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 今年もたのしいE3!!

 でも別にE3が始まろうが終わろうが、私は毎日プレイしている『Halo 5: Guardians』。

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『eスポーツとしてのHalo』のこと。

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 デイリーログイン徴発パックがいただけるのは毎日のことなのだけれど、数日前からプラチナ徴発パックなどというものが突如として現れ、パニックになった。

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 買ったおぼえがなのに、クソ高い徴発パックが引き出しに入っていたのである。世には酔狂なひとが多いもので、ギフトもできる徴発パックを私の引き出しにそっと入れておいてくれるなどということはままある。

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 しかし、そういう場合は、パック上に贈り主の名前が出るし、XboxLiveメッセージも自動で入る(おかげで男同士なのにバレンタインパックとか贈ってくるかなふつうという懸念も隠しオフで会いましょうなどという空気にならず贈り物には感謝感激というニュアンスを含めた返答を各国語で書くスキルが身についたこの数年)。

 気づかぬうちに買っちゃうなんてことあるかなあ、と首をかしげていると、こんなメッセージが流れてきた。

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 これを記念してのE3期間、毎日ログインプラチナパックプレゼントだそう。

 確かに久々のヘイロー関連重大ニュースである。

 毎日汗を流すeスポーツなので、そうそうしょっちゅうルールが変わっても困る。『Halo 5: Guardians』が発売されたのは2015年の暮れだったから、ざっくり二年半ほどが経っているけれど、ネット対戦が実装された『Halo 2』から数えれば、もはや十年以上。『2』から『5』で十年を越えるので、ルール変更なしで過ごした年のほうがずっと多い。

 私はネット対戦こそ毎日だが、ストーリーモードを協力プレイではいちどもプレイしていない。いちどもだ。シリーズ通してだ。十年以上、対戦ツールとしては愛しても、そこで語られる物語を映画のように他者と共有したり繰り返し愛したりはしないできた。そのように『Halo』シリーズを競技アイテムとして捉えていると、別に『6』が来ようが来まいが『5』が健全に堅牢に稼働し続けてくれていればOKなのだ。

 なのだ、が。

 とはいえテレビゲーム。シリーズを追うごとに、映像や音響、レスポンスなどの面で新しくなるたびに快適になり競技への没入度が増してきたのは事実。そういう意味においては、たとえばテニスの新コートが建設されても芝が気持ちいいねとか土が足に馴染むね、なんて感想にとどまるのと比べ、eスポーツの新舞台リリースは世界そのものの変化ではある。

 『Halo Infinite』

 それが新作タイトル?
 ……『6』じゃなくて?
 インフィニット?
 『Halo』サーガには、UNSC( United Nations Space Command ) Infinityという全長五キロメートル越えの母艦が登場する。インフィニティ=無限大と形容される、いやいくらなんでもそんなにデカく造る意味があるのかという宇宙船。

 インフィニットだと、無限、と訳せばいいのだろうか。なんにせよ、ヘイローフリークであれば、間違いなくあの母艦を想起する単語だ。それがタイトルにつけてある。

 そして、この映像が流された。



 ややこしいことに、新作ゲーム映像ではない。つまり『Halo Infinite』のゲーム画面ではない映像を『Halo Infinite』を発売しますというアナウンスとともに流してきた。

 だったらこれはなんなのかといえば『Halo Infinite』のために開発された、新たなるゲーム描写エンジンSlipspace Engineの技術デモだそうだ。

 どこかの濡れた洞窟……水を飲む鹿……砂漠と湿地帯、疾走するサイに似た巨獣の群れ……水中、そして砂と水の境界をまたいで伸びる影と、着色されたスモーク。

 草木の生い茂る小高い丘に、ヘルメットをさげた機械兵。ものすごく引いた画で、爆走するワートホグが跳ねる。

 そしてさらに画が引くと、兵士たちを含めたそれらの大自然が、宇宙に浮かぶ超絶巨大なリングの内側にあることがわかる。

 それが『ヘイロー』。後光、光輪、という意味よりも、この十年で宇宙に浮かぶ人造居住地区リングのことを指すようになった。そのヘイローそのものを背景にして、ぶちあげられるロゴ『Halo Infinite』。

 無限のヘイロー。

 というフレーズが頭に浮かび、ゲーマーならば、広大なヘイロー世界を自由に散策できるオープンワールドタイプのゲームなのかな、と予感する。となると、映画的にがっちりストーリーを描いてきたナンバリング『Halo』の続編『Halo 6』ではないのか。

 いてもたってもいられずにヘイロー公式に請うと、もちろんとてもすばやくブログが更新されている。

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Our Journey Begins | Halo Infinite | Halo - Official Site

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 The team also heard feedback loud and clear on the amount of time spent playing as the Master Chief in Halo 5. In Halo Infinite, the game will focus on the Master Chief and continue his saga after the events of Halo 5.

