最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ



RolledOats.jpg

押し麦。
三合の白米を炊飯器に、いつもの水加減で。
そのうえに洗わない押し麦。
カップ一杯。
さらに水をカップ二杯。

押し麦は、
麦:水=1:2。

白米の水加減は、
米:水=1:1なので、
麦ってめっちゃ水を吸う。

それはつまりスポンジだってこと。
繊維質=便秘解消。
ダイエット。

「平麦ありますか?」

はい、これ。

「これ押し麦ですけど?」

同じものです。
この会話、最近の定番。
ちょっと前は、もち麦だったが、なぜかいま流れは「平麦」。あえてそう呼ぶひとが多いのは、どこかのメディアの影響でしょう。例によって私、健康番組に興味ないのでよくわかりませんが。

そもそも某プロレス道場を真似て、玄米食だし、キシリトールガム中毒。ビールも好きだし。おなかゆるいのが日常で、便秘とか、むしろ飲みすぎた翌日は逆の悩み。押し麦の水溶性繊維など必要ない。

……のですが。

「効きます?」

実際のところどうなのかと、訊かれるのです。白衣を着たひとは、店の品をすべて試しているとでも? しかし、そうか、ふだん玄米食であるからこそ、押し麦に代えてみて、なにか、話せることがあるかもしれない。

思って炊いてみたのでした。
炊けるにつれ麦の香りが……
麦焼酎のようではなく、どうもひとの体液を連想する香り。
むせるような生々しさがある。
なるほどクセになるひとがいるはず。

食べてみた。
もきゅもきゅしている。
スポンジだからなあ。
水を二倍含んでいるのだから。
そりゃジューシーだわ。
旨味でいうと玄米の勝ち。
餃子定食なら押し麦でもアリ。
濃い味の料理と相性よさげ。
いやいやそうじゃないぞ。
私が求められているのは、味の解説ではない。
効果があるかだ。
しばらく食べ続けてみました。
結果。よくわからん。
だから、もともとゆるいんだって。
ダイエットを語るには、
まず太る必要がある。
その真理に突き当たり、気づく。
痩せるのに効く食べ物とか、探し歩く時点で、方向が違っている。
こんど訊かれたら、答えたい。

「便秘にはある程度は効くでしょう。ダイエットなら食べないほうが痩せます」

……言えないがな。
体重を落とすために、なにかを口に入れたがるひとの、あまりの多さには、目まいさえおぼえるときがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たとえば『ナイシトール』に代表される、いかにも肥満を改善いたしますよというふうな、おクスリ。

B013QGD3JE

 あれらは、中身はどれも防風通聖散という漢方薬で、注意書きには必ずその一文がある。

「脂肪太りで便秘のかた」

 やはりそれありき。腸に食べたものが何日も滞在すると、栄養を100%吸収してしまうために太る。ならば出せ。

 でもそれならば、『ヨクアサデール』というような便秘薬ネーミングで売ったほうがわかりやすい気がするのですが。製薬会社さんは言う。いやそこは漢方ですからね。その他の効能だって複合的にいろいろあるわけで……だから『ナイシトール』……わかりやすいなあ。そうかなあ。

 平麦もそうですが、そのダイエットロジックには、もっと明快に明瞭に明白な解答が与えられることは、薬屋でなくたってわかりそうなものだ。

 腸に溜まろうがなんだろうが、100%吸収されても過剰にならない程度のものしか口に入れなければいい。水を飲んで太るひとがいるというのは嘘だ。

 たーべーなーけーれーばー痩せーるーのーでーす!

 そりゃそう。
 質量保存の法則。
 宇宙の真理。

(乾電池を重さで残量があるかないかを判断する大阪のおばちゃんは多いですが、よほど年月が経って中身の液漏れとか蒸発とかしていないかぎり、消耗しても電池の重さは変わりません。質量保存の法則あるかぎり。お客さん相手にコレも言えないことですけれど。当たり前のように「あらほんとこれ軽いわ」というひとは多い)

 ふまえて。

RolledOats2.jpg

 炊くとこんな感じ。
 麦って、もともとは外殻が固くて水を吸わないので調理しにくいもの。それをローラーで外殻破壊して白米といっしょに炊けるようにしてある。

 で、思う。
 
 押し麦を野菜のように使えば、ざくざく食物繊維が摂れてしまうのではないかと。

 安直に、パエリアにひとつかみ蒔いて炊いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『基本のパエリアのレシピ』のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このように!!

