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bellpepper

ハロウィンです。
といえばカボチャです。
オレンジ色のな。
ほら、この国でも通用する。
それくらいの普及具合。
ハロウィンのカボチャは黄色。
ジャックオーランタン。
なかにロウソク点すやつな。
アレ作るときって、
なかの実はくり抜くわけで。
食べるんですか?
ノンノンノン。
パンプキンパイは作っても、
それは別のカボチャを使う。
グリーンのカボチャでな。
オレンジの中実は捨てます。
もったいない?
ノンノンノン。
もともと食べられません。
渋いの。
観賞用の品種なのです。
黄金の小麦のイメージ。
豊穣の黄色だいだい色。
まず色ありきで生まれた、
祭り装飾用カボチャ。
であるのですが。
向こうだとガチの行事で観賞用カボチャ農家も成り立つが、この国のハロウィンごときでは、専門の業者は難しい。
で、私は種を売っている。
そういう仕事もしているのだが。近年、この国もガチ勢が増え、店に来て、のたまう。

「育てる気はないの」

育ったのを売れと言う。
まあ、あるんですけれども。
食用カボチャよりも、お高い。
とはいえ、売れるので売る。
売場が大規模になる。
やむなく装飾する。
販促ジャックオーランターン。
作るのです。くり抜いて。
中実は捨てます。
食べられないとわかっていても、なんかゴミ箱に入れるのはイヤです。
食べられるものでやればいい。
瞳をつければなんでもさあ、ほら、ハロウィンぽい。
カラーピーマンとかでいい。
バーベキューにしよう。美味しくいただけます。
もったいない、が、美徳の国。
祭りもアレンジしましょう。
装飾用の眼球を売ればいい。
ずらっと棚に並べてな。

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 真理子は宗教を信じていたのではない。人間を超越した存在を体感していたのだ。この二つは似ているようで性質がまったく異なる。

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 三浦しをん 『夜にあふれるもの』

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 このところその話をしているので、それで例えると、二歳児がオモチャの仮面ライダーベルトを装着して変身ポーズをとるとき、そこに信仰などというものはない。彼は変身する。本当に変身するのだ。

 いっぽう、同じ番組にワクテカしつつ、大人の私が仮面ライダーを見つめるのは、崇めると表現したほうがいい。私は変身できない。二歳児よりも、仮面ライダーというものを具体的に理解できているし、なんならSFチックな二次小説だって書けてしまうくらいに「信じている」。だが、どうやったって、変身ポーズをとったとき、自分自身が、その神と一体になったような恍惚を得ることはできない。

 想像してごらん。

 ハロウィンに、お盆に。死んだ家族が、私たちのもとへもどってくると本気で信じていたころの人々が、ジャックオーランタンにロウソクを点したり、なすびで馬を作ったり、灯篭を川に流したりするときの気持ちを。

 迷わぬように。
 無事にまた死者の国へ帰れますように。

 夜通し泣くひともあれば、再会のまぼろしに微笑んで乾杯するひともいるはずだ。

 まぼろし、と。

 自然に、私は書いてしまう。想像することはできる。お盆に、おじいちゃん、とつぶやくことは私もなくはない。けれど、体感はできない。どうしたって、私が生むまぼろしに、私自身が触れている気になっているのだと思う頭があって、恍惚とはなれない。

 真理子は、神の存在を体感してエクスタシーによって気を失う。

 エルビス・プレスリーのコンサートでは、バタバタひとが倒れたそうだ。エルビスの生き神具合がものすごいのか、当時の観客の信じる心がすさまじいのか、はたまた、実のところ私の知らないだけで、いまだって街角では「人間を超越した存在を体感して」その恍惚に気を失うひとだっているのだろうか。

