ほぼ二ヶ月前、新書館の某編集さんがツイッターで「今夜のタモリ倶楽部でうちの本が紹介されます」とつぶやいていたのだけれど、私の住んでいる大阪ではタモリ倶楽部の放送は帝都東京比ほぼ二ヶ月遅れなので、それは楽しみですねとかリツイートすることもなく(いやまあそもそもリツイート機能とか使わないんですけれども)、年が暮れ、年が明け。

 ほんの数日前に、その回を観た。

 新書館の熊谷さんによれば、ボーイズラブを描くなら、キノコとツボミの身長差は10cm〜12cmくらいが黄金比であるという。170ちょいの私だと、相手は185cm太陽ケアあたりか。いやまてオレ、なぜやられる側で想像している。でも太陽ケア先生を私なんかが組み伏せることはできないし……しなくていいのか。
 そうか。
 よかった。

BL

 ボーイズラブではありがちな場面というのを熊谷さんに解説され、一同は、すなおに、ほお、と感心していらっしゃる。そうBLはノンケの男性が読んだっておもしろいジャンルなのです。

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 ふらふらしていたタバコの先がようやく触れ合った。息を深く吸い込むと、弘夢の火が光晴に移る。うつむき加減の弘夢は、まるで目を閉じてキスを待つように見える。光晴はちりちりと炎が身内に広がるのを感じた。
 もしここに恋の熱を探知する器具があったとしたら、今こそ最大級の警報音を発しているのではないか。
 耳の奥で非常ベルが鳴り響いているように錯覚した。そのけたたましい音は、激しく流れる血流と、怯えた心の産物だったに違いない。
 火が移るまでに、ずいぶん長くかかったような気がした。顔が離れたときは、すっかり背中に汗をかいていた。


 いつき朔夜 『おまえにUターン』

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(↑完全な余談ですが、この一冊、主人公が「光晴」と書いて「コウセイ」とルビが振ってあるのですけれども。ノアヲタにその字面は「ミツハル」としか読めず(仮面ライダーのフィギュアとともに煙になった不世出のプロレスラー三沢光晴(ミサワミツハル)は我が崇めし聖人のひとり)。けっきょく最後まで「ああ違うコウセイだって」とつぶやきながら読んでしまいました)

BL

 番組では、↑この三巻の難易度高い裸シーツ巻きなどを描いていたのですが、それはともかく「女×女」でこのシリーズを出す気はないのかという質問に敏腕編集のそつないところで熊谷さんが「イヤ、いま考えているところでして」というYesともNoともとれる返事を返した(それはやはり『ひらり、』がそれなりに固定客を掴みはじめているのも含め、境界線のあいまいな新書館の良いところ。そうだいまこそ男性誌でも女性誌でもない中道のファンを掴むというウィングススピリッツの王道復権を……いや。もごもご。気にしないでください)それにみなが沸き、テンションが上がったところで、みうらじゅん氏が良いことを言った。

「あと、男×動物ってのはないですか。
 見てみたい……」

 ひらめきの天才、森田一義アンバサダーが間髪入れずに、

「AL」

 アニマルラブ。

Animal

 その一言にくすくすしてしまうこっちもこっちだが、完全に冗談ととった新書館編集熊谷さんの苦笑いに、私は笑みを消して持っていたグラスを画面に投げつけた(嘘)。

 そこでこそ「検討します」ではないのかぁ!
 会議にかけるべきではないのかぁ!
 新書館的にそういうところまで指を差し込むのは気が乗らないのかもしれませんが、言われてみれば、世に獣姦のアダルトビデオはあまたあっても(あなたが女性でノンケだったりすると想像の埒外のことかもしれませんが、あるのですよ、これがけっこう一般商材として)、犬×ヒト女以外のマッチメイクをとんと見ない。みうらじゅん発言も、タモリのへらっとした笑いでのAL発言も、そのあたりのジャンルに強いおふたりならではのことでしょう。

 そう、男×動物というのは、新しい。

 実際問題として、AVで犬が使われるのは、馬とか豚とか猿とか、用意しづらいし暴れたら死人が出かねないからだと思われるのだが、それ以上に、発情期の犬ってやつは掴まるところがありさえすれば腰を振るので、画が撮りやすいという事情もあるのだろう。それにしたって。つまりは挿入される側がどうかってことである。私は生粋のゲイのかたの嗜好がどうであるかは詳しくわかりかねるが、犬がヒト男を犯そうとする場合、枕の下から使い切りの潤滑ゼリーを取り出すのは前脚でやるのかという問題がある。あ、待って、つけて、とローション付きコンドームを男優の側が装着させるのか、でもそれだと和姦ということでしか演出できないが、それでその道のヒトは萌えられるのか。

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「アインシュタインだって、このままじゃおさまらないだろ」
「……ワウ」

 震えているのがわかる。
 アインシュタインをこんなにしたのは、ぼくのせいだ。
 ぼくが、犬小屋のなかに入ったりしたから……

「がまんしなくて、いいよ」

 アインシュタインの耳に唇をふれると、彼の尻尾は一瞬ぴんと立って、そのあと、全身の毛が逆立った。そっとのばしたぼくの手のひらのなかで、はちきれそうな動物が、びくりびくりと脈動する。

「アゥ……ぅうううう」
「かあさんに気づかれちゃう。しぃ」
「──くぅうん」
「くるしいんだね。だから。責任とってあげる」

 指先で、なぞるようにアインシュタインの動物をこすったら、ぼくの気持ちは伝わったみたいだった。のけぞらせて喉を見せ、後ろ脚で小さく跳ねる、それだけの動作で、ぼくは押し倒される。毛皮の奥の熱さを隠そうともせずにアインシュタインは全身を押しつけてきたけれど、彼にはぼくのジーンズを脱がせる指がないし、そもそも「前から」なんてヒトみたいだ。

「ァぐ……ワオゥウウ!」
「待って、脱ぐから。」   

 もどかしい。
 それでも、なんとか自分でジーンズを下着ごと膝まで降ろし、カラダを反転させて四つんばいになると、彼に向かって尻を突き出す……恥ずかしくて死にそうだよ、もう……アインシュタインみたいな立派な毛皮に包まれていない白いおしりに、失望されていないかと不安で息ができなくなる。
 一瞬、アインシュタインがいつもだらりと出しているあの膨らんだ舌で、ぼくの奥を舐めてくれるんじゃないかという妄想が浮かんで背中に快楽のしびれが走ったけれど、すぐに思い出した。
 アインシュタインは、犬なんだ。
 前戯なんて、しない。 

「ァ、ぁ、、ォオオゥ! アオーンッッ」
「え? ゃ……待っ……ひぐぅぃっ!!」

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 続きはWEBで。
 あ、ここがウェブか。
 じゃあ、続きが読みたいってヒトは新書館さんへ私宛で(嘘)。

 しかしまあ、自然に反する行為は撮影も大変だということで、だからこそファンタジーとなりうる要素もあるとのタモリ倶楽部指摘を、ぜひともアブノーマルを王道に変える出版社新書館のおちからで商材としていただきたいものだと夢想いたします。
 ものすごく矛盾した文章になりますが、ぜんぜんぜん興味はないけれど男×動物のアニマルラブものが世に出回り、しかもそれが駄ポルノを作らないことで有名な新書館の作だとなれば、私は見るなり読むなりするでしょう、きっと。アインシュタインとぼくは相思相愛なのだからそこにラブは描けるはずです。だれも描かないだけで。

 いまはもうなくなってしまいましたが、私が幼いころ、阪神タイガースの聖地甲子園に、阪神パークという遊園地があって、そこのこぢんまりとした動物園が、突如としてヒトで埋まったことがあった。

 レオ吉とポン子である。

 二匹は、レオポンという種だとされた。
 SFアニメ顔負けに阪神パークの「レオポン計画」によって人為的に造られた種だ。その後、レオポンは次々生まれた。彼らはみな、ヒョウとライオンの交尾によって生まれたのだった。

