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●笑顔の起源と呼ばれる。

「はい! 早押しを制したのはヨシノギさん。答えをどうぞ!」

「辛島美登里!!」

「ぶっぶー。不正解。問題を最後まで聞きましょう」

●かつては生後三ヶ月までの人類ヒト科のみに見られるとされてきた。

●近年では胎児の時期から一歳すぎまで。またチンパンジーを含むヒト亜種にも見られることが報告されている。

 正解は、自発的微笑。
 ちなみに私とはまったく無関係なフィクション上のクイズ回答者ヨシノギさんが先走り聞き間違え誤解したのは「昨年発売された柴咲コウのカバーアルバムに収録されている「笑顔を探して」のオリジナルを歌ったのはだれ?」という問題。だったらば辛島美登里で正解。テレビアニメ『YAWARA!』の2代目エンディングテーマ。

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「なんの夢を見ているのだろう」

 眠る子が笑ったり泣くのを見て、大人は思う。
 私も思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・そんなで一歳になろうとする息子が、近ごろ夢で泣いて起きるようになったのだけれど。特撮の怪人もまだ怖くなくて笑う、恐怖の概念が「失う」ことしかない子が飛び起きる悪夢って…きっと目の前で父たる私が破裂して消えるとか、そういうことなんだろうなあ、と、ひしと抱きつかれながら想像する。

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いやたぶん、泣くのもそんなに具体的な人肉破裂遊戯的なイメージはなくて、曖昧模糊とした不安のようなモノの気配とかそういう……言葉が生まれてヒトは哲学できるようになったというけれど、そのかわりにナンヤシランケドザワザワスルみたいなことを感知できなくなった面もむろんあるので、幼子の寝て泣くなどというのは、悪夢というかは海流に翻弄されて前後不覚になったクラゲの酩酊みたいな原初の恐怖感の遺伝子記憶のごときものなのでしょうが。

 笑顔となると、これはもう。

 意味がない。

 そうなのではないか。
 という話をします。
 それは、自発的微笑と呼ばれる。

「なんやしらんうれしい夢でもみとるんかなあ」

 と少女の抜けない曾祖母などがのたまいますが、自発的微笑が生理的微笑とも呼ばれるように、それは生理現象であって、模倣ではないというところが論点。新生児の目なんてほとんど見えていない。それどころかエコー技術の発達で、自発的微笑は胎児にも見られることが判明している。胎児がだれかの笑うのを見てそれを真似たのならば、前世の存在から論じなくてはならなくなる。さっき遺伝子記憶がなんやらぱーとかエセ宗教めいたことを口走ってしまったけれど、いまここで、それは論じない。

 真似ではないのだ。
 なんやしらんがニマッと笑うのは、本人もなんやしらんとやっていることなのだった。生まれたばかりというものは、生きるか死ぬかの瀬戸際。そんな時期に、貴重なエナジーを消費して、なぜ笑う。

 もっともらしいことが言われてきた。
 大人の真似でないのならば、前述のように「意味がない」と断じてよさそうなものだが、男の乳首はなぜいまだに存在するのかという問題のほうがよほど研究のしがいがあると思えるのに、探求者たちは自発的微笑に意味を見出そうとする。

「周囲の大人を萌えさせるために違いない」

 笑う子は可愛い。可愛いと守られる。だから笑う。うれしくもなく、なにを感じたからでもなく。定期的にニマッとしておけば、少女趣味な婆ちゃんが「ウチのひ孫は東洋一のべっぴんさんやよってにー」などと喜色満面で、学資保険など積み立てはじめてしまう可能性が上がる。積み立てようとしたものの、祖母では積み立てられませんと門前払いされて、タンス預金に切り替えるかもしれない。そういうことをすると、また大地震が来て火事でぜんぶ燃えたりするのだということを、ヒトは十年も経てば忘れる生き物なのだ。なんにせよ、将来の遺産のために赤子は自発的微笑を浮かべるという小説が、支持を得た。

 得た、時代があったのだが。

 ヒト亜種。
 チンパンジーも、それを浮かべるということがあきらかになり、風向きが変わる。チンパンジーの子がチンパンジーばあちゃんを萌えさせても、学資保険もタンス預金遺産も期待はできないので、どうもおかしなことになってしまうではないか。

