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 三つ子のタマシイ百まで、というのは、三歳までにおぼえたことは、逝くまでそのひとの中核であり続けるという、身近に二歳児がいる、いまの私には少し怖いことわざだけれども。

 昨今の研究では、現実に幼児の脳内で起こっているのは、逆のことであるらしい。

 おぼえた、ではなく、忘れた、というほうが近い。

 とある能力の欠如したかたに、ある種の超人的能力が備わるという現実の現象があるが、日常会話はたどたどしい超絶のピアニストさんの演奏などを聴くと、いや本当に人間ていうのは機械なんだなあと思う。脳はハードディスクのようなもので、CドライブとDドライブのようにパーティションを切って、あっちの容量を減らすとこっちが増える、みたいなことが起きるのである。

 三歳までに、脳内回路の多くが滅亡する。区画整理だ。おぼえるというのはつまり、使う領域を確定して、使わない領域を捨てるということだ。永遠に。捨てた領域は戻らない。百歳までもなにも、なくなった回路はなくなったままに決まっている。

 脳の、その部分の使いかたを永遠に「忘れる」ことによって、たとえば言葉を話す領域や、超絶にではなくてもピアノの音を聴きわける領域などが確保される。

 子供が出てくるアクション映画ではおなじみな、閉鎖環境で育てられ銃のあつかいは天才的だが感情はないマシンのような暗殺者、みたいなことも、ありうる。そのことを逆に考えると、あまりにも雑多な事柄を過剰にインプットされ続けた子は、回路の取捨選択ができなかった結果、なんにでも反応してしまう落ちつきのない注意欠陥多動者に育つ危険性もある。

 私ごとだが、この一ヶ月、趣味の読書をしていない。ゲームも『Halo 5: Guardians』の一日一試合だけだ。

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 ちょっとした試験のために知識を詰めこんでいて、通勤電車のなかでは文庫本ではなく、すり切れたテキストをまた開く毎日なのだった。しかしまあ、記憶というのは上手くいかない。自分で自分の脳内をクリックして、捨てる情報を選んでゴミ箱に入れて、その空いたところにテキストの内容をコピーアンドペーストできればどんなにいいかとうんざりしつつ、今朝もまた向かいの席に座っている女性の持っていた紙袋のブランド名をおぼえていて、読んでいたテキストの文言をおぼえていない。クソだ。オレの脳はクソ袋だ。

 などと言ってはみるが、だったら、ぱっとページを開いて、なにもかもを暗記できる能力が身についたらどうしよう。風景写真を見た瞬間に細部まで記憶して、記憶で小さな看板の文字まで正確に描いてしまうひとがいる。そういうことができるひとならば、数十ページくらいの台本ならばぺらぺらっと記憶できるのだろうから、どんな舞台の代役だってできるはずで、演劇業界で巨万の富を築けるのではなかろうかと思ってしまいそうだけれども。そういう能力を持つひとは、たいていの場合、脳の領域をその能力に過剰に割り振ってしまっているために、役者には向かない性質になる。だからこそ多くの役者は記憶力に秀でているわけではなく、演じるという能力に秀でていて、結果として私と同じように、試験勉強的な努力で台本をおぼえ、千秋楽を迎えれば忘れてしまうのだ。そうしないと、次の台本がおぼえられないから。

 でもだったら、試験勉強だって試験が終われば忘れてしまうはずで、いま私がやっているのはなんなんだと欝になってしまいそうだが、こういうものは、いちどでも頭に詰めこんだひとに努力賞的なもので褒美を与えるという、一種のレースだと考えて試合までは同じコースを巡り巡ってライン取りをおぼえるのだと自分を納得させている。