RolledOats3.jpg

 楕円に一直線の褐色なエロティシズムが描かれているのが押し麦。食べてみた。まずかった。味がではない。

「固っ!!」

 つまりそういうこと。やつが水をおどろくほど吸ってしまう結果、全体の水加減がまったく足りないことになり、アルデンテすぎて食べられないパエリアになる。

 ダッチオーブンに水を足し、蒸し焼きなおした。ほとんどいちから作りなおすくらいの手間。そしてもちろん、焦げ目がつきすぎた。

 クソ麦が。
 入れたのは私だが。

 注意を喚起したい。

 押し麦とは野菜ではなくスポンジである。ヘタになんにでも入れてしまうと、くっそ不味いことになる。

 買ってきた外殻破壊済みの麦の、パッケージに書いてあるとおりの食しかたに、とどめておきましょう。

B0015XN5U8

 後日談。

 我が家では米を炊くと170グラムに計量して冷凍庫に保存する文化があって、なにも考えず私が麦ごはんを冷凍していたら、妻が白米が残っているものと思って炊かずにいたため一歳の息子の食うものがなくなり、別に麦がちょっと混じっているくらい平気だろうむかしのひとは主食で食べていたのだし(麦アレルギーのないことは判明済み)、と食わせてみた。

 結果、さすがにここへ写真をアップするわけにはいきませんが、目で見てわかる効果がありました。 膨張した楕円に一直線の褐色なエロティシズムが描かれているのが混じった、大量のそれ。まさにスポンジ。一歳児の腸の短さと直径を考えると、まさにスポンジを飲み込んで内側から洗ったみたいになにもかも出てきた。

 あれに似ています。
 『ウィズワン』が老舗。

B00F4KEC8W

 膨張性便秘薬。植物性の吸水ポリマー的ツブツブを腸にぶっ込んで、水分を吸収させて膨らませるという。

 これはあれですね、薬屋だからこそなおに、だったら顆粒でいいじゃないとか、錠剤で代用できるとか、そういうことを考えてしまうけれど……そうではない、クスリでもサプリメントでもなく「食品」を「食べて痩せたい」派閥の方々が一定数いらっしゃるということなのだと考えるべきで、そう考えるならば、そういう派閥に属する方々の懸念というのは「解決しても依存はしたくない」というところなのではなかろうかと。

 だとすれば、食べ続けるという観点においても、栄養の面でも、やはり私は麦よりも玄米の派閥に属します。そんなねえ、白米にちょっと混ぜたくらいの麦って。かといってかつての日本人のように、麦100パーセントを主食にしようと思ったら、あんたそれはもうエンゲル係数上がるぜ。

 その点、玄米はプロレス道場で鍛えるか食うしかない新人選手にばくばく食われていますしな。私もばくばく食べていますしな。やはりばくばく食す派閥の力で価格は下がるわけです。費用対効果。クスリでもサプリでもなく、食品として論じるならなおのこと、そこは大事なところではなかろうかと考えたりするのでした。



 


 甥っ子が映画監督だったので呼ばれていったらアクション映画の主役をやらされて低予算なので身内を使ったのに思いのほかヒットして続編も撮られ一躍映画界のカルトスターとなった彼は降って沸いた大金を使って夢に見たこともなかった自分のタコスレストランを持つことになった。

 そういう話を、そのレストランで、そのタコスを食べながらラファにした。

「てことだと、そいつ自身も、こんなのタコじゃねえってわかって出してやがるってことだよな。看板のロゴのおっさんだろ? 見るからに田舎もんだ」
「あの顔で、メチャ強いから映画は当たったのさ。田舎もんが、ギャングも権力者も一網打尽。現実のメキシコだと、まあないから。夢の映画ってわけ」
「ポン引きに別のポン引きからかっさらった女を売る警官で溢れてる国のことを、夢の国みたいに描いて、世界に宣伝してくれたって? なるほど、それでコレだ」

