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夏が終わり。
ミシンを準備。
バイクカバー。
もう十年以上も前。
いま乗っているオートバイと、
いっしょに買った。
良い品です。
高価です。
最初は、ねえ。
数年後に少し裂けた。
買い換える?
いいえ。
安いのを買い足しました。
二枚がけ。
以来、外側のカバーは、
年を経るごとに安物に。
一年で買い換える二千円くらい。
そして今年も夏が終わり。
安いバイクカバーの、
背は焼け、ミラーで裂け。
日よけにも雨よけにもならん。
でも、生地の端は新品同様。
そこ切り取って、
十年選手な相棒へ。
かくして年々、
内側のカバーは、
つぎはぎで分厚くなっていく。
内側なので見た目はどうでもいい。
ミシンでざくざく縫うだけです。
ただねえ、これが。
家庭用のミシンなもので。
生地を回転させるのもひと苦労。
なにせ4Lサイズのバイクカバーが、
年々、分厚くなっていく。
今年は、くじけそうになった。
ミシンの隙間を生地が通らない。
いったん抜いて逆から縫ってみたり。
十年かけて分厚く成長した相棒を。
扱いにくくて買い換えたろか、とか。
いやあ、でもね、愛着がね。
バイクカバーでもさ。
こうなると、中身のバイク同様。
私の人生の一部なのです。
なかば……いや完全にキレつつ、
毒づきながら、縫うにしても。

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 ミシンの音を子守歌に育った。

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『機械偏愛』の話。

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 だから、縫うのは好きだ。
 しかし、である。
 たいていの機械が母の世代と私の世代ではまるで様変わりしたこの二十一世紀に、あいもかわらずミシンがミシンでしかないことが象徴しているように。

 縫っていて思う。
 裂けるのって、ほぼ同じところ。
荷重がかかる、てっぺんと、両ミラーの部分。
 裂けるから縫い重ね、そこばかり厚くなっていくわけです。

 おかしくないか?

 逆に言えば、ほかの部分は、ほぼ無傷。だったら、なぜ最初から裂けるに決まっているところを二重三重にしておかない? 縫う手間がかかるから? いや、ほんの少し高級なバイクカバーだと、縫い目から雨水がしみこまないように、穴を塞ぐ裏地がついていることが常である。そっちのほうがずっと手間だ。だが、いくら縫い目に裏地で蓋をしてあったところで、ミラー部分が裂けたりすれば商品寿命が尽きるのである。優先順位のつけかたが、おかしくはないか?

 最近の街中では見ないけれど、古い英国を舞台にしたドラマなどだと、ジャケットに肘当てを縫いつけているのをよく見る。

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 近ごろの生地は強くなったということもあろうが、すたれたのはもっぱら見た目の問題なのではないかと推察する。道行くひとのジャケットの半分に肘当てがなくなれば、残りの半分は羞恥心をおぼえ、一気に形勢が傾く。綱引きと同じだ。動きはじめると加速度的に負けてしまう。

 逆の進化だってあっただろうにと思うのである。

 特に、もったいないを美徳とする国、日本。東洋のガラパゴス文化を持つ国と呼ばれる日本で、そういう気概を持った傑人が現れなかったことは残念だ。いまちょうど朝ドラで戦後の日本にファミリアが創業され、子供服やオシメまでもが西洋スタイルへと変わっていったのを描いているが、その同じ時期に着物を脱いでジャケットを羽織った男たちが、肘当てをしてもまだ破れるからと、日本流にアレンジをしていれば、歴史も変わっただろう。

 日本には、甲冑の文化がある。

 鎧には金属の肘当てがついているものだ。ジャケットに縫いつけると動きづらいというならば、鎖かたびらという手もある。だれも思いつかなかったとは思えない。戦後の物資不足のなかで、けっして良い生地ではないだろう布で仕立てられた、一張羅のスーツ。それで事務仕事をする。肘に穴が空く。革の肘当てなど手に入らない。しかし板金工場はそこらじゅうにあったはずだ。なにせ建てまくれもっとネジもってこいという復興のさなかであるのだから。なぜ金属チェーンを編んだ肘当てを発売しなかった? 北斗の拳の悪役に見えるからか? いやまだ連載ははじまっていなかったし、マッドマックスだってクランクインしていないころだ。鎖かたびらのニンジャが闊歩していた時代のほうが、近いときなのに。