 そんな、もやもやする自発的微笑問題をコネコネしていた先月、京都大学の研究チームが、決定的にとんでもないことを断言した。問題。「決定的に断言する」というのは間違った日本語の使いかたである。マルか、バツか。

 ニホンザルの赤ちゃんにも自発的微笑が確認されたのだそうだ。それも一匹二匹ではなく、すべてのニホンザルの赤ちゃんに、である。

 チンパンジーが浮かべる笑いなんやから、ニホンザルも浮かべるのと違うん? というヒトはサルのことをよくわかっていない。

 チンパンは、霊長目ヒト科チンパンジー。
 ゴリ先輩は、霊長目ヒト科ゴリラ。

 ニホンザルはサル目サル団サル的サルの子もサル。
 どこまで行ってもさかのぼっても、サル以外のなにものでもなく、ヒトという文字といっさいかかわりあわない。つまりヒトではないし、じっと待っていてもヒトには進化しえないサルだ。

 サル公が、萌えを理解しているはずがない。
 萌えさせるために笑む、という高度な媚びを生まれながらに発揮してピンドン開けさせようだなんて、画策するはずがない。
 できるはずがない。

 この問題に、萌えを理解しないニホンザルという純粋なサル野郎が絡んできたことで、話が一気にややこしくなった。

 萌えを理解しないのに、サルの子が浮かべる自発的微笑も、ヒトの大人が見て「萌えー」と発声してしまいそうな、ヒトの子が浮かべるそれと同じ、ニマッ、だったことも問題となる。ヒトが見て、つられて微笑んでしまいそうな、微笑と感じる微笑をサルが浮かべているのである。

 サルの大人は微笑まない。
 ニマッ、ではなく、ウキキキッ、がサルの笑いだ。
 サルの代名詞と言ってもいい。
 口を大きく開けて、歯を剥き出しにする。
 映画『猿の惑星』では、サルは歯を剥き出しにして笑うものなのに、ニヤリと人間のように笑うというところで、不気味さを演出していた。それくらい、サルの笑いというのは、ヒトのそれとは根本的に違う。

 ヒトのおっぱいはケツである。

 サルは赤く発情したケツを異性に向けることで「ここへブチ込んで孕ませて用意はできているわ」と意志表示していたが、ヒトへとメタモルフォーゼする過程で二足歩行になりパンツを穿いてしまったので、異性にケツを向ける習慣もなくなり、かわりにおっぱいをケツのように膨らませて、頬を桃色に染めるようになったとされる。そのおっぱいをまたさらに進化すると乳バンドで覆ってしまったというのは、進化なのか退化なのか再度議論の余地があるところだが。ここで、それに関しては触れない。

 ともかく、サルの笑みには奥ゆかしさがない。
 笑って媚びを売るにしても、相手が誤解など絶対にしないレベルで、大口を開けて歯をすべて見せて、声まであげる。ウキキキキッ。そこで初めて「おおそうかぬしはかわゆいやつよのお」となる。サル業界で、歯を見せずに口角を上げた、ニマッ、程度の微笑では、笑いと認識されないはずなのである。

 事実、ニホンザルの親は、我が子の自発的微笑に気づかないという。たまたま目にしても、歯をむき出していない、ヒトみたいな微笑を、笑いの一種だと気づくこともできないのだ。

 となると。

 ヒトと、チンパンジーと、ニホンザルの、自発的微笑が似通った表情であるのに、ヒトのそれがだけが「萌えさせるため」だという説は、成り立たなくなると考えるのが、道理であろう。

 困ったことになった。

 クイズの正解は、笑顔の起源と呼ばれる自発的微笑だというのに。

 ちなみに、前述の京都大学チームは、このことについて「グリメイスを作る際に必要な頬の筋肉の発達を促している可能性」があると考察している。

 グリメイス、とは「服従の表情」のこと。歯を見せてウキキキッ、のこと。あなたさまにはかないません私はクソ虫ですどうぞお好きにあつかってください、という媚びへつらうための笑みのことである。サルには猿山文化があるため、猿山のボスに取り入るための最低限必要なグリメイスな笑みが浮かべられないと、ハブられて生きていけなくなる可能性が高い。そのためにサルの赤ん坊は、物心つく前から、歯を剥き出しにして笑うための頬筋を無意識に鍛えはじめているというのである。

