馬には「つよくなる」と書いた。

 強くなりたいのでも、強くしてくださいでもない。
 強くなる。
 そんなの神さまの存在意義がないようだけれど、だれかに宣言すれば実現させる言霊のチカラというのは、ヒト同士でもあるものだし、神さまはヒトと違って、最近メール来ないなあ、とか、こっちから連絡しているのに既読つかないよ、私のこともう忘れちゃったのかなあ、なんて心配がない。

 物欲ねがいごとではない、自分自身へのそれだって、他人にわかるように書けなければ、自分でだってわからない。私は彼の願いを、彼にちゃんと翻訳できたろうか。

 願わくば、つよさとはやさしさである、ということもプロレスとスーパー戦隊から学べ。



 あけましたよこんにちは。
 さてなんの話をいたしましょう。
 徒然に。

 大晦日。

 年末格闘技をテレビ観戦。年によっては年越しプロレスなど観ていることもあるのですが、地上波で大々的に放送されているのがあると、リアルタイムで観ておかないと翌日には避けられないネタバレに遭うというネットの世紀。

 で、観ていて。たのしかった。それはよかった。ただ、まったく試合内容と関係ないのですが、夜も更けてアルコールを浴びつつ観ていたせいもあるのか、妙なことを考え続けていた。

 女子スーパーアトム級タイトルマッチ。

 ハマサキ・アヤカ VS ハム・ソヒ

 良い試合だった。
 結果はここでは語りませんが、テレビで観ている私も、テレビの向こうの会場のボルテージも、最高潮だった。それを、さらに高めようとアナウンサーが叫ぶ。

 声援にかき消される絶叫の中継。

「ハマサキが! ハムソヒが!」

 なんでやねん!!
 と、私は大声で、つっこんでいた。

 聞きとれない。名前が似ている。というか、似ているのだから、呼びかたを変えるべきではないのか。いや、変えるというか、ハム・ソヒはフルネームだ。韓国のひとの名前は、日本と同じく、性が前で名が後ろ。

「ハムがハマサキの!」

 なら、聞き間違えようはないのに、わざわざフルネームを絶叫するから、ややこしくなっている。思い出す。韓国の映画は、よく観る。映画のなかでも、だれもが相手のことをフルネームで呼んでいる。理由はあきらかで、あの地方のひとたちの名字は、五人にひとりがキムだから。私はヨシノギなんて珍妙な名だが、もしも社員二十人の会社で、四人のヨシノギさんがいたら、おのずとフルネームで呼ばれるようになるだろう。

「ヨシノギタクミさん」

 いやだったら名前で呼べばいい?
 でも、職場で「タクミ部長っ、会議に遅刻しますっ」なんていうのは、やはりおかしい。そういう事情で、フルネームで呼ぶことが一般的になったのだろうことは、心情的に、よくわかる。

 だったら、だ。

「ハムソヒがハマサキアヤカの!」

 と言ってくれたら、いい。
 長い?
 私も、そう思った。

 そこに違和感をおぼえた。
 王座戦である。たとえばボクシングで三兄弟全員がチャンピオンなんていう一家がいて、そういう場合には、アナウンサーも下の名前で躊躇なく呼んでいる。職場ではない。エンターテインメント興行である。わかりやすさは大事。

「ヨシノギ長男のフックにセコンドのヨシノギ次弟は声援を送りヨシノギ末弟は気を抜くなと声をからしております!」

 長い。
 名字は抜けよ、とだれもが言う。
 タクミ部長は、失礼なのだとしても、

「初の防衛戦を迎えたチャンピオンのタクミが吠えております!」

 というのは、失礼に当たらない。
 だからアナウンサーも下の名前だけにする。
 大晦日、これもそうでいいのに、と私は思っていた。

「ソヒがアヤカの!」

 で、よくはないか。
 まあ、たぶん、実況してみるまで、アナウンサーもハムソヒとハマサキの語感似ている問題に気がついていなくて「アヤカ」と呼ぶのは照れくさかったのでしょう。

 と、いうようなことに気を散らしながら観戦していた私が、その脳髄の裏側で同時進行的に考えていたのが、デフォルト・モード・ネットワークの存在だった。

 DMNと略される、Default-mode network。

 禅における瞑想とはなんであるか、という文脈で日本では昔から論じられてきたことが、近年、世界中でいまさら解明されつつある。

 ヒトはなにも考えないではいられない。

「無になってみましょう」

 と、目を閉じる。
 もしくは流れゆく雲を眺める。

 でもヒトは無になれない。
 どころか、脳はデフォルト・モード・ネットワークを活性化させる。いわば、暇ができたのでディスク・クリーンアップしてデフラグまでしてしまおうというようなことが起きる。脳の中身をすっきりさせて考えがまとまったり閃いたり。ビル・ゲイツは無心に皿洗いをする時間が自分には必要だと言った。それも禅。

