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『Latino Review.com』

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 ↑言ってるそばから映画『Halo』の「the multimillion-dollar script of Halo by Alex Garland!」を手に入れたと公言する奴出現。真偽のほどは定かではないが、ざっと訳して読んでみたところによると、私のアレックス・ガーランドへの期待は見事に裏切られているようだ。だから奴は好きじゃない。

 物語はどんなバカが観てもわかるような地球上ではないどこかの文明都市で、コヴナント軍に人類がきゅうきゅうにやられているところから始まる。コヴナント軍はゲームと同じ多種族構成で、戦闘種族エリート(『Halo2』の世界で私が演じるのはこの種族だ。電脳世界で赤地に白い三日月のエンブレムをつけた赤いエリートを見ればそれは私だ)も、スパルタンもジャッカルもいる。ということはこの時点で映画は人間ドラマ中心ではなく、CGで描かれた異形の怪物どもが頭を吹っ飛ばされたりキャタピラの下敷きになったりする映像をこそ魅せる映画で決定。

 しかしまあ、読んでみればわかるが、びっくりするくらい戦闘シーンだらけ。これが事実なら「ゲームとは違う展開を要求された」アレックス・ガーランドの提示した物語は、監督の要求を「ゲームの追加ステージを作るつもりで書いてくれ」という意味で受け取って書いたもののようである。ていうかこれもしかして『Halo3』のプロットなんじゃないのか?

 だれもが気にしていた「ゲームでは戦闘服のヘルメットを一度も脱がないマスターチーフ」を、どんなイメージの役者が演じるのだろうという疑問と心配。私的にはマスターチーフにはヒゲが生えていて欲しかったのだけれど、その点もこのスクリプトは見事に解決している。プロット中、マスターチーフはゲーム同様、最後までヘルメットを脱がない。なにせ戦場から戦場に移ってまた戦うの連続なのだ。くどいが「これが事実だとしたら」……すごいことだ。映画の最初から最後まで出ずっぱりの主人公が、ずっとヘルメットをかぶったままで素顔はさらさない。前代未聞。殺したくない相手を殺したマスターチーフの苦悩を表現するのに、リビングが埋まるほどのオスカーを所有する監督は、外光を反射するだけのヘルメット・バイザーへカメラをズームするのだろうか。もしもそれで観客の心を揺さぶれると信じているならば、監督はオスカー君の重みで未だに意識がもうろうとしているのに違いない。

 こんなプロットを見せられると、一つの疑念がわいてくる。アレックス・ガーランドは、なぜひとりも人間を登場させないのだろう。彼にとって、人と人との極限状態でのぶつかりあいこそが得意とするシチュエーションであるはずなのに……まさか。

 映画『Halo』は、登場人物まですべてCGなのか?

 だとすればピーター・ジャクソンの起用が納得できる。彼ほど、CGの疑似生命体に本物の命を吹き込むことのできる監督はいないからだ。そしてアレックス・ガーランド。彼は逆に、激しい人間臭さをアクションで描くことのできる作家だからこそ、CGに生き物臭い動きを与える物語を書けると、白羽の矢を立てられたのではなかろうか。

 憶測か?
 そもそもこの流出プロット自体が怪しいものなのでなんともいえないが、私としては、映画でマスターチーフがゲーム同様「表情の見えない」ヘルメットを絶えず着けたまま物語を進行させるという案には、賛成しかねる。ゲーマーたちは納得しても、一般の観客は「なにこれ」だろう。私は、映画『Halo』にゲーム『Halo』のプレイ人口を増やしてもらいたいのだ。
「神を信じるか?」
「信じるさ おれが神だ
人間こそ神だ 運命を支配できる」
「でも運命は 思いのままにならない」
「出たとこ勝負さ」