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 と、書いてある。

 ヘイローインフィニットはヘイロー五のあとに続くマスターチーフのサーガを見ています。

 ですか。
 それってふつう『六』って言いませんか。

 頭によぎるのは、Windowsのナンバリングが9を飛ばして10になったこと。マイクロソフトはこれが未来だとでも宣言するかのごとく、日本の小学生はだれも知らないXboxなるゲーム機との連携を大胆に盛り込んできた。

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『Windows10でXboxOneをストリーミングするレシピ』のこと。

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 ぶっちゃけ、マイクロソフトはWindowsもXboxも自社のサービスが走るということでは同じものだから、そこそこ売れてサービスに課金してもらうのが大成功という、そこそこ高級ホストクラブ方式にシフトしている最中である。そこそこ売れるそこそこ高級というところが大事だ。千円の酒しか飲まない女を十人機嫌をとってアフターサービスするよりも、一万円を落とすひとりを見つめて姫と崇める商売がしたい。

 Windows離れ、などという言葉がニュースになるような状況は許されるものではなく、彼らはなりふりかまわず、Windows9をすっ飛ばして清廉刷新された自分たちをアピールしてみせた。

 言うまでもなく、Windows8が賛否両論だったからである。

 さてヘイロー。

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『Halo5: Guardiansの物語』の話。

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 その記事の最後で、私は書いた。

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 Amazonのレビューが賛否両論うずまいている、その大半の原因が物語にあるというのは、良いことです。お約束の欠如に期待を裏切られたと感じるひとと、小説や映画を巻き込んでハードSFなタイトルへ変貌遂げようとする心意気に拍手を送る層に分かれ、Halo信者同士の内戦が起こり始めている。いずれ、カトリックとプロテスタントのような流派が確立されることでしょう。一方は初期三部作を聖書とし、もう一方は次作でこそコルタナ受肉化無限増殖によってマスターチーフの後天的インポテンツ奇跡回復が成し遂げられると見せかけて驚きのマスターチーフ機械生命化なんて展開なんだろうなと夢見ながらまた裏切られることを心待ちにする……どんな愉しみかたも自由になる。
 争わないで。
 否。
 争うことさえも、愉しんで。
 そういうふうに、なればいい。

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 『Halo』信者たちのあいだでマグマのように熱が噴出したのは事実だ。いちおう書いておくと、スポーツライクな側によってプレイしている私は、物語の変化は純粋にニヤニヤしながら見られて大歓迎という派閥であった。

 で、そこで徴発パックの話にもどるが。
 私は、ギフトを贈られることはあっても贈ることはない(数度の例外はある。あなたは特別だった)。自分自身のためにも、金の力を使って新しい装備を手に入れるというのはしたことがない。だからプラチナ徴発などというものが自分の引き出しに入っていたときに大慌てだったのである。

 つまり、ストイックに毎日の対戦プレイを日常として、ブロガーのくせに『Halo5: Guardians』の物語の変化についてはいちどのシングルプレイで言及をやめた。私は、千円の酒さえも飲まない、『Halo5: Guardians』というソフトを購入しただけの客だ。まあ、広い意味で初代Xboxからの有料会員ではあるのでマイクロソフトの大事な金づるではあるはずだけれど、こういうやからは物語がどう転ぼうとも常に金づるであり続けるので、課金層最底辺として放置しておけばいい。

 昨今の彼らのビジネスモデルにおいては、物語がひねったものであった結果、ヘイローサーガに見切りをつけたものたちがいるというのは看過できない事実であったはずだ。結局のところ、ナンバーワンに立つホストというのは正統派でなくてはならない。もっと言えば、店自体がイロモノを扱っていると見なされては狙うべき顧客層がブレる。『Halo』は、これまでなんども超大作映画化を失敗してきたが、それもすべてはマイクロソフトが『トランスフォーマー』であり『スターウォーズ』クラスの映画を作ろうとしたせいだ。『Halo』は、そうでなければならない。彼らはそう考えていて、そう作ったつもりだったのだが、『Halo5: Guardians』は、正統ナンバリングタイトルとしてはひねったものとして世界に受け止められてしまった。