 一方、二歳の息子は、とんでもない記憶能力で、アニメの主人公たちの名を、次々に頭に詰めこんでいる。先日『カーズ』のメーターに夢中だと書いたが。

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『カーズ:オルタナティヴ~メーターの崩壊~』の話。

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 あれから数ヶ月も経たないのに、彼はその映画の端役キャラまで子細に記憶して、私に教えてくれるようになった。「メーター? 知ってるっちゅうねん」という会話はいまや「へえ、そいつフィルモアっつうの? 正解かどうかしらんわ」という具合だ。

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 電車、新幹線のたぐいも、もはや完璧に二歳児のほうが私よりも詳しい。私は、そういうものにハマったことがないのだ。そしていまも、いっしょにビデオを見せられて、あの電車の名前がなんだとか言われても、まったく頭に入っていかない。

 そう、二歳児よ、その記憶力でディズニーの端役たちではなく、歴史上の偉人とか、化学式などおぼえたら、将来、なんらかのモテアイテムとして使える日が来るかもしれないぞと思っても、二歳児は偉人にも化学式にも興味がないので、それは無理なのである。脳をクリックすることは、超成長期な彼にも不可能なのだ。チンチン、オッパイは、やたら連呼しているが、そこに性的なものが関係しているようには見えないので、きっと大人が隠しているのに自分たちは出しても許される謎アイテムとして興味がわいているようで、だったら化学式も謎めかしてパンツのなかからチラ見せさせれば興味を持っておぼえるのかもしれないと考えたりもするが、考えるだけで実行に移してはいない。こっちはこっちで忙しいのである。

 話はもどるが、そのようにして二歳児は『カーズ』の端役の名前をおぼえることによって脳内パーティションを切り、領域確定によって、なにかを捨てている。つなげたまま育てれば、なにかの超人的能力になったのかもしれないシナプスの接続を捨て、生きるためには無用に思えるフィルモアの名をおぼえるための接続を存続させ強化する。

 たまたま、さっきの『カーズ:オルタナティヴ~メーターの崩壊~』の話。のなかで触れていたが、地球に隕石が追突しなかった結果、恐竜が絶滅せずに進化して地上の覇者になったという映画『アーロと少年』の世界設定に、私がなじめない部分があると書いた。あれも、そういう話だった。

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 ゾウのような脚の首長竜が、人類のかわりに人類のような知性を獲得したとしても、ほぼ確実に、人類がもしかしたら作ったかのような、三角屋根の木製の小屋などには住まないはずだ。その違和感である。

 よく言うことだが、大気も重力も地球とはまるで違うどこかの惑星に、人類以外の知的生命体がいたとして、『スター・トレック』のようには、なるわけがない。宇宙船の椅子に座ってコンソールのスイッチをタップするような、手脚のあるヒト型生物であるという確率は皆無だ。違う惑星で進化した宇宙人は、地球人とは根本から違う形状をしていて、思考方法さえも違っていて、いっしょに未知なる宇宙を旅しましょうとか、友情や愛情が芽生えたり、ときには殴りあいのケンカもしたり、というような共同生活が送れる存在でさえないはずなのだ。

 恐竜とは、鳥の祖先である。彼らは小型化し、空を自由に飛びまわって生きるという進化を選択した。逆に、大型の首長竜が天敵にも隕石にも遭遇せず小型化の進化を選択せずに文明を築くとすれば、『アーロと少年』の世界のようにニワトリを育てたりはしないだろう。自分たちが小さくならないまま、家畜を飼育する文明化を果たすならば、当然、家畜の大型化を進めるはずである。大きいが、自分たちの脅威にはならない肉の飼育。知性の欠如した哺乳類が望ましい。彼らは、木で家を建てることよりも、劣勢遺伝子の交配によって、限りなく脳の小さな大型動物を竜口的に作り出すという品種改良作業に邁進するのではないか。

 とか。興味のないテキストを頭に詰めこむ毎日だと、どうでもいいことを徒然と考えてしまって、それを徒然とこう書いているという徒然だったのに。

 ふと、科学雑誌サイエンスに掲載された、こういう研究成果を読んで、話が複雑になってしまったのである。

 論文タイトルは「Control of species-dependent cortico-motoneuronal connections underlying manual dexterity(手の器用さに関わる皮質運動神経結合の種特異的コントロール)」。論文の責任著者は、吉田富。