 ラファエロ・カスティーロさまのフォークの先が、黄色いハードトルティージャの上に盛られた、もっと黄色い一切れのパイナップルをつつく。

「タコスにパイナップルは邪道って言いたいんだ?」
「このみょうちくりんな実はメキシコの畑でも、たわわに実ってやがるからアリだとしてもだな。謎なのは、この白いのだろ」
「広東料理の行きつけがあるって聞いたけど」
「中華にトーフはいい。日本料理屋でもな。だが、日本人でさえトーフで寿司を握るか?」
「タコスにトーフは邪道どころではない?」
「タコはソウルフードだ、おれのママンなんて、虫を入れて食ってた。揚げた蛾の幼虫だぜ? ママンがそれ食って、おれは虫の味がするおっぱいでデカくなったってことさ。パイナップルは畑に生えてはいても、うちで食うもんじゃなかった。パイナップルは売れるが、虫は売れない。だから虫は食っていい。トーフだって、メヒコの畑で穫れるなら文句はねえよ」
「トーフの原料は大豆だよ」

 そうは言うが、ラファがコンピュータのソフトウェア関連のなにごとかで一山当てて、豪邸と呼んで差し支えのない一軒家を、かのママンに贈ったのは、もう五年は経つ昔話である。あれからもう一山当てたという話は聞かないので、手堅い資産運用が、とどこおりなく回っているといったところか。

 ラファに逢うのは、八年ほどぶりになる。ともに働いていた染料の匂いが手から抜けない工場で、ラファが工場長に唾を吐いて、退職金ももらわずに出て行って以来。ラファは変わっていない。あのときよりも清潔な恰好をして、傷ひとつないキラキラ光る時計を嵌めているが、少し首をかしげてこっちを見るのも、目があいそうになるとそらすのも、そのままだ。

「大豆だと? チリビーンズの大豆か? タコのド定番具材だってのに。なんでわざわざトーフにして、のっけてやがるんだ」
「そういう店だから。ラファは、気に入るかと思ったんだよ、ごめん」
「なんだよ。なんであやまる。そういうふうに取るな。なんていうか、ちょっと意外だっただけだ。おれとおまえで、こんな小洒落たレストランに来たことはなかっただろうが。タコス屋って聞いていたから……な? こんな、皿にトルティージャ一枚敷いて、メヒコでは穫れても食わねえ奇妙な実とトーフとフライドチキンを記念公園の塔みたいにおっ立てたのが出て来て、面食らったってことさ」
「おもしろがってない」
「おもしろがってる。不機嫌なおれは知ってんだろうが。なんにせよ、くっちゃべってるってことは、テンション上がってんだ」

 見られた。
 ぼくは、向けられた視線を、受け止めた。
 ラファも、そらさなかった。
 つい、言った。

「どうして連絡をくれなかったのさ」
「そのまま返していいか」
「ぼくからなんて……」
「おれからはできるのか? それはなんだ、おれは知らねえけど、そういうのも、どこかの畑で穫れたルールかよ。がっついたほうからはOKなんて、先に言っといてくれねえと知るか」
「がっついた、んだ」
「歯が当たって血が出た」
「そうとう飲んでた。間違えたんだと」
「間違えた? なにと?」
「なんにせよ……ぼく以外のだれかと」
「間違っていたと信じているなら、おまえから連絡できない理由はない。慰謝料請求してくれていい傷を負わせたんだ……ああ。唇だけのことじゃなかった」

 それは、心にも、という意味だろうか。
 友人を押し倒してキスしたから?

「ニンニクの味がした」
「それだ。このタコには、そいつが抜けてる。信じがたいな。豆はトーフにしちまって、ニンニクは抜きのタコスなんて、なんで作って売ろうなんて思えるんだ?」
「くり返すけど、そういう店だから。恋人たちが来るレストランだから。映画スターの店なんだ。ラファは気に入らないかもしれないけれど、デートの途中で、ぼくらが幼いころから食べてきた、ああいうのを食べるわけにはいかない」

 幼いころから、と言ったが、頭に浮かんでいたのは、あの夜のタコスだった。ふたりで食べた。ニンニク臭い、チリビーンズのタコス。清潔感あふれる、ヒゲがなくてジャケット姿のラファエロ・カスティーロは、天井でくるくると回っているシーリングファンを見上げ、あたりを見まわし、自分と、ぼくとに、ひとさしゆびを立てる。

「デートか。おれたちの」
「そのつもりで誘った」
「いまになって?」
「こんなのを抱えて、これ以上やっていけそうになかったんだ」
「こんなのってなんだよ。間違いだと思っていたんだろ。そのくせ、デート?」
「いやほんとマジで、あれってなんだったのかな。辞めたのも、あのせいだった?」
「辞めた? 工場のことか? そんなわけない。なにを深読みしてる」
「あのさあ! ひとの唇噛み切って、そこから音信不通って、どう浅く読める出来事なのか教えて欲しいんだけど!?」