 映画 『男たちの挽歌II』

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 『Halo』は2001年に発売され、『Halo 2』と合計で1380万本売れたXboxの代名詞的ゲームである。
 2007年夏に公開予定の『Halo』映画化作品の監督と脚本が誰になるかはXboxユーザーすべての興味の的であり、Xboxを応援し今日も『Halo2』をプレイした(聞いてくれ。今日なんと十分間一度も死なずに二十人を殺しまくった。「さすがだな」というボイスを初めて聞いたよ。狙撃オンリーなどではない、爆殺や撲殺も含んだかけずり回っての乱戦の中でのことだったので、十分間のゲームが終わったあと軽く震えが来た。FPS(ファーストパーソンシューティング=一人称視点の戦争ゲーム)をプレイすると反射神経と集中力が増すという研究結果があるらしいが、確かに『Halo』で戦ったあとの私は、背後から斬りつける敵の刃を気配で察して避けることができるだろう。世界が静かになるほど集中するあの感覚は、ダーツの矢を投げるときの集中に似ている。引きこもりの得意分野に思われがちだが、もはやアクション系のネットゲームはスポーツだ)、吉秒匠の関心の的でもあったのだけれど。

 先日、米ユニバーサル・ピクチャーズらがついに発表した。

 監督、ピーター・ジャクソン。
 脚本、アレックス・ガーランド

 ……大物である。
 言わずと知れた『ロード・オブ・ザ・リング』三部作でアカデミー賞を受賞し『ロード・オブ・ザ・リング・王の帰還』にいたっては2003年のアカデミー賞11部門独占の快挙を成し遂げたピーター・ジャクソンである。ほら、もう何度も勧めたけれど、もう一度勧めるよ。『Halo』やっとけって。二年後に「あたし『Halo3』のレベルいま18ぃ」とか語れるとカッコイイ時代が絶対にくるから。そのころにはPS3の半値くらいまでXbox360は安くなるらしいから(しかし発売前からそういうこと言うなよなあ)、次の世代では「プレステ? なにそれ」ってことになっているに違いないし。「コヴナントの中にもキュートなのがいると思わない? そういうとこ映画で描いてほしいよね」なんて知ったかでなく本音として語れたら素敵。

 『ザ・ビーチ』原作者でおなじみのアレックス・ガーランドは、実のところ私は好きな作家ではないが、監督は彼にゲームとは違うストーリーで脚本を書かせているらしく、だとすれば私はガーランド氏の得意とする炸裂する感情の描写に期待したい。悶々とした挙句、炸裂するマスター・チーフ(『Halo』の主人公だ)。発射される最終兵器。終わる宇宙。終わらせない神。異次元のよくわからない存在。『Halo』の精神は、人間が宇宙のちっぽけな存在ではないと語る。人類の運命は人類が決めるし、宇宙の運命も人類が決める。我々は人類なので人類至上主義であり、それが神への冒涜だというのなら我々は神にだってなる。

 『スタートレック』の未来世界で、連邦規則は他の惑星での内政へ干渉を許していない。しかしいまこの地上ですら、大国は小国の内政を操作干渉する現実。『スタートレック』でも、しばしば艦長は「だからといって彼らの行為を見過ごすわけにはいかない!」などとカッコイイことを言って手を出してしまう。難しいところだ。目の前に事態があって、自分の手にはそれを解決できる力がある……その状況では、いわばその傍観者は神だ。そう考えると、万能の力を持っているとされながら、この地上でなにが起ころうとどんな悲惨な事態が起ころうとも手をさしのべようとはしない、神というものは絶対の傍観者であるからこそ偉大なのかも知れない。

 『Halo』とは、直訳すると「後光」のこと。菩薩の背後などに描かれる、光の輪のことである。だが、ゲーム『Halo』では、それは最終兵器の名だ。リング状の惑星『Halo』はそれ自体が起動させれば宇宙を滅ぼす兵器であり、しかもそれは人類が建造したものでもなければ、『Halo』に住む宇宙種族コヴナントが造ったものでもない。

 だれが造ったのかわからない、しかもこれまで一度も起動させられたことのない、宇宙を滅ぼす最終兵器……それはだれがなんの目的で生み出したものなのだろう?