 そして現代。

 オートバイも、自転車も、車さえ、いまだに布で覆うのが主流だ。いや、特にバイク業界で、なぜメーカーは純正品の頑丈なカバーを売らないのか。この業界では、オフロードという競技がある。モトクロスバイクは宙を飛ぶ。その選手たちが身につけるプロテクターは、甲冑だ。

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 違う。バイクカバーを金属で作れと言っているわけではない。鎖でバイクカバーを作ったら早晩、愛車は傷だらけになるだろう。

 しかし、いまはもう、3Dプリンターでセクシーアイドルの樹脂製フィギュアを個人的に出力することさえできる時代なのに。

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『データに実体はない』の話。

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 アイロンに、すっぽりかぶせるケースがついてくる。樹脂の。

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 ああいうのがいい。
 バイクをすっぽり覆うの。
 サイクルハウス?
 あれはダメだ、台風で飛んでいく。
 ガラス繊維強化樹脂で、ぴったりボディに寄り添うようなのがいい。カスタムしたらつけられなくなるじゃないか? もちろんだ。そこはだから純正品なのだ。ノーマルのまま乗り続けるひとのための、ぴったりびっちり収まって息もできないようなオートバイケース。気持ちいい。 

 アマゾンさんで「バイクカバー」の一番高いのを検索すると、これだった。

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 五万円。
 それだけ出して、やっぱり布。

 傷がつかないように化学繊維と化学繊維のあいだに鎖かたびらを埋め込むとか、なにかさあ、ひとが宇宙に行ってひとの臓器を持った豚が作れるっていうのに、破れないバイクカバーが作れないってさあ。

 本気出してなくないか。
 だれか出せ、さっさと。
 そろそろいいだろう。
 本気を。





 コーヒー豆がなぜだか手もとに現れたが、煎れる道具がないのでお困りですか。

 これでどうですか。

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 すり鉢に入れる。

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 そして擂る。

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 で、以前にも書いた手法で。

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『茶こしと紙お茶パックでコーヒー豆をドリップする』のこと。

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 こうやったり。

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 もう、こうでもいいのでは。

Coffeemill01.jpg

 トルコでは、コーヒー占いが盛んである。なぜならコーヒー豆の粉を水にぶち込んで煮出し、それをそのままカップに注ぐから。当然、飲み終えると、豆の粉がカップに模様を描いて残る。それあっての占いだ。つまりトルコ風に行くならば、コーヒーを煎れるのに必要なのは、すり鉢と手鍋だけなのだ。別に日本でそうやって飲んだって悪いことはあるまいて。紙パックも省略したっていいかもしれない。

 以上。コーヒー豆をもらったのに煎れる道具がない、の話は終了です。この話だけが目的で検索サイトから来られたかたは、すり鉢でも買いに行ってください。たぶん、安いコーヒーミルのほうが安い気はするが。

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 以下、蛇足。
 蛇足と書いたうえで書くというのもなんだけれど、ちょっとしたリハビリテイション。色即是空つらい。

 強がってはみたものの、負った傷は深く……

 小説どころか、ブログさえなに書いていいのかわかんないやとつぶやいて、数年ぶりにボージョレーの解禁日が休日だったので仕事帰りに買い物へ行くこともなく翌日になってみたら若くて酸っぱい今年の新ワインを愛でるような心境なわけがあるかよオレはもともと渋いのが好きなんだふざけんなと傷は広がり。

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『熟しもの愛でしこそ未熟をも』の話。

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 ブラックフライデーである。

 十一月の第四木曜日(首を絞め殺されるところだった二羽の七面鳥を恩赦する日)の翌日の金曜日。つまり今日。つまりクリスマス商戦開始の日のことだ。

 多くの日本人にとって、そんなの知ったこっちゃねえことだろうが、アメリカのマイクロソフト社によって発売されたゲーム機Xboxのユーザーにとっては、オンラインでデータを買うのが当たり前の昨今、あちらの人々と同様、年に一度のセールがやってきた! というところなのだった。