 何組かのカップルが、ぼくらを見ていた。
 声が大きい。わかってはいるが、どうせ。
 そうどうせ、今日はどうなってもいいつもりでここへ来たのだから。
 ラファエロ流に言えば、知るか、だ。
 肩で息するぼくは、色の薄いビールに手をのばし、ついでに、一切れの黄色いトルティージャと、トーフのかけらを口に運ぶ。

「味しねえだろ、そんなの」
「おいしいよ」
「ウソつけ。おまえの作るタコの味の濃さときたら、年々ひどくなっていってた」
「あれは冷蔵庫の調子が悪かったから」
「冷蔵庫?」
「木曜日に焼けるだけのトルティージャを焼いて、チリビーンズを煮て、冷蔵庫に詰めてた。毎日、料理する暇なんてなかったからさ。自分用だったんだ。なのに、ラファが、ちょいちょい来るようになって」
「ああ、おまえのタコはイケてた」
「おぼえてないの? ひどい食あたりになったんだ」
「……そんなことも、あったか」
「それでも来るのをやめなかったから、味つけを変えたんだよ。そうさ、ママンの味にね。すっぱくてしおっからくて、からい。やさしい味じゃない。でも腐らない」
「おれのために?」

 いまや、ラファとぼくは、見つめあっていた。十年くらいも前にぼくの作り置きしたチリビーンズでおなかを壊した話をしながら、あのころを想い出していた。

 ラファエロ・カスティーロ。

 きみをいま誘ったら、来てくれるだろうか。冷蔵庫の調子は悪くない。でも、ぼくのチリビーンズは、あの時期に、あの味で固定されてしまった。この店のタコスが気に入らないなら……

「ラファ」

 ぼくは言う。
 どうなってもいいつもりで、ここへ来たから。

tortilla-0.jpg

Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 23
 『Tacos at that time again.』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 23曲目
 『また逢ってタコス』)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

○材料その1(小説挿写真の黄色いハードトルティーヤの場合)

強力粉 300g
コーングリッツ 200g
水 350cc
オリーブオイル 大さじ1
塩 小さじ1/2

○材料その2(より手軽に白いフラワートルティーヤの場合)

tortillas4.jpg

強力粉 500g
水 300cc
オリーブオイル 小さじ1
塩 小さじ1/2

○作り方

まぜて寝かせてのばして焼く。
詳細は、この記事の最下段で過去のレシピを参照のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 チリビーンズというと、単純に辛く煮た豆だけの料理も指しますが、小説のなかで出てくるのはいわゆるチリコンカン。挽肉の炒めたのに豆も入れたってやつ。だったらそのレシピを載せろってなものですけれど。

 私もね、特にメヒコな気分のときには缶詰のチリコンカンを買ったりしますが……

B00BQS5U6Y

 正直、豆とか虫とか、彼らの昔話のように、売り物にはならないから我が家で食べていたタンパク質にすぎないわけで。肉があるなら肉でいいでしょう。豆、美味いか? 豆腐は好きだが、トルティーヤで炒めた挽肉を巻くのならば、私は、豆は、いらない。

 自分で作るタコスのソースは、トマト缶を煮詰めただけのもの。

tortilla-1.jpg

 私は日本人だから、実際、あの映画スターのタコスの店で豆腐は具材にされているが、それをアメリカで食って、ああなつかしいな日本、などと思ったりはしないはず。やっぱり冷ややっことか、湯豆腐でないと、私にとっての豆腐とは別物だ。

 いまのメキシコは豊かだけれど、いまでも豆を食っている。そこのところの感覚というのは、日本でルチャリブレのテレビ中継を観ながらテキーラでチリコンカンを流し込んでも、きちんとわかるところではない。血。ラティーノヒート。大和魂を私は口で説明できないが感覚としてわかってはいるように、彼らもそうなのだ。わかっているのに、やっぱりときどきはチリビーンズを買ってみて、やっぱり豆いらねえと思う、私はバカだけれど、私のタコスを私のタコスとして維持するために、比較対象としての彼らのタコスをたまに口に運んでやっぱり違うと感じるのは、無意味なことではない気もする。