 そこで、こんなことになったのではないか。

 『5』のあとを描く。
 しかし『6』を名乗らない。

 『Halo5: Guardians』の、そのあとを描く。『Halo5: Guardians』で、ヒロインのコルタナは行方不明で、主役マスターチーフは追われる身となって、プレイヤーは伝説の超戦士を追う若造たちを演じることになったけれど、そこは主役のマスターチーフに焦点を当てなおす。

 上のHalo - Official Siteブログで、明言されている。
 
 Slipspace Engineの技術デモではあるが、マスターチーフがかつて着けていた旧式のアーマーなのは『Halo Infinite』のコンセプトを象徴している。

 ……つまり原点回帰というやつか。
 超戦士マスターチーフを描く。
 ヒーローが宇宙を救う。
 そこに尽きる、と。

 そんなもん、もちろん大歓迎である。
 『6』は、いらない。
 『Infinite』を寄こせ、そしてよかったら『Infinite 2』を出せばいいのだ。映画『スパイダーマン』方式だ。ウケなくなったら仕切り直せばいいのである。監督も役者も変えたってマスターチーフのサーガは続く。正しい。実に正しい。

 マスターチーフと違って、だれも明言していないが、コルタナも間違いのない正統派美女優あたりをスキャンした姿になって、マスターチーフときちんと触れあってくれるに決まっている。正統派において、美しいヒロインが美しくさらわれて美しく救われ、ヒーローに口づけるのこそが正義だ。そういうのを描くのは小っ恥ずかしいものだ。特に、いちどひねった方向性へ行って新キャラも出して複雑化したあとでは。

 でもやれ。
 やってくれるのだ。

 『Halo Infinite』が、『5』の物語を継ぎつつ正統へ回帰する。

 ああもう、そうなのである。
 たのしみでしかない。

 とはいえ、私にとってはもっとも興味のある『Halo Infinite』の実際のゲーム中での動作の映像などは、けっきょくE3のあいだは放出されなかった。まだ煮詰まっていないのだろう。何年もかけて新しいヘイローを作るためのエンジンという「道具ができました」というところ。すばらしい彫刻刀ができあがったのでその切れ味を見せてくれただけで、それによって彫られたこれまでに見たことのないような彫像が示されたわけではない。

 まだしばらくは『Halo5: Guardians』が私の日常です。

 徴発パックの件でいうと、いちども課金せず武器乗り物は100パーセント収集済みで、着せ替え用のヘルメットとアーマーが、どちらも97パーセントを越えて、あと数個ずつ。プラチナ徴発とか四枚も送り込まれたから、レジェンド級のアイテムがさらに数個やって来てしまってオール100パーセントになってしまいそう。これだけの年月プレイし続けているひとの大半がこうなっているはず。コンプリートを促進させるのではなく収集物を増やして欲しいです切実に。

 私のゲーマータグはYoshinogi。

 どうぞ、お声をかけてください。
 日本の日付が変わるころに、よく彷徨いています。

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 通常の使用では壊れないのかもしれないけれど。いや、そういう信頼性のある製品だからこそ不特定多数の子供の手に触れるところに置いているのかもしれないけれど。

 結果として破損しているのである。

 店頭でモノを売る一員として、気持ちは実にわかる。モノにはイメージを増幅させる方向=箱から出さない。で、販促POPなどを大々的に展開したほうが売れるたぐいの毛色と、それとはまったく逆のアプローチで攻めずにはいられない毛色というものがある。

 つまり、自分がまず箱を開けてさわってみたいと思い、みんなにもさわらせてみたいと思うような猫。

 トランスフォーマーの玩具というのは、そっちなのだ。

 私が幼いころからトランスフォーマーというのは存在していたが、昨今では、実写映画化され過剰にデコられたデザインのものが玩具化の主力でもあり、足を折りたたんで頭をひっこめたらほらロボットが消防車(みたいな車)に変形するという程度だったむかしのそれがイメージとしてある私と同じような世代の店員さんが、近ごろの「どんだけ部品あんねんっ」そしてそのことごとくが「どんだけきれいにカチッとハマるねんっ」というような製品群に、「これはみんなにさわらせたいっ」と思ってしまうのは、やむをえない。

 あまりつっこんで考えてみることのないことではある。しかし考えてみればファミコンがやっとピコピコしはじめていたような世紀に、玩具設計者がコンピュータを使っていたわけがない。紙に定規だ。金型職人さんもまた手作業だったに違いない。そもそもアニメーション制作が完全に手作業だったのである。それで、ヒト型ロボがパトカーに変形できていたのだから、それはそれで、ものすごいことだとスタンディングオベーションすべきことだ。