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Control of species-dependent cortico-motoneuronal connections underlying manual dexterity | Science

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 隕石が落ちて恐竜が絶滅したせいで、ヒトは木で家を建てて、火を征し、道具を発明して狩りをおこなうようになったのだけれど、その流れを「道具を作って使う手先の器用さを人類が獲得した」と読むのは間違いであると、論文は説いている。

 まず、霊長類が、手先を器用にする神経回路を持っているのは事実だ。研究チームは、その回路を特定した。

 ……ここまでは、わかる。その先である。

 研究チームは、生後間もないマウスには、この神経回路が存在することを突き止めた。

 ……マウスだ。ネズミだ。いっきょにわからなくなる。人間の手先を器用にしている回路が、ネズミにもある? でも、ネズミは道具を作らないよね? 実際、成長したマウスは、一本一本の指を別々に動かすことができない。

 つまり、こういうことだ。

 ネズミも、生まれた直後には、手先が器用になる神経回路を持っている。だが、神経回路の形成にたずさわるタンパク質セマフォリンが受容体プレキシンAに作用することにより、出生後最初の二週間以内に、その回路は消滅する。

 ……ネズミは、選択して不器用になる。おいおい。真顔でなにを言っているんだか。

 ここからは論文にはない吉秒見解である(研究チームは、あくまでこの実験を通して、運動能力に問題のある人類の一員を助けようとされている)。

 ヒトは、手先が器用になる回路を消滅させないから、器用に指先が使えるまま成長し、訓練によって箸先でビーンズがつまめるようにまでなる。一方、ネズミは、チョップスティックで豆粒をつまむ必要性に意義を見つけられなかった。というか、人間に比べてネズミの脳は小さいので、パーティションを切るのも死活問題なのだ。

 極端な話、ピアノを弾けるネズミがいたとしよう。ヒトもネズミも生まれた直後は同じく器用なのだとしたら、さっきした話が、ヒトにかぎったことではなくなる。たぶんそのネズミは「ピアノを弾く指先の器用さ」を得る対価として「ピアノの鍵を叩けば音が出せる」ということを理解したり記憶したりする領域が、脳に残ってはいない。それはつまり、ピアノはけっきょく弾けないということである。

 ハンモックを編んで、快適な寝床を作ることのできる器用さを有しても、エサを見つけられなかったり、敵から逃げられなかったりしては意味がない。

 そこでネズミは選んだ。
 小指と親指が別々に動かせるなんてのはナンボのもんじゃ、と。

 逆説上、こういうことになる。

 ヒトは、すばしっこく走ってエサを狩り逃走する俊敏さを選んで捨て、手先が器用なうえにモノも考えられるだけの大きさに脳を発達させた。

 それって、選んで、悩む賢さを獲得したということだ。

 頭のいいネズミといえば『アルジャーノンに花束を』。 
 
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 あれも、アルジャーノンとともに人為的に知能を上昇させた人間チャーリイが、そのことによって生きにくくなってしまうという話である。だれが読んでも、そりゃそうさ脳なんていじらなければ幸せだったのにチャーリイ、という受け止めかただからこそ名作と呼ばれている。そして、自由意志で自身で選んで賢くなった人間とは違い、人間に勝手に脳をいじられたネズミのアルジャーノンの不幸には、花束を贈るくらいでは足りない自責の念を感じさせられる。人間なんて、すべからくクソ袋なのに、なぜクソを溜めて出すだけの生活に満ち足りて悦べないのか、賢くなるっていうのは進化なのか本当に、なんでこっちの道を選んだのか、と天を仰ぎたくなる。それを決めたのは天にいるだれかではなく御先祖さまで、悩む頭を獲得したがために、癒やしの天上ファンタジスタなどというものも創造してしまった。