 ……苦しい解釈ではないでしょうか。

 と、私は思う。
 それに、サルの自発的微笑が、いま目の前にいる大人ではなく、未来のボスに対する媚びの自主トレーニングだとすると、ヒトの自発的微笑とはまったくの別物であると言わざるをえない。ヒトの社会は、媚びるよりも他人を威嚇することの上手いヒトのほうが生きやすい。自主トレーニングならば、眉間に竹内力的タテジワが入れられるよう眉根と眉根を寄せたりするべきだろう。自発的メンチ切りをヒトの赤ん坊は胎児のときから浮かべないとおかしい。

 やはり、自発的微笑は、微笑そのものなのではないのか。

 外的作用を狙ってのものではない。
 つまり「意味のない」。
 本当に、純粋に、赤ん坊のなにかに対する「反応」であって、少女趣味な曾祖母の思わず口にした「なんやしらんうれしい夢でもみとるんかなあ」が、正解なのではないのか。

 サルの大人は、サルの子の微笑みを笑みと認識できない。
 それなのに、サルの子が自発的に笑むのは矛盾しているというロジックも、見かたを変えれば、いつかヒトとは別れたサルも、根っこのところでは同じ漠然とした夢のようなものを見て微笑んだりするのだけれど、サルとしての進化の道を選んだがゆえに、サルの大人になると、そのことを忘れてしまうのではないのか。

 遺伝子記憶……おっと、また言ってしまった。

 でも、ヒトが、海流に翻弄されて前後不覚になったクラゲの酩酊みたいな原初のたゆたいを、言葉をおぼえると忘れ去って想像もできなくなってしまうのと同じように。

 自発的微笑は、ヒトもサルも、物心つけば浮かべなくなる。

 忘れる前の、分岐の前の、それだけがあったころの、なにかを赤ん坊だけがいまもまだ見ることができて、それで微笑んでいるのではないか、と。

 思いながら、眠る子の微笑みを見る。
 息子は、一歳を越えた。
 研究によると、そろそろ自発的微笑を浮かべなく……浮かべられなくなるころである。遺伝子記憶を……まあ、もういいか。遺伝子記憶を、生身のヒトとして生きるために忘れる時期に達してしまった。クラゲのではない、生身のヒトの悪夢を見て枕を濡らして目ざめて天井を見つめてぼくはいまここでなにをしているのだろうと呆然とするような、ヒトの基本的いとなみを身につけてしまった。

 意味のない微笑を、浮かべられなくなってしまった。

 ヒトの人生では、すべての表情に意味がある。
 眠っているあいだの、ふわりと浮かべた、それでさえ。

 だから逆説的に。
 胎児の浮かべる微笑に意味を見つけようなどとするのは、いらんことではなかろうかと感じてみたりする。おれに媚びてんのかよとか、歯を剥き出すトレ-ニングなのかよとか、そういうふうに受け止めるほうがどうかしてんじゃないのかよ、と。

 なにか、私の忘れたなにかを感じて、微笑むことができるんだよ、こいつは。

 それが正解。
 けっこう自信がある。

 笑顔の起源。
 実は退化なのかも。
 別にうれしいことなんてなくても、なんとなく微笑むのは、自然なことではないでしょうか。生きているんだし。なんで微笑んでいるのかなんて、微笑みが心の底からわきあがってきたからってだけでしょう、本来は。

 意味をさがさずにいられないヒトが、愚かしい。
 気にもとめない、サルの愚鈍は、いさぎよい。

 なんか笑っとるわ。
 さえ、いらない。
 まだヒトにもサルにもなっていないから、笑んでいるだけじゃないの。

 最初にあるのが、それだってこと。
 遺伝子の基本情報が、微笑みってこと。
 ヒトもサルも、ややこしい部分をぜんぶそぎ落としたら、それだけが在るってこと。そうして生まれて、忘れて生きて、またもどるときに、思い出してニマッとできたら、このうえなくうるわしい。