 それがCGの世紀になって、映画やアニメのなかでもロボットは雰囲気ではなくちゃんと計算しつくされて変形するようになり、玩具も肉眼では測れないような正確さで小さな部品がカチリとハマったりするようになった。

 私は、プラモデルのバリ(金型からはみ出た製造のムラ)をヤスリで削ってカチリとハメるのが当たり前の時代に生まれたから、バリなどあったら即返品交換になる現代の精緻な玩具を扱うときにも、神の両脚の最奥を中指の先で刺激するときのようにやさしくふれるが。生まれたときからコンピュータで縫製された一分の狂いもない産着でくるまれた計算の世紀の子たちは、逆説的な意味で、設計者をひどく信頼しきっている。

 さあ遊んでみたまえ子供たち、と店員の差し出した見本品を、いとも簡単に壊す。なんだかもう年寄りの愚痴みたいになってしまうが、私の幼いころには、ロボットの関節なんて正しい方向にだってそっとていねいに曲げてやらないとガキッとなってパキッといくことが多かったのである。それを親に見せに行っても、製造メーカーが悪いなどと言われたことはいちどとしてない。正しい遊びかたでメイドインジャパンの製品がいともたやすく破損しても、買ってあげたのに壊しやがって大事にあつかうことをおぼえろと、私が怒られたものなのだった。

 最新型のバンブルビー。

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 メーカー設定の対象年齢は五歳以上。
 息子がつい先日、三歳になって、なにが欲しいと訊いたら「バンブルビー」だと言う。驚いた。トランスフォーマーをいっしょに観たことがなかったので。私が、子供も観られそうな映画のディスクをリビングに並べておいたのを、最新作からさかのぼって観て、実写映画化第一作にハマったらしい。なりたての三歳児にもわかるのに、映画化トランスフォーマーはどうして最新作になるほど観客が集中できなくなる作りなのか謎である。

 そのあたり、制作総指揮なんて名前だけとよくいうものの、第一作には、自身の子供と日本製のトランスフォーマーで遊んだことが映画化のきっかけと公言しているスティーヴン・スピルバーグの魂が強く宿っているような気はする。現場で「うちの息子が奇声をあげてよろこぶような感じで。よけいな描写はいらない」と声を張ってくれていたのだろう。ハリウッドトランスフォーマーシリーズも十年が経つので、新たな養子を迎えたというニュースも聞かないスピルバーグ家的には、直接的な熱はもはやあまりないのかもしれない。

 そうか……そしてつい先日発売された三千円くらいの五歳向けバンブルビーが第一作のモデル? いいとも買ってやろうさ、とオモチャ屋に行ってみて、それを目にした。

 バンブルビーがバッキバッキ。
 鍛えあげられているという意味ではない。壊れている。あのなあ店員。壊れたならかたづけておいてくれよ……たぶん、出したその日にはもう壊れていたのだと思うが。いかにも折れそうなところが折れている。これを買いに来て、いかにも折れそうなのが本当に折れているのを現物で見せられて、買うやつはまあいない。

 と、ここで、息子が予想外の反応を示す。

「こっち……」

 ん? ああ、コンボイ……というのは、ミクロマン時代の呼び名か。いまは、オプティマスプライムだな。息子が発音するといつも「マス」が抜けて「プライム」は「ドライブ」になり「おぷてどらーぶ」というような謎キャラになってしまっているが。バンブルビーがちゃんとバンブルビーと呼べるのに対し、あんまり興味がないから名前も呼べないのかと思っていたのに。

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 スーパーカーよりもトラック好きだから、カマロよりもこっちというのはわからないではない。映画では、オプティマスプライムがでかくてゴツいトラックだというのを見逃していたのか。オモチャとして目の前にしてみると、純粋に好きな車種としてこっちだったのか。

 でもこれ、さっきのバキバキバンブルビーと同時発売の同じシリーズなのだ。店頭に見本は出ていないが、きっと同じ思想の設計で、同じ強度で……

 迷う私の目の前に、彼がいた。

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 瞬速変形と書いてターボチェンジのルビ。対象年齢こそ同じ五歳以上だが、あきらかに本格変形オプティマスプライムでは細かいパーツになっているところが一体成形されている安心感。そして安くてデカい。あら、これ。

 好きなんちゃう?