 業界最安値と名高い西友のペットボトル・ボージョレー・ヌーボーが870円だが、今年の私は、それよりも安い810円にブラックフライデー値引きされていた『Saints Row IV: Re-Elected & Gat out of Hell』というゲームを買ってはじめた。『セインツロウ』の『3』が大好きだったが、スタッフがその拡張コンテンツとして開発していたらデータがデカくなって結局フルプライスのパッケージとして売ることになったという『4』は、もとがそういうオマケ的開発方向だったため、ストリートギャングの抗争ゲームだった『3』から一転、大統領に就任した元ギャングが攻めてきた宇宙人と仮想世界で戦うという、シリーズのファンであればあるほど二の足を踏むという代物に仕上がっていたもので。

 広大な街で、好きなようにやれという箱庭ゲーム。はじめると、膨大な時間を食う。となると、大統領が宇宙人とヤるなんていう設定のものは、ついつい後回しになる社会人である。しかし、そんなこんなしているうちに、ついに810円。しかもいまの私はなにかに没頭して頭を切り換えたくて仕方がない。

 いまこそ『Saints Row IV』!!
 というわけで、ブログなど書いている時間はない。

 ないのだが、ふらりと友人が訪れてきてくれた。

 おみやげ、と、豆をもらった。
 コーヒー豆というらしい。

「あー、えっと」

「知ってる」

 そいつは律儀にも私のブログを読んでいるのだった。上で引用した紙パックの回を読んでいた。

 私はコーヒーが好きだけれど、家に煎れる道具はないし、コンビニでも買わない。たぶん、この先も、こうだろう。これが私。

 と、書いていたことを、知っている、と。
 で、挽いてもいない豆をくれる、と。

「稼ぐいうてたやん」

 いつか私の愚痴ったことである。気合いを入れて数時間かけて書いたような苦悩に満ちたブログよりも「コーヒーの粉があるけれど道具がないわあら困った」という彼女がさくっと検索してさくっと読めるくらいの記事が、閲覧者数を伸ばして小銭を稼ぐ筆頭になるというのは事実だ。

「どうにかして、これも飲みいや」

 本当にありがたいことである。
 実際、こうして、なんにせよ書いているのは、彼のくれたコーヒー豆のことなのだから。愚痴や弱音はそこらじゅうに吐いておくものだ。強がっていると、だれもなぐさめてくれない。見た目が可愛くないタイプの男だと特に。どんな子でも、泣けば抱きよせられて頭をなでられニコッとできるようになるということくらい一歳児でも本能で身につけている生きる術だというのに、大の大人が、もうヤだシんどいナにもする気にならないっ、と泣きわめかないのは育てば育つほどひとは愚かな猿になり、自由の女神を砂浜に埋めてしまうということの証左であろう。

 我が家にはフードプロセッサーがあるので、最初は、それで試してみた。しかし、コーヒー豆の擂ったのというには、やはり粒子が粗い。けっきょく、すりこぎ登場。コーヒー豆は、意外にやわらかい。黒いモノは固いという固定観念があると、指先でも潰すことのできるコーヒー豆のやわらかさは、なんだか愛おしい。片手でぐりぐりと擂ってやるだけで粉になっていく。コーヒー臭くなったフードプロセッサーを洗う手間を考えれば、すり鉢だけでの作業のほうがずっと気楽だ。

 擂り終えてから想い出したが、息子の離乳食のために購入したミニすりこぎセットが、近ごろ焼き鶏も食べられるようになって(前歯四本しか生えていないのに、どうして食べることができるのか不思議でならないが)まるで活躍しなくなっていたのを、コーヒー用にすればいいのかもしれない。

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 一杯分をミニすり鉢で擂る。
 ドリップするには一杯分などありえないが、お茶パック使用や、トルコ方式ならば、むしろ適量だ。なんだか逆に優雅ではないか。

 そんな日々をすごしています。
 なんでも書き出せば書けるものだ。
 これだけ書いてきたのだから、これからも書けるだろう。

 とりあえず『Saints Row IV』!!
 ありがとうブラックフライデー。

 気を逸らすのがアルコールしかないというひとが中毒になるのだと習ったことがあるので、もちろん酒も飲むが、一本の映画やゲームやプロレスの試合などでも気を逸らすことのできる私は、分散させてダメージを消していくことにする。

 親戚に言わせると、タクミは布団のなかでも本を読んでいる男の子だったという。それは親戚が集まっている場から現実逃避するために私の編み出した作法だった。それが月日が経ち、もういちど書くために、本のことを忘れようと本以外のもので現実逃避をはかるなどとは。

 人生とは、なんなのだろうか。
 こればっかりだ。
 こういう思考を、まず脱するところまでもどるために。

 『Saints Row IV』!!
 宇宙人ぶっ殺してやる、ボク大統領っ!!
 うむ。現実逃避感が出ていて、良いタイトルである。

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Xbox公式サイト:Black Friday Xbox One Games

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 ハッピーブラックフライデー!!