 この、交尾、というところがすごい。
 「レオポン計画」は営利目的で合成生物キマイラを生みだそうとした悪魔の所行であるとして世界中からの批難を集め、そのようなプロジェクトは倫理的に問題ありだという世論が形成され、追随する者たちは現れなかった。
 それゆえに、確証的と呼べるデータを取るにいたらなかったのだが、確実にいえることは、レオポンが卵子や精子を切った貼ったで造った生き物ではないという点。ヒョウとライオンを夫婦にして、セックスさせて、それで産ませた子供なのである。

 遺伝子操作、と呼ぶにはいかにもアナログな実験だった。
 生まれたレオポンたちに、生殖能力はないということになっている。
 それも個体数が限られていたので確定的ではないが、一代かぎりであったにせよ、異種間の子がたとえ一種の奇形という形であっても「生まれた」ということだけで、観客を呼ぶには充分だった。私も彼らを見た。ちょっとたてがみの長いヒョウのような動物であった。阪神タイガースの聖地付近に住みながら、マークがカッコイイという理由だけで西武ライオンズの帽子を欲しがっていた私などは、目をキラキラさせて彼らを見た。

(ヨシノギいくつなんだー、というメールをいただいたので追記。私が見たのはたぶん最後の一頭ジョニーで、そのころレオポンは宝塚ファミリーランドのホワイトタイガー同様、呼び物ではあるが爆発的集客力があるわけではない檻のひとつになっていました。すでにレオポンが国際的にあまりウケがよくないという事実は周知のことになっていて、幼稚園の遠足で行ったりすることはぜったいなく、しかし阪急宝塚線沿線に住んでいるならばホワイトタイガーとレオポンは幼児に見せておくべき、という暗黙のルールが親たちのあいだではあったようでした。なので、私が見たレオ吉とポン子は、すでに毛の抜けはじめた剥製の姿。でも実は、生きて動くジョニーよりも、剥製のほうがくっきり記憶に刻まれている。だからやっぱり、私が見たレオポンは、レオ吉とポン子という記述で正しいのかもしれません)

 で、思った。
 思ったから、訊いた。

「ガウディとカエルのコドモとかも生める?」

 ガウディというのはうちで飼っていたシャム猫で、カエルというのは私がその後干からびさせることになる水槽のなかのペットだった。
 それは無理、と答えは返ってきたが、聞かされたのはヒョウとライオンは似ているから子供も作れるのだというようなことで、私は幼頭ながら疑問を感じた。

「じゃあ、ゴリラと人間は?」

 どんな答えが返ってきたか、おぼえていない。
 しかし、あの阪神パークで感じたモヤモヤしたものが、大人になってなおバッタ人間仮面ライダーに夢中な私の性癖の根幹にあることは、精神科医でなくてもわかる。私はトレッキーでもある。スタートレックに出てくる異星人たちは、どんなに理解しがたい異種でも、機械生命体でさえ、ヒト型である。それは役者と着ぐるみという実際的な問題に起因しているのだが、私のなかではひとつの宗教的解釈によって説明されている。

 ヒトの創造物は怪物さえもヒトに似る。
 


『6匹の“親”持つサル誕生 米チーム、受精卵を接合 - MSN産経ニュース』

 年明けすぐに、キマイラのモンキーが誕生したと聞いて、私は、おどろおどろしい想像をしていたのだけれど、ニュース映像を見たらふつうの猿の赤ん坊だった。

 そして、すぐにレオポン計画のことを思い出した。これは、レオポン以後、やってはいけないことになっていた実験ではないのか。レオポンが、ふつうにセックスして生まれた子供だったことが問題だったように、このキメラ小猿も、外見がふつうだからこそ問題ではないのか。

 ヒトはもうとっくにキメラマウスの創造には成功していたのだが、その技術をサルやヒトといった霊長類に応用しようとすると上手くいかなかった。そこに神はいるのだとかなんだとかいう向きもあったわけだけれど、シンプルに考えれば、ものすごく繁殖したから忘れがちだが、ヒトなんてものはパンティーとブラジャーを着けたサルであり、そんなものがまともな進化の形態であるわけがない。メイド服のパンチラに萌える野生動物など存在自体がおかしい。

 変わり者なのだ。
 増えてしまった奇形である。
 好きでパンツを履いたアダムとイヴに生殖能力があったことこそが奇形の最たるところで、それゆえに世界は悩めるサルという愚種に埋めつくされ、ミサイルを撃ちあったりしているのである。

 そんなヒトが、夢を見た。

 あらゆる病気を克服したい。
 病気は出来の悪い遺伝子が起こす。
 だったらその因子を、取りのぞけばいい。

 ヒトは、それができるようになっている。
 もはやレオポン計画のような乱暴なプロジェクトではない。
 ただ問題は、遺伝子の一部を取りのぞけば、生物は不完全な形にしかなりえないということである。取りのぞいた部分は埋めなくてはならない。なにで埋めるか。むろん、欠陥のない、清廉な遺伝子によって。

 健康で良く肥える食肉用の豚を造ろうとかいうニュースと、これは違う。
 霊長類で、それが可能だと証明されてしまったのである。
 見た目になんの問題もない小猿が映っている。
 しかしキメラなのだ。

 キマイラ、という響きは怪物でしかないが、仮面ライダーの例を出すまでもなく、怪物とは特別な存在であるが悪とは限らない。

 キメラ小猿は、つぎはぎされた各々の遺伝子の形質を、きちんと継いでいるという。
 つまり、私に愛人が5人いて、ちょっとした研究機関があれば、私と5人の愛する者たちのちょっとずつを継いだキメラの子が造れるということを指す。

「おお右の眉毛はキヨミそっくりだが、この鼻はアツシ似だな。それにしてもこの泣きかたの強情っぱりなところはエレミネンコそのものじゃないか。甘いカフェオレみたいな肌はアマンダの美しさをもっと濃くしたみたいだし。それにこの尻尾……アインシュタイン生き写しだよ」

 むろん、愛人の性別や人種は関係ない。そもそもセックスして出産するとかそういうことでさえないのだから。愛人が犬でもたぶん問題ではなくなる日が来るだろう。倫理的に問題はあるのかもしれないけれど……はあ? ここにキメラの小猿がいるんですけど?

 その未来で、ヒトは愛をいまよりももっと重んじるようになるだろう。
 それは善きことのように聞こえるかもしれないが、違うよこの世に悪はない。むろん対極の善もない。同じ愛を信じる者が集団となり、それぞれのもっとも善い(と信じる)部分をキマイラ化して、ひとりの子供を創ったとしよう。

 綺麗な鐘の音を奏でるカリヨンの塔が建つ、世界に百堂ある聖教会の長たちの遺伝子を継ぐ、百なる善の息子ジーザス(仮名)が地に降り立ったとき、処女が聖人を生んだとか、生々しく愚かしい物語を崇拝していた人々も目がさめるだろう。

 そして新しい愛の形を見出すのか、アニマルラブが流行るのか、なんだか冷めきってしまって「じゃ、次は冷凍しておいたハルク・ホーガンとマンモスの遺伝子をキメラ化して試合させてみる?」みたいなことになっているのか。

 愛は自由になっている。
 自由を形にできるところまでヒトは来た。
 でも、たとえば強くなりたいと願ってヒトの限界に挑むアスリートを見て私は感動するが、その選手が自由にヒトという種の制限なく強さを追い求めることができるなら。
 愛も強さもキメラ化して、それが夢でないのなら。
 そこでの萌えとか感動とかって、なんなのか。

「すごぉい、ヨシノギさん、もうヒトじゃないよそれ」

 言われてにんまり笑う私がいるのだろうか。
 笑う私は、だれかの肌に口づけるための唇を、まだ、私に残しているだろうか。



 
 
Jujuba

干しなつめをもらった。
で、どうしたものかと考えている。
まず、なつめというのがよくわからない。
酒のつまみになるものだろうか。
そのままかじってみた。
ぬお。皮かたいし、実はぱさぱさだし。
味自体はほのかに甘いが、これはそのままでは食せぬ。
さて。どうするか。
グーグル先生に訊いてみる。
どうも、なつめ茶として飲むというのがポピュラーらしい。