liquidcrystalline01.jpg

わかりにくいですが。
起動させテーブルに伏せた
カメラです。
レンズが覆われているので、
液晶は闇。
そこに写り込む天井。
二本の白いのは、
直管蛍光灯型LED。
場所は某事務所。
それはまあいい。
問題は。
黄緑色の直線。
これ、なにかが、
写り込んだわけではない。
いわゆるドット抜けの、
上から下まで直線抜け。
液晶の不具合。
抜けていると言うけれど、
正確には点灯しっぱなし。
仕様はTFTカラー液晶。
薄膜トランジスタ液晶。
RGBのドットで構成される。
R=赤
G=緑
B=青
色からしてなんだろうか。
緑が点きっぱなしなのか。
修理に持っていきました。
今年の三月に買ったばかり。
当然、訊かれます。
「落としたりしていませんか?」
していませんよ。
今朝、電源入れたら、こうだ。
撮った写真に線はない。
純然たる液晶の不具合。
あずけてきました。
二週間はかかるという。
月に数千枚撮るのです。
二週間で数百枚?
ごそっとアルバムに空白。
そんなわけにはいかないので、
古いスマホを持ち出してきた。
Windows Mobile 7だ。
OSは古いが良いカメラの機種。
しかし最新のデジカメには、
やっぱり劣りまくる。
あらためて、いやもうほんとに。
新しい機械の有能さったらば。
二週間、たった二週間。
でも違和感が耐えがたい。
でもストレスが半端ない。
便利さに慣れると、戻れない。
機械は壊れるもの。
だから保証期間もあって、
ちゃんと直してもらえる。
けれど時間はそのあいだも過ぎる。
こんな時間を過ごさないために、
新しいカメラを買ったのに。
慣れたがゆえに、ないと辛すぎる。
愛するものはふたつ持つべきだ。
などとは思わない。
待つ間に愛は深まってゆく。
だがしかし。
待つ間、そう感じるのは仕方ない。
こんな想いをさせやがって。
なんで離れたりするんだよバカ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今年の、まだ春が来る前くらいに買いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『IXY DIGITAL L2の最期』のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 セルフ引用しますと、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 よく動いてくれた。
 大げさでなく、私の人生の一部だった。

 ありがとうCanon IXY DIGITAL L2。
 撮れなくなったけれど、棚に飾っておく。

 ちなみに、昨年モデルの処分品を見つけてしまった私がスルーした、最新今年モデルの出たばっかりIXYは、IXY190。

 きっと、こちらを買っていたら、さらに一年分、なにかが進歩していてもっと満足できたのかもしれませんが。十年ぶりだったので、私は室内で子供を撮ることなんてほぼ不可能だった手ブレ補正なしのCanon IXY DIGITAL L2での悪戦苦闘が嘘のように、フラッシュなしで室内で動く彼の顔をブレずに写してくれるだけで、新しい愛機を抱きしめたい。

 新しいカメラは、古いカメラの死を、一瞬で乗り越えさせてくれた。
 これでまた、ポケットに世界を切り取る道具を入れて彷徨ける。
 切り取るために、切り取れるなにかを探す日々が続く。

 よく言われること。
 しかし、己が身に起こらないと信じられない。
 あんなに好きだった相手の替わりはいないと信じていたって、新しい相手が見つかれば、忘れられないにしても過去は過去になる、という事実。
 こういうのを、しあわせというのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まとめ。

●長年の相棒だったIXY L2が大往生を遂げた。

●最新式のIXYはIXY 190。

●しかし性能的には上位機種である昨年モデルのIXYが処分価格だったので、私はそれに飛びついた。

●結果として大満足である。

●液晶壊れた。

 そんでまあ、半年も経っていないわけですからな。もろちん、購入したお店に持っていきますわ。というのが、冒頭写真文に至る経緯なのですが。

 二週間も待ちませんでした。

 数日後に、お嬢さんからお電話。

 わたくしごとですが、わたくしは安い輸入家電などを大量に売っている店で働いておりまして。そういう輸入業者さんというのは、国内でモノ作っているわけではなく、できあがったのを仕入れて売っているだけなので、修理を依頼しても「できぬ」という返事が多いのは身に染みている。できぬのでどうするのかといえば、新品交換。これもう私がハンダ付けして十秒で直してもいいんだけど、と思うようなのも、巨大な機械まるごとを交換して、不良品として返品する。ほんと運賃の無駄だと思うのですが。

「新品に交換させていただきます」

 ……おっと。ウチの店みたいな。
 と、思った。
 天下のキヤノン(ヤは大文字)さんが。
 そうですか。
 まあ海外工場ですしね。
 やっすいパチモンメーカーみたいな対応のように感じるのは、私が日々、そういう仕事をしているからであって、二週間かかるというのが、すぐ戻ってくるならそれに越したことはないですよね。