 暇があったらニュースを見るクセのあるひとは、デフォルト・モード・ネットワークが活性化する暇がないので、だんだんと脳の活動速度が落ちていく。それがスマホ依存の正体であり、瞑想の時間を持たないヒトは考える葦ではなくなって、ヒトとしての生きる意味さえ見失い、ヒトから逸脱していく。

 そんな脳の仕組みが解明されはじめた昨年、禅を論じる思考遊戯のアプローチとは別角度から、磁気共鳴画像の撮影によって脳の実際を観察しながらなにがどうなるのか研究しはじめたひとたちがいて、とある事実を突き止めた。

 「美しいもの」

 それを見るとデフォルト・モード・ネットワークが活性化する。

 ……ほう、という研究結果。

 ぼおっとすることが瞑想であって、それによって脳の基礎機能が元気になる、という過程で、なんであれ外部刺激が作用するという考えは、これまでなかった。しかし「美しいもの」を見ると、DMNにブーストがかかるっすよとMRIが言っている。ならばこういうことだ。

 ビル・ゲイツは皿を洗うかわりに美しい妻の瞳を見ても閃く。

 うん、そうね。あるかもね。この文章だとありそうだが、くだんの研究でおもしろいところは「美しいもの」の定義が完全に主観であるところ。おもしろいというか、もちろん当然といえば当然のように、私が彼の美しい妻の瞳を眺めても、デフォルト・モード・ネットワークは活性化しない。たぶんしない。私は私の美しいと思えるものを眺めなければ効果を得られない。

 私は私の妻の瞳の奥を……

 と、想像したとき。
 そんな状況で「美しい」と口にしたことはいちどたりともないが(照れているだけ。思っていないということではむろんない)、違う状況で、その言葉を自分がひんぱんに口にしていることに思い至る。

 ルチャ・リブレでは、ほぼ毎試合のように、宙を舞う彼らに。
 ジャパニーズ・プロレスの試合では、バックドロップのアーチに。
 女子格闘技王座戦では、けずりあう、こぶしとこぶしの攻防に。

「美しい」

 グラスを傾けながら特に、連発している。
 心の底から想っていて漏れる言葉。

 ということは。
 私は、闘う彼ら彼女らを眺めて、美しく極まる技や試合に、禅寺で瞑想しているのと同じ効果を得ていることになる。

 だからか。

 闘うふたりの姿を見るだけで 美しい とつぶやき瞑想状態に入った私の脳ではデフォルト・モード・ネットワークが活性化され、私の人として生きる意味を明確にする。それこそがアナウンサーの気転のきかなさにつっこみを入れて記憶し、新年に真っ先に書かずにはいられないこんな状況を生み出している。もしも私が揺れる水面を見てデフォルト・モード・ネットワークを活性化できたなら美しい水の詩を詠めただろうに、私ときたら生身のヒトとヒトが血眼でくんずほぐれつしているさまでしか活性化されないから。

 ああだから、くんずほぐれつしているさまを描くのか。

 とても自然ななりゆき。

 王座戦。さすがレベルの違う風景に、さとりを与えられた。人生に迷いがなくなっていた。納得して、書き続ける年明け。

 禅、に、デフォルト・モード・ネットワークという解釈が足され、無心で格闘に魅入るときにこそ、あれこれやと考えている我が脳を肯定できる。たかが言葉だが、その言葉あるゆえに、さとる。

 チンコ、と書く。

 そこにそれはないのに、ここにある。なにもかもがそうだ。愛も恋も憎しみも、ないのに、ここにある。

 ヒトは無になれない。
 いや、無にはなれる。消えればいいだけ。ヒトで在りながら、無になることができない。すでに在るから。

 チンコとは、チンコという物体ではなくて、その言葉によって私とあなたのそれぞれが想い浮かべたなにかだ。そのなにかは、もうすでにここに在る。

 禅である。


○材料

殻つき牡蠣 10個

○作り方

 たわしで牡蠣の殻をガシガシ洗いましょう。殻は食べませんけれども。虫とかついていたらイヤじゃないですか。洗えたら、なるべく殻が膨らんだほうを下にして(殻が開いたときに汁がこぼれにくいように)、ダッチオーブンにつめこみます。