しかしなあ。

これ、数分で色が出るとは思えない。
刻んで煮詰めたりするのだろうか。
それはお茶というよりも、漢方だよなあ。
いちおう私は薬屋さんで白衣着る身なのですが。
以前、お客さんに訊かれたことがある。
「この漢方茶って出がらしも食べたらもっと効きます?」
もっともである。
ていうかお茶にしたりせず、
その葉っぱとか実とか噛んで飲みこめばいい。
お茶にして効くのに、そのものが効かないわけがない。
なぜにわざわざ薄める?
煎じるとかって、要は飲みやすく吸収しやすくするための技術でしょ。
だったら、私はこのなつめを薬として摂取したいのか。
否である。
だいたい、私は紅茶やコーヒーも飲まない人なので。
せめて嗜好品ならばアルコールに漬けてみたい。

しかしなあ。

なつめ酒をググると冷え性や生理不順に効くとの記述ばかり。
わたくし。冷え性じゃないし。生理ないし。
だれも「うまい」って書いていないところが大問題。
なつめってなに?
味度外視で冷えを改善するために食すものなの?  
ていうか、けっきょくそれって漬けた酒を飲んで、
瓶に残ったなつめは捨てるということでしょう。
そうじゃない。
私は、この干しなつめそのものを、
どうにかして腹におさめたいのです。
で、見つけたのが。
「なつめケーキ」ってのが売っているって話。
なるほど。パウンドケーキな。
私それ作りかた知っている。

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『ドライフルーツ漬けと蠱惑のダーティーパウンドケーキ』のこと。

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レギュラーのドライフルーツ瓶に入れて、
それがだいなしになってもこまるので。
なつめのための瓶を作る。
なにがいいかな。
ブランデーかな、やっぱり。
砂糖は入れないのです。
純然たる、酒漬け。

しかしなあ。

やっぱりなにか漢方臭い代物になりそうな予感が、
ひしひししているんですけれども。
ま。数か月後がおたのしみ。

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Jujuba2

 熱湯消毒した瓶に詰めて、ブランデーを注いで。
 およそ一ヶ月。

 干しなつめは実のなかに空間があるので、半月ほど漬けて実がふやけてくると、ブランデーが目減りします。なので注ぎ足す。そこを越えると、ブランデーはもう必要ありません。今回はジャムの瓶で作っているので、買ってきたブランデーは大量に余ります。

 なので飲みます。

 頂き物で棚に並んだりもしますが、ふだんの私はブランデーを飲みません。じっくりと酒をたのしむというよりは、食事には酒がつきものという飲みかたなので、ストレートで飲むのがメインの蒸留酒というのは使いにくいのです。ブランデーを水やソーダで割るというのは、どうにも抵抗がある。頂き物はありがたいことに安いものではないことが多いため、そうなるとなおさらいつかじっくり飲もうと、棚に置いたままになるのが常だったり。

 ブランデー漬けを作ろうと、買ってきたのは安物です。ていうか、通りがかった西友さんには、ブランデーというものがそれしか売っていなかったのです。

VO

 なんということか。その西友さんはずいぶんと大きく、一階フロアがぜんぶ酒という店だったのに、ブランデーは千円を切るそれが一種類だけ。どんだけ飲まれていないんだブランデー。もしかして私も今回そうだったように、その一本も、酒飲みのためではなく、製菓材料として置かれているのかもしれない。

 なんか不憫だ。
 おっさんの飲み物だと言われはじめていたウイスキーが、ハイボール戦略によって復権を果たしたいま、ブランデーだってどうにかできないのか。というわけで余った安物ブランデーを、なにかで割ったら美味くなるんじゃね、と検索してみたらば。

 まさに買ってきた安物ブランデーの発売元サントリーが、そのものずばりな戦略販売をはじめていたのでした。

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『ブランデースプリッツァーって? / サントリー』

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 ブランデースプリッツァーときたか。
 いま書いてみたらものすごく書きにくいし変換しにくかったぞ。
 略そう。

 ブラ割り。

 いやそれでいいじゃない。
 だいたいスプリッツァーって、ワインの炭酸割りのことでしょう。そこへ無理からブランデーと冠してみたり、ネーミングがパチモンくさい。いっそ大正時代にハイボールとともに流行ったというブランデーのジンジャーエール割り「ブラジン」の正統後継者だと胸を張り、ブラソーダ。さらに略してブラーダ。名前なんてそういうもんだって。ブランデースプリッツァーください、なんて飲み屋で普及すると思ってんのかね。

 だがしかし。
 読み進めていくと、どうも私の見当が優秀なる広告代理店さんのプレゼンとはズレているということらしい。そもそも、酒を飲む男性たる私は、ブラ割り普及委員会のターゲットではないのである。

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『つくって楽しい!自家製ブランデースプリッツァー / サントリー』

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 ……女子向けだ。
 しかしいいのかそれで。
 オレンジの皮は苦みが出るから一週間後に取りのぞく。って。千円しない強い酒を、フルーツ漬け作って薄くソーダで割るなんて飲みかた。ビール代わりに食事でぐびぐびやってくれというハイボール戦略とは一線を画す。おちょこ一杯で顔が赤くなるスイーツ系女子が月一でグラス一杯のソーダ割り作るのでは、一年で一瓶も空かない。それで西友たんに棚は増えるのか。

 勝算があってやっているのか、もはや打つ手なしなのか。
 いや、これさあ、なにも飲まなくても、その一週間ブランデーに漬けたオレンジでケーキを焼くとかいうほうがブーム起こせそうな気がするんですけど。フルーツ漬けのブランデーがもったいないから飲むなんて私ですよ。かわいらしい女子スタイルとして売るのは正解なのですかそれは。

 ブラ割りの普及があるかどうかはともかく。

 願ってもないことで、検索したら私にピンポイントでアドバイスをくれたサントリー。
 そう。
 ケーキはそれはそれとして焼きますが。
 なつめを漬けたブランデー。
 これをブランデースプリッツァーしましょう。
 いまから仕事なので写真は撮れませんが。

 今夜にでも、飲んでみます。
 クセになるのか。
 女子向けの企画で私は釣られてブラ割り党になってしまうのか。
 なってしまえば店の売り場にブランデーはサントリー一択。
 むしろ、ブランデー特有の重みに欠け、アルコール臭のあるそれこそ、割って飲むなら最高のブランデー(ほめてない)。フルーツで香りづけしなければ単純にソーダで割っても美味しくはないことをメーカーみずから認めるいさぎよさ(ほめてます)。
 なるほど……
 あの棚状況を改善するためならば、なんでもやってみるものですよね。

「なつめのブランデー漬けソーダ割りうめえっ」

 となったところで、ひとにすすめにくい感はありますが。
 がんばれブランデー。
 飲むなら、もっと大きい瓶にしてみようか……






年越し直前まで仕事だし、地上波の格闘技特番はないし、G+の年越しノアSPもついに途絶え…サムライの年越しインディ視聴確定なんだが。ふだんプロレス観ないのも来るからドン引きされたらどうしよう…ガンバレ、ぼくの大好きなインディレスラーたち。

twitter / Yoshinogi

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 なんてことを書いているが、思い返すに去年……じゃなくて一昨年(だったかそのまた前の年だったか。一年は短いとぼやきながら、一年前の記憶さえあやふやなのがニンゲン、とひとくくりにしたらいけませんね。私だけです。一年たってまだ同じ足首にインドメタシン塗っている……治ると忘れてまた痛める。カラダに限らず、何事につけてこんな……ああ、おれはこんな……で、悔いながら年を越したこともまた忘れる。馬鹿)のこと、 地上波放送のかろうじてあった某局の格闘技イベント中継がカウントダウン前に放送終了し、これまた三沢光晴が逝っても去年まではかろうじてあったプロレスリングノアの年越し特番にチャンネルを合わせたら。