 宗教色がまったくなくなってしまったハロウィンに、オバケカボチャを自宅に飾りたがる彼女は、死に触れる雰囲気を好ましく感じているのだろうか。

 そういえば、小さな死、と呼ばれる性的な快感によっても意識が飛ぶにまで至るというのはよく聞く話だし、私もポルノを書くので、作中では、彼の頭がしあわせな結合の果てに真っ白になってエピローグへ、なんていうおやくそくはよく使う。でも、実体験では皆無だ。

 それも信仰心の問題なのだろうか。言われてみれば、まったくセックス関連のことに神聖さを感じたことはなく、とことんに生々しい認識ではある。

 仮面ライダーに頭のなかでさえ「本当に」変身できなくなってしまったのと同時期に、保護者の姿が見えなくなって世界の終わりのように大泣きするということもなくなった気がする。

 車で出かけた先の公園で、父とケンカしたのをおぼえている。小学生にはなっていなかった歳のころだ。

「そんなにたのしいなら、もう今日は釣りやめてここにいるか」

 そう、父は言ったのだ。
 当時の彼は、私を釣り好きにさせたかった。自分の趣味なので。連れて行かれれば、たのしんだ記憶もあるにはあるのだが、釣りに行く前に寄った公園で、それどころではないはしゃぎようになる程度の関心だった。

 口走ったものの、父は数十分後に、それを忘れた。

「そろそろ、川に行くぞ」

 そう言い出したのである。
 私は断固拒否した。今日はもうこの公園で帰るまですごすと決めた、父さんもそう言ったと、意思表明したうえで、父を無視して遊び続けた。

 父はキレた。
 母は、確かにあなた釣りやめようかと言ったわよと援護してくれたが、そんなのはもう忘れているし、父にとって、その発言は晴れた空を見てなにげなく晴れているなあ、と言った程度のものだった。

 だったら遊んでろ、と捨て台詞を吐かれ、父は車に向かった。

 私は、それでも無視して遊び続けた。両親の姿が見えなくなっても。きっと、向こうはどこかから見続けてはいたのだろうが、そんなのもどうでもよくて、遊び続けた。

 数分して、父がもどってきて、叫んだ。

「どうやって帰る気なんだ!」

 私は、こう言った。

「帰れるもん」

 叩かれた。
 力尽くで車に連れて行かれ、川に釣りに行った。

 その日の、釣りの様子はまったくおぼえていない。クソつまらなく、クソ気まずかったはずだが、それはすっかり忘れているのに、あのときに公園で考えていたことを、いまでも思い出せる。

 電車、もしくはだれかの車で帰ろう。

 そう考えていた。
 お金は持っていなかった。
 しかし想像のなかでは、私はなんとか駅を見つけて電車に乗って、自宅の最寄り駅まで帰る。もしくは、見知らぬだれかの車で家の近くの見知った風景まで戻っていた。

 なにかを信じていたのだった。

 両親を無視して、置き去りにされても、あのとき、公園で遊ぶことに私は集中できていた。怖くなかった。たのしかった。

 父が戻ってきて私を叩いて連れ帰らなかったら、もしかするとあの日、公園のなにかの遊具でひとりぐるぐる回ったりして奇声をあげながら、気を失うような絶頂の果てに到達できていたかもしれないと、思ったりする。

 ハロウィンという奇祭も、かつてはそうだったのではないか。オバケカボチャの放つ光のなか、生け贄の豚や牛が死者に捧げられる。断末魔をあげるその腹を割いて内臓をホルモン焼き、舌も睾丸も引きちぎってシチューを煮る、流れる血で顔にペイントをして、太鼓が叩かれ、木の枝が打ち鳴らされ、怪しげな酒やハーブだって配られたことだろう。焚き火のそばでセックスしている生きた男女がいて、帰ってきた死者とダンスしている未亡人が奇怪な声で笑っていたりする。

 そりゃまあ、イキやすい条件ではあろう。

 あの公園で、父と母が去って行ったとき、生け贄の首が落とされ、その血で自分の顔にペイントした。体感していた。置き去りにされたひと桁年齢の子供が、家に帰れないくらいなんでもないくらいの人を超越したなにかに達し、父と子と聖霊の三位一体をたましいで感知して、放っておいてくれたら見事に昇天していたに違いない。