 それが『Halo』。

 プレイしていると、気づく。考えてみれば、いまのこの世界だって似たようなものだと。私は、この瞬間、どこかの国でだれが造ったのかもわからない最終兵器の起動をとめようとマスターチーフなる人物が戦いの日々にあけくれているのだとしても、そんなの知らない。逆に言えば、宇宙のどこかに本当に『Halo』があれば、それが起動した瞬間に私の存在はこの世界もろとも消える。『Halo』は近未来の物語だが、いまも未来も、普通に暮らす大多数の人々にとって、世界が終わるかどうかは本人のあずかり知らぬところで最終兵器を造ったり奪い合ったりしている人々の勢力図いかんによって、今すぐ終わるとも永遠に続くとも読めない不安定なものなのだ。

 アレックス・ガーランドは人間くさい小競り合いを描くのが得意だ。ピーター・ジャクソンは壮大なスケールの物語をきっちり描ける手腕を持っている。ぜひとも『Halo』ワールドを、より深みある現代に生まれた未来のSF古典にして欲しい。

 というわけで、やっぱり未来の古典を現代のあなたが知らないってのはアカンと思う。次世代機に期待するのは、単純にもっと広げることだ。小説が、映画が、世界中に物語を届けるように。あなたにまだ『Halo』が届いていないなら、それをあなたに届けるやくわりこそを次世代機に担って欲しい。現行機でも、もちろん次世代機でも(きっと)プレイできる、この名作を。
 さあ、さあっ。

Halo1Halo2

 ところで『Halo』は小説もあるのだが。
 映画化も確定したしそろそろ訳してくんないかな。

Halo

 Xboxといえばついに噂のブログサイト『Jump-In』が正式オープン。言葉では説明しにくいが、人気あるブログが視覚的に肥大するという方法でテキスト情報を映像化していて、なかなかおもしろい。サイト説明を引用するならば「情報のプールを泳ぐように閲覧すること」ができる。この生成されたイメージはXbox360の広告にもそのまま使われるらしいし、今日から「一日一台Xbox360が当たる」キャンペーンも開始。覗いてみな。 いまこの『徒然』もトラックバックを送ってみたら、文字映像の洪水のなかに現れた。すごいよなあ、電脳空間の進化。

 『Halo2』で私は普通に世界中の人たちと遊ぶようになった。次世代機ではもっと通信は手軽になる。世界は広がることですぐそばに来る。ドリキャスで湯川専務の果たせなかった夢を、いまXboxが現実のものとしつつある。近未来が現代になるなか、次の未来もやっぱり生まれるのだ。私、子供のころブロック崩しで隣に座る友達と対戦できたことに感動した世代だ。それが地球の裏側の人と会話しながらゲームしてる。まだ人生の半分も来ていないのに。すっごい時代に生まれたなあ、と思うよ、ほんと。満喫しなくちゃ。
 その瞬間に僕はまた肉体の内側が未知の空隙へ陥没するような強い飢餓を感じた。それは膨れあがりたいという意志を僕に感じさせた。原始の生きもののように、辺りにある力を含むものを無条件に取り込み、血肉にして膨れあがりたい。

篠原一 『月齢』

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 父がおみやげでくれたのだが、なににかけてもしっくりこない調味料があって。だいたい、その調味料は「匠が辛いもの好きだったなと思って」買ってきたらしいのだが、琉球泡盛に唐辛子を漬け込んだというものなのに、父は奈良への出張みやげとして買ってきたというわけのわからんもので、問いただすと「駅にあった各地の土産を売っている店で見つけた」ということでそんなもの地元の大阪の駅にもあるし

 まあそれくらい父の印象として私が辛党だということがあって、何気なく目にとまったそれを喜ぶだろうと買ってきてくれたのだからありがたいことではある。先日も実家に寄ったら「伊豆で有名」だというワサビをくれた。またしても伊豆に行ったわけではないらしいのだが