 小さくなって、空を飛ぶ鳥になって、平和に暮らすことにした恐竜はいさぎよい。指先を器用にして家を建てることよりも、それを捨て、人間の家のなかで人間に見つからず、幸せに暮らすことにしたネズミの決断もリスペクトにあたいする。進化というものは多数決なはずだが、議場があるわけではなく、淘汰によって成される。

 器用なネズミは死んだのだ。
 たぶん、賢くなったチャーリイが孤独になったのと同じ理由で。
 飛ばなかった恐竜は滅んだ。
 賢いアーロのように家を建てニワトリを育てるよりも、飛べるようになって木の枝に卵を産むほうが簡単だし、現に、きっとあした人類が勝手に自滅しても、数羽の小鳥は生き延びて、次の春には、また子鳥たちのためにエサをさがす。

 言い換えると、こういうことのように私には思える。

 種の総意としてなにかを捨てられなくなった人類の進化は終わっている。

 というわけで結論。
 いま、私が頭に詰めこもうとしている知識は仕事に必要だからで、それはすなわち私を含めた私の家族が飢えないためであり、古代の人類における狩りと同様の行為である。喰うために狩る。それだけだ。

 はい、徒然、終わり。
 暗記作業に戻る。拡張しない脳野を、力尽くでメキメキ広げてやる。進化はもうしない。ならば、あるもので都合をつけて生き延びるしかない。自由意志で自身で選んで賢くなって孤独になっても、ここが人類の進化の最先端であり、振り返っても、もどれる道はないのだから。

 器用な指を上手に動かせるようになる。
 肥大した脳に可能なかぎり詰めこむ。

 ピアノが上手くなりたいからピアノの練習をするのか? いや、その先でしか得られないものがあるからだ。

 ヒトに生まれたサガ。
 ヒトであることを証明する行為。
 ヒトとして生きるということである。




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○材料

ぬるま湯 200CC
強力粉 280グラム
薄力粉 20グラム
ドライイースト 小さじ1
砂糖 小さじ1
塩 ひとつまみ

○作り方

 強力粉と薄力粉をまぜ、大きめのボールに入れます(ふるわなくてよし)。

 ぬるま湯(指入れてぬるめのお風呂くらい。30度ちょっと越えるくらい)に、あわせた粉の半量とドライイースト、砂糖を入れ、手でまぜます。

 残りの粉と、塩を加え、まとまるまでこねます。前にもピザ生地の回で書きましたが、あなたが100キロ程度のバーベルを上げられるなら1分もこねれば充分。そうでなくても3分もこねれば万全。

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(私的にはこんなくらい。生地がなめらかになるまでとか、もっちりしっとりだとか、そんなにまでがんばってパンを焼く気はない。晩ごはんに添えたいがクラッカーを買いに行くよりはパン焼いたほうが面倒くさくないという話なので。我が家の最寄りコンビニは目の前だから、服を着る以上に面倒くさいならばパンなんて焼かない)

 濡れ布巾をかぶせて、夏の気温で一時間くらい。二倍の大きさになるまで待つ。これを一次発酵と呼びます。時間ではなく、必ず膨らみ具合で判断すること。そうです、コツは、休みの日にのんびり焼いて、決して焼きたてを晩ご飯の時間に、などと考えず、余裕を持って生地の様子を眺めてつきあうこと。焼きあがる時刻は、こっちの都合ではなく、生地の都合で決まるのだと心得ること。

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(ほらね。こねが適当だって膨らむんだ。最近のイーストは優秀なんだ)

 膨らんだら、適当にまるめて、オーブンシートを敷いた天板に並べ、もういちど濡れ布巾をかぶせて、一時間休憩。

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 ここはもう膨らみ具合でなく、一時間固定でよし。これを二次発酵と呼ぶのですが、実のところ、発酵して膨らませるタイムというよりは、丸められた生地が、丸められたことに納得するのを待つ時間。ちゃんと丸めることには苦心しましょう。きちんと閉じられていなくて、裂け目が残っていたりすると、焼いて膨らんだときに変形して、せっかく覚悟を決めて焼かれてくれたパンがひん曲がってしまいます。