 なにかを体感する、というのは「ああ私がとてつもない位置にいる」という恍惚である。エルビスやキリストの能力によってイかされるのではない。それに触れる位置に達してしまった自分の立ち位置もなく中空に浮かんだ様子にイくのだ。さっきまでいたからこそ、その保護者が自分を置いていったことに、おおおぉっ、となる。

 あれ……これって、いわゆる放置プレイか。

 どうもうまく信仰の話は紡げない。信仰心というものがない。尊敬するひとはいるが、心酔というのとは違うし、だれを、なにを愛するにしても、燃えあがるというようなものではなく、愛でるという表現が近い。

 気を失うくらいのなにかを感じたり達したりすることは、私の人生にはないのかと思うと、まあ寂しくはある。




 あたし、意外とMotoGP好きで!
 おもしろいから!
 あの、食わず嫌いなひとも多いだろうから。このひとが好き、このジャンルが好き、で、それしか見ていないと損してる。テレビっておもしろいことけっこうやってるわよ、まだ。


 マツコ・デラックス

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 『しゃべくり007』で、世間の人々のテレビ離れについて訊かれた姐さんが、そう答えていて、あーわかるわーMotoGP好きそうだわーこのひと、と、うれしくなった、今年のMotoGPも波乱のうちにシーズンが終わって寂しいような、来年から最上位クラスに日本人が参戦することで待ち遠しくてたまらないような、ここにもひとりのMotoGPファンがいるわけですけれども。

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『ひとのタイヤ見てわがタイヤを交換する』の話。

『8月19日はバイクの日』の話。

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 なにをもって姐さんが自分で意外にと言うバイクレースなどを好きそうだと思ったかといえば、たしか去年だったか『マツコの知らない世界』でプ女子がプロレスの楽しさを語るという回で、新日本プロレスのオカダ・カズチカが連れてこられたとき、姐さんが異常に興奮されていたのを見たからだ。ちょいちょい本人がコメントしているので察しがつくが、あのひとの性的嗜好からすると、もう少し脂ののった年代の男性に目をキラつかせるタチなのに、それとは別個の視点として、若いオカダ・カズチカの張り詰めた胸筋に触らずにはいられないようだったから。

 私も、今朝はドラゴンゲートプロレスYAMATOが挑む『ナゾ食クッキング』などを録画予約して、彼の裸エプロンからはみ出る胸筋にキュンキュンしてはいたものの。

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日本テレビ スッキリ 公式Twitter

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 性的嗜好としてはノンケだし、それでも男性の好みはと訊かれたら、チョウ・ユンファも館ひろしも白髪まじりになって枯れてきたのが良い風情だわあ、というところだ。

 そういえば、今月、私がテレビを観ていてもっとも大きな声で歓声をあげたのは、新日本プロレスの生中継を見ていたら、クリス・ジェリコが現れた瞬間だった。

 Y2Jである。

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 会場でも、キョトンとして、だれこの枯れたオッサン、という顔の新規ファンも多かったが、テレビの前の私と声を合わせ「Y2J!!」と叫んでいた古参のファンも多かった。

 ちなみに、元ネタはY2K。コンピュータの2000年問題。二十世紀、西暦は二つの数字で1998年のことを「'98」と書いたりした。その表記をもとにプログラミングされたコンピュータたちが、2000年になったら「'00」を2000年なのか1900年なのか、はたまた0000年なのかと勘違いして、世界は大混乱に陥って人類滅亡!! みたいなことが問題になっていたのだ。

 なんでもネタにするプロレスリング。ちなみにオカダ・カズチカは、訪れる場所すべてに金の雨を降らせるレインメーカーというのが通り名であるように。

(どことなくオカダ・カズチカがマット・デイモンに似ているのも、そう呼ばれるようになった理由のひとつではあろう)