 差し出したら、三歳児の瞳が輝いた。
 即決。解決。よかった。

 買って帰って(選ばせておいてプレゼント包装も頼んでまた夜開けさせて)、さっそく変形させてみた。

 意外に造形が、ややこしいバージョンのコンボイ様と変わらぬコンボイ感。

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 最後尾に、どう見ても足に見えるパーツが残っているのが残念ではあるが、ここを固定したことにより、ヒト型ロボに変形したとき、がっしりと大地に立つ。足首の可動がグラグラになって自立できなくなるというのはプラスチック変形オモチャあるあるだ。そしてたいてい破損も手首と足首から起きる。それを回避した。ターゲットがしっかりしている設計なのだ。うちの子に、乱暴にあつかってみやがれそれでもわたしは壊れないプライムなのである。頼もしい。

 コンボイの運転席部分を、がばっと外すと、一直線形状になる。

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 この時点ですでに完成が見えているので、なりたての三歳児でも、迷わず邪魔な運転席をヒト型にしたときでいう背面に移動させる。点が三つあればヒトの顔に見え、手脚があって直立していればヒトにしたがる。それがヒト。

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 この動作のとき、自動で両腕が左右に開く親切設計。運転席を背面に移動させるのに、まず胸板を広くするという、車型ロボではよくある手間が、見事に排除されている。

 そして自立する。

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 まさに一瞬。慣れると見ないでコンボイロボコンボイロボと胡桃の実をコリコリやるみたいに両手指の運動だけで行ったり来たり可能。

 胸のボタンを押すと、ぱしっ、と小気味よくスプリングで射出された金色のバトルヘルメットなるものをかぶったりする。

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 この簡単変形ターボタイプトランスフォーマーのバンブルビーの肩は、とても映画には出演できないほどでっぱっている。

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 でも、オプティマスプライムは、黙っていればちゃんとカッコいい。製品として付属の武器の類はないものの、両手には武器持たせ穴が開けてあって、おもちゃ箱のなかにいくらでも落ちているその手の武器を装着することはできる。足首と同様手首は固定してあるが、肘は曲がるから、いちおう銃を構えているゴッコ遊びはできなくもない。

 一晩のうちに自在に変形させるようになった三歳児は、なにかをおぼえた猿のように変形させては「カッコイイ……(タメイキ)」を繰り返して恍惚としている。シンカリオンごときでも、ときどき行き詰まっては「ひっかかったっ」と親の手を借りにくるので、立派バンブルビーなど与えていたら、そりゃもう呼ばれまくりだったか、曲がらない方向に曲げて早々に破壊したか。それが、ビッグコンボイ様のおかげで、なんという微笑ましい時間を過ごせていることか。

「映画やアニメでうちの子をたぶらかしたのなら、もっと簡単に変形できるトランスフォーマーを売りなさいよ!」

 と、対象年齢高めのロボしかなかったので仕方なく買い与えたら変形できないわ壊れるわで、そんな要望を強く出しておいてくださったみなさまのおかげで、今日の我が家は平和なわけだ。

 今年はバンブルビー主役のスピンオフ作が公開予定。



 フォルクスワーゲンとか、旧アニメ版やね丸っこいの来た。バトル超大作よりもファンタジーに寄ったデザインで、いくぶんシンプル。いい具合に変形しやすく、なおかつ頑丈な新バンブルビーの設計を、お願い申し上げます。買います。

(軍服姿のジョン・シナ様(見えっこない、で高名なプロレスラー。上の予告編の1:47秒に出てくる)も素敵なので、量産されるわりにまったく似ていないアメリカンプロレスラーフィギュアに対抗して、日本産のを作ってくれたらそれも買います)

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 第71回カンヌ国際映画祭で是枝裕和が最高賞パルムドールを獲得したというニュースに触れて、そりゃあめでたいなあ、では過去作のことなどを思い出して書こうかなあ、と思い出してみたら五年前。

 第66回カンヌ国際映画祭でエキュメニカル賞を獲ったときに、すでに熱く監督のベストは『空気人形』だ!
 人間なんてみんな風船だ!
 オナホールだ!

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『空気人形』の話。

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 みたいなことをやっていたので、今回はただ、ずっと好きですおめでとうございます、とだけ綴って別の話題にしたい。

 映画熱が盛り上がったので、そんな話を。

 『空気人形』を語ったさらに五年ほど前、テレビで格闘技を観ているさなか、とある短編小説のことを想い出したという話を、ここでしたことがあった。

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『あなたの人生の物語』の話。

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 『あなたの人生の物語』は、テッド・チャン1998年発表の作品で、日本語で読めるようになったのも二十一世紀になってすぐのこと。テレビを観ていて感動したスポーツとその小説が結びついたということは、私のなかに『あなたの人生の物語』という短編の与えたものがきれいさっぱりは溶けきらず、濁った残りを私が無意識下であったにせよ読後ずっと「これはなんなのか」と考え続けていたということを指し示している。