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(で、ひん曲がったら捨てるのか? んなわけあるか。パン屋じゃねえんだ。曲がったパン焼けたー、破裂したー、ていうだけのことである。でもまあ、一時間くらいは膨らませたほうが、クラッカーよりもパンに近いものができあがるので、待ち時間に三十分アニメではなく一時間ドラマを観るくらいの余裕は、やはり推奨したい)

 まんまるいのがお好きなら、そのままで。今回はアクセントをつけるのに、分量外の粗挽きコショウを振りまいてから焼きました。チーズとか、チョコレートとか突き刺してみるのもたのしい。本日の気温ですと中段200度で10分。焼き加減は目で見て調節しましょう。色白でも、こんがりでも、それはそれで味わい深いものです。それこそ家焼きパンの醍醐味。

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(ちなみに今回のレシピと同種のパンを以前焼いたときの温度と時間は、上段220度で20分。オーブンの性能や、上段や中段の差にもよるが、夏と冬では、うちの場合、二倍くらいの時間差は実際に出る。ので、目視大事。いやまあ、焦げたって食うけどな。どうせなら焦げないうちに出して、焦げ目はあとでトースターでつけたほうが平和)

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(冷ますときはパンの下に空気の層を作りましょう。べちゃっとしないように。べちゃっとしても食うけどな)

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 隣のとくっついていようが、大きさが不揃いだろうが、パンなんて添え物。今夜のメインはこのあいだの、それ。

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『紫キャベツマリネのレシピ』のこと。

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 完成図。

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 こういうのでビールです。それでいい。それがいい。

 以下また例によって蛇足。

 ピザを焼くことが多いいいいいのですけれども。

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『ピザ六景』の話。

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 パンもたまには焼くよおおおおおお。

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『きみのためにパンを焼く』の話。

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 ということで以前、同種のパンのレシピをのっけたとき、できあがったあとの二枚の写真(今回の冒頭の)だけで、制作途中がなかったのが、とても気になっていた。気になっていたわりに、二年くらい経っているのですが、日々、どういう語句で検索されてうちのサイトは読まれているのかしらんと眺めていると、不幸にもレシピサイトとしてまじめに検索したのにうちに迷いこんでしまった小羊たちがいたりする。まあいちおう、文字でレシピは書いているわけで、読んで作って作れないことはなかろうかとは思うものの、私、まじめちゃんがまじめすぎるがゆえに不器用に不利益をこうむるという図式にいきどおりを感じるタチでして、そういえば学生のころには不思議ちゃんと呼ばれる存在が現れると「タクミの獲物が来た」と揶揄されたくらい、だれの目にもあきらかなくらい、不思議ちゃん好きだと思われていた。本人的には恋愛や性癖における好き嫌いとはまた別な気もする感情で、男女問わず、まじめくんがまじめに壁にぶち当たっていると「曲がったら?」と手を出さずにはいられないだけというか、裏返せば「曲がればいいだけのことだろう曲がれよ!」という憤慨であったりもするので、自分勝手なお節介ではあるのですけれど。ああもうっ、となる。それが自分のサイトで、だ。

「ちゃんと料理作るのにうちに来ちゃうかな!」

 というのが、ええ、もう。うちのサイトのなかだけで、レシピからレシピに跳んでは熟読してくださっているかたがいる。イヤうれしいですけれども。そこはサイト内検索ではなく、広大なインターネットワールドか、レシピ専門サイトなどにいけばいいんじゃないのかなあ、と心苦しく思う良心が私のなかにはある。あってよかった。