 うんうん、と自分を納得させていたら。
 思わぬ申し出が、続いたのでした。

「ただ、そのモデルがすでに生産終了で、今年のモデルになるのですが」

 ああ、まあ、それもよくある話だよね。
 でーもんそうなると、日々、自身もそういう仕事をしているから、知っていることがある。

 大きな声では言えませんが、大抵のメーカーさんは、売れた商品を、お値段据え置きで一年後にモデルチェンジするとき、型番だけを変えるのではない。よく売れる良い商品こそ。売れるから、コストカットが進む。具体的な例をあげるのはアレなので言葉を濁しつつ、しかし某画期的コーヒーメーカーの、数年前のモデルから一年ごとに金属部品がプラスチックに置き換わっていって、いまや金属の部分をさがすほうが難しくなってしまった様子は、私を毎年、身悶えさせた。だって、昨年モデルだから処分価格で棚に置くのだけれど、あきらかに今年のモデルよりも昨年モデルのほうが、大事な部分が金属で頑丈なのである。お値段据え置きだけれど、昨年モデルが残っているのにニューモデルなんて買うんじゃないよお客さーん。と言いたくて仕方なくなる。

「仕様はほとんど同じなんです。Wi-Fiがより簡単に使えるように便利な機能が追加されたくらいで」

 ちょっと待ってスペック見るから。
 そう言ってお嬢さんを待たせて、目を見開く。
 なにも見落とさないように。

 しかし、これ、見比べて一瞬で気づくことに。
 双子機だ。
 まったく同じ外観だ。
 いやまてでもだったら、なぜ型番を変える必要がある? ああそれか、いま彼女の言っていた、無線が使いにくいという顧客のフィードバックを素早く反映させた、良い意味でのマイナーチェンジなのか。

 信じていいのかキヤノン(ヤは大文字)!!

 ……なまじっか、信用ならない一発屋な輸入業者さんとのつきあいが濃密な職業人であるために、廃版にならずモデルチェンジで新型を生産するのに、こっそりコストカットしないという美談が信じられない。

 でもそれが本当ならば、私はIXY最上位機種を昨年モデルだったから最新機種よりもずっと安く買ったのに、数ヶ月で、さらに新しく出た最新の最上位機種に無償で交換してもらえてしまうということだ。

 なんかもう、故障バンザイという話だ。

 ていうか、直せないと言っていて、新品交換以外の手段は返金しかなく、どう考えても処分特価の金を返してもらうよりも、最新最上位機種を貰うほうが、お利口さんであろう。

「じゃあそれで」

 さらっと、色の変更もできますけれど、ブラックのままでよいですかと聞かれる。ままですよ。選んで買ったのですよ。昨年モデルで処分特価で、ブラックしか残っていなかったからではないですよ。私は黒色大好きだから、処分になっていてもシルバーしか残っていなかったら、こいつを買いませんでしたね。処分価格で買ったからって、ぼくの彼への愛を舐めるな!

 ……そんなことは、どうでもいいので語りませんでしたが。

 ともあれ、彼の不在期間は短く。
 仮面ライダーショーの撮影会にも、まにあう速度で帰って来たのでした。

 そして、納得する。
 安心もいたしました。

 最初に見たときはキヤノン(ヤは大文字)さんは、修理交換用に特別なパッケージを用意していて、こんなに小さいのかとびっくりしたのだけれど、検索かけてみたら、どうもこれが製品版らしい。

 とき同じくして、修理に出して新品交換で戻ってきたKATANA02の写真と並べてみましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『プラスワン・マーケティング FREETEL KATANA02を修理に出す』のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

KATANA0208.jpg

 同じ箱ふたつ。
 そうなるものだと思っていたら。
 IXYの場合には、こう。

liquidcrystalline02.jpg

 当たり前ですけれど、中に入っているものはまったく同じ。

 ああ、なんだかキヤノン(ヤは大文字)さんのスゴさを感じた。この文字列は、今回の記事のなかで二度目の使用です。

 運賃の無駄。

 そこがコストカットされている。
 中身同じで、箱のサイズが二分の一になれば、運賃は二分の一で済む。コンテナに二倍量を詰め込めるのだから。売れている商品だからできるワザ。値段を据え置くために、金属部品をプラスチックに変える必要はなくなる。