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 あの短編を、いずれ映画化したいという方向性で、これほど長くこねくり回していたひとたちがいたのだということには、少々のおどろきをおぼえた。世に出て数年後に極東の言語にまで訳された小説だ。それだけ世界的に評価が高く、売れる見込みをもたれていたということだ。映画化するならば、とっととそうすれば動員数が見込めたはずだ。

 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴが撮った映画化『あなたの人生の物語』は、日本でも昨年公開された。ちなみに監督は、そのあとに、かの名作の正統続編『ブレードランナー2049』を撮っている。

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 監督よりもむしろこちらのほうが私的には興味深い、脚本を担当したのがエリック・ハイセラー。

 昭和生まれのホラー映画好き方面では、二十一世紀に『エルム街の悪夢』を蘇らせた脚本書きとして名高い。

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(寄り道になるが、新生『エルム街の悪夢』の脚本はとてもよくできていると思う。オリジナルのおどろおどろしさが薄れているという声を聞くが、それはたぶん役者にとっても監督にとってもフレディがすでに個人的ヒーローな存在だったがゆえに神格さが宿ってしまったせいだろう。ホンのせいではない)

 そして本邦的には、『君の名は。』のハリウッド実写化脚本を担当する人物として、最近ニュースになっている。

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 なぜに監督よりも、脚本エリック・ハイセラーに興味が湧くのか。『あなたの人生の物語』と、その映画化『メッセージ』の両作に触れたかたならば、みなそうであるはずだ。

 そう、タイトルからして変えてしまった。ベストセラー小説の映画化を違うタイトルにするだなんて、大々的に東宝が金を出している『Your Name』では起きないはずの事態だ。しかしこの件に関してはたぶん、原作者テッド・チャンも、そうして欲しいと望んだのではなかろうか。

 原作小説の原題は、

『Story of Your Life』

 ほぼ邦訳もその通りに『あなたの人生の物語』。

 映画化において変えられた映画の原題は、

『arrival』

 『メッセージ』と邦訳してしまったのは意味を曖昧にしすぎてキャッチーさを減退させた愚策だが、いくつもの意味を含ませてあえて改変した映画原題を、そのまま日本語に持ってこられるような単語は、私も思いつくことはできない。ひねった長文になるくらいならば『メッセージ』も良いのか。ちなみにarrivalの意味としての日本語は「到着」「到着すること」「到着した者」「出生」「新生児」などが辞書にはあげられている。

 『あなたの人生の物語』は、ひとりの少女が生まれて死ぬまでと、その母親がエイリアンと触れあうことによって娘と、そして自分自身の人生を別の視点から見るようになるという短編だ。

 実に情緒的なテーマではあるが、エイリアンとの遭遇譚であるからには、超文明科学的な描写も多いサイエンス・フィクション。

 この映画を撮るのにこれだけの時間がかかった理由は、もしかしたら、そこにあるのかも知れない、と観ながら思った。

 多くの空想科学技術が、小説から映像化される過程で、変貌を遂げている。映像的なことでなにより違うのは、原作小説では「ルッキンググラス」と呼ばれる、エイリアン=ヘプタポッドの姿を映し出すはっきりと機械的な遠隔投影装置が、映画では実体なのか投影なのかさえ曖昧な仮想現実空間そのもののように描かれること。そこで出遭っている相手が、仮想でも現実でも大差ない、という感覚は、二十世紀末に生きる私たちにはなく、テッド・チャンの想像力も、現実と見紛う映像を投影する装置でヘプタポッドがコンタクトしてきたという設定にとどまっていた。

 登場するガジェットということでは、言語学者が活躍する必然上、二十世紀に夢のマシンだったがいまではだれもが使う電子携帯端末類の描写のほうこそ、いまこの映画がこうなった理由の大きなひとつではある。

 『あなたの人生の物語』で、言語学者の彼女は、ヘプタポッドの記述する文字を、最初は切り貼りしているが、習得しようと「紙に書き」そのうちに手書きできるようになる。そのことが、小説では非常に重要な転換点。彼女は、エイリアンの文字を手で書いて操ることができるようになったことで、エイリアンの思考方法にも近づいていく。

 一方の映画『メッセージ』では。

 彼女は、物語の最終段階になっても、手で文字を書かない。ヘプタポッドの描いた文字を取り込んだ、データ端末のタッチパネルに英語で入力すると、データを切り貼りしたヘプタポッド語の一文ができあがるシステムを使っている。