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 クリス・ジェリコは、Year 2 Kilo問題になぞらえて、Year 2 Jericho=Y2Jと呼ばれるようになった。世紀末と新世紀を混乱の渦と化すレスラー・クリス・ジェリコだ。そのコールが会場にこだまするとき、言葉の響きは混乱を起こすと言っているのに、どこか宗教的な、救世主を崇めたたえるかのような雰囲気になったものだった。

 そのとき、彼は世界最大のプロレス団体に所属していた。そのとき、というのは、もちろん2000年問題を語っている当時なのだから、1990年代である。そこから二十年ほどが経ち、ついこのあいだまではその団体の所属で、このリングにしか自分は生涯あがることはないと明言していたプロレスラーが、なんの予告もなく、日本のプロレス団体に現れて、チャンピオンベルトに挑戦すると言ったのだった。

 つまり、二十年以上も世界のプロレスを観てきた者たちにとって、あれは白目を剥いて卒倒してもいいくらいの出来事だったわけだが、年季の入ったプロレスフリークたちは、卒倒したらその先の展開を見逃すことを知っているので「Y2J!」コールでそれに換えた。

(ジェリコが挑戦表明した、現日本の最大プロレス団体のチャンピオンが、数年前には私も美少女化を願っていたヒゲ男。

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『DDT両国ピーターパン2014』のこと。

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 だというところも、国内のインディプロレスも長らく観てきた身にとっては卒倒ポイントだったので、そっちのコメントも聞き逃すわけにはいかなかった)



 思えば、この国のテレビは力道山から始まっている。

 到底、庶民が買えない値段の生まれたばかりの超文明品テレビを、街角に置いて街頭テレビとしたら、力道山の活躍するプロレス中継に、連日、数万人が集まったという。いまでいう大型テレビのようなものではない。街角に置かれた、十数インチのテレビに数万人だ。なにをやっているか見えないひとのほうが多い。だが、いまだって、パブリック・ビューイングというのはそういうものだ。家で観たって同じものを、みんなで観るから、まるで会場。当時は、家で個人で観る手段がないのだから、街頭テレビに群がる人々の熱気そのものが、触れるべき時代の空気であったのだろう。

 そこから、六十年以上が経っている。

 けれど、マツコ・デラックス姐さんが、テレビ離れ世代に「テレビってまだおもしろいものやってる」と言う、その例えがMotoGPだったりする。あれは、会場の熱気をテレビで疑似体験する空気感こそが要の競技だ。排気量を分けた、ほぼ同列のマシンで、よーいドンとやって、だれの技術をもってすればもっとも速く走れるかという、かけっこ。

 二十一世紀で、ノンケの私までキュンキュンさせるのはプロレスラーの胸筋の膨らみで、白髪まじりになって、なんの事情がどうなったのかわからないが(きっと金銭的な……)、骨を埋めると言っていた場所から出て日本に現れた、前世紀末の熱狂の中心にいたY2Jだったり。

 私の息子は二歳にして仮面ライダー好きだ。続けてキュウレンジャーも観ている。キュウレンジャーはスーパー戦隊シリーズ四十一作目。

 四十年以上経って、こう言ってはなんだが、突きつめるとやっていることは毎回同じだ。スーパー戦隊を、最初にアメリカに持っていったとき「なぜあの変身してからの名乗りのときに敵は攻撃しない?」というのがリアルではないと視聴者が受け入れなかったのを、だれかが「あれこそニッポンのカブキ文化だ」と言って「おう」と受け入れられたという。

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 実際にそうだと思う。だとしたらキュウレンジャーを撮っている東映さんは時代劇の老舗でもあって、名乗りはむろん時代劇でも必須の作法であり、これもまたテレビ黎明期までさかのぼってしまう。

 テレビが生まれたときから、お子様は風呂敷のマントを着けて、新聞紙を丸めた刀でチャンバラごっこに興奮し、大人だってチョップだキックだ100メートル走だとか、根源的にはなにも変わっちゃいないのである。