 で、あらためて、サイト内検索でちゃんとパンの制作過程が出るようにしてみたというだけの回でした。パンは簡単です。発酵させて焼けばいい。それだけです。でもちゃんと冷ませよとか、そういった程度のアドバイスを添えておくのも親切かなと、照れまじりの荒っぽい口調でアドツンバイスしてみた。私の焼いているのを見れば、いかに大きさが多少不揃いであろうともなんら問題ないことがわかっていただけるでしょう。ピザ、よく作るんですが。と、さっきも言いましたが。まとめて作った生地をいつも三等分するのに、いつも一枚目が小さい。ぷくーと膨らんでいるところから最初にちぎりとるので、目視が甘く、つかみとる生地が少ないのでしょう。でもね、ピザ焼いて何年だって話です。いや、何十年だ。ほぼ毎週焼く。さすがに毎週、同じだけこねて膨らんだ生地から、同じように三等分をとるのに、三等分にいつまでたってもならないというのはなんなのか。だったら重さを量ればいいのに、そうしないのもなんでなのか。

 毎週、一枚目が小さくても、別に困らんからだ。

 適当でできると、適当のままだという真理。ここを修正しないと王者になんてなれないぞと言うならば、カウンターパンチの打ち込み角度の微妙な調整に汗を流す気にもなりましょうが、日々の料理とはそういうものではない。コンビニに行くのも面倒だから焼くだけだ。そういったものだ。検索も必要ない。直感でやればいい。失敗をおそれるな失敗したってどうせ食うんだ!!

 ということが伝えたかっただけです。

(ところで蛇足の蛇足になりますが、休みの日にコンビニに行くのもバイクに乗るのも面倒になってしまうのは、私が年中、家では裸で過ごしているから、まずパンツからはかなくてはならないという行為が面倒くさいからなのですが。先日、ロチェスター大学の発表した論文で「自宅を裸で歩き回り、罰当たりな言葉を使い、辛い朝食を食べる」ひとほど頭の回転が速く「違法速度で運転し、ギャンブルを好み、パブに出掛けることが多い」ひとほど社交的であるという研究結果を提示していたのを読みました。『料理の鉄人』に参戦した梅宮辰夫が、終始口汚く世界を罵りながら料理しているのを観ながら「私だ」と思った私は、朝からハバネロカレーが主食ですし、バイク乗りだけれどゆったりのんびりアメリカンで、ゲームに金賭けるなんてゲーマーのクズだと思っているし、外呑みはひとりではなにをたのしんでいいのかわからない派でもあるため、今回の論文に照らすと、自分はもしかして世界でトップクラスの「頭の回転の速い社交性のないひと」ではないかと疑ってしまいました。でもたぶん、そんなでもないのでロチェスター大学の研究チームのほうが統計学上のなにかミスを犯したに違いありません。英語圏の研究者って、なぜ統計に「パブに出かける」を入れたがるのか。そんなやつ社交性あるに決まってるじゃないか。関連性ないところを絡めてこその研究なのに。ちなみに私が服を着たがらないのは、どうせ脱ぐからです。出かけるには着なければならないけれど、出かけないならば出かけるまで着ることはない。自明の理だ。われながら頭の回転が速い。ときどき、どうせ滅びるのになぜ繁栄を望むのか……というようなことも考えてしまうのですが、考えてもムダなので考えないことにするという考えもできて、けっきょくなにも考えずにパンを食べてビールを飲むことにします。すごくかしこい)





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映画『カーズ』の主役ふたり。
いや、二台か。
特に、左の茶色いの。
メーターという名前。
二歳になる前の息子が、ママをママと呼ぶよりも早く、メーターをメーターと呼んだ。
なにがそんなになのか。
それ以来、朝起きると、これを握りしめ、寝ている私に知らせにくる。

「メーター!」
「はいはい、メーターな」
「これ。メーター!!」

頬に押しつけてくる。
知っとるっちゅうねん。
分析してみた。
メーターはレッカー車だ。
そういえば工事車両全般を男の子は好きなものだ。うちにもそういう絵本はある。クレーン車に、目鼻のついた。だがそのキャラに名前はない。目鼻のついた、ただのクレーン車だ。