「これ、カウントダウンなくない?」

 だれが言ったか忘れたが、実際にその番組は延々と二十四時間、その年の名試合を垂れ流しているだけで、あまりの興奮の連続にもうすぐ年が変わることさえ忘れているマニアのための構成となっていて、そもそも番組MCも存在しないのだから過去の試合を戦っているレスラーのだれかが唐突にこっちを向いて「よーしいくぞーカウントダウンスターートっっ!!」などと叫んでくれるわけもなく。
 鍋を食っていたので、もう年越しそばもここ入れちゃおうと私が言ったためにだれも立ち上がる用事はなく、全員で顔を見合わせた。その年の我が家のメンバーは男性×女性でわずかながら女性の数が多く、私はそのなかのだれひとりとして熱狂的な信者ではないと認識していたのだが、意見の集約は言葉もなくおこなわれ、けっきょくのところ、その年の私たちはジャニーズを見つめてあけましておめでとうと言ったのだった。

 アイドルとは、偶像である。
 偶像とは、元来、神を模した像のことだ。

 神は我々のすぐそばにいる。
 そういう考えをもっただれかが、ならば神はヒトを自分に似せて創ったはずで、ということは神はヒトのような姿をしているのに違いないと、木を彫った。

 彫ってみたら、なんだかイケメンになってしまった。
 それはそうである。人類が進化の頂点ではなく、神のクローンであるというなら、我々は全員が劣化コピーで、神こそが唯一無二のオリジナル。そのお方が、劣化コピーな人類のだれかに美しさや凛々しさで負けるわけがない。そういう思想で彫るのだから、それはもう想像力のおよぶかぎり最高の──おかしな表現になるが──神とは。

 神とは人類の粋。

 粋なる偶像が彫りあがったとき、おかしなことが起きてしまった。
 よく彫れたので、みんなが見えるところに飾ったのがいけなかった。
 観客のひとりが、黄色い声をあげる。

「そのひとはだれ!?」

 ヒトではない。
 ないのだけれど、ヒトである。
 彫られた神は、木彫りの像であって、神ではない。
 そしてそこに現れているのは、神のつもりで彫られたにせよ、それを知らなければ人知の果てに位置する超絶イケメンでしかない。予備知識なくその像を観て、ありえないくらいにステキだと歓声をあげただれかに、あとになって、いやこれは神様でね、などと言ったところで、それがどうしたという話になってしまうだけだ。

「うん。あたしこの像が好き。神様とかそんなのどうでもいい」

 これを偶像崇拝という。
 おかしなことだし、とても面倒くさいので、多くの主要な宗教では、そもそも偶像とか彫るな馬鹿と教えている。やむなく彫るときはヘイロー(光輪)を頭に乗せたり背負わせたり、背中から羽根を生やしたり、手を六本にしたり、顔を象にしたりして、だれもがひと目で「あん、これはヒトじゃないのね」とわかるようにすること推奨。

 しかしてそういう暗黙だったり弾圧だったりする規制もむなしく、偶像は生み出され続けていくのであるが、そのうち、少し利口なヒトが思いついてしまった。

「神を模した像をあがめたら怒られるんでしょ。だったら神を模したものではない偶像を彫ってそれを崇拝するのはアリだよね?」

 締めつけすぎると妙な方向に歪むという典型である。
 偶像というものがそもそも神を模したものだったのに、神をそこに介在させずに偶像を彫る。それも、その偶像をあがめたてまつること前提で。

 要は、萌えられるフィギュアを造ろうという発想。
 神は禁止、じゃあ禁止されていないキャラは……

 というわけで。
 劣化最小の神の肉イエス
(半裸、無精ヒゲ、半眼、ウェービーな長髪)と、
 処女のまま神に孕まされた女マリア
(ロリ天然系にして肉感派、イメージカラーは青)
 新発売。

 神に目をつけられて有無をいわさずアブノーマルに犯された処女という設定は、読みようによっては陵辱系に分類していいものであり、透明なチンコで勝手にどこぞの娘の腹のなかに射精した神なんかよりも、生まれたイエス・キリストを祝福された神の子として抱擁する、ちょっと頭の弱い感さえする被害者意識のない純真無垢なヒロインの母性に、世界が萌えた。

 成長した神の肉イエスが奇跡を起こすくだりなどは、神のみわざと語られてはいるが、劣化クローンたちの目から見れば、肉媒体であるイエスがいなければ目の前に現れる現象そのものがない。それは、いまでもヒーローモノに連綿と受け継がれている、必殺技にはなんらかの強大な力が宿るという図式でしかないのであって、ライダーキックでなぜ怪物が爆発したのか知らないが──それが天にまします神の力であったのだとしても──やはり、萌えるべきはキックを放ったヒーローに対してであり、そのチカラはそもそもなんなんだと追求するのは野暮というものである。

 偶像崇拝は、実にわかりやすい。

 見えない神をわざわざ彫って崇めろなどというよりも、萌えられるフィギュアを世界に飾るほうが簡単なのは、素人の目にもあきらかだ。去年の大河ドラマでも描かれていたように、この日本の戦国時代でさえ、胸にアイドル・イエスの顔写真入りロケット・ペンダントをさげた女子たちがいた。もちろんキリストの生写真などというものはないので、ロケットの中身は萌え絵というやつだ。お気に入りのキャラのイラストを肌身離さず持って、それがあれば戦国だって生きていける。キリシタンの鼻を刀でそり落とす秀吉にも屈せずキャラ愛をつらぬいたすごいオタクであったガラシャは、彼女自身がその後、偶像化され新発売される。

Locket

 信じるチカラは尊い。
 と、言ってしまえば、信仰の対象はもはや問題ではない。
 ただひとつ大事なのは、禁止されていないことである。
 韓流スターのおかげで更年期を乗り切れたというおばちゃんがいるが、対象が近所のスーパーの鮮魚売場のお兄ちゃんだったりしたら、年の差ストーカー。逮捕もできる。ももいろクローバーZの黄色である泣き虫で甘えん坊みんなの妹しおりんを愛するのは好きにすればいいが、近所で見つけた血のつながっていないぼくだけの妹を追いかければ絞首台行きだ。

 そこで、認定マークありの偶像があると助かる。

 私にとっては、昨年末23時50分あたりから年越しインディーに参戦したメジャー団体副社長丸藤正道も充分すぎるほどにアイドルなのだけれど、哀しいかな対戦相手のガッツワールド吉野達彦がねばり、試合時間は14分11秒。試合の途中で、だれかが気づいた。

「これ、試合終わらなくね?」

 ちなみに私はそばを茹でておりました。
 十割ソバとかで、茹でたあとに蒸らし時間が入る。
 遠くからはカウントダウンらしきものも聞こえてこないので安心していたら、しびれを切らして変えられたチャンネルで『ゆく年くる年』がはじまった。ああ、ああ。急がなくちゃ。
 そんなこんなで。
 あけましておめでとうの声とともに、ダシをこぼしながらソバくばった年明けだったのでした。

 で、『ゆく年くる年』は、なでしこジャパンにもうやめてあげてというほどのプレッシャーをかけ、ファイティングTVサムライとの音響設備の差を見せつけ(うち、5.1チャンネルでスピーカー組んでいるのですが、サムライ見ているとほとんど無意味。ちょっとでも効果をあげようと背後の側のスピーカーレベルが上げてあったため、NHKの中継になったとたん「え、外でだれか喋ってる?」とみんなが振り返りました。今年はいよいよハイデフ化だそうで。おなじ有料チャンネルとして、がんばってもらいたいものですサムライも)、番組はすぐ終わり。

 さて。
 インディープロレスは、私の懸念通りに退屈そうにしている人たちを生んだのですが、それをおぎなって余りある、昨年は新日本プロレスにも参戦した大家健のデスマッチデビュー。まったく傷のない肌に、割れた蛍光灯が刺さって血を噴くさまは、メジャープロレスの知識さえない女子をして「ちょっと感動した」と言わしめるすばらしいものでした。ちょっと、というところが大事。蛍光灯で殴りあって血だらけになる人々に多いに心動かされては一種の変質者ですが、ノンケでもちょっとは感動する。なにかが、そこにはあるのです。無意味で、馬鹿馬鹿しい、でも、なにか。やっぱりこれは伝わるんだと私は画面よりも、顔をしかめながら歓声をあげるこっち側の人々を見つめてちょっと満足でした。