(コーヒーを「煎れる」というタイトルにしたのは、こちらの字のほうが煮出すという意味に近いと感じるので、話の内容的に。「淹れる」と書くのがコーヒーっぽいというのはわかったうえで、あえてです。トルコ式「煎れる」コーヒー、ざらざらしますけど、味は好き。ちなみに私は完全なブラック派。コーヒーになにか入れるというのは子供のころから信じがたいことだった。そういえばトルコでは男性が塩入りコーヒーを我慢して飲むというプロポーズの作法があるそうで、昔は見合いの返事を直接言わないでコーヒーに塩を入れるという習慣があったのが、いつのまにかプロポーズパーティーのイベント化したのだとか。出すほうも出されたほうも顔に出さなければイエスかノーか、まわりには悟られない奥ゆかしいコーヒー行事だったのが、真逆のアピールタイムになってしまったというのは、イスラム教の国であるのに女性が顔を隠していないし、トルコビールなんていうのもあるし、自分をヨーロッパ人だと言う、トルコの変遷の歴史そのものな感じがしておもしろい)



  


第12回(1996年)
第一次選考通過

第13回(1997年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第14回(1997年)
第二次選考通過

第15回(1998年)
最終選考通過

第16回(1998年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第17回(1999年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第18回(1999年)
編集部期待作・一席

第19回(2000年)
第三次選考通過

第20回(2000年)
編集部期待作

第21回(2001年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第22回(2001年)
第三次選考通過

第23回(2002年)
第三次選考通過(最終選考落選)

第24回(2002年)
第三次選考通過(最終選考落選)

第25回(2003年)
第二次選考通過

第26回(2003年)
第三次選考通過

第27回(2004年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第28回(2004年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第29回(2005年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第30回(2005年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第31回(2006年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第32回(2006年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第33回(2007年)
第四次選考通過(最終選考落選)

第34回(2007年)
第二次選考通過

第35回(2008年)
第三次選考通過

第36回(2008年)
第三次選考通過

第37回(2009年)
第三次選考通過

第38回(2009年)
第三次選考通過

第39回(2010年)
第三次選考通過

第40回(2010年)
第三次選考通過

第41回(2011年)
第三次選考通過

第42回(2011年)
第二次選考通過

第43回(2012年)
第二次選考通過

第44回(2013年)
第二次選考通過

第45回(2014年)
第二次選考通過

第46回(2015年)
第三次選考通過

第47回(2016年)
第三次選考通過(最終選考落選)

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 書き出してみて気づく。
 ちょうど二十年だった。

 回によって最終選考が三次だったり四次だったりするので、カッコ書きしてみた。

 第47回の発表が先週、あった。
 私が最終選考に到達し、そこで落とされるというのは、実に九年ぶりのことで。出来は悪くなかったということだろう。評価がうれしくはある。どうも賞の思惑と私の書くものが相容れないようだと二十年の後半、十年を禿げる思いで過ごしてきたわけだけれど、これでようやく暗闇で手探りするようにではなく、次を書けると……

 そういうことには、ならなかった。
 この賞が、終了してしまったので。

 最後の募集締め切りの直後に、発表があった。奇しくも、今回の最後の発表で私のとなりに名のあるかたと、今回も書きあがったよ反省もあるよ次は直すよ言いつつ今回獲るけどな、みたいなメールのやりとりをしている、さいちゅうのことだった。

「次ないやんっ」

 と、なった。
 そこから発表までのことは、よくおぼえていない。この賞のことに関しては、考えないようにして暮らしていた。つい昨日のことだが、先端が白くて根元にいくにつれ黒くもどっていく陰毛を何本かみつけた。抜いてやった。あきらかに、あの時期である。この賞が終わる、というところで、私の全身の毛根は死にかけたが、時間が経つにつれて回復はしたのだった。頭の毛はずっと定期的に染めているのでわからないが、そうしていなかったらまわりから「ヨシノギさんの頭に老けた天使の輪が!」ということになっていたに違いない。