 すなおに、焼いた肉と野菜のタコスがおいしいです。味噌とかマヨネーズもよいです。豆板醤とか甜麺醤だと中華の魂も混じって不思議です。

 なお今回、小説は書き下ろしましたが、レシピは以前に書いたものの流用。詳しい魂の話は、そちらでどうぞ。長いですけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※関連記事

『ルチャ・アンダーグラウンド』の話。

『虫タコスの精神にのっとるトルティーヤ』の話。

『トマト缶でサルサソース、タコスに暮れる』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

22曲目『彼は彼のそれを彼と呼ぶべきではなかった。』
21曲目『形状と呼応』
20曲目『轢かれ鉄のサイジ』
19曲目『黒い彼が焼いたぼくのための白いパン』
18曲目『となりの部屋』
17曲目『ヴィアール遭遇』
16曲目『アネ化けロースカツ』
15曲目『逆想アドミタンス』
14曲目『恋なすび寿司』
13曲目『バーベキュー厳峻鋼』
12曲目『茄子はダシの夢をみるか?』
11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』




「いやね、感じるの? すごいわねえ、技術よねえ、手術台の上でこんな立派なおんなのこができちゃうんだから」
「ちがう!」
 おれはテーブルを叩いて叫ぶ。
「目がさめたらこうなっていたんだ」


大路メッキー 『パパイアン・ソープ』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 前回、そう深い意味もなく、あした朝起きたら美女になっていたとすれば、アントニオ・バンデラスのような知的ラテン系の男性にアゴを掴まれたい。もちろんこっちは髪を掴み返してやって、真剣に睨みあいながら、互いの唇を噛み切って血を流すキスをする。みたいなことを書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ルチャ・アンダーグラウンド』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 書いてみて、そういえば、と思う。

 大路メッキー『パパイアン・ソープ』は、私に小説を書かせることになった作品のひとつだ。二十世紀の終わりごろには、そういう作品はいっぱいあった。つまり、男が女になるといったフィクションが。

 男が女にどころか、白人が黒人に化けて黒人のキュートな女の子を口説くというような映画まであった。そういうラブコメが許されていた。ダスティン・ホフマンは売れない役者だったが、女装して個性派女優だとオーディションを受けてみたら合格して売れっ子になり、しかし共演者の女の子に恋をして……困った。そういう話を、あははと笑って観ていられた。

 そういう時代に、女装ではなく、女の子になってしまうというファンタジーとして描かれた『パパイアン・ソープ』は、小説でしか表現できないものを表現していて、私を打ちのめしたのだった。

 いっぽう世界では。

 『パパイアン・ソープ』と、まったく同じ時期に、真逆の「小説でしか描けない」アプローチを試みて、大成功を収めた作品が現れる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ぼくは、数日かけて頭の中を整理したんだ。こういうことでしょ、あなたはぼくの……その……個人的な部分からすっかり皮をはがして、裏返しにしたって言いましたよね? ということは、皮はそのままあるっていうことですよね? タマだってもちろん保管してあるんでしょ? えぐり出した皮の中身だって……ね? つまりあなたはまちがいに気づいた時点で、すべてをそのまま急速冷凍かなんかして、保管してあるわけでしょ……ほら、あとでくっつける時のために。だからぼくが訊いているのは、いつぼくを元の身体に戻してくれるのかっていうことです。つまり……いつくっつけてくれるのかって訊いているんですよ」


デイヴィッド・トーマス 『彼が彼女になったわけ』 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もうすこしで二十一世紀だという世紀末。ペニスの中身をくり抜いて、敏感な包皮を裏返して身体に埋め込み、現実に女性になる人々は、もう現れていた。『彼が彼女になったわけ』は、かわいそうに、親知らずを抜こうと入院したら、とある理由で混乱していた病院の手違いによって、女性化手術を受けてしまった男性の話だ。フィクションである。小説だ。だが現実に、彼の言うように、皮が残っているのだから中身を詰めて男に戻してくれという手術は、お勧めされないものらしい。ペニスの皮で膣を造れば至極敏感な性器にできあがるが、逆の場合は、二十一世紀が六分の一ほど進んだいまでも、機械的なインプラントを埋め込んで人造ペニスを勃起させている。血が集まったら膨らんで勃起するという海綿体機構は、まだまだヒトの手で真似できる造形ではないのである。神はいる。