 なので『ゆく年くる年』から、またプロレスに戻そうとは思わなかった。チャンネルを変えました。今年は私が選んで、ジャニーズをつけた。
 認定マークありの、偶像たち。

「この頭に布巻いたひとだけオッサンに見える」

 とか。

「マッチとトシちゃんは知ってるけど、もうひとり?」

 とか。
 画面に出てくる偶像の最年長組をリアルタイムで熱狂した世代である私などは、それでも、彼らがいまだに偶像たりえていることに驚愕する。
 生きているのに。
 まるで、彫られた像のように。
  
 彼ら自身は変化をまぬがれない。
 だとしたら、変わらないのは彼らを見るこちら側の視線。
 つまりは、それこそが揺らぎない信仰。

 新しいアイドルユニットが出てくると、次々に信仰の対象を移す者がいる。そういう場合も、やはり、揺らがないなにかを持っているから、そんな行為が可能になるのだろう。若さへの崇拝だとか、十五歳の少年少女の肉体的造形が生物としてヒトとして頂点であると確信しているとか。そういう意味では、アイドルの肉など崇高なるなにものかの転生した先にすぎず、それを愛でる者は自分が滅ぶまで、信仰の対象を失わずにすむ。

 逆説的に、こういうことも言える。

 ボーイズトーク(?)で、よく、彼女にするならばどのアイドルなどということが言われるが、天真爛漫なのが、いやあの脚は捨てがたい、でも料理できるって大きくない? なんてやっているうちに、だれかが言ってしまってブーイングになる。

「抱き心地も重要じゃん」

 いや違う。
 いいや違わない。
 それはそうだ、やわらかさは重要だ。
 さわり心地を想像はする。
 でも違う。

 アイドルに欲情したら、信仰ではない。

 できないものだろう。
 みんなの妹はみんなの妹であって、妹キャラのAV女優とは別物である(なので大人気ロリ系女優がメジャーアイドルに転身なんて不可能だと私は思うけれど。負けるながんばって私を裏切れ某バイカーのあのこ)。某女性誌の抱かれたい芸能人ランキングが昨年は中止になったそうだが、それはアイドルという偶像への信仰が、根付いてきたからではないのかと邪推する。アイドルに抱かれたい? なんのために。偶像は見つめて、涙するもの。写真を撮ってロケットペンダントにそっとしのばせるもの。

 キリストに抱かれたいと思う者がいただろうか。
 マリアをおれのものにしたいと願う者が?

 スター不在だといわれる。
 でも、アイドルを愛でる健全な信仰心は、むしろ育っているように見える。
 アジアがAKB48に熱狂しつつ、あきらかにひとむかしまえのファンと比べて、線引きをしっかりやっている。昭和の時代、女子はジャニーズの彼との結婚を本気で夢見ていたものだ。そんなファンは、いまはいない。

 ジャニーズのカウントダウンライブに魅入ってこの子かわいいと嬌声をあげている彼女に、嫉妬する彼氏もいない。彼氏がももクロ好きでも、オタクの彼女ならコミケの夜はひとりにしてやれという『げんしけん』の心遣いはいらない。そこに欲望はない。すみわたる心があるだけだ。あすへの勇気、生きる希望があるだけだ。鎖骨とか腹筋とか太ももに魅入るのは、ルーブル美術館のマリア像のふくよかさを誉め称えるのと同義である。微笑みが浮かび、むしろ邪念が消え去る。

 神はいる。
 なぜなら、こんなにもヒトがアイドルを愛せるから。
 偶像は、見ることさえ禁止された唯一無二の存在を、肌で感じるための肉。
 深く、清く、愛でることで救われる。

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「そんな調子じゃ、やっぱり死んだほうがいいのかもしれないな。わたしは老いぼれのホモだけど──おっと失礼──きみはだな、せがれよ、薔薇の茂みがあったら立ち止まって、においを嗅ぐべきだ。そうすれば、そんなに死に傾倒しなくなるかもしれない」

Dennis DanversDennis Danvers

 デニス・ダンヴァーズ 『エンド・オブ・デイズ』 

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アイドルを画像検索。
ジャニーズを画像検索。

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 ネットじゃにおいは嗅げませんが。
 なんかよくわからない話になってしまいましたけれどもいつものこと。
 本年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
 私にとっての姿なき偶像のみなさまへ。
 愛してる。

(御姿は勝手にこっちで彫っています。
 あなたが実在しなくても、私はあなたを信じてる)  



「私は、『恋のためのトーンを使わない』と決めてます」
「恋のためのトーン?」
「恋をしたときに、なんか六角形のものが飛びますよね?」
「ああ、飛ぶ飛ぶ! 飛びますね! 記号として読み流してしまうけど、考えてみたらおかしな物体ですね、あの六角形は」


 三浦しをん
 『愛が生まれてくるところ / 第十回 ARUKU』
 (小説ウィングス No.73

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 休みだったので、布団のなかからぼおっとBBCニュースを見ていた。
 どこかの国の書記のひとが死んで、東京の街からブロンドのレポーターがスタジオに報告をあげていて。スーツ姿の小柄なアジアの人々が、レポーターの背後でピンボケながらもなんの取材かとカメラを指さしている。

「アメリカは強大すぎ、韓国は近すぎます」

 だから混乱の果てにおちいったとき国内の視線を外に向けるべく敵を作ろうと彼らが考えるならば、この島国が最適だということになるでしょう。レポーターはそういうことを話していたが、それを指さすピンボケの人たちは、あきらかに談笑している。

 敵。

 多くのハードボイルド作家がテーマに据えるところによれば、それは視点の問題である。仮面ライダー部は学園の平和を人知れず護っているが、この世の混乱を願う側からすれば、正義のヒーローたちは邪魔な「敵」以外のなにものでもない。

 おなじ街で育って、おなじように世界を見ている隣近所のひととさえ思想も宗教も相容れないことが多いというのに、あいだに海があったりしては、そんなものはもうエイリアンと変わらない。電脳情報網が地上を覆ったことで、地球は狭くなったと言われるが、逆説的には、今夜も私は行ったこともなく逢ったこともない地球の裏側のだれかとネットゲームで対戦してチャイニーズと間違われ、犯してやるという意味の単語を連発する彼を地球の裏側地域代表として認識する。

 そのせいで、エイリアンを鮮明に記号化することが可能になってしまう。

 彼にとっても、私を中華圏の在住者だと記号化する理由がある。私がおもにプレイするのは賞金のかかった国際大会も開かれているネットゲームで、中国にはプロのゲーマーも多く、どうやら南米あたりにおいてネット上のありえないほど強いアジア人はチャイニーズで確定しているということらしいのである。ほんの一時間ほどではあるが、中国のほうが日本よりも時差的にアメリカに近いということも、遭遇率の点で、アメリカでの私をよりエイリアン化させている。

 そんなこんなで、地球の裏側に「漢字表示を身にまとうゲーマーは中国人」そしてやつらはでたらめに上手く、こっちはゲームをたのしめない。そんなふうにこっちを記号化してプレイ開始一分のところから罵倒をはじめる人物ができあがってしまっていることに、こっちはなにかを説明しようとする気力も失い、彼の音声を切る。
 
 限定された情報は、限定された記号化を促進する。

 その日の朝、私は布団の中から、泣き叫ぶひとたちの映像を見た。
 演技っぽいなあ、と感じた。
 外国に流れることがわかっていながら、あえてそういう映像を選ぶというのは、あっちはあっちで、自分たちを自分たちで記号化したいと望んでいるのだろう。もちろん、そう考えているのは一部のひとたちで、大多数は無理やり演技させられているのかもしれないが、なんにせよ、どこの国に行ってどんな肌の色をした人間に遭ったって、場所が地球上であるかぎり、それが例外なく自分と同種の人類であることを、疑うひとはいない。海を渡った隣の国に、生物学的に人類と別種のヒト型エイリアンがいたりはしないと幼稚園児でさえ知っている。あの国は発展途上だとか識字率がとかいったって、地球全体がもはや石器時代ではないのだし。