 衝撃は一瞬で、確かに私はダメージを受けた。
 いまはたぶん、陰毛も黒くもどっているので大丈夫ではあるのだろう。

 この賞で最後の大賞受賞者は、1993年デビュー。回でいうと、第7回の受賞者になる。私の初投稿が1996年の第12回なので、そのときにはもう、三年のあいだ大賞受賞者が出ない小説賞となっていたわけだが、なんとついに最終となる2016年の47回まで出なかった。

 二十年、書いている。
 完成原稿で5000枚は軽く越える。
 思えば最初から、大賞を目指すというよりは、私自身の人生をさがして始めたことだった。

 この賞での、私の最高成績となった第18回の編集部期待作・一席をいただいた作品名が『とかげの月』だ。いま、私のサイトの名前になっている。ちなみに「とかげ」は人造人間の少年の名だ。彼が月を見上げる小説だった。

 いま、この賞のことを検索すると、もれなく私のサイトである『とかげの月』が検索結果のトップに表示される。検索ロボというのは、書き続けた年数と、訪問者数で判断するため、おそらくこの先も私が書き続けるかぎり、公式サイトよりも、かつての編集部期待作のタイトルのほうが上位に現れるという、なんだか皮肉だ。

 おかげさまで、いっさいの受賞を成していない私は、この賞自体から二十年の5000枚で一円も、もぎ取れなかったのだけれど。間接的には、この賞のことを検索する方々からの広告費収入を得た。

 このことこそが、いまになっては皮肉が過ぎる気がする。

 この賞の、第37回は、20周年だった。そこでの総評には、こういったことが書かれた。

「厳しい評があってもくじけることなく、チャレンジを続けてほしい。投稿は常に大歓迎だ。」

 結果を見ていただければわかるとおり、それは七年前のことで、私が二十年の後半である、箸にも棒にも引っかからない作品を書き続けていた迷走の時期だった。厳しい評さえもらえなかった。だから総評を読むしかなく、それは私に宛てられた言葉だと解釈して、次に備えた。とっとと失せろではなく、続けろと言われている。ならば続ける。当たり前だ。そう思えた。ありがたかった。

 そして、最後の総評を読む。

「ネット環境の成立がなにより大きいと思うが」

 そういうことが書いてあった。
 それは、私が……いや、私たちが危惧していたことだった。この時代に、こんな雑誌が続けられるのかと。私たちは、そこに向けて書いていて大丈夫なのかと。毎年のように語りあった。ぶっちゃけた話、私は「読者を限定するジャンル小説を書くな」と語った師を崇めながら、なぜそこを目指すのだと妻に詰め寄られたことがなんどかある。有料チャンネルでインディプロレスを毎日観戦している男に、それを言っても仕方ないとは、わかっているだろうとは思うのだが。

 ともあれ、あの雑誌が売れまくっているわけはない。だからこそ新人を募集しているのだ。しかし、私のようなのしかやってこない。最後の総評でも、時代は変わったが応募作の傾向は変わらなかったということが書かれていた。それはそうだろう。なぜなら、その雑誌自体が、同人誌作家を集めて商業誌化するというところからはじまっていたのだから。もういちどぶっちゃけた話をすると、私の妻は、もと同人誌作家だし、コスプレイヤーだ。CCさくらである。私自身はコミケに行ったこともない。その雑誌は、彼女の部屋にあったのである。ほんの小遣い稼ぎのつもりで、なにを書いたのかもいまはもう思い出せない一本を送ったら二次選考で落とされて、当時すでに脚本など書いていた私は、けんか腰になって、そのまま二十年。

 人生とは、なんだろうか。

 賞として募集する意味がない。という。まったくだ。AmazonのKindleで1ドルしない短編を売って億万長者になった作家が出る時代だ。さっきも書いたが、今回の最終選考にいる私のとなりのかたと私は長年の知りあいなのだし、検索をかけてみたら、私のまわりのほとんどのかたの名が、ご自身のなんらかのデジタルコンテンツにヒットする状況である。やろうと思えば私たちは明日にでも、この賞の上位陣連名で短編集ならぬ長編集を百円で売り出すことだってできる。アマゾンさんでもいいし、自分自身のサイトでもいい。