 そんなわけで、間違いで女になってしまったけれど、もとが男であるがゆえに、男としての快感は得られない機械式ペニスとシリコン睾丸を主人公は選択できず、女として生きていくことになる。

 六ヶ月経って、彼女になった彼は、女の子とベッドに入る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 すてきな胸をしてるなんて言われたって、どうすりゃいいんだ? 二十五年間も男として生きてきたんだ。喉をならせばいいのか、ただうれしそうに笑えばいいのか、わたしにはわからなかった。でも、すてきだった。六ヵ月間ずっと自分の身体を被害を被った哀れなものというふうに思ってきた。すべてはこの身体のせいだと思いこみ、自殺まで試みた。でも今、この身体は求められている。彼女はこの身体を見たがって、触りたがっている。わたしにはそれを許すことも、拒否することもできるのだ。


デイヴィッド・トーマス 『彼が彼女になったわけ』 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そしてまあ、彼女にぶっ込んでやりたくなってしまうがペニスがないんだったとパニックになり、なだめられて女同士ではこうするのよとレクチャーされるという微笑ましいエピソードが綴られる。

 性同一性障害で、心は男なのに女の身体で生まれてきた、そういうひとが不完全な機械式のペニスでもいいから欲しいと考えるのは、その要素が大きいのではないだろうか。つきあっている彼女がいて、彼女のために男性になりたい。機械式ペニスに自分自身の快感はなくても、生身と生身で、ぶっ込んでひとつになれるという実感はあるわけだから。

 BL小説ではよく描かれがちな、男同士が、ただやさしく互いに触れあうというような描写を、男性向け官能小説では、あまり見かけない。男性向けの百合モノでも、濃厚なキスなどは必須の描写だ。触れあった指先に全神経が集まってぼくはぼくの生まれてきた意味を知る、などという心理描写に嬌声をあげてしまう男性は数少ないのだろう。

 と、書いてみて。またここで男性という大きなひとくくりでモノを語っている自分に気づく。そういえばなんだったかのアンケートで、女性のなかに一定数の本来は男性向けに描かれたロリ陵辱モノを好む層がいるのだという結果が出ていた。彼女たちに言わせると、そこには幻想の「少女」なる存在がいなくて、ただ肉としてあつかわれているから安心するのだという。

 あーまあ、自身がまわりからの可憐な少女であれ神聖であれといった重圧を感じてきた結果、そういうものを全否定する男性向けジャンルにハマるというのは、わからないでもない。かくいう私がノンケの男性だがBL読者だし書きもする。嬌声はあげないが、せつないなあ、などとつぶやいて泣いたりすることはある。ヤマト男児はモノノフたれ、などという価値観に重圧を感じたおぼえはないが、なんらかの屈折がなければこうはならないだろうなあ、という気はしている。

 だがしかし。

 だがしかし。

 だがしかしというのが文法的にあっているのかよくわからないままに書き綴っているが、ロリ陵辱モノである。あれは、肉か? アレは肉ですか? いいえアレは少女です。

 いや、そうだろう。屈折した大人女性たちの一部が、そこに少女がいないから惹きつけられるという男性向けジャンル。でも、かといって、コンニャクだと、どうだ。生レバーとかハツだったら、どうだ。山羊では、どうだ。それではそもそも男性向けであれ女性向けであれ、ポルノとして成立しない。

 仮想にせよ人間の少女を肉としてあつかうから陵辱モノなのだ。

 そこに少女はいる。むしろ、男性の作りあげた極北の幻想の少女がそこにいなければ、モノとして成り立たないはずである。それは自身の幻想を汚すという屈折に官能を見出すジャンルで、だとすれば、そういったジャンルを好むとアンケートに答えた女性が、みずから「少女性」などというところに言及したのは、幻想がないからではなく、幻想の定義自体を揺るがす逆説がそこに働いていると薄々気づいていることの証明ではなかろうか。

 こう結論づけると不潔な思想だと眉根を寄せるかたもいらっしゃるだろうが、少女の少女性を破壊してないものとするジャンル内でこそ、少女の少女性は、どこよりもだれよりも求められていて、いちばん輝いている。

 おお、そう考えると、私のBL好きは、こうだ。

 男の繊細さとかわいらしさを賛美するジャンル内でこそ、男が男であることが重要視されるどころか、唯一無二の価値となる。

 だってそうだろう。そこが『パパイアン・ソープ』で、ファンタジー的に女性になってしまったら、BLではなくなってしまう。BLがボーイズのラブであるかぎり、男が男であることは絶対条件だ。性転換は許されない。