深い愛には名前が必須なのかも。
それに、見ていて気づく。
メーターの動きは、速い。
彼を主人公にした、いくつかの短編があるのだが、そりゃあもう目まぐるしい。そして彼はレッカ-車なので、ワイヤーフックを使いまくる。故障した仲間を牽引する。それは当然だが、ときにスパイダーマンのように、なにかに引っかけて、自分を宙へ飛ばしたりもする。
サーカスするクレーン車だ。

息子もメーターが、なにかを引っぱるという想定で、延々と遊んでいる。引っぱっているものを、吹っ飛ばしたりもする。

ここで写真を見ていただきたい。
トミカのメーターのフックは、やわらかい樹脂でできている。
息子は手にしたその日に千切った。
誤飲もある年齢なので、直さずにそのままである。
それから数ヶ月を経て。
いま彼の目には、どう見ても、ワイヤーフックが見えている。しかもそこだけ仮想なので、部屋の端から端までのびたりする。
寝ている私の頬に押しつけ、私の鼻にフックをかけて引っぱる。

「メーターぁぁぁぁあ!!!」

この時空には存在しないフックだ。
それを引っかけて気合いを入れる。
つきあうか?
つきあいませんよ、私は。
痛くないから怒りもしないし。
やがて彼は、なにかを連れて去る。
メーターの仮想のフックで、仮想の私を引きずっていったのか。
もういちど寝ることにする。
きっと寝室の隅には、彼の生み出した別時空の私が、ズタボロになって山積まれて、この時空の私を睨んでいる。おかげで睡眠時間を、もう少しでも確保できている。

ありがとう、私。

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 だがしかし、夢見がちなだけでは人生わたっていけぬだろうと、現実にメーターでものを引っ張れるように、リアルなチェーンと洗濯バサミをつけてやった。これでお父さんの鼻を挟んでひっぱったりはナシだぞと、強く言いふくめて。

 結果。

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 メーターのフックは土台から、もげた。
 弱ぇなドリームトミカ!!
 おさなごのドリームに太刀打ちできるくらいの頑強さは有していてもらいたい。

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 まあミニカーなんで、数百円のものですし、壊れたら新しいのを買ったっていいようなもの。実際、息子は微妙にバージョンの違うライトニング・マックィーンとメーターを数台ずつ持っていて、同時に遊んでいるから「メーターとメーターがいっしょにいるっておかしくね?」と訊いてみても、どこに不条理が発現しているのか理解できない様子。たぶん私が今夜、エイリアンにアブダクトされて、代わりに不出来な即席クローンが残されていたとしても、気がつきもしないのでしょう、薄情なやつだ。

 とはいえ、大人のほうは、『カーズ2』の美人スパイさん(もちろん車だが)が言うように、車体の凹みも想い出だったりするし、私はタンクの凹みを直さないバイクに乗っているくらいだし。

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『ライダー復帰』の話。

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 引きちぎれるクレーン部分は保管しておくにしても、クレーンの土台まで失ってしまうと想い出の傷を越えて喪失である。メーター卿のキャラクター崩壊である。というわけで、できうるかぎり新品を買い与えたりはせず、直して「おまえのメーターだろうが大事にしろよ」と諭したい。

 ので、ミニカーと同じくらいの値段の接着剤を買って常備しておきましょう。

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 ※以下追陳。

 先日、『カーズ』を作ったひとたちの恐竜映画『アーロと少年』を観ました。

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 なかなか、いろいろなことに配慮された設定が組んであって、シンプルなストーリーだけれど、だからこそ、個と個の絆とはなんであろうかと大人目線では考えてしまわされるピクサースタジオらしい良作。

 ただ、この映画、基本の設定がオルタナティヴもので。「if、恐竜が絶滅せず、人類よりも高い知能を持つ知性体として進化を続けたら」と、なっているのが、観ていてなんども『カーズ』と比べずにはいられなかった。