 で、その調味料。こーれぐーす、という。私の職場に「沖縄に通うために働いている」と豪語する人がいて、実際のところ彼女は肌の色がやっと薄くなってきたかなあ、と思うと長期休暇を取って沖縄に行ってしまう。で、私はその人に「旅行嫌い」だと認識されていてそれは事実で私は許されることならば四畳半のワンルームに引きこもって生きたいけれど働かないとクレジットカードが無効になってネットゲームができなくなるというような発言をしているのも事実で、だからなのかなんなのか、彼女は私に沖縄の良さを熱弁してくれる「泳げるんでしょ、ダイビングやりなよ」「泳げた、だね、高校の授業で泳いで以来プールにも海にも行っていないから」「バイク乗りなら遠くに行きたいと思わないの? 沖縄の道まっすぐで信号なくてすごいよ」「皮膚ガンになる」「タバコ吸ってなかったっけ」「酒が入るとたまにね」「生きているうちにいろんなもの見ないと」──ちなみに今月、私が休日を全部つぶして書いているのは男同士のフェラチオに始まりフェラチオに終わる行為のなかで恋が愛に変わる物語で、きみはきみの人生の中でそういう話が売れるか売れないか考えつ一ヶ月苦悩しながら書いたことがあるか? というようなことは大人げないので語らなかったが、まあ人それぞれ人生いろいろである

 その彼女に、こーれぐーすってのもらったんだけど、と言ったら、沖縄の食堂には必ずあるよ、という答えが返ってきて、どうやって使うのと訊いたら返ってきた答えが

「沖縄そばにかけるの」

 というものだった。
 沖縄そばってどんなの? と訊いた私に彼女はさげすんだ目で「食べたことないの」。ない、と思うのだが、私は意外に自分が作る料理が好きなので、どこそこのなにかを食べたとしても、それを自分の料理の中でどう使うかを考えているのであって、どこそこのなにかを食べたというデータとして残らない場合が多い。おかげでよく「一緒に食べたじゃないか」「ごちそうしてやったのに」というようなことを言われたりする。いや違うんだ、おいしいものは好きなんだよ、おいしいものをおいしいものとして愛でることは大好きなんだけれど、いわばなんというか、別にその人が好きだってわかっていれば名前とか肩書きとかどうでもいいじゃん、という指向だってことなんだが。伝わらないことも多い。

 大阪にお店とかある? 見たことないんだけど。といったら彼女は当たり前のように「私は沖縄で食べるから」と役に立たない情報をくれた。そんなわけで私はこーれぐーすが本来どういう味の料理にふりかけるものなのかよくわからないまま、いろいろなものにかけて食べてみたのだけれど、なにせベースが泡盛である。冷静に考えてみると、日本酒を料理に使うことはあっても、焼酎は使わない。ブランデーは使うがウォッカは使わない。ビール煮ってのはあるけれど(私も飲んでいた途中でのっぴきならない事態が起きたとき限定で作ることがある。のっぴきならない事態でもなければ私がビールを飲み残すことなどありえないからだが、意外にのっぴきならない事態というのは年に何回かはあるものだ)、テキーラ煮込みなんてのはきいたことがない。

 こーれぐーす、あんまりなににも合わない。
 遊びに来た友人にも食べさせてみるが「思ったより辛くて料理が台無し」になるということしか発見できない。泡盛の味がきっちり残っているので、かけるとがらりと料理の味が変わってしまうのである。しかもタバスコのように辛いのに粘性がなくさらさらの泡盛そのままのため、ちょっとだけかけるということがすごくむずかしい。どぱっとかかってしまうのだった。確かに料理が台無しである。

 そんなわけで、こーれぐーすは冷蔵庫に保管されだれにも使われることなく眠っていたのだが。

 今月末締めのフェラチオ話をかきあげて、三十一日に郵便局に出かけがてら映画を観にいった。このサイトの『表紙』に目を通すくせのある方ならご存じの通り、私は『西部警察』でショットガンを両手でかまえてアメリカンバイクを疾走させる館ひろしが頭にこびりついていたために黒いアメリカンバイクを買ってしまったのではないかと疑っていて、その館ひろしが、黒い革つなぎから黒いスーツとコートに衣装をかえて、七年ぶりに黒いアメリカンバイクを疾走させながらショットガンを両手で撃つということで、観にいきました『まだまだ危ない刑事』