 いまでも、テレビはおもしろい。勧善懲悪なスーパーヒーロー活躍譚やメロドラマ、筋骨隆々とした半裸の男たちが力比べをしていたり、時速300キロでクラッシュするオートバイを目の前に差し出されながら、それに集中できないというのは不感症と呼んでいい、こちら側の問題だ。

 私はゲーマーなので、それも否定しない。娯楽の多様化で街頭テレビに数万人なんてのはもう難しい。ただ、姐さんと同じ意見だということは表明したい。あれもそれもおもしろいのに、たのしまないとたのしみかたもおぼえられないから、離れていってしまう。それは、本当にもったいない。

 子供が時代劇を観てチャンバラに興じている姿は、普遍的ななにかを宿す光景である。というわけで、ようやくここで今回のタイトルの件なのだが。

 前回の続き。

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『ミニビルドドライバーを改造する』のこと。

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 キュウレンジャーもだった。
 マクドナルドのハッピーセットで、セイザブラスターを頂戴たてまつったのだが。

 DX版はこんな感じ。

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 ハッピーセットのが、こう。

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 説明書に書いてある。

「指にはめて遊んでね」

 なーんーでーかー。
 ハッピーセットはカプセルに入れる必要もない。このサイズなら、チャンバラごっこがちゃんとできるように、本物同様、手首に留められる構造にすることはできるはずだ。なぜしない。

 なぜ私にゴムバンドを縫わせる。

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 四十一作もやってきて、マクドナルドのハッピーセットになったのが何作目からか知らないが、ハッピーセットはトミカのときもそうだった。トミカ公式だと銘打ちつつ、微妙にサイズが大きくて、トミカの道路は走れないものを作ってくる。

 セイザブラスターを、わざわざ手首に留められない構造で作る意図って? 当たり前の娯楽を当たり前のままくり返す。スーパー戦隊なんて、その最たるところだろう。ふつうに毎回、ふつうに直立姿勢のソフトビニール人形がうれしいんですけど。仮面ライダーでもハッピーセットは、ボタンで武器を発射する妙なポーズのフィギュアとかをくれる。

 テレビ離れする視聴者の側にも問題はあるが、提供側にも、往々にしてそういうところがある。もう半世紀以上も変わらずやっているものを、ひねるんじゃない。まさに、スーパー戦隊も仮面ライダーも四十作を超えて原点回帰をうたっているところだけれども。

 原点回帰?
 プロレスのように、レースのように。
 変えないまま進化する。
 そこのこだわりって、魅せる側が忘れてはならぬところではないでしょうか。

 おやくそくこそ、いつだって最強。

 人類も動物。基礎欲求で動いているのです。食欲も睡眠欲も性欲も人類が忘れることがない以上、朝の番組にセクシーなプロレスラーを裸エプロンで登場させて肉料理させる以上のキラーコンテンツなんてない。メロドラマを、もっとメロドラマを!! 競え!! 歌え踊れ!! 変な衣装を着させるな、アイドルはミニスカートとビキニが制服だ!! 仮面ライダーはバイクに乗れ!!

 それでいい。




「カプセルにパッケージすることがキモなんだ。ブランド品といっしょで、世のなかには中身のないイメージに金を払うやつが大勢いる。パッケージも高い値段設定も、なにか価値のあるものが入っていると、想像させることに意味があるんだ」

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 映画『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』

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 この春に、ここで書きましたが。

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『保育園落ちなかった』の話。

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 通勤ラッシュと反対方向へ電車で保育園通いする我が家の最寄り駅は、超巨大。観光客も多い。空港への乗り換えポイントでもある。

 それゆえ、改札口を出ると、壁一面のガチャガチャが設置されている。

 我が国に帰る観光客の、財布に残った数枚の百円玉を回収しようという涙ぐましい努力だ。寿司のキーホルダーとか、ジャパニメーション的キモカワキャラクターたちのグッズとか。みやげ物屋ならば選んで買えるのに、わざわざガチャガチャを回すのは、おもしろみのない日本国硬貨を持ち帰るくらいなら雑貨に変えたいけれど、それを選んで買うのがもうめんどくさいということか。もしくは。