 近ごろ、男性向け「男の娘」モノの需要が高いらしい。エロゲ方面で顕著だが、完璧に少女の外見で、ただペニスを持っているといった描写だ。それも、男性器としては機能しない程度のささやかなペニスが取り付けてある。浅く考えれば、なぜそれは少女ではなく「男の娘」でなければならないのか謎に思えるが、深読みすれば、たったひとことで言いあらわせる。

 天使。

 両方を持っているということは、両方がないのと同じだ。なにもないつるんとした股間を持つ羽根の生えた無性の天使では、器官がないのでポルノとして描きようがないが、ロリとショタのハイブリッドであれば、なんでもできる。できるけれど、やっぱり天使だ。つまり天使をあんあん言わせられるし、陵辱だってできる。ものすごい発明である。

 いったいなにを年の瀬に徒然ているのか。なにをかと問われれば、だからつまり、あした朝起きたら自分が美女になっていたらと想像して、あれでも、美女ってなんとなく思ってしまったけれど、もしもそれが『パパイアン・ソープ』的ファンタジーアプローチであれば私は私の男性性をなくすわけだし、『彼が彼女になったわけ』的外科手術の行使であれば、それはすなわち大変な間違いである。悲劇だ。裁判だ。私はすべての女性を無条件で崇拝するが、朝起きて自分が女になっていたら、アントニオ・バンデラスとやりあうどころか、部屋の隅でシーツを被ってがたがた震える始末だろう。家中の鏡を割ってしまうかもしれない。不死者ドラキュラになったも同然。鏡に映らない、自己の喪失。

 なにが大事なのかということを、少し考えたのであった。

 結論。

 でも今、この身体は求められている。

 それだ。

 天使であれ、少女であれ、ボーイズであれ、つまりそれが求められているという表現こそに、なぐさめられるのだ。

 なくしてはじめてわかるありがたさ、という真理を、本当に自分の男や女をなくすことはできないから、擬似的にフィクションに求めて、なぐさめられている。

 肉は必要で、けれど肉に入っている私も必要。

 つまり求めるのは愛である!

 えらく単純なところに収束する。
 ねじ曲がった心で、年末だからなに? 年が変わるからって、終わるからって、特別なことなんてなにもないし、平常運転だよ、あたしは。なんてことをうそぶいてしまいそうなところを、思い改めたという話。

 愛されたい。肯定されたい。このままでいたい。

 なので、一年をこう書いて締めよう。

 この一年もまた、ありがとうございました。来年もまた、よろしくおねがいいたします。あなたにとって、新しい年が最良でありますように、祈っています(神なんて信じていないのに、とか言わず)。

 愛してる。

 だから愛してください。

 だからとかも言うな。

 締まらんな。えーつまりつまり、変わらず、愛し愛されて生きていけたらいいな、ということです。あした起きても私でいて、私はそれを肯定したい。そのためにあなたに言う、あなたあっての世界だと。あなたを愛していると。観測者なくして私なし。あなたがワタクシのワタクシ性を肯定させるワタクシ陵辱モノの読者で、逆もまた真。世界を揺るがさないために、来年も業を燃焼させるフィクションに救われながら自分をたもって、均衡を維持しましょう。平安のうちでこそ冒険はできるのだから。

 締まった。
 よいおとしを。

4042705014

 雑学ですけれど、よいおとしを、という挨拶は、年末あれこれありますけれどもすべてうまく片付いて新しい良いお年が迎えられるといいですね、という長い文の省略形なので、本来は、年の瀬の切羽詰まる前に使う言葉。私のように大晦日も平常運転な職場だと、その切羽詰まった仕事が終わってから旧年最後の挨拶として使われたりするのは、もう「少し早いけれど新年おめでとうございます」でいいのではないかと毎年思い、そんなのどうでもいいだろう、気持ち良く挨拶できないものかなこん畜生と自分のことを毒づく。それが年の終わりの思いになってしまうから、やっぱりおめでとうがいいなあ、と自分で、よいおとしを、使ってみてうだうだ考えたから、言いなおします。

 少し早いけれど。
 新しい年に、いっしょにたどりつきました。

 ありがとう。
 おめでとう。