 Amazonさんでも、外箱の写真なんて載っていませんし。

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 小売店でも、箱見て買うひとなんていないでしょうから、小さくできるならば小さくしてよし。いっそ、なぜ昨年モデルはそんなに大きな箱なのかってくらい。

(キヤノンさんはウチみたいな店にも、カメラのモックを送ってくださいますが、よくディスカウントストアなどでは箱でカメラが売られていたりするので、そういうリアル店舗の多かった二十世紀の慣習なのかも)

 まあね。
 それはつまり昨年モデルと完璧な双子機で、だったらいちど壊れた液晶がまた壊れることだってあるということを指し示してもいるのだが。それでも。

 スペック表で気づけなかった、実物を目にしたら「ああ、ここの部品が前のモデルよりも劣化している……」という、販売員くらいしか気づけないだろう小さな劣化を修理に出したがゆえに気づいて哀しくなる、という最低な事態は避けられたことに、ほっとしたのでした。

 さすがキヤノン(ヤは大文字)さん。
 失望させぬ。



 2016年8月2日。

 言わずと知れたWindows10 バージョン1607-Anniversary Updateの配信開始日だったのですが。言わずと知れたことにWindows10は、すでに世界中の三億台以上のマシン上で動いているわけで、いくらマイクロソフトのサーバ能力が超次元的であっても、8月2日が来たぜ三億台どんとこい! なんて自殺行為に走るわけがなく、ここは日本。Anniversary Updateでは、WindowsとXboxとの融和がさらに進むというのが売りなのですけれど、今週は日本全国で数十台しか売れていないXboxOne。そういう配信してやっても、待ってたぜマイキー! と叫んでくれない国のユーザーたちなど、後回しにするのが必然。そのうえ順番待ちの列は聞くところによれば新しいマシンが優先されるという噂。

 これ書いている私の愛機なんて、最後尾だ。たぶん。

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『このディスクにWindowsをインストールすることはできません。』の話。

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 チクショウ、ウチには来ないAnniversary Updateのニュースばっかだな、と個人設定で取捨選択されたニュース群の、ほかの記事に目を通す。

 2016年8月2日。

 大阪府が「大阪版健康・栄養調査」を公表した。

 ほほう。
 見出しがイカしている。

 『府は「炭水化物の重ね食べは大阪文化で改善は難しいが、バランスの良い食事を心がけて」と呼びかけている。』

 ほほう。
 炭水化物の重ね食べに顕著なデータが?
 それは、生まれは明石焼きの国で、母の実家は広島焼きの国というハイブリッド現大阪人として、たしなみ読んでおかなくては。

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『お好み焼きの焼きかた』の話。

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 読んでみて、うん? となる。

●「大阪版健康・栄養調査」は2015年の暮れ二ヶ月で、府内1564世帯の18歳以上を対象に記入式のアンケート形式でおこなわれ、計1858人から回答を得た。

●「米・パンと麺類や粉もん(お好み焼き、たこ焼きなど)を一緒にどのくらい食べているか」という問いに対し、男性は約27%、女性は約26%が、1日1食以上、重ね食べをすると回答した。

●体格指数(BMI)が高いほど、重ね食べをする傾向にあり、BMI25以上の「肥満」とされる男女では、男性は約70%、女性は約56%が、週1食以上重ね食べをすると回答した。

 ……この調査、難が多くないか。

 まず、大阪府の調査なので致し方ないところがあるとはいえ、府内のみから回答を得ていて、他県との比較データが皆無である。これでは新聞見出しになっているキャッチーなみんなの関心ごと「大阪人はコナモンで白米を食う」の、肝心かなめな「大阪人は」の部分が、立証されているとは言いがたい。

 そのうえでさらに、この調査方法と結果を読んだとき、私の頭には、とある光景が浮かんだのだった。

 問いは 「米・パンと麺類や粉もん(お好み焼き、たこ焼きなど)を一緒にどのくらい食べているか」である。お好み焼き、たこ焼きという表現で、一見誘導設問のようにも捉えられるが、むしろ気になるのは、粉もんと並べて「麺類」と明記されている点である。なぜこれ入れた。たとえばラーメンライス定食。たとえば、ざる蕎麦いなり寿司セット。そういった組み合わせでも回答されてしまうし、そのうえ米に限定せず、パンが入れてある。