 国民性というものはあるし、理解しあえない相手というのはいるものだが、それにしたって、その国のひとも外国の映画を観るなどと聞くと、だったらまったく話が通じないなんてことがあるはずがないと信じられる。どこかの国の監督が観客の琴線に触れろと作った作品が、触れることができたのなら、それは生物学的に同じ人類だという以上に、たぶん、恋も愛もはぐくめる相手だ。

 愛しあえるということは、ケンカもできるということではある。

 だいたい、泣く演技ができるということは、かなりエンターテインメントに慣れた者たちだ。この日本でさえ、プロレスや相撲で、事前の打ち合わせがあったかどうかと真面目に新聞で騒いでいたのは、ついこのあいだのことである。本気のかわりに演技を提示するというのは、心底純真無垢なやつにはできない所行であり、それができるということは、相手の反応を予想する能力があるということで、演じる側もそれを見る側も、おおよそ嘘であることをさとりながらその演技が本気に見えれば本気と見なす、という暗黙の了解がなければ成り立たない。

 泣くふりをすれば泣いたとみなす。

 これはかなり高度な判定である。
 聞けば、泣いていないから兵士に電車を降ろされた外国人が、本気の泣き真似をしたらふたたび電車に乗せてもらえたのだとか。それはつまり、プロレスの会場で「ボクシングならグーパンチ一発でみんな気絶するのにプロレスラーはなぜ平気なの」と発言するような者は入場料を払っても入れてもらえないというようなことであり、それは嘘を嘘とわかって酔いしれたい者たちにとっては、できるならば法律で定めたいくらいの厳格なエンターテインメント享受の作法である。では、くだんの兵士たちも、自分たちの哀しみに酔いたいがために泣かない外国人に泣くことを強要したのか。いや、むしろ、彼らはその図式のなかでは、全員が演じている側にいる。

 ということは、つまり。
 この舞台を見ているのは、布団のなかの私だ。
 彼らは、私に本気を伝えたいのだ。
 なんの本気か。
 号泣とか、慟哭とかいう演技で表されるのは、シェークスピアの名を出すまでもなく、それに決まっている。

 愛だ。

 本気の愛。
 本気で愛しているという演技。
 本気で演じられたなら、それはみなして良い。
 きみたちは、本気の愛をぼくに見せたいんだね。
 うん。見た。
 なんというか、魅入ってしまった。
 ぼんやり見ていたはずが、すっかり目も醒めてしまった。

 で、つとめてぼんやりと考えた。

 きみたちの本気の愛はわかったが。
 だからなんだ。
 この劇の、目的はなに。
 私はBBCにはともかく、泣きじゃくる彼らには、なにも対価を払っていない。
 対価……演技に対してそれが発生しないのならば、たとえばストリートパフォーマーとか。道行く人、演技を見る人をたのしませる、それそのものが目的ということはありうるのではないか。
 うーん。でもなあ。
 それにしては、彼らがぜんぜん、こっちを見ていない。
 観客の反応を感じられなければ、演じる悦びも感じようがないはずだ。
 だとしたら。
 ものすごく高度なことになってしまうが、そういうことか。

 本気の愛の演技を、みずからの愛のために演じる。

 狂人のふりをする者は狂人と同じだという。
 だったらなにか死んでしまいたいくらいに忘れたいことがあって、狂いたければ、狂った演技をすればいい。事実、精神が脇道にそれていくひとのなかには、そういう道をたどっていく場合があると聞く。
 演じているうちに、演技が心に作用する。
 そこまでいくと、哲学の領域である。
 しかしまあ、自覚なく恋愛関係のなかでは発動されたりもする技ではある。
 愛する演技によって、愛を補強する。
 別れの直前には、みょうに直球で情熱的な関係が生まれたりするものだ。
 なんか嘘くせえ、と自分でもわかりながら、溺れているフリをする。
 おうおうにしてそういう場面で精神が行き詰まり、燃えあがっているはずなのに勃たないとか濡れないとかいうことが起こり、シーツを躯に巻きつけて背中を向けあって、そこでようやく、彼女はすすり泣く。で、すぐ泣きやんで、ずずっと鼻をすすって、つぶやく。

「あたしたち、もうダメみたいだね」

 わかっていたけどさ、三ヶ月くらい前から。
 その先を詰めていくと、とっくみあいのケンカになるので、互いに演じることで自覚した瞬間に、笑って終わらせるべき。そこから先は、不毛なことだから。

 ……なんてことを思った。
 だって。
 どう見たって、彼ら、自覚あるじゃない。
 いまがチャンスだと殴りつけること考えている人たちがいるみたいだけれど、そうかなあ……いまこそ、彼らの泣いている演技にのっかって、そっと手をさしのべるべきなのではないかなあ。そんなに愛にいそがしいなら、ごはんは私の家で食べなさいよ、かわりにその危ない過去は捨てちゃわない?

 こっちの提案もまた、本気の演技であれば本気だとみなされる。
 内輪の舞台が盛り上がっているときこそ、無茶な乱入劇も成り立つのがリングの掟。
 おまえたちの熱さに惚れた。
 おれたちと組もうぜ。
 おまえら悪役続けるのもしんどいんじゃないの?
 やめてベビーフェイスになるなら、客もいまなら乗ってくるって。

 見るからに窮地で。
 自覚もって自分の愛を補強する演技を自分に強要している。
 そういうやつに、だれか嘘でもいいからやさしく話しかけてやれば、意外とすんなり受け入れられるんじゃないかと……寝ぼけていたのかな……本気で思った。単純に、おなか空いている子に、良い子になるならおなかいっぱいのごはんを用意してあげる、じゃダメなんだろうか。受け入れない? そうは思えないんだけど。演技が本気だからこそ、迷いきっているのが伝わってきたんだけど。

 哀悼の意を表現するのは適切でないと某国は判断したとかいうニュースも見た。
 せっかくの号泣演技に、そういう冷めた反応返したら、もとに戻るというのがエンターテインメントプロレス大国なのにどうしてわかんないんだろうか。みなさん哀しいのですね愛していたのですね、私たちも心打たれました、泣き疲れておなかも空いたでしょう、さあこれをどうぞ!!
 とか言って餅でもバラまいたら、お返しにミサイル撃ってくるだろうか。
 そうかなあ……エンタメを理解しているように見えるんだけどなあ。

 過剰な演技で握手を求めれば、のってくる性質に思えるんだ。
 ほら、プリンセステンコーとか、アントニオ猪木とか。
 そういうのに萌えられる気質なら、過剰なのがいっそ受け入れやすいんだって。
 本気の過剰すぎる演技が、自分自身までどこまで演技なのかわからなくなったキャラでいけば、通るような気がする。それこそマクロス的に、プリティーな歌姫とかが最終兵器として機能するはず。ももいろクローバーZに「泣かないで、これ食べてくださいっ」とか踊りながら持って行かせれば、きっと食べるよ、餅。「あの怖い武器、捨ててくださいっ」……おなかいっぱいになったところでジャパニーズ萌え文化の演技過剰さの真髄をもってスカートひらりんてさせたら、黙れとかいって撃ち殺されはしない気がするんだけれど。妄想かなあ。方向性はそっちだと思うんだけどなあ……

 でも、いまいろんな国がやっているみたいに、わけがわからんことになって激しく泣き真似してる子に、良い子にならないと殴るぞとか手紙送ったってさ……ああごめんなさい良い子になります、なんて、それこそ言うわけないし、言えるわけもない。

 ノリで言っちゃえる舞台、ととのえてあげればいいのに。
 相手はエイリアンじゃないのにさ。   
 恋を描くのに恋の六角形模様を飛ばすと古くさい少女漫画の踏襲になって陳腐化するみたいに、固まった記号をなぞり続けるから、記号化されたほうも同じ演技続けざるをえなくなっている……そういうもんじゃないの人間関係って。
 いっかい、無礼講で忘年会とかやるべきなんだよ、たぶん。
 こっこっこっこっこーって一緒に踊っていきおいで「もうやめよ?」って訊いてあげたら「うん、わかった」って、ならない?
 そうかなあ……そんな簡単なことじゃ……
 ないのかなあ。



momokuroz


 