 牡蠣以外のなにも入れない。

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 強火三分。中火で七分。合計十分。

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 炭火ではなく家庭用コンロで調理する場合、温度センサー解除機能が搭載されていない機種では自動消火されてしまって、強火三分は不可能なことも。そのときはセンサーが作動したところから火を弱めて合計十分でよし。鋳鉄ダッチオーブンの底が、コンロに熱すぎると判定されるほど熱されていれば、ダッチオーブン内部は火を弱めても強火維持されています。

 サイズによって牡蠣の殻が開くものもあれば開かないものもある。といってすべてが、ぱっかり開くまで焼くとなると加熱しすぎ。十分ほどでよいのではないかというのは私の判断です。

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 手づかみで、ナイフで貝柱を切って開く。
 そのままイッてもよいですし。

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 レモン果汁、オリーブオイル、タバスコなどで味を足しても。

 ごちそうさま。

 ダッチオーブンの底には、カップ一杯ほどの牡蠣汁が溜まっているので回収。牡蠣殻がまじっているので濾して、炊き込みごはんにします。

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『基本の炊きこみごはん』のこと。

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 今回は白米三合に玄米一合。椎茸と昆布ダシなしで、牡蠣汁にしょうゆとみりんを大さじ一ずつ。冷凍中華野菜ミックス刻んだのと、油揚げも冷凍庫にあったのでひとつかみ放り入れた。

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 朝ごはんになりました。
 残りは冷凍庫に200グラムでラップパックして備蓄。

 ありがとう牡蠣。

 ごちそうさま。

 実は今回、以前に書いた記事の補足的な。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『牡蠣を焼く』のこと。

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 レシピにしては駄文が長すぎるし、タイトルに肝心の「ダッチオーブン」が入っていない。うちのようなニッチを狙うブログでは、そういうピンポイントな語句こそが重要なのに。つまるところ SEO対策がなっちゃいない。

 2010年一月の記事。
 そしていままさに来ようとする2020年。

 十年前の私が、なっちゃいない。
 なっちゃいないって、なっちゃうならなんになるのか。いやたぶん、なんにもならない。ならないままに十年経って、同じようにダッチオーブンで牡蠣を焼いている。

 この冬は、私の記憶にあるかぎり、もっとも暖房器具が売れていない。あたたかいから。あたたかいまま年を越そうとしてる。海のそばで生まれて、物心ついたときから生で食べていた牡蠣に、火を通すようになったのも、大きなくくりではそういう地球の変化に関係があるのかもしれなくて。

 万物流転。
 なにもかもながれてかわる。

 だとしたら、変わらないことをさがすのもいい。なんであれこの冬も変わらない故郷を味わった。十年前と同じあなたを想いながら、こうやって語りかけている。あなたが、大きく変わったのだとしても。もしかして、もうそこにはいないのだとしても。

 だからなに。
 変わらないものは変わらないで変わらないまま。

 言う。想う。

 よいおとしを。

 愛してる。

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※追陳

 これを書いているさなか、とある結婚を報じるニュースに触れる。

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『虫タコスの精神にのっとるトルティーヤ』の話。

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 ほぼ五年前の記事。彼女は今年、引退してしまいましたけれども、引退されたからこそ、刻が止まった妹麗(まいれい・「妹麗 とかげ」でググってください)な偶像として我が脳内に刻まれた永遠の推し、ムーミン……いや、夢眠いもうと。彼女をめとったのがバカリズムのひとと聞き、まっさきに浮かんだのは、いつかテレビの『すべらない話』で、彼が話したことだった。

「ひとり暮らしのフローリングの部屋で防水のソファに座ってテレビを観ていて尿意をおぼえてあれそういえば服を着たままおしっこってしたことがないなと思ってしてみたらカラダが拒否してうまくできなかったのだけれどそこを越えて服を着たままのおしっこに成功したら逆にカラダがおぼえてしまってたいへんなことになった」

 というような話。

 で、もちろん彼女はその部屋に行って、えーこれがあのテレビで言っていたソファ、みたいな会話はあっただろうし、そういうのをおもしろがってケタケタ笑うひとだから、そうすると次には彼と彼女がならんでソファに座って着衣放尿に興じてほんとだ気持ちいいですねなんていうところも浮かんできて。ひとりで独創的なプレイに悦楽を追い求められるオタク気質なふたりが出逢って理解しあう先にあるだろう相互オナニーに近いふたりだけの行為は秘密めいてそれはそれはすてきな関係性を手に入れましたねおめでとうございますと思いながら、推しが嫁いだニュースにそういう脳内変換で自身のオナニーにしてしまう自分にほとほとほと、と、ため息をつきつつ、いまを迎えているのでした。

 ごちそうさま。

 おしあわせに。

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