 私の頭に浮かんだのは、職場の食堂で、よく一緒になる数名の同僚の姿だった。

 彼らは、近所のコンビニで昼食を買ってくる。その組み合わせは、カップラーメンと、それでは足りないので、コンビニおにぎり一個。隣の彼女は、コンビニ冷製パスタと、それでは足りないので蒸しパン一個。多くはそういう組み合わせだ。カラダを使う職場である。コンビニの麺類一品では、みんな物足りなくて、おにぎりやパンを添える。

 つまりその食堂で、くだんのアンケートの回答をつのれば、けっこうな割合で「米・パンと麺類や粉もん(お好み焼き、たこ焼きなど)を一緒にどのくらい食べているか」に対し、週1食以上重ね食べをすると回答されるのである。

 ちなみに私は職場の食堂で、お好み焼きと米を食っているひとや、たこ焼きと米を食っているひとに遭遇したことはない。接客業なので、青ノリは禁忌だ。

 しかし、結果の新聞見出しはそうなってしまう。
 
『炭水化物の重ね食べは大阪文化』

 そうなのだろうか。
 ラーメンとおにぎりとか、冷麺と菓子パンとか、コンビニ昼食なら、ありがちな組み合わせに思える。これって大阪だけなの? たとえば東京の労働者は、おにぎりには断固としておにぎりしか合わせず、二個も三個も、おにぎりだけを食うのがデフォルトなの?

 そうなのだとすれば調査結果に否やはないのだが。

 そうなのだろうか。
 なにぶん、私も大阪人なので、私の見ている光景が大阪だけのものなのかそうではないのか、判断のしようはないのですが。しかし、2016年8月2日に公表された「大阪版健康・栄養調査」の結果に対する、大阪府の「炭水化物の重ね食べは大阪文化」発言は、いささか根拠に欠けるのではなかろうかと、思いながら読んだのでした。

 だいたい、大阪人は粉もんで生きている、というのがそもそもにして都市伝説ではないのか。大阪の真に一部の地域では、お好み焼き屋やたこ焼き屋が現実に多いものの、一駅離れれば、もうまばら。二駅も離れれば、見つけるのも難しくなってくる。

 そんなおり。
 スーパーで、こんなのが売っていまして。

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 私、ビールや発泡酒の類で、見たことないのを見たら、とりあえず買ってみないと気が済まない病だから、発作にあらがえず買ったのです。

 これ、パッケージにお好み焼きの絵が描いてあって、ソースの味に負けずに調和いたします、などと書いてある。またまた大阪人をそういう偏った視点で……と冷笑しながら、よくよく調べてみると。こいつ、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山。つまり二府四県の関西全域での発売らしい。

 私、そもそも明石焼きの国の生まれ。だから知っている。兵庫って、近いからこそ、大阪のもんはソースをなんにでもかけやがって舌バカが、などと宣いつつ、たこ焼きとは似て非なるふわふわ卵焼きみたいボールをダシにくぐらせて、それでビールをいただいたくことにそれはそれで誇りを持っている民族だということを。京都、奈良、まで行くと、缶にソースどろりとかかった粉もんのイラストで「きみらも関西人なんだからこういうので生きているんでしょ」なんてのは……近いけれどもさ。ダシ文化の中枢でしょう、あのあたりは。ケンカ売っとんのかと言われても仕方のない暴挙にさえ思えます。

 しかしまあ、売られてしまった。
 私も、買ってしまった。

 私、大阪人ですが、春にはもう鉄板とかホットプレートとか、出すのがイヤになるタチで。暑がりなんですよね。お好み焼きたこ焼きはもちろん、餃子やあらゆる鍋物、あたたかい煮物さえイヤになる。夏だよ。冷やそうよ。

 でも、ソース系の食と調和、などとうたっているリキュールを買って帰ってしまったものだから。

 やむなく、お好み焼きを作るしかなく。
 作りましたよ。
 そして冷やしましたよ。

clearasahi02.jpg

 冷やしお好み焼きの薄造り積み重ね風。余談ですが私、すっかり記憶している野田秀樹版『半神』のせいで、こういう積み重ねた料理に触れると「バターと粉を交互に重ねるの。バターにお粉、バターにお粉、バターにお粉」とつぶやきだして、頭がおかしくなってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・NHKプレミアムで今夜、新生『半神』が放送される。夢の遊眠社の『半神』が、私の人生を狂わせた(まあ悪くはないほうに)といっても過言ではないので、またいらぬ影響を受けないように…かつ良い影響は受けるように、気合いを入れて観る。