○9月11日

いよいよ涼しくなってきて、帰ってから小一時間の庭を掘る作業(バイク用ガレージ制作中につき)が習慣づいてきたのだが。暗闇で穴掘っている男の姿に気づいて通行人がひっ、と息を飲むのにこっちが驚いてしまう…

目の前通学路だし、さっさと仕上げないといつか通報されるだろう。それにしても木の根が難敵。よく映画で森で屍体埋めるのにさっさと穴掘っているが、あんなのぜったい嘘。

○10月14日

掘った庭の傾斜に土砂崩れ防止に芝生の種まいて芽が出はじめたところだったのに凄い雨。まだ根が張ってないんだよ、流れちゃわないかなあ。早くやんでほしい…

降りつづいたなあ…もうすぐ朝だ。

○11月1日

引越し後、初の水道検針でメーターが見つからず。思いっきり上に土を盛って芝まで茂らしてしまっていた…検針員のおねえさんと一緒にスコップで掘り返しました。気づかなかったのです。ごめんなさい。

お庭が土だと、よくあるんですよ。このフタ茶色じゃなくて別の派手な色にしたらいいんですけど。と言ってくださったが、いやたぶん目立たせないように気を使ってそういう色なのです。私が愚かなのです。

○11月30日

いよいよブロック塀を壊しはじめるので向かいのおばちゃんにご挨拶。ハンマーでがつがつやる音を御容赦くださいと頭を下げたら「あんたいろいろ器用やなあ、まあがんばり」って言われた。いろいろってなんだろう…

○12月9日

ブロック塀破壊中。駅前で人通りが多いので音も粉塵もひどい電動工具は断念。結果、ハンマーとチスで庭の側から根気作業。ブロックに隠れて私の姿は見えないから、激しい打撃音にみんなキョロキョロしている。

○12月11日

ブロック塀との戦いで右足をぐねる。インドメタシンとロキソニンでなんとか一日のりきったが…紫色。あのブロック野郎、粉になるまでくだいてやる。 


twitter / Yoshinogi

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 というわけで最終戦。
 たかだか10kgの軽量ブロックが、縦に六段横に三列。
 総重量は鉄筋抜きでおよそ180kg。

 去年だったか、GAORAFIGHTING TV サムライで観たグリコのパワープロダクション提供大会で、新日本プロレスの中西学選手がベンチプレス180kgがマックスだった。ちなみにその大会で優勝したのは、全日本の近藤修司で225kg。近藤修司は、ジュニアヘビーの選手である。つまりは、100kgも体重がなくたって、200kgは持ち上がるのだ。

 となれば、私がしようとしているのは、ベンチプレスではなく、たんなる横方向への移動である。180kgごとき、動かせないでどうする。

 とか思って、ふんっ、と力を込めてみたら、持傷の右足甲がまたピキっていった。忘れてた。筋力の問題ではないのだった。私の中足骨はなんどかの骨折によって、強くなるどころか脆弱きわまりないことになっている……紫色のアザになるわ、足全体が腫れるわ。もう何度もやっているので病院にも行かず、ツイッターの通りに痛み止め飲んで、鎮痛剤塗りたくって、それでもあきらかに脚を引きずっていたので職場で迷惑をかけたよごめんなさい。あ、店員さんだ、あの棚のうえの商品、ラダーにのぼってとってくれない? と笑いかけてくださった彼女の顔が「あ」となるのを見るのはつらいものです。

 というわけで。
 これからブロック塀を破壊するあなたに伝えるひとこと。

 おうちゃくしないで割りましょう。

 大阪の商店街を歩いていると、ぜったいに近所に住んでいるのに、ありえない量の荷物を自転車に積んでそのうえ片腕にまでビニール袋を下げ、のろのろと走るとは呼べない速度で進んでいるおばちゃんを見かける。どう考えても、半分の荷物で、すいすいと運転していったん家に帰り、もういちど買い物に行ったほうが早いのに、おばちゃんの頭には一日に買い物は、出かけたら帰ってオシマイのこと、という呪文がかかっているらしい。

 おなじこと。
 ブロック塀は、つなぎ目で簡単に割れます。
 ハンマーとタガネ&チスがあれば、180kgの壁なら三十分もかからない。
 あとは10kgのブロックを十八回、どこかへ運ぶだけです。
 180kgをどうこうしようとか、半分に割って90kgならアルゼンチンバックブリーカーできるかなとか、プロレスファンはなにか自分の限界を試さなくちゃいけない呪文を鼻の奥にかけられているのですが、それは醜くて愚かしいおばちゃんの買い物自転車なのです。
 で、あげく転んでケガをする、と。
 もうほんと、あなたがブロック塀を壊したくてその方法をググってここを訪れたのなら、悪いことはいわないから業者に頼みなさいなんて、そんなことは言いません。ぜひとも近所のホームセンターで、ハンマーやらブルーシートやら買って自力で挑んでみてください。純粋に楽しい作業でもあります。でも、ともかく、180kgとかってアンドレ・ザ・ジャイアントとかビッグ・ショーですから。ああいうのにフライングボディアタックとか受けて、死なないのは受けている選手もファンタジー世界の住人だから。私たちは生きているのです。だから自分の体重の二倍とか受けとめたら、骨がバキるのです。そのことは肝に銘じて。

 映画『告白』で、推定3kgほどの角張ったトロフィーで頭をかち割られる少女という幻想的シーンがありましたが、あれを見たとき私は「女の子はすべすべしていて気持ちのいいものだから殺しちゃダメだよなあ」と思ってしまいました。だったらすべすべしていなくて気持ちが悪ければ殺してもいいのか。私は私自身の基準について深く考えました。観る者にそういうことを考えさせるのは、いい映画です。あのとき、確か、それにしてもそんなトロフィーごときでそこまで流血するかねと大日本プロレスファンのひとりとしての感想も持ったのだけれど、いま思えば、重量よりも角度なんですよね。鋭角なもので殴ればがっつり血を噴くものである。10kgのブロック一個なら、ヒトは殺せます。首の据わっていない赤ちゃんは抱きにくいと言いますが、10kgの米袋が足に落ちても大丈夫だけれど、首の据わりきったブロック野郎が鋭角に攻めてきたら、首だってもげます。

告白

BJW

 ……ふーむ。
 まったくなにを書いているのかわからないことになってしまっているけれど、ともかく、私は後悔しているのです。
 あなたは、やめておきなさい。
 地面に横たわっている180kgでさえ、あなどってはならない。
 ぜったい安全な、小指で勝負できるサイズまでやっつけるべきです。
 空手家とか、よく素手でブロック割っていますけれど。
 軽量ブロックって、そういうものです。
 人間の骨ごときでも割れる。
 まして鉄のタガネやチスなら、瞬時。
 うん。わかっていますよ。
 問題は、目の前に180kgのもの言わぬ自由に戦える敵があるとき、それを持ちあげたい、生身で粉砕してみたいという欲求に、勝てるかどうかなのですけれど。
 自制することをオススメします。
 少なくとも私は、職場では安全靴を履くプロとして、足どうしたのと訊かれても、ブロック塀と戦って負けたなどとは言えませんでした。ちょっと足首グネっちゃって。いやもう平気なんだよ、気づかってくれてありがとう。
 なぜ勝ったところでなにも得られない戦いに挑んで勝手に負け、それ以上訊いてくれるなと唇噛んで涙をのまねばならぬのか。
 アホなことは、やめておくべきです。

 これくらい書けばもういいか。

 私があなたに伝えたい注意点。
 まず、電動工具を使うと、町内一帯が粉塵の白煙に包まれます。洗濯物とか、道行くひとの高そうな上着とか。そんなものを汚した大罪で裁判がしたくないなら、手作業にこだわるべき。ブロック塀のなかには(正しい施工が為されているなら)縦横に鉄筋が走っているはずですが、それらもタガネで叩ききれます。スライドさせる空間の余裕があれば、100均でも売っている金鋸でギコギコやれば五分ほどの仕事です。