 観たのは大阪は道頓堀の劇場だったのだけれど、なぜかその日は同じ制服を着た高校生がいっぱいいて、みんなたこ焼きを食べていた。修学旅行? 社会見学だろうか。ひっかけ橋をどこかの地方から来たミニスカ制服の女子高生が大挙して渡っていて、さすがに気合いの入ったミニでも制服姿の相手に声をかける猛者もなく、それにしても道頓堀に高校生を連れてきてなにを学ばせようというのか、その学校の意図をはかることのできない私だった。場外馬券場に群がるくさいおっさんと真昼から香水の匂いのきつすぎるこれから出勤のおねえさまがたと、冗談のように虎と龍のスカジャンとか、紫色のミナミの帝王スーツを着たおにーさまがたとかが、渾然一体となって醸し出す生活臭を嗅がせる学習だろうか。ためになりそうもない。しかし、これだけラーメン屋が並んでいるのに、どの店もつぶれないというのは、確かに社会科見学的には意味があるかもしれない。

 劇場のなかにまで女子高生がいる。お前ら、その若さでタカとユージのなにを知っているというのだ。『西部警察』を観ていないと館ひろしがアメリカンバイクにまたがることの意味をありがたがれないだろうが『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(石原裕次郎亡きあと、初めての石原プロのテレビシリーズ。渡と館の気合いの入り方が尋常ではなく、ベレー帽でショットガンを撃つ館ひろしはまさに輝いていた。傑作シリーズ)を観ていないと館ひろしの重圧を理解できねえだろうが……ていうかケータイを切れよ。それ以前になんの旅行か知らないが大阪の想い出が『アブデカ』で本当にいいのか? にぎやかな劇場だった。観始めてすぐ気づいたが、意外と『アブデカ』のこってりした笑いのノリというものは、大阪の笑いに通じるところがある。道頓堀の劇場で、きっちり笑いをとっていたので称賛に値することだろう、それは。

 作品自体は、

「どこから持ってきたんだよ、そのバイク」

 という柴田恭兵のつっこみもあらわすとおり、全編にわたって館ひろしと柴田恭兵を「魅せる」に特化したものだった(ちなみに『あぶない刑事』テレビシリーズはスズキがスポンサーだったので通行人から拝借してタカが乗るバイクも全部スズキで、その後スズキとのしがらみがなくなったあとはタカがカワサキ車に乗ったりもしていた(ちなみに私もいまカワサキに乗っている)。今回は権利関係の問題がなにもなくクリアだったのか、ハーレー好きの館ひろしらしくタカのバイクはハーレーFXSTソフテールスタンダードという1450CCのバイクで03年の100周年モデル。200万円くらいのバイク。そんなものが廃工場跡に走る状態で鍵付きのまま放置してあったという設定が許されるのは『アブデカ』だけだろう。ご都合主義の極地である)。集中して観ている女子高生と、そうでないコがはっきりわかる映画だった。退屈そうなコは「なにこのおっさんのアップが多い映画」と思っているに違いなく、見入っているコは顔にシワの刻まれはじめた日本人のおっさんのなかにもアップで観るに値する人たちがいる、という事実に気づいたラッキーな奴だ。