 ウシジマくんの言うように、カプセルに入ったなんだかよくわからないというところにこそ、日本観光の最後を締めくくるにふさわしい神秘性が宿るのか。

 けっこう賑わっている。

 で、うちの二歳児だが。
 その前を、毎日通るわけだ。

 お金の利用法については、まだわかっていない。毎朝、父と母が出かけていくのは、明日のごはんを狩りに行くためだという社会の仕組みも理解していない。

 ただ、自動販売機から素敵なものが出てくることは学習した。

 目をそらしていたのだが、スーツケースをさげた団体さんが、歓声をあげて興じているのである。ある日、ガチャガチャも自動販売機の一種であることに彼は気づいてしまった。

 ジュースなの?
 なんのジュースでみんなそんなに笑っているの?

 あらためて彼は見たのだ。
 そうしたら。
 アンパンマンや、きかんしゃトーマスの絵が貼ってあった。

 そして、いま彼のたどり着いた三十分微動だにせず観ていられるテレビドラマ、仮面ライダービルドも、いた。

「かめんらいだ! びるど! びるど!」

 いや、自動販売機からビルドが出てきたら怖いだろう。

 いつか通る道である。
 回してみた。
 ちゃんと振るとカシャカシャ鳴る、フルボトルが出てきた。
 オモチャ屋で売っているのはDXと銘打ってある。

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 ガチャガチャのは、ずいぶんと小さい。
 とはいえ、仮面ライダービルドと彼の縮尺の差を考えると、二歳児の手のひらにはベストマッチな大きさに見える。

 超興奮だった。
 マックィーンのトミカが指定席だった、添い寝位置に赤いラビットフルボトルがとってかわったくらいだ。見つめて寝ていやがるのだ。ヘンシン、と、つぶやきながら。

 そしていつしか、そういうものが増えていくのであった。私といるときには、行くぞ、のひとことでおとなしくなるのだが、妻だと、ガチャガチャの前で小一時間、ダダをこねる日があるという。

 根負けして回してしまう日もあるのはいたしかたない。

 が、こと、仮面ライダーに関しては、私にも信念がある。
 ガチャガチャ(いちおう書いておこう。ここから仮面ライダー話題なので、そのガチャガチャは、正式にはバンダイさんのガシャポンである)の仮面ライダービルドにおける大当たりは、販促POPによれば、

「約80mmのビッグサイズ」

 な、ビルドドライバーだ。
 ちなみに、DX版だと、こういうの。

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 ガチャガチャのも、80か、でっかいなあ。と感じてしまいそうになるパッケージの魔法であるが、冷静に考えてみると、80mmは8センチだ。手のひら半分もない。さすがに、二歳児縮尺でも小さい。

 そう、オモチャ屋のDXビルドドライバーは腰に巻くベルトだが、ガチャガチャのビルドドライバーは、クリップ留めだ。ベルトは用意して、そこにクリップで留めてくださいねだ。いや、二歳児はベルトなんてしねえよ。パンツのゴムに挟めってか。ビルドドライバーって、フルボトルを押し込んで変身するんだぜ。ズレるわ。

 腰に巻けないライダーベルトはベルトじゃない!!

 ほら、もう、叫びまでおかしな日本語になってしまう。

 腰に巻けないビルドドライバーはライダーベルトと認められない!!