 そして、倒したあとも、時間をかけるのをいとわないこと。これくらいの大きさで持ちあげて運べるだろう、という大きさのさらに半分にまで加工しましょう。特に日常的に汗をかきなれているひとこそ、みずから発するアドレナリンに気をつけるべきです。思いのほか、作業は楽しい。で、いつのまにか汗みずくになって、休憩も忘れ(私などの場合は目の前が大通りなので、通行人の目もあるため、なるべく集中的に片付けたいという思いもありました)、気がつけば、うりゃあっ、などと奇声を上げて、自分の頭上にブロックを持ちあげていたりするのです。そして、自分がやれると思っても、腕が重くてパンチが出せない瞬間は突然に予告なくやってくるというのは、ボクシングの試合を観たことのある方ならご存じのことでしょう。
 足の甲の骨が、突如、ぴきっ、ということもあります。
 その骨は、疲労骨折で折れることでもよく知られている。
 ヒトは、踏ん張ったり、行軍したりで、自分の筋力を使って自分の骨にヒビを入れられるのです。
 お気をつけあれ。

 逆に言えば、二十個程度の軽量ブロックで構成されるブロック塀が、手作業で壊して楽しい限界でもある。それ以上になると、倒れた重量で地中のガス管を破裂させる(たいていの住宅の庭にはライフラインが走っているものです)なんてこともありうるし、粉塵は出ないかわりに、ハンマーとチスは、かなりの打撃音を放つ。一週間も続ければ、私の住む街ではだれかがまちがいいなく通報します。ていうか、私は作業二日目で、恐ろしく太った婦人警官さんに、家の前に陣取られメモを取られまくりました。話しかけてはこないのがまた怖い。単純に、だれも通報しなくたって、界隈の派出所に打撃音は聞こえるわけで、この国の優秀なお巡りさんは音の出所をわざわざ見に来るのです。ちなみに私は以前、そのビッグボリュームな婦人警官さんが、信号機に取りつけられている鉄のボックスに耳を当てているのを見たことがあります。いつもと違う音がしたのでしょうか。絶対音感婦警さんなのかもしれません。だれがなんのために駅前の信号機に爆弾を仕掛けるのかはわかりませんが、ブロック塀を殴る音でもちゃんと見に来てくれるということは、ここに駐める私のバイクも彼女に守ってもらえるということだなと安心した次第であります。

 そしてその後のお話ですが。

 その後といっても壁を撤去したその日。
 ぎりぎり午後五時過ぎで市役所に電話したら「じゃ、いまから見に行きます」と言われて、本当に三分で作業服の担当者二人が見に来てくださったのですが。
 家の前に溝がある。
 側溝というやつです。
 これを、バイクが渡れるようにフタしていただけませんか?

「ここが境界線なんですよ」

 と、そのかたの指し示したのは、いま私の倒して片付けたブロック塀の端から、本当に十センチもないところ。そこまでなら市の仕事として溝にフタをするのだけれど、ミンセイ? とそのかたは言っていたんだが「民製」と書くのだろうか。ともかくこのラインからは溝もミンセイのもので、つまりはそういうこと。

「ご自身でがんばってください」

 あーそうですか。
 面倒くせえ。
 げんなりしていたら、そのかたがおっしゃった。

「でも、この工事ひとりでやったんでしょう? キミなら、そっちがよかったかもしれないですよ」

 キミってあなた。
 どうも、作業服を着たひとは、コンクリートと戯れる相手を仲間だと認識するらしい。なんだよ、ここだって市内なのに、市民税払っているのに。引っ越してきたばっかりだけどさ。

「もしもこれが市の溝なら、フタはしますが、この段差だとなにか置かなくちゃならないでしょ。それって、使用料が必要になるんです」

 なに?
 なんというか、税金もらっているのにとかいう視点ではなく、道路も溝も、造って管理しているのはこっちなのだから、使うなら金払えという図式があるのだという。

「ですが、ここならお好きにどうぞ」

 言われてみると、私が自分でやるなら、鉄板置いておしまいとか、そういうつまらないことでは気がすまない。段差プレート加工してなめらかスロープを作るか……市役所が勝手にやれと言ってくれたのだから、これはこれで良かったのかもしれない。

 ありがとうございました、と残業になってしまったはずの市役所の方々に礼を言い、掘られた庭と、なくなった壁と、痛む足と、溝を見る。
 疲れた……
 もう冬だ。
 しかし、次の買い物で、いよいよこの件にはけりがつくだろう。

 という報告の今回でした。
 そんなこんなで、180kg程度のブロック塀を壊すために必要な買い物リスト。

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○材料

石頭ハンマー 1.0kg

hammer

タガネ

hammer

チス

hammer

 これで必要充分。
 もちろん、ブルーシート、革手袋、防護眼鏡などは欲しいところ(私は、ふだんはもう着けなくなった古い眼鏡を破片飛び散る作業のときには着けるようにしています)。
 あと、チスを尖らせるのに、電動ドリルと回転砥石があれば便利。砥石や金ヤスリで、手で研ごうとすると、超合金の超の字の意味を知ります。180kgくらいなら、一気にやっちゃえば、研ぐ必要さえないかもしれませんが、私の場合は、今回撤去した壁には続きの壁があり、そちらは壊さないように最初に丁寧な仕事でハツっていったため、研ぎ道具は必須でした。鉄筋もタガネで切るなら、それはもう手作業で研ぐのは心が折れるほど刃が欠けますから、電動工具はあったほうがいい。

 一家に一台、ドリルです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ドリルは穴を開けるために』の話。

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(↑このときに作ったスロープは、角度がありながら勢いをつけすぎると家につっこむため、低速での厳格な坂道発進を要求され、夜間にはちょっとばかりやりすぎな爆音を発してしまうことが私の繊細な心を悩ませ、けっきょく、ブロック塀を壊してのよりなだらかな駐車スペース作りの今回へと発展したのでした。なので、いまもまだ遠い実家に愛車は眠っている。キャブレターのガソリンが心配になってくる期間になってきました)

 といったあたりで、足も痛むのでさようなら。
 せっかくガレージも完成するのに、シフトチェンジできない足に……これが治るころには正月かなあ。思えば、今年の正月、実家にバイクで帰って凍結カーブですっころんだんだよなあ……

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『折れたペダルの応急処置』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 思えば、今年、この右足は三回目の引きずっているモード。
 二回目もバイクだった(階段をのぼらせてみたら足が挟まりました)。
 考えてみたら、今年は一年の半分以上、右足をかばって生活していた。
 そしてたぶん、痛むまま年を越す。
 頑丈なブーツでも履けばいいんでしょうけれど。
 私のなかで、アメリカンバイクは素肌に革ジャケットとか、やっぱりそういう乗り物で、身を防護するいかにもバイク乗りな装備とか、イヤ。峰不二子とか林白龍みたいなツナギ着てバイク乗るくらいなら、全裸にヘルメットのほうがマシ。
 安全靴さえ我慢ならない。
 あの、右足の感触こそ、このオートマチック時代に排ガス規制前のミッション車に乗る魂だと……そんなに大げさなことではなく、基本、ちょっと買い物に行くくらいでしか乗らないので、普段着で乗ることを自分に禁じたら、もうバイク乗りそのものをやめそうな気がするからスニーカー乗りなんですけれども。

 来年は、ていねいに生きよう。
 痛む足にインドメタシンを塗り込みながら、ため息つきつつ思う年の瀬です。

Concreteblock

(↑壁の内側から、錆びた鉄筋をタガネで叩き切ったところ。町内がうちふるえるような激音を数十回の果て、ふと抵抗がなくなったあの瞬間の絶頂感に、私はアヘ顔をしていたことでしょう。仕事で、機械を使って鉄筋を切ったことは何度となくあるのですが、ハンマーとタガネでは初めてで……これは格別でした。全力でなにかを終わらせる快感を堪能できます)