 爆薬の量は少なめ。『フォーエヴァー』を期待すると肩すかしを食う。テレビの二時間ドラマくらいの予算でできた映画だ。その予算でこの動員数は、キャラクタービジネスの成功例と言っていいだろう。タカとユージと浅野温子(健在。このひともアップに耐えられるからすごい)のキャラで、笑いもとるしアクションも魅せる。いわば『ミナミの帝王』のシリーズに深い感動などいらないという図式に近い。竹内力を観に人は集まるのだから、だったら無駄な金をかけなければ利益は上がる。利益が上がる作品は量産される。『アブデカ』について訊かれたインタビューで館も柴田も「次のオファーがあればまたやる」と断言していたので、金かけなくていいからこれくらいの可もなく不可もないシリーズとして量産して欲しい。

abudeka

 ところで新人君の事故で流れてしまった『西部警察』平成版テレビシリーズは、このまま立ち消えてしまうのだろうか。館ひろしのアクション・スターとしての力がまだまだみなぎっていることをこの『アブデカ』が証明している。ネタでなく本当に五十肩になって目線の高さで拳銃がかまえられなくなる前に、シリアスなバイオレンス館ひろしのかっこいいところを存分に記録しておいて欲しいものだと、強く思った。アクションのできるシワだらけの俳優って外国ではいっぱいいるのに日本は少ない。石原軍団は日本アクション映画界の要だ、気張って欲しい。それにしても『ロッキー』の新作を撮るらしいスタローンをこのあいだテレビで観たのだが、ぜんぜん衰えない筋肉とシワのなさはどうだ? 筋肉増強剤とコラーゲン注射だけでは越えられない壁を彼は越えている気がする……筋肉移植術とか。やっててもなんの不思議もないよ、近頃ヒットに恵まれない彼なら『ロッキー』新作に命だって投げ出すだろう。素敵だ。

 話は戻ってこーれぐーす。
 その日私は、皮から餃子を作る餃子好きのひとりとしてかねてから覗きたかった『浪花餃子スタジアム』に行くつもりだったのだが、思いのほか締め切り当日のあれやこれやが長引き、昼食に餃子を食いに梅田まで行くには遅すぎる時間に映画が終わってしまったので、急遽予定変更。同じナムコ(バンダイナムコって呼ばないとダメか。しかしバンダイって社名はセガバンダイのときにも思ったが、くっつけると合併相手の社名を喰っちまうアクの強さがありますな)のフードテーマパーク、道頓堀から目と鼻の先、なんばパークスの『浪花麺だらけ2』へと向かったのだった。10月にリニューアルしたばかりの施設だ(ちなみに公式サイトの「ご当地麺占い」で私は『ちゃんぽん』だった。「いわゆるふところの深さを感じさせる人。いい意味でアバウトなスタンスに、安心感を覚える人も多いことでしょう。あなたを麺にたとえるなら、山海の恵みたっぷり・太麺&まろやかスープのちゃんぽん。この麺の持つ豊かなムードは、あなたのものでもあるのです。」ということだが、私は麺料理の中でちゃんぽんの位置を非常に低く見ている。店で自分から頼んだことは人生の中で一度もない。ごった煮よりもシンプルなスタイルが好きなのだ。ままならぬ)。

 ラーメン喰う気で行ったわけで。たぶん餃子とビールもあるだろうとか思って。しかし行ってみたら夕刻遅くという中途半端な時間もあるのだろうが、テーマパークに人の影なし。遅刻気味らしいバイトのコが走っていったら「うどんキュイジーヌなんば」とかいう店のおっちゃんが「いいところに来た。めっちゃひまやねん」とかオオサカンギャグをとばしている。客の前で言うな。いや見ればわかるけど。なにせずらりと並んだいろんな麺料理店の各店長と従業員が私を注視している……かと思ったら、あんまりそうでもない。なぜかと思えば、目の前ののぼり旗が答えをくれた。

「沖縄そばの名店『首里そば』」
「一ヶ月限定、10月31日まで!」

soba

 ──まさにその日が最終日。あと数時間で大阪を撤退する沖縄で一番人気らしい沖縄そばの店。ああ、そりゃあこれ喰わなきゃいかんわな。沖縄そばの店には沖縄そばしかなくて餃子もビールもなかったのだが、テーブルの上にはそれがあった。ブルーのガラス瓶に入った切り取った数人の赤ん坊のおちんちんのホルマリン漬けみたいな、その調味料、こーれぐーすが。