 そういうこっちゃ。

 つまり、ガチャガチャを回し続けても彼はフルボトルだけを無数に溜め込み、大当たりが出ても、その集めたフルボトルは挿せない小型のクリップ留めなビルドドライバーを所有することになるのである。

 両手にフルボトルを持ってカシャカシャやって、ビルドビルド変身変身と呪文のように唱えている彼の腰に、ライダーベルトと呼べるようなベルトは、永遠に巻かれることはない。

 その悲劇に号泣しかけて、ふと気づく。

 いや、買ってやればいいのか。
 うちの息子だった。

 ググった。
 ありがたいことに公式の幼児用があった。

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 おそろしいことに、1000円もしない。腰に巻けるビルドドライバーが、だ。ガチャガチャは一回200円である。それで大当たりが巻けないライダーベルトなのだ。

 おそろしきかなパッケージングの魔法である。バンダイさんとしては、コスト的には大当たりの本数を減らしてなんとか腰に巻けるライダーベルトだって作れるはずだが、カプセルに入れるという魔法を優先した結果、小型化を余儀なくされている。つまり多くの人々にとって(特に帰宅間近の観光客にとって)、あきらかに立派な腰に巻けるライダーベルトでも、のちほど郵送でお送りします、では商品として魅力がないということである。

 しかし、別に送ってもらってかまわない我が家としては、ガチャガチャのカプセルサイズに、こだわる意味がない。別に射幸心をあおられてハンドルを回しているわけではないのである。間違いなく手に入るベルトがあるのなら、そっちがいい。

 買って届いた。
 大興奮。

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(どうでもいいことだが、下に敷いているのは、私が愛用する黒シャツです。アイロンはかけないで着る)

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・二歳の息子に初めてのライダーベルトを買い与えたら、振って挿れて回してヘンシン! と飽かず何十、何百回とくり返していて。…だけど一度も仮面ライダービルドにヘンシンはしない。本人は気にしていないが、私は、一階からいまも聞こえてくるヘンシンの連呼に、なんだか泣きにじんでしまう。

twitter / Yoshinogi

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 ハンドルを回すと、ギミックがくるくる回る。DXベルトのように電池で音を発したりはしないものの、初めての仮面ライダーベルトとしては飽きずに回し続けるに充分な出来。懐かしの仮面ライダー1号だったらバイクで走って風圧で回っていた風車が、最新ライダーでは手動で回すというところに昭和生まれのライダー好きだってキュンとしてしまう。

 ただ、困ったことに、自分の腰に巻いたベルトの風車が回るのを、腰に巻いた本人は正面から見られない。これに二歳児ご立腹。

 腰に巻く。変身! そして今度は脱いで、手に持って風車を観察しながらハンドルを回す。それでまた興奮。自分で自分をなぐさめて満足できる子は生きやすい。その内向性を存分に鍛えるがいい。

 と、微笑んで見つめていたら、ベルトを突き出された。

「つけて」

 おう。
 こりゃ面倒くさい。こういう作りになっている。

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 プラスチックの黄色いベルトが、ビルドドライバーに引っかかっている。

 長さは連結して調整。

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 横から見るとわかりやすいが、その連結の仕組みで、ベルト全体が留まっているのである。

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 なるほど、プラスチックパーツで安価に様々な腰回りに対応する、考えられた作りだ。が。これ、子供が自分でつけるのは不可能である。よくあるボクシングのチャンピオンベルトの仕組み。セコンドが背後で、もぞもぞとフックを留めてやるしかない。そのうえ、連結部は固定されているわけではないから、腰から外すたびに、バラバラになる。

 えー、こいつが腰からライダーベルトを外して、またつけるたびに大人が呼ばれるのか。そんなの自家発電じゃない。ひとりで完結してくれないと。内向性の鍛錬にならない。

 しばし考えて。

 こういたしました。

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 ゴム。輪にして縫って外れなくした。これで、自分でパンツがはける程度に成長した幼児ならば、ミニ仮面ライダーベルトも自分で装着できる。

 ちょいちょい、ベルトだけを脱ぐはずがいっしょにズボンも脱いでしまっているが、それはそれでくりかえして学ぶがいい。

 ヘンシン!

 泣きにじむのは、やめよう。虚しき行為だと感じるのは、徒労を知りすぎたこっちの視点。

 彼のは違う。
 吠えるたび叶っている。