 『カーズ』には、人類は出てこない。車だけの、車の世界。そこで彼らは家族を持ち、愛や友情を育み、衣食住から娯楽までたしなむし、某国には女王陛下も存在する。単純な話、ライトニング・マックィーンと彼女がレストランでディナーをたのしんだり、メーターがピスタチオアイスと間違えてワサビ大盛りを頼むのに止めもしない日本車の寿司職人を見るとき、人類としては、「手がないのにどうやって寿司を握るんだ?」という当然の疑問が浮かんでしかりな世界である。が、観ているあいだは、そんなことは気にならない。

 そもそも、車に目鼻がついているミニカーを受け入れている時点で、あれはこの地球の並行宇宙ではなく、それはそういう世界であるのだと、了承済みだからだ。荒唐無稽の極北へ達しているがために、そういうものだと納得できてしまうのだ。

 その点が、『アーロと少年』の場合。

 たとえば、恐竜が農耕文化を獲得している。木の枝で編んだカゴに種を満載し、そのカゴを口でくわえて畑に種まきをしているのである。

 ……いやいやいや。手を使えないから口でまいているわけだが。じゃあ、その精巧に編まれた、口でくわえる把手までついたカゴは、何者が編んだのだ。

 その世界で、人類は獣のような知性しか持ちあわせず、猿たちは恐竜と折り合いが悪いようである。しかし、アーロたちは、どう見ても山から木を切り出して、加工して建てた家に住んでいて、石積みのサイロに食物を溜め込んでいたりする。口だけで石を積んで塔が建てられるだろうか。建てられるかもしれないが、日本の城の作り方も考えるに、やはり細かいところで角を削ったりする作業は必須なのではないか。首長竜のゾウのような手脚では無理ではないか?

 などということを、ずっと考えてしまうのだった。

 それが『アーロと少年』の興行成績が『カーズ』シリーズに遠く及ばなかった理由だと断じる気はないものの、観ながら『カーズ』の世界というのは、あらためて珠玉の出来ですなあ、と感心してしまったのです。

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 ※以下蛇足。

 先日、『でも、結婚したいっ!~BL漫画家のこじらせ婚活記~』というドラマを観ました。

 結婚相談所がスポンサーで、作中にもそれが登場するとあって、まあ非のうちどころなくバレでもなんでもなく当たり前にハッピーエンドだったわけですが。

 こういうセリフがありました。

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 BLということを抜きにしたら、とっても心あたたまる、ラブストーリーとして読めました。このなかには、たくさんのあなたのやさしさが、あふれでている。



 ドラマ『でも、結婚したいっ!~BL漫画家のこじらせ婚活記~』

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 あ、書き忘れておりましたが、私、BL小説なども書いておりまして。このセリフ、に、うむ、と頷いたのです。

 私は、BLというのは俳句や短歌に似ている気がして、それを好んでいる。「BLということを抜きにしたら」とBL書きに向かって彼は言うけれど「五七五であることを抜きにしたら」などと俳句詠みに言ったりはしないでしょう。

 なぜ、ではなく、必要だから。
 この国が生み育んできた、珠玉の表現形式であり、文化。まだ少し若いので、ボーイズラブという形式は、なじみないひとを戸惑わせたりもするのですけれど。

 『カーズ』シリーズ最新作に合わせて公開された、日本だけのディズニー/ピクサー史上初ジョン・ラセター製作総指揮『カーズ』まさかの人類で実写化というミニドラマがある。



 マックィーンがヒトの幕井だと、一分三十秒ですべて語れてしまう話だと公式に。やはり『カーズ』は『カーズ』という形式があってのものだと再認識させてくれる、良いドラマでした。

 そういう形式があって、そこに添って詠むことで、あふれでてくるものがあるから、その形式を使っているのだ。ああ、そうだ。そのことを忘れないで今後も生きていこう──

 深く、教えられる。