 かくして図らずも私は我が家の冷蔵庫に眠らせたままだった、こーれぐーすの本来の使い方を知ったのだった。最初は入れずに喰う。そして入れてみる。入れてみる入れてみる。ほとんど瓶に残っていたぜんぶくらいを入れてみる。スープを飲んでみる。

「おお」

 なるほど、こういうことなのだ。コクとパンチが増した。私の横では、我が家のこーれぐーすの誤った各種使い方によってトラウマをうえつけられた妻が、無難に七味などかけて喰っている。いや、これに限ってはこーれぐーすをかけても台無しにはならない、ていうかそんな普通の七味で喰うのもったいない。と思ったが、まあ人それぞれ人生いろいろである。

 で、喰いながら我が家でのこーれぐーすの使い方を考えた。沖縄そばというから、私はてっきり蕎麦だと思っていたのだけれど、それはどう味わってみても強力粉ベースの麺だった。たぶん、かん水も練り込んである。スープはかつおだが、肉の味がするのはチャーシューがトッピングされているからだけではないようだ。ダシ自体に豚の味がする。味つけは普通の醤油だよなあ、たぶん。特筆すべきは、ショウガがきいている点。結果としてショウガ入りのちゃんこ鍋スープという表現が近い。私はちゃんこ鍋に、というか水炊きにもショウガのかけらを入れて煮る派なので、なんら違和感はない。きっと豚の臭みを消すための措置だろう。その昔、沖縄そばってもっと野性味あふれた料理だったのだろうことが推察できる。豚とかイノシシとか(沖縄にいるのかどうかは知らないが)、鉄鍋でぐつぐつ煮て、臭み消しにショウガと泡盛を注いだのだ。そう、沖縄そばのスープにはもともとから泡盛が入っている(たぶん。焼酎かなにかかも知れないが、日本酒ではない酒類が入っていることは確かだ)。味つけは醤油のみ。現代になってみりんとか足したりしたんだろう。

 翌日。

 考えた。沖縄そばの麺はうどんよりも細くそうめんよりも太い。ああ、そういえばお中元にもらった半田そうめんとかいうのが「太さが売り」とか書いてあってちょうどこれくらいの太さだったかも。いっぱい余ってるし。スープは、豚を煮るなんてのはちょっと昼食に麺を喰うなんていうレベルの話ではなくなってしまうので却下。市販の醤油ベース濃縮めんつゆを薄めにのばし、醤油とみりんを足して、鶏ガラスープの素を加えてみる。あとショウガの千切りを散らしてひと煮立ち。

 偽ラーメンスープ仕立てのにゅうめんみたいな料理を作る。喰ってみれば、そこそこ、まずくはない。ショウガを加えためんつゆというのがあまり経験ないが、まさに沖縄そばっぽい。というわけで、こーれぐーす投入。

「おお」

 これだ。大正解である。
 残っていたこーれぐーすを使い切った。赤ん坊のペニスみたいにぶよぶよして色の抜けた赤唐辛子が数本、瓶に残った。原材料を見るとわかるが、こーれぐーすには酢も入っている。ていうかこれ、泡盛と酢と鷹の爪だけでできてるんじゃん。この小瓶で数百円の商品にするって高くない? だいたい、その原材料はすべてうちにある。ということで、こーれぐーすの自作をはじめた私でした。なんかこれ、我が家の定番調味料になる可能性を秘めていると直感した……が、疑問は残る。本当にこーれぐーすは泡盛に酢を足して唐辛子入れただけのものなんだろうか。なにか特別な製法がある気がしてならない。だってこれだけで完成なら、商品としてなんで売っている必要がある? 泡盛買った方がずっと安い。それとも何年も漬け込んだりするんだろうか。

 沖縄好きの彼女に、今度行ったら現地の人に製法を訊いておいてくれと頼んでおこう……自分で沖縄行けばいいじゃない、と返ってくるに決まっているが。これからの鍋季節、こーれぐーすの活用のために、私は試行錯誤することになりそうだ。単純なものほど、奥深いのである。