 だがしかし、映画の彼女も、小説の彼女と同じ気づきにたどり着く。

 あのころならば、このような小説と映画の差違は、観客に受け入れられなかった。どちらの感覚でも中途半端な時代で、キーボードで画面に打った文字に言霊が宿らないなどと考える人々はほぼいなくなっていたが、大多数の高校生が紙の便せんではなくソーシャルネットワーキングサービスを経由して愛の告白をおこなうようになるなどとは夢にも思っていなかった。

 二十一世紀の初頭にベストセラーとなった『あなたの人生の物語』の映画化権獲得競争は熾烈を極めたはずだ。そうこうしているうちに、現実世界の言語学者が液晶画面のついたモバイル端末を使うようになってしまったのだろう。

 ブログという言葉のなかったころからブログを書いているので、私はたびたび自分が興味のあることを検索して、他人の書く私の文章を読んでしまうことがある。たとえば『トミカ博』や『エヴァンゲリオン新幹線』という語句を来年あたりに検索すると、今月、私が書いたものの一部を切り貼りした他人のブログを読むことになる。

 あのころ、そういうブログはすべてを丸写しした広告料目当てだけの単に盗作と呼べるものだったが、現在は違うケースも多い。ネット上で公開されている文章そのものがフリー素材としてあつかわれ、彼ら彼女らは、まぎれもなく自分で足を運んだトミカ博や、自分で撮ったエヴァンゲリオン新幹線の写真に添えて、私の書いた文章の一部を使う。ちょうどいい言葉を先に書いているやつがいるので、それを使って彼ら彼女らの言葉を綴るのである。

 そういうものに触れたとき、私はその文章を「他人の書く私の文章」と感じる。現実には電脳空間上でのことだから、作業のほとんどはコピー&ペーストでおこなわれているにしても。ああこれはいまの気持ちに近いことを書いている、と思われる文章をあちこちから持ってきて、それらをつなぎあわせ、補完の文章だけをいくらか書く。ほぼコラージュだが、もともとコラージュというのは糊付けという意味で、既存の写真の部分を切り貼りして、新たな「自分の」作品とする行為のことだ。

 いま映画『メッセージ』で、片手で支えられる端末のタッチパッドに英語で入力してヘプタポッド語に自動翻訳するシステムをもってエイリアンと会話する彼女を、我々は「ヘプタポッド語を話せる」と見る。他民族と会話するのに紙の辞書をいちいちめくるだれかよりも、優秀な翻訳ソフトを駆使できるだれかのほうが、他民族の言語をうまく操れていると判断する。

 過去と未来の映像のコラージュ。それが『あなたの人生の物語』の、もっとも心を打つ構成の魔法だった。

 十年ほど前に私が、つぶやいたこと。

 ボクサー人生は多くの場合トップ選手でも二十代のなかばには終わる。それがわかっていながらなぜそこにすべてをかけるのか、というのが愚問なのはだれもが知っている。なにを得ようが、なにを愛そうが、抱きしめようが、永遠などなく、すぐ先には喪失しかない。しかしだからこそ、一瞬でも得て、愛し、抱きしめたならば、多くのひとは、いまわのきわに、生まれ変わっても、もういちどあの刹那のために同じ人生を歩む、と決意する。

 映画『メッセージ』では、だが、物語の主役であるはずの「あなた」……少女の人生の描写を大きく削り、原作小説よりもメロドラマ調な直球で泣ける設定に改変している。

 おそらくは、そのことによって映画化のタイトルも変えられた。そして、少女の人生の代わりに映画脚本で時間と存在感を与えられているのが、中国だ。

 『メッセージ』のエイリアンは人類をいきなり襲ったりはしないが、徹頭徹尾に凶悪なエイリアンと人類の闘いを描くシリーズの最新作『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』でも、中国は台頭していた。

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 地球を救う司令官もパイロットも中国語を話す。娯楽映画なので、理由は推して知るべし。中国の映画興行収入は、いまやアメリカのそれを抜く勢いなのだから。中国でウケるように中国を描くこともだが、それ以前にまず全世界公開で皮算用しているハリウッド映画が、万が一にも中国政府の逆鱗に触れて公開中止の判を押されると、予算未達どころか赤字確定な末路となる。

 という意味では『メッセージ』。

 なかなかブッ込んできている。

 以下、映画独自な内容の微バレ。バレたところで感動の減る脚本の作りではないものの、いちおう映画を観ていなくて、なにも細かいことは知りたくないというひとはページを閉じてください。

(そもそも、そんなひとは、これをこんなところまで読んではいないでしょうが)