・『半神』。学生時代にコピー上演したことがあって、セリフをすべておぼえているから、知らない言語なのにバイリンガル気分で観た。言葉遊びがかなめのホンを外国語に訳し、演出家はその言語を解さないのに完成している。変な表現だけれど、強く生んだ言葉は言葉の壁なんてものともせんな、と思った。

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なので、つけあわせを作りましょう。
 野菜を切って、鶏の軟骨を揚げます。
 にんじんも野菜室にあったので、いっしょに。

clearasahi03.jpg

 コリコリコリコリ。
 軟骨は好き。
 冷やしお好み焼きを一枚、ぺろんとめくって、揚げた軟骨を添える。かけるソースは、どろソース。濃いの。濃いのに負けないリキュールなのでしょう? だから作ったんだ。本当は真夏にソースかけたお好み焼きなんて食べたくはないのに。

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 けっきょく、冷蔵庫から豆腐も持ってきて食べました。薄焼きお好み焼きと、野菜ごときでは腹が満たされなかったからですが、やっぱり私は、そこで白米はチョイスできない。だいたい、米でビールってのがない。アサヒビールさんは、ソースどろりんなお好み焼きに合うビールこそが関西人好みだと推してきたが、その大阪でおこなわれた調査では、大阪人はお好み焼きに米を合わせることになっている。となると大阪人は、米を食いながらビールを飲んで、ぷっはー、と、やっているということになってしまうのだが……

 と、冷やしお好み焼きと冷やしから揚げと冷ややっこをつまみに関西仕立て第三のビールをいただきながら、ふと気づく。

「ビールも原材料、麦やないの」

 アサヒビールさんの公式サイトを見る。
 私の買った500mlのクリアアサヒだと、含有炭水化物が3.3g。白米に比べれば数十分の一というような数字だが、しかし炭水化物抜きダイエットをやっているひとならば、無視できない数字である。だって含有しているんだもの、しかも液体。米を一気飲みはできないが、ビールはできるのだから、含有量は少なくても影響大だ。

 とまあ、そんな視線も加えてみれば、ますます炭水化物の重ね食べなんてものは珍しくもないことなのに、あたかも大阪文化だなどと声高に言うのは、モノを売りたい商売人と、大阪そのもののイメージを作ってでも広めたい町興しにやっきの役人さんたちによる情報操作の面も大きいよな。

 などとこの記事を書いていた、翌日の食堂で開かれた私のお弁当。

clearasahi05.jpg

 今日は、奥さんが詰めてくれました。米が玄米なのはいつものことで、おかずは左上からキャベツの炒め物一味唐辛子がけ、ししゃもの胴体切断風一味唐辛子がけ、一個飛んで右下は冷凍庫から取り出した揚げ済み白身魚フライのタバスコがけ。

 で、一個飛ばしたの。
 豚肉とキャベツを小麦粉の生地で焼いたもののピンクのキャップなボトルでどろっとしたソース添え。
 あ、忘れてはいけない一味唐辛子がけ。
 ていうか!
 お好み焼きやがな!
 ボトルの中身、
 濃いぃどろソースやがな!

 その日一番、食堂で「作られた大阪人」ぽいモノを食していたのは私でした。妻も中途半端に大阪から距離が近い関西圏和歌山の出身なので、自分はそんな食べあわせをしないくせに、私の弁当には入れてくる。幻想に囚われているのです。大阪人なんでしょ、お好み焼きと米を食うんでしょ。

 いや私、兵庫っ子やっちゅうてるやんか。

(そんなわけで、事実は事実なのでやむなく先述の「ちなみに私は職場の食堂で、お好み焼きと米を食っているひとや、たこ焼きと米を食っているひとに遭遇したことはない」というのは訂正させていただく。私自身が食べました。さすがに「接客業なので、青ノリは禁忌」というのは妻もわかってくれているようで、青ノリはかかっていなかったけれども。ああ食べましたともさ。弁当の米のおかずにお好み焼きって……大阪人ちゅーのはなんやねんな。笑けるわ)