 だが私は、私の書いたものを、次はどこに売り込もうかと思案しているところだ。それ以前に、私は、この賞を主宰する出版社さまの開催する他の賞にも継続参戦中である。この賞が終わったからといって、なんのスタンスが変わるわけでもない。

 紙の雑誌とは、なんだろうか。

 その雑誌を、私は創刊号から本棚に並べている(大阪梅田の古書街を長いあいださまよって買い揃えたのだった)。ときどき、開いてみる。茶色くなった、厚ぼったい紙の雑誌を。まったく見ることのなくなった作家さんが多いが、いまも書いておられるかたも。のちに妻にした女性の部屋で、読んだ作品がある。その雑誌の小説賞で知りあわせていただいた先輩作家さんの名を、やがて生まれた息子につけたので、先輩の名を日になんども呼ぶ。

 きっと今回、書いたものを百円で配信すれば、いくらかは売れるだろう。あなたは買ってくださるだろうか。そういう時代に、同人誌志向な、インディ読者御用達な、ツウ向けの小説誌を赤字覚悟で出すために新人作家を発掘してギャラを払うだなんて、バカげたことだというのは、とてもよくわかる。

 だけれども。
 ここで人生を育んだ。
 私は、心から残念に思う。
 私は、人見知りだ。それでも、この二十年で、ここで多くのひとと知りあい、別れもあった。褒めあい、泣きあい、喧嘩した。その雑誌があって、その小説賞があったから、そういう私の人生があって、そこで生まれた小説は、ほかのやりかたでは生まれなかったものだと断言できる。

 言葉としては、

「次ないやんっ」

 としか、言いようがないのだが。
 幾月か経って、チン毛も黒くもどり、ああ終わってしまったのだなあと思うとき、もちろん心のなかでは、つぶやいているのだった。

 ありがとうございました。
 応援してくれた、あなたに。

 それに、二十年のあいだ、つまり私の、その賞に向けた作品の唯一の読者だったということになる編集部の方々に。肉まん持って押しかけて談笑させていただきたいくらいです。ツイッターでフォローされて即フォロー外されたのも、いい想い出です。ていうか終わりません。賞の募集がなくなろうと目指し続けますので、休刊にしないでいてください。デジタルコンテンツ化しても……いえ、できれば二十年経つと茶色くなる紙が、いち読者としても望ましいですが……同じように新人募集を停止したお気に入りのインディプロレス団体が身売りして吸収され名前がなくなったことがあるので、そういうことになるくらいならば、いっそ本屋に並ばないでも、百円で売ってでも……ああ、だったらおまえら自身でやればいいじゃないかと言われたところなのですが。

 その賞と、そこから広がる世界が、大好きです。
 とある小説賞の終宴は非常に残念ですし、自分自身が売り上げをのばすのだと絶えず息巻いてきたので、どう言葉を選んでいいのか悩むのですが。私たちが抱きしめられる、そこに在る一冊を。同人誌会場のスターだったあのひとが載っている商業誌ということだけで、彼氏が来るのに片付けもされずに彼女の部屋に飾られていた一冊を。もういっそのこと連載作家の個別単行本でいいじゃないかと私も読んでいて思うことがありますが、賞のページはなくなっても、小説以外のあれこれが目をたのしませてくれる、思いがけない出逢いのある一冊を。その名のもとに集いし、ちょっと斜めなひとたちが、あれこれやっていてこそ、あの雑誌なので。あれこれやっていたひとたちの変わらぬそれも読みたいには読みたいですが、ほかのどこにも属さない、属せない作品たちが詰め込まれていたからこそ、私は読者であり続け、収集し続け、書き続けたのです。

 その看板は、ずっと、そうであってほしい。

 そういう一冊、一冊を。
 これからもよろしく、お願いいたします。

 お言葉の通りに、私は私で続けます。
 どうするかは考えながらも。
 変えない意地は、意地として。
 これが私の人生です。
 あの賞に育てられたのだと、勝手に誇って行く所存です。

(※一部訂正。いまこれを書きあげて念のために検索をかけてみたら、グーグルさんでは「第47回をもちましてひとまず募集を終了させていただきます。」という公式がトップ表示され、『とかげの月』は次点になっておりました。引用リンク数で抜かれてしまった模様。さすがです。こうやって、最後にその賞について書いた記事さえもが、書いたそばから訂正入れなくてはならなくなるという、我が甘さよ。精進の道は果てしないですわ)