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 原作小説にまったくない描写だが、『メッセージ』では中国軍のトップが、ヘプタポッドを一方的に排除しようと全面戦争を仕掛けるために地球の危機となる。

 そしてまあ、ヘプタポッド語を操れるようになった言語学者が、娘の人生の話は横に置いておいて、ヘプタポッドの代わりに、その言葉と意志を中国軍武闘派シャン上将に伝達し、危機は回避されるのである。

 エイリアンといかに相互理解して地球人がさらなる精神の高みに到達するかというのが物語のキモだし、すでに『メッセージ』は中国でも公開されているから、もちろん中国軍が最終的には人類を救う(そもそもエイリアンにケンカを仕掛けて危機を作ったのも彼らではあるのだが)。

 そして驚いたことに、脚本エリック・ハイセラーの魔法。

 死にゆく我が娘の人生という題材を縮小して、地球人類の危機を物語の前面に推した結果、我々に気づきを与える。

 原作小説に、忘れがたいこんな一節がある。

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 わたしたちは台所用品のコーナーを通りぬけていった。わたしの視線がそこの棚をあちこちと──ペパーミル、ガーリックプレス、サラダトングと──さまよい、最後に木のサラダボウルのところでとまった。
 あなたは三歳のとき、キッチンのカウンターにある布巾をひっぱって、そのサラダボウルを自分の頭の上におっことしてしまうでしょう。


テッド・チャン 『あなたの人生の物語』

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 だから「わたし」は、そのサラダボウルを買う。
 「あなた」が緊急治療室で頭を何針も縫うことになる原因を。

 映画『メッセージ』の脚本で、このエピソードは切られている。木のサラダボウルよりも、肌感覚で伝わる「いま」が、あるからだ。

 「わたし」は、武力を持つ。
 それを有する隣人も許容する。
 いつか「あなた」を含むだれもの頭に落ちて大ケガどころか……

 それでも。
 と、考えたとき。
 現実の私にはいない三歳の娘を想って胸を詰まらせながら、私も、もちろんその木のボウルに手をのばすと思うように。シャン上将と笑顔で握手を交わし、売らなくていい相手に宇宙戦争を売りかけたニアミスを許容している自分を思って。

 自分がここにいることが、まず奇跡なのだと、大きく息を吐く。

 『あなたの人生の物語』を読んだときと、同じに。

 わかったうえで原作を改編し、この映画を成した彼らにディープキスがしたい。奥歯の裏側まで舐めたい。愛しくてならない。戦争モノに変えてしまったのにだ。

 この時代、このバランスに投下された、ああこれをあの国でも観て許容されているのか、という意外な感じも含め、宇宙規模のラブストーリーに仕上がっていて、震えがくる。ふつう変えないだろう、あの傑作原作を。ぜひ観ていただきたい。観ていないひとはページを閉じてくれと書いた先で、こんなシメもアレですが。

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 確かに、カタカナで『アライバル』と書くと、チャーリー・シーンからはじまる宇宙人が侵略してくる映画シリーズを連想してしまう昭和生まれのB級ホラー好きです。そんな私でも、小説では二体のヘプタポッドをフラッパーとラズベリーと呼んでいるのを、映画ではアボットとコステロにしたのは、どうかと思う。ヒロインは笑っていたから、あっちでは超有名なのだろうが。私は映画『メッセージ』を観終わったあとで検索をかけてはじめて、そのふたりが伝説のコメディアンであることを知りました。1950年代に活躍って。再放送が繰り返されていたにしても、ヒロインの年齢的に無理がある気がする……はっ。それも時間軸をブレさせる脚本魔法の一環なのかも……などなどと、あちこち深読みしたくなる。

(本当に蛇足になるが、2017年の第90回アカデミー賞で『メッセージ』は脚色賞にノミネートするも、受賞したのはジェームズ・アイヴォリー『君の名前で僕を呼んで』だった。原題『Call Me by Your Name』。私は学生時代にアンディ・ウォーホルについて論文を書いたことがあるので、ジェームズ・アイヴォリーの名は年表で知っていた。最先端ジャパニメーションラブストーリー『Your Name』を脚色中の売れっ子エリック・ハイセラーが宇宙規模の崇高なるラブストーリー『メッセージ』を仕上げてきたのに、かつてはややこしい設定の映画を量産していたいまや90歳にならんとするモノ書きが、24歳の青年に恋してしまう17歳の少年の美しさを描ききってアカデミー賞を奪い獲ったのである。熟すことで描けるようになる恋の機微もあるのだなあ、たゆまず精進しないとなあ、と、これも映画『メッセージ』にまつわる、私の得た悦ばしいことだった)

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